風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第1984回定期公演 @NHKホール(5月20日)

2023-05-21 00:09:08 | クラシック音楽




パスカル・ロジェのピアノとファビオ・ルイージの指揮を聴いてみたく、N響のCプロへ行ってきました。
Cプロ、週末の午後に手頃なお値段で気軽に一流の音楽を楽しめて、ほんと有難い
ルイージは亡くなった友人が好きな指揮者でした。
彼がN響の首席指揮者になるなんて彼女は知る由もなく。生きていたらきっと演奏会に足を運んでいたろうにと思う。
また猿之助の事件についても色々感じるものがあって…。
そんなすこし悲しい気持ちのなか聴いた今日の演奏会でもありました。

【サン・サーンス/ピアノ協奏曲 第5番 ヘ長調 作品103「エジプト風」】
ロジェは現在72歳とのこと。
冒頭はyoutubeで予習していた彼の演奏よりも硬質なタッチで少し意外だったけれど(最初は指もあまりまわっていなかったようにも聴こえた)、すぐにその独特な演奏の虜になってしまいました。
上手く説明できないのだけど、サン・サーンスらしい清澄さと、でも決して薄味ではなく、リズムや音色のさりげない自由さとか、明るいのに静けさもあったり、そして繊細な色彩感。フランスの音だなぁ、と強く感じた。とても好みな演奏。
ルイージ&N響がまた素晴らしくて。ピアノを支え、ピアノと絡み合い、時にうねり、ピアノとオケが美しく飛翔していく様に幾度も「うわぁ…」と耳を奪われました。
ピアノ協奏曲5番、いい曲だなぁ。
そして、いい演奏だったなぁ。
ロジェもルイージもN響もブラボー!

【サティー/グノシエンヌ 第2番(ピアノアンコール)】
前日のアンコールは「ジムノペディ 第1番」だったそうですが、今日は「グノシエンヌ 第2番」。
ロジェの演奏、やはりいい
清澄な音色なのに、彼の作りたい音の世界をしっかりと感じさせるのが不思議。ちゃんと演奏に芯があるんですよね。私の気持ちのせいかもしれないけれど、どこか祈りのような重みも感じる演奏でした。
弾き終わったときに両手を重ねて何かに感謝するような仕草をしたのが、印象的でした。
ルイージのこともとても立てていて、舞台から何度もルイージを呼ぼうとする。でもルイージもロジェのことをとても立てていて、彼だけを舞台に行かせようとする。それが幾度も繰り返されていました笑。ルイージはアンコールの演奏を舞台袖のほとんど隠れる位置に立って、聴いていました。
ロジェは最後は舞台の上手の端まで行って、全ての客へ挨拶。
彼の弾く音楽だけでなく、そんなステージマナーもとても気持ちがよかったです。
機会があったらリサイタルも聴いてみたいな。

【フランク/交響曲 ニ短調】
この作曲家の作品を聴くのは、昨年アルゲリッチ&辻さんで聴いたヴァイオリン・ソナタに続いて2回目。
前半の清澄なサン・サーンスから一転して、意外なほどに情熱的なルイージの指揮。
雑というわけではなくちゃんと丁寧なのだけど、音がうねって熱くて(時として粘っこくて)、ルイージの指揮は初めて聴くけれど想像していたイメージと違ってちょっと驚きました。
ここでも、「うわ…」と感じる美しい瞬間が幾度も。しかもちゃんと音が”突き抜けて”いる(ワタシ的にはこれがすごく大事)。3楽章の壮大な色彩感も美しかった。
ルイージが首席指揮者になったのは昨年9月とのことですが、今日の演奏を聴く限りではとても良い感じ。
N響が良い演奏をするときには、日本のオケの中で最もヨーロッパ的な音を出すオケだと個人的には思っていて。
そういう演奏をルイージの指揮のもとでは聴けそうな気がする。
ちなみに今まで聴いた中で私がもっとも好きなN響の音は、ブロムさんが指揮するときの音です。

2023~2024年シーズンも聴いてみたいプログラムがちらほらと。
これからも時々伺えたらいいな。
自分から心に栄養を与えてあげないと、ね。
今の時代に1000円台でそれができるのだから、有難いことです。



イケオジをパシャリ
今度お墓詣りするときに、友人にも見せてあげよう
ルイージは指揮姿も綺麗ですね。

【マエストロ・メッセージ】ファビオ・ルイージ/5月N響定期公演Cプログラム


Satie: Gnossiennes - No. 2, Avec étonnement



Cプロ恒例の開演前のミニコンサート。
ロパルツ/前奏曲、海とシャンソン─第1曲「前奏曲」、第3曲「シャンソン」。
ロパルツという作曲家は初めて知りました。フランク繋がりとのこと。
気だるげでもある色彩感がフランスらしい、素朴な郷愁のようなものも感じさせる、とても美しい曲でした。

