風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

ギレリスのブラームス

2022-02-26 01:41:06 | クラシック音楽

うそはほんとによく似てる
ほんとはうそによく似てる
うそとほんとは
双生児

うそはほんととよくまざる
ほんとはうそとよくまざる
うそとほんとは
化合物

うその中にうそを探すな
ほんとの中にうそを探せ
ほんとの中にほんとを探すな
うその中にほんとを探せ

(谷川俊太郎 「うそとほんと」)

白か黒か、0か100かではなく、色んな色が混ざっているのが人間であり、この世界なのだと思っています。
とはいえ言葉というものは難しいですね。書けば書くほど本当に言いたいことからは遠ざかってしまうように感じられる…。いや、私の文章力が足りないだけか…。
なので、言葉よりもギレリスのこの演奏を。
彼の大切な故郷への祈りを込めて…。

Brahms : Piano concerto 2 - BPO / Gilels / Jochum***


ギレリスについての、こんな本を見つけました。
読んでみたいと思います。
『エミール・ギレリス もうひとつのロシア・ピアニズム』(音楽之友社)
ギレリスが盛んに活躍した当時、ソ連の体制のなかで誤ったギレリス像を生み出した「著名」なソヴィエトの批評家たちと、著者は果敢に論争を展開する。
このピアニストの生涯にわたって、未だ知られていない事実を紹介し、社会の変化の中でのギレリスの芸術と、この芸術家の運命について思いを凝らす。
大部分の資料は、本書で初めて公開されるものである。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生のビーツでボルシチを作ってみた。

2022-02-23 02:20:45 | 日々いろいろ




先日の記事を書いた翌日に近所のスーパーを歩いていたら、生のビーツが1個98円で目の前に
安い。しかも大きい(約500g)。
これは間違いなく神様がボルシチを作れと言っている。
買いました。
作りました。

美味しー----い

トマトスープとは違う、この素朴で野性味ある味がいい!
調べたら、ボルシチはロシアではなくウクライナの伝統料理なんですね。

ボルシチ:テーブルビート(ブリャク)を中心とした紫色の野菜スープ。ロシア・ポーランド・リトアニア・ユダヤ人などの料理に影響をあたえ、世界的に認められているウクライナの代表的料理の一つ。ウクライナのそれぞれの地域によって作り方が異なる。ウクライナ中部では50種類以上のレシピが存在する(「赤のボルシチ」・「緑のボルシチ」、「ヘーチマンのボルシチ」、「冷たいボルシチ」、「茸のボルシチ」など)。
(wikipedia「ウクライナ料理」より)

写真では色がわかりにくいかもですが、トマトスープのようなオレンジがかった色ではなく、血のような深紅色です。美味しいだけでなく、異国気分も楽しめる料理。
思えばビーツ(beetroot)という野菜を初めて知ったのは、イギリスでだったな サボテンの実やルバーブやエルダーフラワーも。

以下、レシピの自分用覚書です。ネットの色んなレシピを参考にさせていただきました。
皮を剥いた後の余ったビーツ(今回は300g)は、2cm角に切ってラップをかけて12分レンチンし、塩をふって食べると甘い紫芋みたいで美味しいよ サラダにしてもよし。
ちなみに写真のパンは、ファミマの冷凍ラケルパンです。本来は黒パンが合うのでしょうが、食べたかったので




調理時間 /120分
材料(4人分)

・水 1200cc
・牛肉(カレー・シチュー用)350g
・生のビーツ 180g
・人参 小1本(100g)
・じゃがいも 小2個
・キャベツ 300g
・玉葱 小2個(200g)
・ニンニク 1かけ
・ローリエ 1枚
・固形スープの素(コンソメ) 2コ
・トマトペースト 36g(カゴメトマトペーストミニパック 2袋)
・トマトケチャップ 大さじ2
・サラダ油 大さじ1
・塩 少々
・胡椒(粗挽き) 少々
・サワークリーム 適量 ※酸味の少ない水切りヨーグルトだ代用可
・ディル(or 乾燥ディルウィード) 少々 

①フライパンで牛肉の表面を軽く焼く。鍋に水1200cc、牛肉を入れ、中火にかける。煮立ったらアクを取り弱火にし、コンソメを加え、蓋をして1時間20分煮込む。

②ビーツの皮を剥いて千切りに、人参も千切りに、玉葱をみじん切りにし、フライパンに油を引いて炒める。トマトペーストとトマトケチャップも加えて炒める。

③ニンニクを薄切りに、キャベツを千切りに、じゃがいもをひと口大に切り、①の鍋に入れる。ローリエを入れ、蓋をして弱火で更に30分煮込む。

④②で炒めた野菜を鍋に入れ、塩胡椒で味を調える。
★ビーツは煮すぎると色がとぶので注意

④器に盛り、サワークリームをのせ、刻んだディルをかける。

Борщ!!! За уши не оторвешь. Бабушкины рецепты. Попробуйте!


こちらの動画では牛肉ではなく豚肉を使っていますね。

ウクライナはこのスープの地域ごとのバリエーションが非常に豊かであり、実質的にそれぞれの州ごとの独自のレシピを誇っている。個々のバリエーションの違いは、使用するストックの種類(肉、骨、両方)、肉の種類(牛、豚、鶏など)、野菜の選択およびその切り方と調理法などによるものである。たとえば、典型的なレシピでは牛肉と豚肉を使用するが、キエフでは牛肉だけではなくマトンないしラムも使用し、ポルタヴァ地方ではボルシチに使うストックは家禽の肉、すなわちニワトリ、アヒル、ガチョウの肉が用いられる。
(wikipedia「ボルシチ」より)

