「真に坐禅をするということは、自他の見をなくした人の仏行である」
といえます。
「人若し懺悔せんと欲せば」とは、これは自分が過去において
作ってきた一般的にいうもろもろの悪いことだけを懺悔するのでは
ありません。
善いことも悪いことも懺悔するのです。
そうでないと仏教でいう本当の「実相懺悔」ということには
なりません。
とかく悪いことは懺悔するけれども、善いことはそのままにして
おくものです。
これは、善・悪の対象としてあることですが、一方の対象がなくなれば
他方の対象もなくならなければならないのです。