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別府アルゲリッチ音楽祭 水戸室内管弦楽団 @東京オペラシティ(5月16日)

2023-05-17 23:38:15 | クラシック音楽




昨年に続いて今年も行ってきました、アルゲリッチ音楽祭の東京公演
私にとっては4回目のアルゲリッチ、初の水戸室内管です。

【プロコフィエフ:交響曲 第1番 ニ長調 op.25〈古典的〉】
最初の3曲はオケのみの演奏でしたが、開始早々からオケの音にビックリ
素晴らしいですね~~~
SNS情報によるとサイトウ・キネンのメンバーが中心のオケだそうですが、それぞれの音に個性と自発性があって、なのに音楽が無理なく自然に流れていて、聴いていて気持ちがいい。そして下手な奏者が一人もいなくて、ストレスゼロ。水戸市民になりたくなってしまいました
この曲を聴くのは、ムーティ&シカゴ響に続いて2回目。
ムーティ&CSOは重さが気になってしまったのだけれど、今回の方が音が弾んでいて、でも悪い意味での軽さはなく、より好みでした。

【ストラヴィンスキー:〈プルチネッラ〉組曲】
この曲は初めて聴いたのだけど、バレエ・リュスからの委嘱作品とのこと。
まずは事前にyoutubeで全曲版のバレエを見てみました。
なんとなく私のイメージするバレエ・リュス作品ぽくはないなと思いつつ動画を見ていたら、終盤でプルチネルラが増殖(違)して街がプルチネルラだらけになるシュールな絵面に、これか!と。いや違うかもしれないけど、あのシュールさは私のイメージのバレエ・リュスぽい。
それはさておきこの曲、いい曲だなぁ。。。。。
こういう呑気で幸せな気分になれる曲、大好き。
今日の演奏でも、最後は泣きそうになってしまったよ。
私はどう考えてもネガティブ属性の人間だと思うのだけど、こういう呑気で幸福な作品が何故か好きなんです。
ところでこの曲はストラヴィンスキーが作曲したというよりは、ペルゴレージ他による原曲を彼が編曲したもの。

ストラヴィンスキーはこれらの原曲を素材としながらも、リズムや和声は近代的なものを取り入れた独自のスタイルに作り替え、ディアギレフの意向は無視して、ハープ・打楽器はおろか、クラリネットさえ含まない合奏協奏曲風の小編成の作品とした。…ディアギレフは完成した作品が要望通りでなかったために驚愕したがこれを了承し、大編成管弦楽を前提にしていたマシーンの振り付けは音楽に合わせたコンパクトなものに作りかえられた。
(wikipedia)

ディアギレフは愛人マシーンに振付を作り変えさせ、ストラヴィンスキーの意向を尊重したのか。当たり前だけどただのエロオヤジじゃないというか、やはりバレエ・リュスを作った人だなぁと。
実際に聴いて強く感じましたが、この作品は絶対に大編成よりも小編成の方が魅力的ですよね。大編成ではもっと重く壮大な感じになってしまっただろうと想像するけれど、小編成だと現代的な軽みとお洒落感が出て、とても素敵。あの絵面のシュールさにも合ってると思う。

(20分間の休憩)

【コダーイ:ガランタ舞曲】
前半も十分に満足だったけれど、このガランタ舞曲の演奏、素晴らしかった!
前述したとおりこのオケは技術的に上手いだけでなく、各奏者の個性がちゃんと音に出ているのがいい。昨年のパリ管を思い出しました。こういう感じのオケは日本ではなかなか出会えない。
中でもこの曲のクラリネットの音がそれはそれは素晴らしくて。技術的に上手いとか美しいとかいうだけではなく、音の表現力と雄弁さが衝撃的。もはやクラリネットの音じゃなく人間の声みたい。私、中学時代にクラリネットをやっていたくらいこの楽器の音が好きなので、こういう音に出会えると嬉しくてたまらなくなってしまうんです。
帰宅して調べたところ、マテ・ベカヴァック(Mate BEKAVAC)さんという方でした。クラリネット界隈では割と有名な方のようで、こんな記事も。いやぁ、ほんとに良い音だった。。。
またこの曲は、今日の指揮者のディエゴ・マテウスに最も合っていたように感じました。
熱いだけでなく、暗さや静けさも感じる曲。

【ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調】
満を持して、アルゲリッチ様のご登場。
今年初めに心臓の不調のために休養していたと聞いていたので心配していましたが、お元気そうでよかった。
アルゲリッチを見るといつもフレイレのことを思い出すのだけど、フレイレが亡くなってもう1年半か。早いな…。
さて、今日の演奏も、来月で82歳になられるとは信じがたい素晴らしさでした。
最初の3曲の素晴らしさを、最後にアルゲリッチは全部持って行ってしまった。
やはり若手のオケや奏者を相手にしているときよりも、こういう成熟したオケや奏者を相手にしているときの方が、アルゲリッチらしい音を聴ける気がする。
一楽章を弾き終わったとき、指揮者に向かってニコッと笑み
いつものように、彼女自身が音楽そのものであるかのようにさり気なく弾かれているその音の、一音一音に惹きつけられずにいられない。強烈な抗い難い魅力。それは良くも悪くもオケを含めた全てをアルゲリッチ色にしてしまうのだけれど(決して彼女自身の自己主張が強いわけではないにもかかわらず)、アルゲリッチはそれでいいのだと心底感じてしまう。この演奏が聴けるなら、それがラヴェルらしいか否かもどうでもよくなってしまう。もはや音楽を聴いているというよりも、物凄い何かを体感しているという感覚。ひたすら息を止めて、一音一音を大切に聴きました。
そして、アルゲリッチの音はどうしてこんなに温かいのだろう。。。。。。2楽章は泣きそうになってしまった。
本当に、唯一無二のピアニストだな、と改めて心底感じました。

【ラヴェル:ピアノ協奏曲 ト長調より第3楽章(アンコール)】
本編を終えて舞台袖に引っ込むときに、ティンパニを指でタタタン♪と楽しそうにはじくアルゲリッチ
私の席からは舞台袖の様子が見えていたのですが、もしかしたら今日はアンコールを演奏するつもりはなかったのではないかな。それくらい長くアルゲリッチとマテウスが話し合っているように見えました。まぁ週末の水戸でも3楽章をアンコールで演奏したそうなので、予定どおりだったのかもですが。
あまり乗り気じゃなさそうに舞台に戻ってきたアルゲリッチ。しかし、弾き始めた途端にいつもの如く鬼神に変身。
アンコールでの彼女の演奏は、本編とは違い、より奔放な勢いのあるものでした。
本編の丁寧な演奏も私はとてもいいと思ったけれど、アンコールの肩の力が抜けたような自由な演奏(ヤケクソ気味にも聴こえたけど笑)もとてもよかったです。ピアノの音はアンコールの方がしっかり鳴っていたように感じました。
弾く前は乗り気じゃなさそうだったのに、演奏中は体を揺らしながら楽しそうにオケに向ける笑みが相変わらずキュート

オケが全員引っ込んだ後も拍手は収まらず、再びアルゲリッチが登場。そしてマテウスとオケの皆さんも登場。
会場は大きな大きな拍手喝采に包まれました。
温かな、いい時間だった
どうかどうかお体をお大事に。またあなたのピアノを聴ける日を心からお待ちしています。

※そういえば、第二楽章のアルゲリッチの弱音の演奏中に客席で携帯音が鳴ったことに対してSNSで集中砲火が浴びせられていますが、もちろん私もそれは許しがたいことに変わりはないのだけど、個人的にはあそこでハッと現実に戻されたにも関わらず、アルゲリッチの次の音が聴こえた瞬間にアルゲリッチの世界に一瞬で引き戻されたことが、稀有な体験でした。普通ならもうしばらく現実世界を引きずってしまうのだけれど、本当に一瞬でラヴェルの音楽の世界に戻ることができたんです。アルゲリッチの音の凄さを改めて実感しました。



★★★★★


このパールマンのドキュメンタリー、観てみたいな。

Itzhak Perlman & Martha Argerich record Brahms: Scherzo, F-A-E Sonata
上記ドキュメンタリーで使用されているアルゲリッチとパールマンのF.A.E.ソナタの映像のロングバージョン。
こういう弾き方のこの曲もとてもいいね。

Violin Sonata in C Minor "F-A-E": III. Scherzo, WoO 2

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東京交響楽団『歌劇エレクトラ』 @サントリーホール(5月14日)

2023-05-16 12:28:00 | クラシック音楽




昨年のノット&東響の『サロメ』が非常に素晴らしかったので、迷わずチケットを買った今回の『エレクトラ』
今回も素晴らしい公演でした。
日本での全曲演奏は18年ぶりとのこと(ただ来年も読響が全曲演奏するようです)。

ノット&東響は官能性やしっとりとした情感はサロメのときと同様イマヒトツではあったけれど、「The殺人!!!」みたいな劇的な音はほんっっっと上手いですねえ
前半はクライマックスの連続みたいな途切れない大音量の演奏が少々平坦に感じられて意識が落ちかけたけれど(これはシュトラウスの音楽のせいもある気がする…)、後半のオレストの登場あたりからグッと前のめりで聴いてしまいました。
クリテムネストラが殺害される場面の断末魔の音、最高でした。ノットブラヴォー!と心の中で喝采してしまった。
エギストの殺害場面も、その緊迫感と言ったら。
そして、ラスト。
最初からあれだけ(良くも悪くも)クライマックスの連続なような演奏が続いてきて、それでもなおよくぞあの最後の&最大のクライマックスを築けたものだなあ。ブラボー!