私が今回ボルシチを作ったのは最近の世界情勢とは関係はありませんが、ウクライナという国について「バレエではザハロワやポルーニンやマラーホフがいるけど(ロパ様やリアブコやニジンスキーもなのか…!)、ピアニストも誰かいたような…?」と調べてみたら、リヒテルもギレリスもホロヴィッツもウクライナ出身なんですね(あと音楽教師のネイガウスもザークも)
ギレリスがソ連からの亡命を決断できなかった理由の一つは生まれ故郷のオデッサに郷愁の念を抱いていたからとアファナシエフが言っていたけれど、オデッサってウクライナの街だったのか…(当時はソ連領)。さらに驚いたことに、オデッサはなんと我が市の姉妹都市だった…。今年で57年目を迎えるそうです。
どうか犠牲が出ることなく、平和な方法で解決がなされますように…。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北京五輪とかフィギュアスケートとかシャンシャンとか

2022-02-21 15:37:28 | 日々いろいろ




なんのかんの楽しんだ北京五輪も終わってしまった。
フィギュア、美しかったなあ。一度生で観てみたい(と言いつつ十ン年…)。
ロシアのドーピング云々については、真相が解明されていないのでとりあえず置いておくとして。
フィギュアの演技そのものの美しさはもちろんだけど、五輪はああいう緊張感の中で一人で演技をする選手達の精神力の強さにも毎回感動してしまう。私自身は豆腐のような精神力なので。
一方でクラシック音楽を聴くようになって、制限時間内に収めるための抜粋や編曲が意外と強引なことが気になるようにもなってしまったり。「え、そこでもうフィナーレ…!?」とか。音質がもう少し貧相じゃなければ演技の美しさが一層際立つだろうにとも。
ていうかそもそも、、、

フィギュアスケートってスポーツなの?芸術なの?

もちろん五輪の種目になっているしスポーツに他ならないのだろうけど、この疑問は見るたびに感じる。
スポーツなのに「演技」が重要というのも奇妙だし、「芸術点」(演技構成点)って何よ??とググってみると、「スケート技術(Skating Skills)」「技と技のつなぎ(Transitions)」「演技表現(Performance)」「振付け・構成(Composition)」「音楽との調和(Interpretation / Timing)」の5項目を10点満点で採点するとのこと。
最初の2つはいいとしても、「演技表現」「振付け・構成」「音楽との調和」の良し悪しって多分に主観的なものよね…。「演技表現」はわかりやすい表現を素晴らしいと感じる人もいれば、控えめな表現を上品でいいと感じる人もいるでしょうし、「音楽との調和」も一見客観的なようだけど、音楽とピタリと合った滑りを良しとする人もいれば、細かな部分では多少ずれていても全体の自然な流れを重視する人もいるでしょうし。「振付け・構成」は言わずもがな。これはもはや選手の実力以外の部分だし。
別に芸術に点数をつけることを×と言っているわけではないのです(賛成はしないけど)。ピアノや絵画にもコンクールはあるし。でもそれらはあくまで「芸術とは本来点数をつけられないものである」という共通認識の上に成り立っているのであって、審査員が個人の芸術的主観を基準に審査していることを参加者も了解していて、審査結果の意味合いもスッキリしているといえばスッキリしている。
一方でフィギュアスケートは本来なら客観的に技術的観点から採点されるべき「スポーツ」であるにもかかわらず、主観的にしか判断しようのない芸術的観点までが採点基準に含まれているものだから、おかしなことになる。結果として、いつもスッキリしない後味が残る競技であることは事実よね。アイスショーなら「芸術」や「エンターテインメント」とハッキリ言えるだろうけれど。私がいつも拝読しているオペラやバレエの芸術ブログの方は「競技のフィギュアスケートには興味がない。アイスショーなら見てみたい」と仰っていて、その気持ちもわかる気がするんですよね。もちろん「勝敗を競う競技だから面白いんじゃないか」という意見もわからなくないけれど。
しかし考えてみたらアイスショーでも音楽はやっぱり短縮されちゃっているのではなかろうか。行ったことがないのでわからないけど、スケーターの体力的にクラシック音楽を一曲丸ごととか無理よね。ロックやポップスならできるだろうけど。やはり音楽も楽しみたいならバレエか

それはそれとして、エキシビション後の羽生さんのインタビューが印象的だった。

-「春よ、来い」に込めた思いとは。

 「いろいろ詰め込みすぎて、何がとは僕の口から言い切れないけど、本当に皆さんにこうして見ていただけるからこそ、こうやって滑ってこられたと思う。見ていただけるからこそ、僕の演技に何かしらの意味が生まれると思うので、皆さんに感謝したい」

 -競技後の練習で過去のプログラムを滑った。どんな思いか。

 「とにかく自分がやりたいことを、こうして見ていただける今だからこそできるすべてを、この五輪の地でやりたい気持ちが強くあった。本当に幸せな時間だったと思う」

 -北京五輪はどんな大会になったか。

 「いろんなことを深く考えさせられた。今まで、努力してもどうしようもない時期はたくさんあった。皆さんの記憶の中にある羽生結弦はソチ五輪、平昌五輪と成功している自分が多いかもしれないけど、僕はここまで競技を続けて、自分の中のどん底を何回も見てきた。そういう意味で今回、大人になって、人生って報われることがすべてじゃないんだなと。ただ、報われなかった今は、報われなかった今で幸せだなって。不条理なことはたくさんあるけど、少しでも前を向いて歩いて行きたい」
デイリー

最後の一答、重い実感を伴った、でも自然な良い答えですね。
そもそも何をもって「報われる」とするのかも、一概には言えませんよね。ある面では報われていなくても、別の面では報われていることもある。90%は報われなくても、10%は報われることもある。黒か白か、0か100かではなく、色々な色がいっぱい混ざっているのが人間であり人生なのだと思うし、そこに幸福を感じるための鍵もあるのだと思う。

