活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

法としての根源4

2019年03月18日 | 法理

何故そういうことがいえるのかというと、「自分の見解(けんげ)考え方」

というものからきれいに離れた真相を自分で見付けたからです。


「此の物(身体機能)」は自分たちの考え方で扱う道具ではなかったという

ことに気が付いたからです。


その様子を道元禅師は「学道用心集」の中で「若し證の眼を回らして行の

地を顧みれば一翳(いちえい)の眼に當る無く」とはっきりお示しになって

居ります。


悟った時の自分の様子を顧みると、ものを見るということでも、見るものと

見られるものという二つのものが有(在)るのではないのです。


それですから、眼に邪魔になるものはないのです。

思いの上でも何にも邪魔になるものは有(在)りません、ということを表現

なさっているのです。