エレクトラ役のクリスティーン・ガーキー
第一声からその迫力を見せつけられました。あんなに声量があるのに、発声にまったく無理がなく耳障りに感じない。先日のターフェルもそうだったけど、こういう声を聴いているだけでも感動してしまう(ターフェルといえば、英国の戴冠式で歌っていらっしゃいましたね)。
ガーキーは歌だけでなく演技も素晴らしくて。
復讐を成し遂げた後の「あれは私の中から生まれる音楽」というエレクトラの言葉は、今日の彼女の演技とオケの演奏を聴いて、初めて感覚として理解できたように感じました。その響きには狂気や不穏さや悲しみのようなものはなく(良い意味で)、エレクトラの晴れ晴れとした恍惚感をいっぱいに感じた。彼女はもうあちらの世界に半分行ってしまっている。
最後に再び姿を現したクリソテミスは、姉の様子が少しおかしいことに気付く。そして、エレクトラが踊る勝利の踊り。ここのガーキーも物凄い迫力だった…!
それはもちろん普通の人間の心理状態ではないし、観客としてはそこに物悲しさも感じるのだけれど、それ以上に、自分が一つのドラマティックな事件の完結を目の当たりにしているカタルシスのようなものを感じました。
またガーキーのエレクトラには妹や弟への親愛の情のような温かみも感じられて、それも今日のラストをより感動的にしていたように感じました。

クリソテミス役のシネイド・キャンベル=ウォレスもこの役にピッタリで、声もガーキーに負けていない。
この役って影が薄くなりがちな役だと思うのだけれど、ウォレスはクリソテミスの芯の強さも感じられて、とてもよかったです。

クリテムネストラ役のハンナ・シュヴァルツ
ネット情報によると往年の名歌手とのことですが、その情報を知らなくても、舞台に登場してその第一声を聴いただけで、その深みのある声と雰囲気のある佇まいに目と耳を奪われました。クリテムネストラという女性がただの悪役ではなく、その人生の複雑な奥行きも感じられた。
そのシュヴァルツさん、なんと今年80歳になられるそうで…!
すごい・・・・・。ひたすら感服です・・・・・。
なお、死の叫びは二期会合唱団の小林紗季子さんが担当されたとのこと。確かにシュヴァルツとは少し声質が異なるように感じられたので、納得。

エギスト役のフランク・ファン・アーケン
こちらも役にピッタリで、出番は少なかったのにその歌唱と細やかな演伎が印象に残りました。
毎度、海外勢の演技力には本当に感心する。
登場場面でコケそうになるところ、本当にそうなのかと思って「あ…っ」と思わず手を差し出しそうになってしまった。
下手扉から再び登場されての殺害場面も、渾身の演技と歌唱を目の前で堪能させていただきました

オレスト役のジェームス・アトキンソンも、優しく温かみのある、でも頼りがいもありそうな声と雰囲気が、この役にピッタリ。
帰宅してから知ったのですが、エレクトラとオレストの姉弟の関係は近親相姦的なものなのですね(ギリシャ神話あるある)。
オレストの復讐譚については、こちら様のブログの記事などが大変参考になりました。
このオペラの前日譚として、長女イーピゲネイアを生贄にしちゃうなんてアガメムノンをクリテムネストラが憎むのは当然じゃね?と思っていたけれど、イーピゲネイアはアガメムノンの娘ではなく前夫タンタロスとの間の娘なのだそうで。アガメムノンはタンタロスを殺してクリテムネストラを自分の妻にした、と。クリテムネストラは前夫タンタロスを愛しており、彼だけでなく彼との間の娘までも殺したアガメムノンを憎んでいた。結果として、アガメムノンとの間の子供であるエレクトラとオレストも愛することができない。
ほ~。奥が深い、、、いや浅いのかな