でも「報われなかった今は、報われなかった今で幸せだなって。不条理なことはたくさんあるけど、少しでも前を向いて歩いて行きたい」とはっきりと言えるのは、それだけの努力を積み重ねてきた結果の場所にいま彼がいるからなんですよね。
やるべき努力をやってこれていなかったら、報われなかった今も幸せと感じたり、不条理を受け入れて前を向こうと思ったりはできないだろうと思う。
結局未来の自分の幸せの鍵は現在の自分の時間の中にあるのだな、と27歳の彼に改めて教えてもらえた北京五輪でありました。

そして北京五輪が終わったことでいよいよシャンシャン🐼の中国返還の現実味が増し、私の豆腐のような神経はグチャグチャなのである 
自然がいっぱいの臥龍にいた方がきっと本人(本パンダ)も幸せだろうという気持ちと、あちらでもちゃんとケアして愛してもらえるのだろうか?という心配と。そもそも日本から臥龍に帰ったパンダ🐼って過去にいないのではなかろうか。白浜🐼はみんな成都よね…。臥龍って野生に帰すための基地よね…。まさか温室育ちのシャンシャン🐼を野生に帰すなんて無謀なことはしないと信じたいが、アメリカ🐼の前例があるし…。とにかく幸せでいてくれさえすればいいです。私達人間にこんなに沢山の幸せをくれたのだから、幸せでいてくれないとダメだよ。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『春調娘七種』『義経千本桜(渡海屋、大物浦)』 @歌舞伎座(2月15日)

2022-02-17 00:34:35 | 歌舞伎




ブログには書いていませんが、歌舞伎座にはちょこちょこ行っています。
でもオミクロン株が流行り出してからはさすがに自粛していて、でも今月はニザさま一世一代だしな・・・と迷っているうちに月の中旬になってしまい、こんなご時世だしいつ休演になってもおかしくない、観ないで後悔したくない、と意を決して行ってきました。できれば第一部の梅玉さんの『御浜御殿』も観たかったな・・・。

【春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)】
梅枝萬太郎の曽我兄弟+千之助君の静御前。
舞踊の上手下手を見極める目はないけれど、萬太郎の五郎が元気がよくて動きもハキッときまって、見ていて楽しかったです。
春の七草の歌にのった若い3人の踊り。早春らしい澄んだ空気を感じながら、のんびりと拝見しました

(20分間の休憩)

【義経千本桜~渡海屋、大物浦~】
仁左衛門さんの知盛を見るのは、2017年3月に続いて2回目。
基本的には前回書いた感想と同じですが、前回より更に仁左衛門さんの気迫が増していたように感じられました。特に大物浦は凄い迫力だった。
前回いいなと感じた個所に加えて今回いいなと感じたのが、銀平。仁左衛門さんの銀平って、台詞のイントネーションが上方アクセントなんですね。あれ、いい!上方の堅気じゃない親分的な空気が素敵!ニザ様は西のお人ですものね、お似合いなわけだ。一方で吉右衛門さんの鬼平的な大らかな銀平も私は大好きなのですけど。
渡海屋最後の花道の引っ込みは、今回も美しかった。。。。。。。。。発光してた。。。。。。。。。。
安徳帝(梅枝の息子の大晴くん)への知盛の忠義は、松嶋屋が皇室崇拝のご一家だったことを思い出し(孝太郎さんが『終戦のエンペラー』で昭和天皇役をされたときに秀太郎さんがブログにそう書かれていた)、演技がリアルに迫っているのはそういう理由もあったりするのだろうかとか想像しました。
ラストで本当に仁左衛門さんが死んでしまうように感じられたのも、前回と同じ。

ただ、本当に本当に素晴らしい知盛ではあったのだけど、やはり私は吉右衛門さんの知盛が好きだな、と改めて感じてしまったことも前回と同じでした。
『渡海屋』の前の幕間に3階の廊下を歩いていたら亡くなった俳優さん達の写真の一番新しいところに吉右衛門さんの写真が加えられているのを見てしまい、それがとてもいい笑顔のお写真で、もう歌舞伎座であの空気を感じることはないのだなと不思議な気持ちになりました。劇場というのはやはり独特な空間ですね。
仁左衛門さんはどうか、長生きしていただきたい。。。。

脇では、孝太郎さんの典侍の局がよかったな。『渡海屋』の後半でお柳から典侍の局となる空気の変化が素晴らしかったし、『大物浦』も迫力の演技でした。私、このお柳&典侍の局の役って好きなんですよね、可愛らしさと潔さが両方感じられて。
そして左團次さんの弁慶がとてもよかった。大きさも厳しさも優しさも感じられて。仁左衛門さんとお二人並んだところも、最後の花道に一人立ったときの空気も素晴らしかったです。今回は(前回も?)弁慶が眠っている安徳帝をまたぐ場面はないんですね。また法螺貝はご自身で吹いてはおられなかったけれど、それはそれで落ち着いた気持ちで見られるのでよかったです。役者自身が吹くパターンはちょっとハラハラしてしまうので

私はこの演目、知盛が海に身を投げて幕が引かれて、盛大な拍手がおさまって、舞台上に義経達だけが残って、舞台と客席がシンと静謐な空気に変わる瞬間が大好きなんです。知盛の壮絶な死の名残の気配と、鎮魂と、義経達のこの先の運命と、そういった全てを表しているような厳かで透明な清らかさというんですかね。この演目にはいつも浄化の空気を強く感じる。
なのに。
今日の客席、知盛が海に身を投げて幕が引かれると「ニザ様もう出ないし、お芝居は終わり」とばかりに、ハンドバッグのファスナーをジーッと開けてオペラグラスをしまって、ガサガサと帰り支度を始める客達が。舞台上にはまだ義経一行がいるのに!これからが良いところなのに!あんた達本当にこのお芝居に感動したのと聞きたい。まあああいう輩はニザ様だけがお目当てで、芝居なんてどうでもいいんでしょうけど(毒舌失礼)。

以下、覚書。
・マイクがあったので、収録日だったようです。でも前日も収録していたそうなので、色々撮ってるのかも。
・喉の渇きを血で潤す上方だけの演出について、インタビューで「矢を舐める型と薙刀を舐める型があり、どちらかにしようと思っています」と仰っていましたが、この日は矢の血を舐める型でした。相変わらず血がお似合いのニザ様。
・今回の席は3階1列目でしたが、ラストの岩の上の知盛も問題なく見えました。
・仁左衛門さんの知盛は最後で後ろにジャンプはしないんですね。

終演後はいわて銀河プラザで、いつもの冷凍ホヤと、サバのマリネと、今回初めて北上市のロシア料理レストラン「トロイカ」の冷凍ボルシチを買ってみました。
このボルシチ、帰宅してレンチンして食べたら、美味しい。次回はロールキャベツも買ってみたい。
一つだけ残念なのは、トロイカのボルシチにはビーツが使用されていないこと。ビーツが入った本格ボルシチを食べたくなり自宅周辺のロシア料理店を探してみたところ、全然ない。あやしいガールズバーしかない。ロシア料理のレストランってこんなに少ないんですね。今まで割と気軽に食べていた気がしていたので、知らなかった。仕方がないのでレシピを探したところ意外と簡単に作れそうなので、自分で作ってみようと思います。それにしてもほんの2年前には本気で計画していたロシア旅行がどんどん遠くなっていくな。。。

ロシアといえばマリインスキーとイタリアツアー中のゲルギエフとトリフォノフがコロナ陽性となったそうで。お大事に…と感じる前に「ゲルギエフ×マリインスキー×トリフォノフってめっちゃ聴いてみたい組み合わせだな」と思ってしまった私は非情だろうか(今はそれよりも反日!とか言われそうだな)。
記事によると「マリインスキー劇場管弦楽団については先月末、オーケストラのメンバー50名以上に陽性反応が出たが、症状が出ているメンバーなどを除いてモスクワ・ツアーを敢行。その後、イタリア・ツアーに出発した。」。マリインスキーについては今更驚かないけど、イタリアもそれを受け入れてるのか。日本から見ると吃驚だけど、最近の欧州のスタンダードは案外そんな感じなのかも。なんか色々ぶっ飛んでるけど、とにかく皆さんお大事に。。。





トロイカのボルシチ。
ビーツ不使用でも本当に美味しかったので、機会がありましたら是非 肉が柔らかくて、サワークリームもたっぷりで、満足度高し。
(写真はいわて銀河プラザのHPからお借りしました)

※追記
自宅の近くにはなかったけれど、銀座に良さげなロシア料理レストランをみつけました(「ロゴスキー」) 
コロナが落ち着いたら歌舞伎観劇ついでに行こう。
あと丸ビルの「ゴドノフ」とか六本木の「バイカル」とか。やはり東京は揃ってますな。


©松竹

「一世一代と銘打たせていただきました」。
歌舞伎俳優の片岡仁左衛門が「義経千本桜渡海屋・大物浦」で渡海屋銀平実は新中納言知盛を勤めるのは、この『二月大歌舞伎』が最後となる。
「役者には完成というものはないですし、まだまだ勉強したい、まだまだやりたいんですけれど、いかんせん体力がきつい。20kg近い衣裳を身に着けますのでね。この次やらせていただくチャンスがあっても、果たして1ヶ月間自分の納得いくやり方ができるかどうか、お客様に対して恥ずかしくない芝居ができるかどうか。(最後だと)謳っておかないと役者はどうしてもまたやりかねないので自分でブレーキをかけました。今回が最後と言えば、”次でええか”と思っていたお客様にも来ていただける。それを狙ってます(笑)」と語る。
源氏への復讐を遂げようと凄まじい執念で源義経に迫る知盛。初演は平成16年4月の歌舞伎座だった。
「知盛を勤めた先輩方は既にいらっしゃらない。紀尾井町のおじさん(二世尾上松緑)と河内屋のおじさん(三世實川延若)を参考に、私なりにアレンジさせていただいて、私の型を作り上げました。ですからこの狂言には愛着を感じております」と語る。
物語を重視する大阪と、役者の見せ方を大事にする東京と、双方のやり方をミックスして知盛を描いてきたという。大物浦の瀕死の知盛が、自身に刺さった矢を抜き、その血で喉を潤す場面も凄まじい。
「これは東京の先輩方はなさらない、河内屋のおじさんはなさっています。薙刀を舐める型もあり、どちらかにしようと思っています。壮絶な雰囲気を何とか出したいですね」。
東西をミックスした、いわば「仁左衛門型」の知盛だ。
「今回で消えるかもしれませんから、せいぜいよく見といてください(笑)。こればっかりはなさる人が(どの型で勤めるか)選ぶことなので、こちらの方から売り込むものではないんです。(仁左衛門型で)勤めたいと言ってくれる方が現れればもちろん伝えようと思います」。
ぴあ

 仁左衛門は知盛を演じるにあたり、「安徳帝への忠義と源氏への恨み」を意識しているといい、「人物の生き様、戦いの虚しさ。そして忠義も場合によっては虚しさを伴うことがある。そういうことを訴えられれば」と、語ります。知盛が大碇を担いで入水する最後の場面は、「恨みも晴れ、安徳帝を確認したあと心静かに沈んで消えていく。一人の人間として、いろいろとがんじがらめになっていたものから解放されて、散り際、潔さを見せる...一つの武士の生き方」をお客様に観てもらいたいと強調します。 
  せりふを観客へストレートに伝える方法も、常に考えているという仁左衛門。役を演じるにあたり、「意味を伝えるだけではなく、思いを伝えるようにせりふを言うこと」を大切にしていると言います。「“おんてき”という言葉は、相手を尊ぶ“御敵”ではなく、怨む敵で“怨敵”。せりふで『怨敵九郎判官義経を討取って』と言いますが、お客様がその言葉を、“怨敵”ととらえてくださるか」と、神妙な面持ちで話します。「わからなくても雰囲気で汲み取っていただきたいところもありますが、できるだけお客様にわかる言葉で伝えたい。そういう部分はどんどん直している」と、明かしました。
歌舞伎美人

