演出家は、昨年の『サロメ』と同じサー・トーマス・アレン
舞台の端から端までを存分に使い、単なる演奏会形式以上の演技を堪能できる彼の演出、大好きです。ラストの暗転は今回も非常に効果的でした。真っ暗な中でのブラボーと拍手の嵐も感動的だった。また来年も彼の演出だと嬉しいな。

カテコは皆さんニコニコ笑顔
ガーキーとウォレス、何度目かのカーテンコールで自分達は出ないでノットだけを行かせて、舞台袖からノットへずっと拍手を送ってくれていた
袖にはける前には、皆さんP席にも至近距離でニッコリ手を振ってくださいました。ありがと〜。
とはいえP席、オペラでは初めて座ったけれど(4000円と格安だったので)、わかってはいたけれどやはり人の声を聴くには向いていないですね。次回はまた正面席をとりたいと思います。LAとRAは、サー・トーマス・アレンの演出では端での演技が見切れるのでナシだな。


指揮=ジョナサン・ノット
演出監修=サー・トーマス・アレン
管弦楽=東京交響楽団
合唱=二期会合唱団

エレクトラ=クリスティーン・ガーキー(ソプラノ)
クリソテミス=シネイド・キャンベル=ウォレス(ソプラノ)
クリテムネストラ=ハンナ・シュヴァルツ(メゾソプラノ)
エギスト=フランク・ファン・アーケン(テノール)
オレスト=ジェームス・アトキンソン(バリトン)
オレストの養育者=山下浩司
若い召使=伊藤達人
老いた召使=鹿野由之
監視の女=増田のり子
第1の侍女=金子美香
第2の侍女=谷口睦美
第3の侍女=池田香織
第4の侍女/ クリテムネストラの裾持ちの女=髙橋絵理
第5の侍女/ クリテムネストラの側仕えの女=田崎尚美





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東京フィルハーモニー交響楽団 5月定期演奏会 @サントリーホール(5月10日)

2023-05-12 01:14:58 | クラシック音楽




2月のピアノリサイタルを聴いてプレトニョフの指揮も聴いてみたくなり、東フィルの定期公演に行ってきました。今回はオールラフマニノフプログラム。

ウクライナ侵攻以降、ロシアに殆ど帰っていないというプレトニョフ。
そのため自身が創設し32年間続いたロシア・ナショナル管弦楽団の音楽監督の契約が打ち切りとなり、プレトニョフを長年支えてきた楽団長も更迭されていることから、ロシア当局による事実上の解任とみられるとのこと。そして新たにスロバキアの首都ブラチスラヴァで彼が創設したのが、その名もラフマニノフ国際管弦楽団(Rachmaninoff International Orchestra, RIO)。
ブラティスラヴァ発 〓 ミハイル・プレトニョフが新しいオーケストラを創設、ロシア・ナショナル管の音楽監督を当局が解任?(月刊音楽祭)
“Who starts wars? Imbecile politicians. No normal person likes war.”(RIO)
行動早いな…。さすが…。
楽団員のうち18人はロシアから、他はウクライナ、ブラチスラヴァ、ウィーンなどから集まったとのこと。 
楽団の名前に「ラフマニノフ」と冠したほどなので、プレトニョフのこの作曲家への敬愛はただならぬものがあるのでしょう。
共産主義化するロシアから西側に亡命し、深く愛する母国に二度と戻ることが叶わなかったラフマニノフ。
プレトニョフは音楽面においてだけでなく、現在の自身の状況もラフマニノフに重ねて感じているのではないかと思う。
上記クロアチアでのインタビューで(奥様的な方?がクロアチア人なんですね)、プレトニョフは「プーチン政権は、すべてを自分の支配下に置きたいのです。だから、RNOも国営オーケストラにしようとしたのでしょう。しかしプーチンは問題の原因ではなく、結果に過ぎません。問題は、ロシアがまだ民主主義への道を歩んでいないことです」と。
ところで同インタビューで知りましたが、プレトニョフって10ヶ国語を話せるんですね
数ヶ国語を話す音楽家はザラにいるけど、10ヶ国語か・・・。

【幻想曲『岩』】
【交響詩『死の島』】
『岩』を聴くのは、ソヒエフ&N響に続いて2回目。『死の鳥』は初めてです。
2月のリサイタルの演奏があまりに衝撃的だったため、今日も初めのうちは目の前で指揮するプレトニョフを見ながら(P席でした)「この指があの魔法のような音を生み出したのか…」と彼の指から目が離せませんでした
彼のピアノを聴いていたから今回の指揮がより理解できたように感じられ、また今回の指揮を聴いたことで彼のピアノがより理解できたようにも感じられました。
なぜなら、シフと同じで、オケから彼のピアノと同じ音が聴こえたから。
掴みどころがないのに、妙な説得力があって。
知的なのに、流れはあくまで自然。
音の温かみは薄いのに、無機質ではない。
魔法のような色彩感は静かな仄暗い不穏さを伴っていて、でもその色は透明。
それが得体が知れずどこか不気味でもあって、ゾワゾワする。
どうやってその音楽が生まれるのか、ひたすら謎。
プレトニョフって本当に面白い、と改めて感じました。

そんな彼の特色は、今日のプログラムにピッタリ合っていたように感じられました。
コッテリでも甘くもない、暗く、美しいラフマニノフ。新鮮。

『死の島』の地の底から響くような音。
舞台上に「死」という字が見えた。
そして、こんな美しい曲だったのか、と。
といっても自己陶酔的な死の美しさではもちろんなく、その冷たさと体温と崇高さの加減がプレトニョフは本当に絶妙。
強奏部分の美しいだけではない音は私は敢えて出しているのだろうと思ったのだけど(そしてとてもいいと思ったのだけど)、「あれはリハ不足だったからでは」という評論家の意見も。
たしかにピアニストのプレトニョフならああいう音は出さなそうだなとも思うけど、真相は不明。

(15分間の休憩)

【交響的舞曲】
岩→死の島→交響的舞曲と聴くと、交響的舞曲の作品としての洗練度がよくわかりますね。
とはいえ東フィルの演奏を演奏会で聴くのは今回が初めてですが(ミュージカルやバレエでは聴いている)、この曲を楽々と演奏していた先日のフルシャ&N響と比べると、東フィルには余裕のなさが感じられてしまったのが正直なところではありました。「これって演奏するのが難しい曲なのかな」と心配しながら聴いてしまった。管楽器は、プレトニョフが「シーッ」と指示していても十分に音量が下がっていなかったり。一楽章のアルトサックスの例のメロディの演奏も、個人的には不満(一方、コンマスのソロはとてもよかった)。また全体的に、ロシアの楽団ならもっと違う音が聴けただろうなと思わなかったと言えば嘘になる。
でもところどころの合奏の響きの色合いの美しさなどは本当に無類で。
そして何より、三楽章フィナーレの高揚感&説得力よ・・・!!
あのハレルヤの胸に迫る音色、追い込み、そして最後の銅鑼の残響の言葉にできない響き、しばらく耳から離れず呆然としてしまいました。これらはN響の演奏では得られなかった感覚です。
この曲を聴くといつも思うけれど、自分の死期が近いことがわかっていて、そして二度と祖国ロシアに帰れない事がわかっていて(しかも現在いる場所はよりによってアメリカで)、ラフマニノフはどういう気持ちでこの曲を作曲したのだろう。

ところで、この『交響的舞曲』に当初は振付が予定されていたと最初に知ったときは「この曲で踊るって・・・?」と想像できなかったのだけど、その振付家がバレエ・リュスのミハイル・フォーキンだったと知ってから、この曲のどの場面にも踊りが目に見えるように感じられるようになりました。
三楽章ラスト近くの踊り狂うような音楽は、ストラヴィンスキーの『火の鳥』のカスチェイの踊りのシーンが物凄く浮かぶのだけど、私だけだろうか。

プレトニョフは、今日は3曲とも最後の余韻を大切にしていましたね。客席もちゃんとそれに応えてエラかった。最後の銅鑼の響きも空間に溶け切るまでしっかり堪能できました。プレトニョフも嬉しそうだった。あんな穏やかな笑顔をする人なんですね。
そしてプレトニョフは唸る指揮者なんですね。そういえばピアノのときも、唸ってはいないけれど鼻歌歌ってた記憶が。今日も静かに盛り上げていくところとか、腕の表現とともに「ヴワ~」と笑。

秋のラフマニノフのピアノ協奏曲全曲演奏会も楽しみです。

How do you feel as a conductor when you conduct another pianist in a work you normally play yourself? Do you give him full freedom? 

I do. A soloist is a god. He has worked on this music for a year or two, he has prepared his own interpretation. I can help him to understand what he wants to say, what his view is. If I don't like his interpretation, I won't call him again. But while we're on stage together, I will be a part of his world. 
(RIO)

 

生誕150年 特別客演指揮者ミハイル・プレトニョフが語るラフマニノフ その才能を見出し、育てた人々

5月定期演奏会のききどころ「生誕150年を迎えた音楽家ラフマニノフの生涯をたどる

セルゲイ・ラフマニノフ (1873~1943) 交響詩《死の島》(千葉フィルハーモニー)

セルゲイ・ラフマニノフ (1873~1943) 交響詩《死の島》の構造分析と自演盤(千葉フィルハーモニー)