Comments (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『あさきゆめみし』と源氏物語と仏教と

2022-02-13 01:59:50 | 


©大和和紀/講談社



先ほどヤフーで見つけたこちらの記事↓

「あさきゆめみし」雑誌黄金時代だから描けた光源氏の〝罪〟
「あさきゆめみし」に隠された…同業者も気づかなかったトリック

へ~~~~~と思うことがいっぱいで、とても良い記事でした。
受験生必読の書と名高いこの漫画ですが、私はなぜか社会人になってから読んだんです。
傑作ですよね。原作を超えてる!とも、いやあの原作があってこそ!とも思う。
私が初めて原作を全編読んだのは瀬戸内寂聴さん訳で、読みやすくはあったものの少々好みと違う表現もあったので、次に谷崎潤一郎訳を買ったのだけど、そのまま本棚の積読に

大和和紀さんというと私は『はいからさんが通る』のイメージが強いのだけど、素敵な漫画をいっぱい書いていらっしゃいますよね。
そして上記のトークを読んで、大和さんの漫画家としての素晴らしさを改めて感じました。

たられば:大和源氏(「あさきゆめみし」)では、女性がより自立的に描かれていて、そして自立しているからこそより悩みが深い、なるほど。
おかざき:女性にも感情はある、大和先生の中では普通のこととして描いているのかもしれませんけど。それが光源氏の行いをちょっとマイルドにしているのかもしれません。

なるほどなあ。
原作も少女漫画的なキラキラした雰囲気が後半になるにつれて仏教的な儚さを感じさせるようになるけれど、『あさきゆめみし』は「光源氏ってめっちゃ腹立つ男だけど、この人はこの人で色々な想いや哀しみを背負って生きてきたのだよな」という感覚をより強く感じるように思う。それは原作よりも光源氏の感情が細やかに描写されているからというよりも、彼を愛した女性達の自立した感情が細やかに描かれていることで彼の罪の印象が緩和され、その結果、原作にはない「あさきゆめみし」という言葉がより素直に私達の心に響くのかもしれない。

この「あさきゆめみし」という言葉は”いろは歌”の一節ですが、漫画では光源氏が亡くなって第一部が終了する場面で登場します。そこでの表記は「あさき夢みし」。
いろは歌の解釈としては「浅き夢見し」だと「儚い(浅はかな)夢を見ていた」という意味になるけれど、言語学的に正しいのは「浅き夢見じ」で、その場合は「浅はかな夢を見ることはすまい」という意味になるそうです。しかしこれに対しても、いやいや言語学的にも「浅き夢見し」で問題はないとする意見もあるそうで(言語学出版社フォーラム)。言葉も千年経つと、同じ日本人でもその真の意味が誰にも分からなくなってしまうものなんですね。
※追記:「浅き夢見じ」を無常偈に繋げて解釈すると「(暗闇を抜けて安らかな悟りの世界に至った今は)もう浅はかな夢を見ることはない」という意味になるそうです。漫画はこの解釈が近いようにも思うけれど、その場合は「あさき夢みじ」と否定形である必要があるのよね

私が源氏物語を楽しむ理由の一つは、自然描写。その美しさに興奮してしまう。そんな私にピッタリっぽい本を見つけました。
「平安の気象予報士 紫式部-『源氏物語』に隠された天気の科学」
今度図書館で借りてみよう。こうしてまた谷崎源氏が遠のいてゆく

あと源氏物語といえば、京都の宇治にある「源氏物語ミュージアム」はおすすめですよ 滋賀の石山寺も


★★★オマケ★★★
冒頭でご紹介したトークシリーズで、おかざき真里さんと高野山の飛鷹全法和尚が行ったトークセッションの中の「慈悲」についてのお話が興味深かったので、その一部を最後にご紹介。

おかざき:受け手はどういう気持ち、心持ちでいるべきというか……。私がなんとなく考えていたのは、「幸せとセットにしないことが大事かな」ということです。

たられば:慈悲を受けるときに?

おかざき:慈悲を受けるときに。「その慈悲を受けたら、自分が幸せになれる」と思わないようにしようということです。

たられば:おぉー。

おかざき:なんだか、「慈悲を受けられたら宝くじに当たる」という問題じゃないんだという話です。

たられば:すげぇ。話のギアが上がった(笑)。なるほど。

おかざき:それで医療で言えば病気が治る、病気が治らないという過程を教えてもらうことは、「治ったら幸せになる」とか、「治ったら金持ちになる」とか、「治ったらモテモテになる」という幸せとは切り離すべきなんじゃないかなと、最近ちょっと考えています。

たられば:わかりやすい。

おかざき:そういう「一般の人間は、こういうふうにすると慈悲を受けやすくなるよ」というものって、ありますかね?

たられば:すごい剛速球が来た感じですけど、飛鷹和尚、いかがですか? 

おかざき:変な方向ですけど(笑)。

飛鷹全法氏(以下、飛鷹):そうですね、なんだか……(笑)。きちんとお答えができるかわからないですけど、その「慈悲」というのは、仏教においても非常に大事な言葉ですね。「悲」とは、もともとインドの言葉で「カルナー」と言って、他者の苦しみに対する共感を意味するのですが、それに「大」という字をつけて「大悲」(たいひ)と言う言い方をします。

弘法大師が密教の修行に進むきっかけになったと言われている、『大日経』というお経の中に、「三句の法門」という密教の修行者の一番の原点である3つの言葉があるんですね。「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟(くきょう)とす」という言葉です。

まず最初に、私たちの命が私たちの個体性を超えたものだという気づきがある。我々は自分の1つの身体を持っていて、生命を維持するためにご飯を食べて、けがをしたら自分の個体が治るように、まずは生物学的な「自分の身を守る」ということを第一義的に考える仕組みになっています。

だけど、自分のこの命が、個体を超えて先祖から代々つながれて、またこの次につながっていく、といった命そのものの大きな根源性に気づいて、その命から自分を超えた他者に対して、気持ちを向け直していく。そこにまず「菩提心」というものが宿るわけです。

そこから、命においてつながっている他者に「大悲」という「絶対的な共感」を持つことにつながる。この「大悲」の「大」というのは、「比較や相対ではない」というニュアンスです。

「慈悲が成立しない」とか、「こういう慈悲があればこういう効能があるだろう」というものはある種の相対的な関係性にあるわけですけれど、私たちが「仏」と呼ぶ存在の、本当の慈悲的なものは、相対的なものを超えて絶対性を帯びているわけですね。

「慈悲が成立するか成立しないか」ということは、もはや関係がない。ただひたすら自分および、自分を包摂するすべての生きとし生けるものに対する共感を「大悲」というふうに観念するわけです。その「大悲」をもとに、自分自身を磨いて修行を成就するための努力をしていくということで、「方便を究竟とす」ということになります。

これはある種の宗教性の目覚めから、自分を超えた命への気づき、さらに他者性への共感、そして自らが道に入っていくという、大きな普遍的なプロセスを描き出している3つの言葉なんじゃないかなと思うんですね。ですから、我々だけが受け手じゃないんですね。

たられば:あー、なるほど。

飛鷹:実は我々も与える存在であるし……。これは弘法大師も言っていますけど、すべての生きとし生けるものが、自分の「四恩」なんです。

「四恩」というのは、自分を支えたり生かす存在のことを言いますけれども、そういった存在があればこそ自分は生かされている。だから自分は、そういった人たちのために供養もするし、尽力もするというかたちになっています。

ですから、仏の慈悲は絶対的なものなんだけど、その仏も我々、すなわち「衆生」(注:人間をはじめ生命のあるすべてのもの)がいるから、そういった施しをするという、1つの大きなダイナミズムの中に関係性があると思うんですね。

だからおそらく、私やヤンデル先生が送り手で、おかざき先生が受け手という構図だけではなくて、実はそこには非常に大きなダイナミズムがあるのだと思います。ちょっと話が長くなりますけど、先ほどおかざき先生がおっしゃった田中雅博先生のシンポジウムは「臨床宗教」がテーマだったんですね。

つまり「宗教者がいかに臨床の現場に入っていくのか」ということが大きなテーマだったわけなんですけど、そこで宗教者がやることはもはや説法ではなくて、「相手の人生の物語をいかに聞くか」という「傾聴」することが大事なんです。

そうすると、もはや我々が何かを与えるのではなく、我々自身がその人の生きた物語を与えられているとも言えるわけです。ですから、そうやって与えて与えられるという1つの大きな円環的な関係の中に、おそらく「慈悲」というものの1つの運動があるんじゃないかと思います。

おかざき:なるほど。

飛鷹:だから「慈悲」というのは、ベクトルがAからBに行くというように、起点と終点があるものではなくて、ある種の止まらない1つの運動体と考えたらいいんじゃないかなと思いますね。つまり、命そのものの動きに「慈悲」という1つの形容詞がついていると考えたらいいのかなと思います。

お互いが与え合う関係の中に「慈悲」がある 医療と和尚と命の話

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Wordle 237

2022-02-12 01:29:56 | 日々いろいろ

Wordle 237 6/6

⬜⬜⬜🟨🟨
🟨🟨⬜🟨⬜
⬜⬜⬜⬜⬜
⬜⬜⬜🟨🟨
🟨🟩🟨⬜🟩
🟩🟩🟩🟩🟩

「Wordle 237」。6回のチャンスのあいだにお題となっている5文字の単語を当てる、シンプルなwebゲームです。
twitterで話題になっていたのでやってみたのだけど、せっかちな私にはあまり楽しめなかった。クロスワードパズルとかも苦手なんですよね、じれったくてイライラしてしまって。
でも、たまにやると頭の体操になっていいのかも
説明を読んでもイマイチやり方がわからなかったので、とりあえずやってみた結果が冒頭の表です。
これはSNSへのshare用の画面で、ネタバレ防止のため文字はふせられています。
私が実際に入力した画面はこちら↓(既にお題は変わっているのでネタバレにはなりません)



やり方は、まず1行目に適当な単語を入力して、enterを押す。黒色の結果は「その文字は使われていない」、黄色は「文字は合っているが、場所が違う」、緑色は「文字も場所も合っている」ことを意味しています。同じように2行目、3行目と繰り返していき選択肢を減らしながら、正解を推測します。今回は5行目で「Lの文字が2番目、Rの文字が5番目」ということがわかったので、残りの選択肢の文字から「ulcer」という正解に至れました。
もう少し考えながらやれば6行目までいかずに正解に辿り着けるのだと思いますが、私は頭を使うのが面倒だったので、5行目までは殆ど何も考えずに単語を入力しました。
やってみてわかったけど、想像力さえあれば、最後には大抵は正解できそう(この絶対にムリ!と思わせない加減がよくできている)。
しかしulcerなんて単語、久しぶりに聞いたなあ。記憶にある単語ではあるけど、自分からは絶対に出てこない単語だわ。
ちなみに意味のない文字の羅列(abcdeとか)を適当に入力すると、「その単語は登録されていません」と却下されます(笑)
最後は、現在の自分の成績や、次のお題に切り替わるまでの時間が表示されて終了↓



トライできるのは1日1回で、24時間毎にお題の単語が更新されます。
一日に何回もやれてしまうより、キリをつけやすくていいね
ulcerという懐かしい単語を思い出せただけでも、下手なゲームをするより少しは自分の為になったかも。
ご興味のある方は、こちらからどうぞ。私は当分やりませんが(笑)
今URLを見て気づいたけど、New York Timesのサイトなんですね。これ以外にも色々ゲームがあるみたい