ほ~
たしかにこの最後の銅鑼は、鳴らしっぱなしの指揮者とそうでない指揮者がいますね。今回のプレトニョフはもちろん、予習で聴いた中ではラトルやネルソンスなどが鳴らしっぱなしでした。ここは絶対に鳴らしっぱなしの方が独特の余韻が残っていいと思うな。フルシャはどうだったっけ ※追記:クラシック音楽館で確認したところ、フルシャも鳴らしっぱなしでした。ただやはりフルシャの方はラストの追い込みの高揚感はないタイプの演奏だった。

Kazushi Ono talks on Rachmaninov - Symphonic Dances / 大野和士が語る ラフマニノフ:交響的舞曲
大野さんの作品解説、いつも本当に参考になります。感謝。


Моцарт | Елизавета Леонская Павел Бубельников | Трансляция концерта
今日の演奏会とは直接関係ありませんが、こちらは先月20日のサンクトペテルブルクでの、レオンスカヤによるモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏。
1978年にソ連からオーストリアのウィーンに亡命して以来西側での活動が中心だった彼女がなぜ今この時期にロシアに戻って演奏をしたのか、色々憶測が囁かれています。彼女も今は77歳という年齢で、一度ロシアに戻り演奏をしておきたいという思いもあったのではないか、など。
プログラムはオールモーツァルト。
ヴィルサラーゼが「今はプロコフィエフは弾けない。弾きたいのはモーツァルト」と言っていたことを思い出す。
このレオンスカヤのモーツァルトの演奏、とてもとても素晴らしいのです。
あの温かなピアノをもう一度生で聴きたいな。また来日してくれないだろうか。コロナ禍のせいで彼女の春祭のブラームス公演が中止なったことがつくづく残念。。。

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NHK「映像の世紀バタフライエフェクト 『戦争の中の芸術家』」

2023-05-03 00:46:39 | クラシック音楽




バレンさんの記事
へのアクセス数が最近増えているので「バレンさんの身にまさか何か…」と恐る恐るtwitterで検索してみたところ、NHK『映像の世紀バタフライエフェクト』の「戦争の中の芸術家」の回でバレンさんの映像が流れたそうで。
早速見てみました。
いやぁ、、、相変わらずこの番組は貴重な映像が盛りだくさんですね
バレンさんがエルサレムでワーグナーを演奏したときのエピソードは知っていましたが、その映像が残っていたことは初めて知りました。
番組の担当ディレクターによると、「ストーリー構成に悩んでいた最中、膨大な映像の中からバレンボイムの演奏を発見した時に、戦争の中を生きた芸術家たちの物語が一本に繋がりました」とのこと。

番組では第二次大戦前後のドイツやソビエトが今のロシアの状況と重ねられていて、ゲルギエフについても触れられていました。
この番組の押しつけがましくない客観的な距離感が好きだな。
この回で紹介された1942年ヒトラーの誕生日前夜の祝賀演奏会で演奏されたフルトヴェングラー指揮の第九の映像が、「ジェノサイド 虐殺と黙殺」の回の冒頭でも使用されていて、そういうバランス感覚も好ましく感じられます。

ベルリンフィルがヒトラーからあれほどの例外的扱いを受けていたことも、初めて知りました。
映像の中で流れていたフルトヴェングラーが指揮するワーグナー「マイスタージンガー」と、トスカニーニが指揮するヴェルディ「運命の力」。
これらの音楽をこれほどの重みをもって聴いたのは、今回が初めてでした。

以下、番組より。

(イタリア出身の指揮者トスカニーニは、ムッソリーニを嫌い、ファシズム政権下では演奏をしないと宣言していた。1937年、オーストリアの音楽祭で顔を合わせたフルトヴェングラーとトスカニーニは、激しい口論になった)

トスカニーニ:
今の世界情勢下で奴隷化された国と自由な国の両方で同時に指揮をすることは、芸術家にとって許されることではありません。


フルトヴェングラー:
音楽は、ゲシュタポも手出しできない自由な広野へと人間を連れ出してくれるのです。私が偉大な音楽を演奏する。それがたまたまヒトラーの支配する国で行われたからといって、私がヒトラーの代弁者だということになるのでしょうか。


トスカニーニ:
第三帝国で指揮をする者は、すべてナチです!