『Wordle』を開発したのは、ソフトウェアエンジニアのジョシュ・ワードル氏(実はタイトルも作者の名字Wardleをもじったもの)。ニューヨーク・タイムズの記事によると、彼のパートナーが言語ゲームを好んでいたことから、当初は身内が遊べるものとして開発に至ったのだという。その後、家族用のチャットで盛り上がったことから公開を決意し、2021年10月に一般公開。11月1日の段階では90人ほどのプレイヤーしかいなかったそうだが、2022年1月2日時点ではなんと30万人が遊ぶゲームへと成長している。
ファミ通.com

※追記
なんて言いつつ、次のお題もやってみました。今回は5行目で正解できた。こうして「よーし次は3行以内で!」という風にみんなハマるのかしら。でも私はやっぱり暫くはいいや(笑)。ちなみに今回の正解は、勉強にならないような簡単な単語でありました。

Wordle 238 5/6

⬜🟩⬜⬜🟨
⬜🟨⬜🟩⬜
🟨🟩⬜🟩🟨
⬜🟨⬜🟨⬜
🟩🟩🟩🟩🟩

※さらに追記
またやってしまった。もしやハマってるのか私。今回の正解はちゃんと勉強になる単語でした。

Wordle 240 3/6

⬜⬜🟩🟨⬜
⬜🟨🟩⬜🟨
🟩🟩🟩🟩🟩


Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

砂漠の狐と紅の豚 1

2022-02-04 02:09:14 | 

Namibia: Live stream in the Namib Desert


ナミビアのナミブ砂漠にある人工池のライブカメラ。遅ればせながら最近知ったのですけど、これ、楽しいですね
野生動物好きにはたまらん。
何を隠そう(別に隠してないが)、私は子供の頃から野生動物の番組を見るのが大好きで、アラスカに行ったのも第一の目的は星野さん、第二の目的はデナリ国立公園でオオカミを見ることだったのだ。アフリカのサバンナや砂漠は長年行きたいと思いつつ、いまだに行けていない。
FAQによると、この人工池はthe Gondwana Namib Parkというthe Namib Naukluft Parkに隣接する私有地の中にあるそうで、ここから8kmのところにはThe Namib Desert Lodgeというロッジがあり、宿泊客は電動自転車でこの辺りを散策できるそうな。うーむ、野生動物と人間の距離があまり近くなりすぎるのはお互いの為に良くないと思うがなあ…。共存とは親密になることではなく、それぞれの世界を尊重して生きることでしょうに。

さて。
今日の昼頃(ナミビアは夜明け前)に覗いてみると、一匹のイヌのような動物が水を飲みに来ている
近くに仲間の姿はありません。
こちら↓が、そのスクショ。現地時間の午前4時過ぎ。



調べたところ、耳の形や毛の色合いからBlack backed jackal(セグロジャッカル)のようです。
アラスカで見たオオカミや他の動物達もそうだったけど、野生動物って動物園の動物とは動きや空気が違いますよね。生き生きしているけど、常に神経を周囲に張り巡らしているような。美しいんだよねえ。

しばらくすると、夜が明けてきました。

美しいねえ、砂漠の夜明け。。。。。

14時頃(現地時間)には、ダチョウのファミリー↓がいました。
水浴びをしているのがお母さん、手前の色の濃いのがお父さん、右手のちっこい三羽が子供達です。子供達、ずっとお父さんの後をくっついて歩いていて、可愛かった



そのちょっと後に来たオリックス↓。
このライブカメラで一番よく見る動物です。



19時頃、再び姿を見せたセグロジャッカル↓。
主に夜行性で昼間は巣穴で休むそうなので、これからが彼らの時間ですね。




夜中に砂漠の中を一匹で歩いているジャッカルを見ながら、サン=テグジュペリを思い出していました。
『星の王子さま』のキツネよりも、『人間の大地』のフェネックの方を(まあキツネのモデルがフェネックなんですが)。
フェネックは、北アフリカのサハラ砂漠などに生息するイヌ科の動物で、世界最小のキツネの仲間。
サン=テグジュペリはキャップジュビーで飛行場長をしていた時にこのフェネックを育てていたことを家族への手紙に書いていますが、『人間の大地』の中ではリビア砂漠に不時着をしたときの描写にこの動物が登場します。水も食糧もなく、夜明けの砂漠を人影を求めて彷徨うサン=テグジュペリ。そこで彼は、一匹のフェネックの足跡に出会います。

 ここにあるのは生命のサインだ。それが僕には心地よい。喉の渇きもしばし忘れる。(中略)僕はフェネックの足跡を辿って、結局、巣穴に戻ってくる。おそらく巣穴の中ではフェネックが僕の足音に怯えながら、じっと聞き耳を立てているだろう。僕はフェネックに話しかける。「僕のかわいいキツネさん、僕はもうだめだよ。だけど、妙なものだな。もうだめだっていうのに、君のご機嫌が気になるんだからな」
 僕はそこに立ちどまって、夢想に耽る。どうやら人間というのはどんな状況にでも順応してしまうものらしい。三十年後に死ぬかもしれないという考えは、そう考える人の今この瞬間の喜びを損ないはしない。そして、三十年後だろうが、三日後だろうが……つまるところ、遠近法の問題だ。
 ただ、そう言い切ってしまえるためには、いくつかの面影を忘れ去らなければならないが……。
(光文社古典新訳文庫『人間の大地』「VII 砂漠の中心で」より)