フルトヴェングラー:
では芸術は、たまたま政権を握った政府のための宣伝にすぎないというのですか。絶対に違います。芸術は政治とは別の世界に存在するのです。


・・・・・

ナチスを批判し亡命した作家トーマス・マン:
フルトヴェングラーの悲劇的な無知。彼はナチズムの本質を把握できない無能だ。フルトヴェングラーは演奏家としての生活を純粋に保つこと以外は何も考えていない。


・・・・・

(フルトヴェングラーは友人達から何度も亡命を勧められたが、ドイツに留まり続けた。軍需工場や軍人の慰問演奏会などを務め続ける限り、ベルリンフィルの楽団員は徴兵を免除されていた)

フルトヴェングラー:
亡命しようと思えばできただろう。そうすれば、国外からナチスを批判することもできただろう。しかし私の使命はドイツ音楽を生き延びさせることだと考えた。ドイツの演奏家たちとドイツ人のためにドイツ音楽を演奏し続けること。これを前にしては演奏がナチスの宣伝に使われるかもしれないという懸念は後退していった。

・・・・・

(戦時中ドイツで演奏を続けたことを振り返って)

フルトヴェングラー:
あのような時期に立ち去ることは、恥知らずな逃亡でありました。所詮私はドイツ人なのです。およそナチスのテロのもとで生きていかねばならなかったドイツ人ほどベートーヴェンによる自由と人間愛の福音を必要とし、待ち焦がれた人々はいなかったでしょう。外国でどう考えられようと、私は自分がドイツ国民のためにしたことを悔やんでいません。


・・・・・

(一方、ソビエト連邦ではスターリンが「形式において民族的、内容において社会主義的」を標榜する社会主義リアリズムを掲げ、労働者達が楽しめないような難解な表現や前衛的な芸術を志す者は排斥の対象となった)

ショスタコーヴィチ:
(交響曲第七番「レニングラード」に込めた意味を友人に語り)ファシズムは単にナチズムを意味するのではありません。この音楽は、恐怖、屈辱、魂の束縛を語っているのです。交響曲第七番はナチズムだけでなく、今のソビエトの体制を含むファシズムを描いたのです。


(1953年スターリン死去)
ショスタコーヴィチ:
いったい我々ソビエトの芸術家は自分の芸術をソビエトの社会体制から疎外することができるだろうか。我々はすべて時代の子にほかならず、それと切っても切れない関係をもっている。国家の運命が常に自分自身の運命でもあるというのが、ソビエト芸術家の最も重要な特徴である。

・・・・・

(ユダヤ人のバレンボイムは、11歳の時にフルトヴェングラーに才能を認められ、世界に羽ばたいた。それ以来、フルトヴェングラーを師と仰いだ。2001年、イスラエルでのシュターツカペレベルリンの演奏会で、バレンボイムは予定されていたプログラムを演奏後、アンコールとしてワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の演奏を聴衆に提案した。ワーグナーがユダヤ人に対して差別的思想をもっていたこと、そしてヒトラーがナチスの宣伝にワーグナーの音楽を利用したことから、ワーグナーの音楽はイスラエルではタブー視されている)

バレンボイム:
演奏するかどうかを決めるのは皆さんです。ここにワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の楽譜があります。


観客:
おいバレンボイム!ワーグナーを裏口から入れるのと同じだぞ!こんなやり方は不当だ。


バレンボイム:
この中に聴きたくないという方がいらしたら、静かに立ち去ります。


観客:
ダメ!そんなことをしたら、少数に屈することになる!

演奏に反対する観客:
お前はファシストだ!

演奏に賛成する観客:
私に聴かないことを強制するのか!プログラムは終わったんだから出ていけよ!


(演奏を認めるか否か、30分にわたって観客同士の議論が続いた。結局反対派は会場を去り演奏は決行されることとなったが、演奏中も客席から「ダメ!」という声が上がる)

後日、バレンボイム:
ワーグナーの音楽を聴いておぞましい連想をする人もいるでしょう。そうした人々に聴くことを勧めるべきではありません。それは当然のことです。しかしおぞましい連想をする人たちは、他の人々から音楽を聴く機会を奪う権利があるのでしょうか。私はそうは思いません。私はただ心から音楽を演奏するために来ました。




Staatskapelle Berlin / Daniel Barenboim Jerusalem 2001 Tristan und Isolde
2001年のエルサレムの演奏会の「トリスタンとイゾルデ」の演奏部分。演奏後には盛大なブラヴォーの声も上がっていますね。
wikipediaによると「45分近く続いた話し合いの後、コンサートホールにいた3000人近い聴衆の中で、出て行ったのは20人ほど、ヤジを飛ばしたのは5人程度で、残りは演奏を聴くためホールに残った」とのこと。
イスラエルといってもすべてがユダヤ人なわけではないけれど、この街の人口比率からするとホールにいた聴衆はやはりユダヤ人が多かったはず。当たり前だけれど、政治的意見は本当に人それぞれなのだなと今更ながら感じます。

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