彼は自分自身のためではなく、その”面影”のために生きるのを諦めてはならないのだと感じます。

 もちろん、僕は一つの明白な事実をすでに知っていた。この世に耐えられないことなど何一つない、という明白な事実を。明日も、明後日も、僕はやはり耐えられないことなど何一つないのだと身をもって知ることになるだろう。拷問の苦しみにしても、僕は本気でそれが耐え難いものだとは思っていない。(中略)それでもなおこの世に耐えられないことがあるとすれば、それはこれだ。僕は僕を待っている人の目を思い出す。すると、そのたびに焼きつくような痛みを感じる。突然立ち上がって、走り出したくなる。あそこで誰かが助けを求めている!
(同上)


砂漠が美しいのはなぜか。それは、どこかに井戸を隠しているから——。

 一見したところ砂漠は沈黙と空虚以外の何物でもないが、それは砂漠が行きずりの男に体を許したりはしないからだ。何の変哲もないフランスの村でも、生きずりの男に体を許したりはしない。僕らがその村のために残りの世界のすべてを放棄し、村の伝統と習慣に帰依しない限り、そして村の敵を僕ら自身の敵としない限り、なぜその村がある人々にとって心の祖国たり得ているのかは謎に留まる。あるいはこう言った方がいいだろうか。僕らのすぐそばに、自らの僧房に閉じこもり、僕らの知らないルールに従って生きている男がいるとしたら、その男は本当はチベットの僻地、どんな飛行機でも辿りつけない遠隔の地をさすらっているのだ、と。男の部屋を訪ねたところで何になろう。部屋はからっぽだ。というのも、人間の王国は心の中にあるからだ。人間の王国としての砂漠を構成するのは砂でもトゥアレグ人でもムーア人でもない。たとえそのムーア人が銃を持っているとしても、だ。
 とはいえ、今では僕らも渇きを知っている。今なら、かつて目にしたあの井戸が、じつは広大な空間に光を投げかけているのだということもよく分かる。姿の見えない一人の女性の存在が、家全体に愛の魔法をかけるようなものだ。井戸の放つ光も、愛の力も、どちらもはるかかなたにまで及ぶのだ。
(同上「VI 砂漠にて」より)

紅の豚まで話がいく前に長くなってしまったので、続きは次回に。
ところで、東京の井の頭自然文化園ではフェネックを見られるのだそうです。わ〜見たい!
って、コロナで閉園中か・・・

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本より頭の中のほうが広い

2022-02-01 23:04:34 | 

「お互いは哀れだなあ」と言い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出会うとは思いもよらなかった。どうも日本人じゃないような気がする。
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。三四郎は頭の中のどこのすみにもこういう思想を入れる余裕はないような空気のうちで生長した。だからことによると自分の年の若いのに乗じて、ひとを愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例のごとく、にやにや笑っている。そのくせ言葉つきはどこまでもおちついている。どうも見当がつかないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう言った。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。
「日本より頭の中のほうが広いでしょう」と言った。「とらわれちゃだめだ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」
 この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出たような心持ちがした。同時に熊本にいた時の自分は非常に卑怯であったと悟った。

(夏目漱石『三四郎』より)

ああ…、『三四郎』好き!
広田先生好き!特にこの冒頭の汽車の場面が好き!
上記は読みやすい新仮名遣いで載せたけれど、旧仮名遣いの「亡びるね」が断然好き。
ちなみに辻仁成さんが最近パリで飼い始めたワンちゃんの名前は、三四郎。仁成さんも『三四郎』がお好きなんですって

さて、相変わらずストレイ・シープな私ですが、最近再び英語の勉強を始めてみたのです。最近コロナ禍であまり使ってないですけど、今の会社にいる限りはどうせずっと必要だし。
とりあえずリスニングの訓練を、とyoutubeでこの映画↓を見てみたのです(本当は現代ドラマとかの方がいいのでしょうが、好きなものじゃないと楽しくないし)。

SHERLOCK HOLMES MOVIES | THE HOUND OF THE BASKERVILLES (1939) | classic movies | Basil Rathbone


私の中でホームズというとジェレミー・ブレットのシリーズやBBCのラジオドラマシリーズなんですけど、このベイジル・ラスボーン&ナイジェル・ブルースもいいねえ
私が生まれるより40年近くも前の作品とはとても思えない。1939年というと、第二次世界大戦の開戦の年でしょう。その年にアメリカはこういう映画を作っていたのだものなあ。その後の太平洋戦争中もこのシリーズはずっと途切れずに作り続けられていたというのだから(日本が贅沢は敵だ!とか一億玉砕!とか叫んでいた頃に)、日本は戦争に負けるわけだわよ。
そしてコナン・ドイルが亡くなったのが1930年なので、そのわずか9年後の映画ということになる。
漱石がロンドン留学をしていたときに、ホームズもベーカーストリートにいたんですよね。もちろんフィクションの世界の話ですけど。しかし漱石はドイルやホームズについては完全スルーなのであった…

『バスカヴィル家の犬』の舞台はダートムーア。私、イギリスのムーアの景色が大好きでねえ。。。在英中にヨークシャームーアには行けたけれど、ダートムーアには行けなかったのが心残りです。ああいう北の荒涼とした風景が好きなんです。アイルランドもスコットランドも好き。だからスイスよりアラスカ派。いま日本で最も行ってみたいのは道東。真冬の釧路湿原とか摩周湖とか行きたい

しかし、少し英語から離れていただけで恐ろしいほど単語を忘れている自分に驚く・・・。かつて普通に使っていた単語も忘れるなんて・・・。英語の単語って忘れるものなんですね・・・。日本語の単語はどんなに長く使わなくても忘れないのに・・・。
うちの上司、昔は米国で働いていて英語も毎日苦もなさそうに話してるんですけど、外国人と食事に行くときにいつも自分一人じゃなく誰かを連れて行こうとするので一度理由を聞いたら、「食べながらずっと英語を話しているのは疲れるから」と。この上司でもそうなのか。ネイティブと同じ感覚で話せるようになるには10年向こうに住むことが必要と聞いたことがあるけど、本当にそうなんでしょうね。。。私には一生無理だ。でもまあ、頑張ります。。。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする