風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『ぢいさんばあさん』『お祭り』 @歌舞伎座(4月24日)

2022-04-29 16:51:28 | 歌舞伎



先週末に、第三部を観てきました。
雨の夜の歌舞伎座には独特の美しさがあるといつも感じる

【ぢいさんばあさん】
森鴎外の原作、宇野信夫の作・演出の新歌舞伎で、1951年初演。
頻繁にかかっている演目だけれど、私は観るのは初めて。

©松竹

前半の若い二人の場面、仁左衛門さん78歳&玉三郎さん72歳なのに、違和感なすぎ
いや見た目はさすがに赤ん坊を産んだばかりの夫婦には見えないかもだけど、空気が若い。それに、原作でも当時にしては晩婚の夫婦なんですよね。
ラブラブバカップル場面は、その場で居たたまれなくなった久右衛門(隼人)の気持ちがよーー-くわかった
といって南北作品でのニザ玉コンビのようなツーカー具合ともちょっと違う、武家の若夫婦らしい距離感は、帰宅後に読んだ鴎外の原作の設定そのもの
春らしい爽やかな色合いの着物も素敵

©松竹

この京都の川床で、江戸のるんから届いた桜の花びらを伊織がチラチラと散らせる場面、美しかったなぁ。。。。。遠く離れたるんを想う伊織の寂しさと、この先の運命を予感させる静かな儚さが感じられて。
ニザさまの立ち姿や指先までの美しさが相乗効果となって、凄みさえ感じた場面でした。

ところでこの刀傷事件、仮名手本の高師直と違い、下嶋(歌六さん)の言い分にも一理も十理もあると思うのよね。「人から借金しておきながら、その金で買った刀の披露の宴に招かないのは筋が違う」というのも、「借金のある身で刀に結構な誂えをしたり、宴をするのは贅沢だ」というのも。下嶋に「俺のことが嫌いなんだろう!」と聞かれ、伊織ってばカラッと「実はそうなんだ」とか答えちゃってるし。なのに伊織は、いくら罵倒され足蹴にされたとはいえ、ついカッとなって下嶋を斬っちゃう。これが、彼の生来の欠点である癇癪持ち。るんと一緒になってから抑えられていたその欠点が、彼女と離れてしまったがために出てしまい起きた悲劇。

しかし、口論で頭に血が上って思わず斬ってしまったという部分は癇癪持ちで理解できるけれど、借金をしてまで良い刀を買いたいという感覚も独特といえば独特。もちろんそういうタイプの人も世の中にはいるけれど、この物語で伊織をそういう設定にしたのは何故だろう、とお芝居を観ながら興味深く感じました。
帰宅して鴎外の原作を読み、それからググってみたところ、こちらの論文(林正子著、岡山大学)を見つけました。「芸術の非功利的な価値を認める鴎外の価値観」。借金をしてまで良い刀を買うのも、それに相応の誂えをするのも、原典史料にはない鴎外の創作とのこと(原典の方は「借金のある身で刀を買う」となっている)。へえ。この論文では、物に対するそういう価値観を貫いた人間が悲劇に陥る鴎外作品の特徴について論じられていて、鴎外自身がそういう価値観を持つ人だったからだろうと推測しています。
私は漱石は好んで読むけれど鴎外は数作しか読んだことがなく、全く詳しくないのです(漱石の葬儀の弔問に来た鴎外の受付をしたのが芥川、とかそんなトリビアにだけは詳しい)。「芸術の非功利的な価値を認める」というのは漱石も同じだけれど、鴎外の方がその傾向がより強いのかも。ちょっと鴎外という人に興味が湧いたので、他の鴎外作品も読んでみたいと思います。
そして宇野信夫の脚本・演出は、鴎外原作のそういう部分をよく汲み取っているように感じる。宴席で下嶋が刀を馬鹿にする形で伊織を挑発しているのも、この場面での刀の冷え冷えとした美しさと不穏さ、散る桜の花びら、夜空に浮かぶ月。
歌舞伎での下嶋の設定が「悪い奴ではない。しつこいだけ」であることや、ラストで伊織が「(赤ん坊の墓参りだけでなく)下嶋の墓にも行こう」と提案していることからも、これは決して伊織=良い人、下嶋=悪い人という図式の物語ではないんだよね。あの史料からあの小説を書いた鴎外も素晴らしいし、その小説からこの歌舞伎を作った宇野信夫も素晴らしい。

話をお芝居に戻して。
それから37年の月日が流れ、二人が再会する場面。やはりこの後半がこのお芝居の白眉。
決して重くなりすぎず、さりげなく、その自然さが37年という時間の重みとともに、しみじみと沁みたなあ。。。。。
仁左衛門さんと玉三郎さんの自然な良さが、この後半部分にとてもよく合っていたように感じられました。全く大袈裟な演技をしていないのに、37年の月日とその心情が静かに滲み出ているというか。
玉さまのるんの凛とした品のよさと伊織への愛情、ニザさまの伊織の子供のような可愛らしさと透明感のある誠実さ。
しみじみとよかった。。。涙が出そうになった。。。周りの客席の多くが本気泣きしていました。
この二人はこれからこの屋敷で、鴎外の原作のように、たわいのない日常の幸せを味わいながら、二人の時間を大切に過ごしていくのだろうなあと心から感じられるラストでした。

©松竹
ラストシーンの二人。
降り注ぐ、桜の花びら。
この桜が咲くのを二人で見るのに37年の時間がかかったんだね。ようやく果たされた約束。。。
でも、会えないけれどどこかにいる愛する人を想いながら、いつか会えると信じながら過ごす37年というのは、一概に不幸なものとも言えないように思う。たとえその途中でどちらかが斃れてしまうことがあったとしても。もしかしたらその相手がもう約束を忘れてしまっていたとしても。
そういう相手がいるがために不安も抱え続ける人生と、そういう人を持たずに不安になることもない人生とでは、どちらが幸福なのだろう。どちらが良い悪いということではなく、ただ、前者は不幸とは言い切れないように思う。
このお芝居を観ながら、『雨月物語』の“浅茅が宿”と、その話をベースにした中島みゆきさんの夜会『花の色は~』を思い出していました。みゆきさんは「受け身で待っているだけでなく、自分から前へ進みなさい」という人。この『ぢいさんばあさん』のるんも、そういう人生を生きた人ですよね。ちなみにるんの人物設定については、鴎外の理想の女性像として描かれているという解釈を見かけました。なるほど。
そうそう、甥っ子夫婦の橋之助千之助も若々しい爽やかさと聡明な感じが、とてもよかったです。久右衛門が、姉夫婦のためにこの家をずっと守り続けてきたというところも、さりげなく泣けるよね。。。

(30分間の休憩)
休憩、20分かと思っていたら30分もあって驚いた。
玉さまの準備が必要だものね。

【お祭り】
©松竹

 日枝神社の祭礼「山王祭」に浮き立つ江戸の赤坂。そこへ一人の芸者が姿を現します。祭りに酔った芸者が色っぽく踊りを披露すると、祭りの若い衆も絡み派手に踊って見せます。

 江戸の二大祭りといわれた「山王祭」を題材にした清元の舞踊です。今回は、芸者の一人立ちの形でお届けいたします。江戸の活気と粋で華やかな風情あふれるひと幕をお楽しみください。
(歌舞伎美人より)


「待ってましたっっっ!!!」という耳に聴こえない声が客席中からはっきりと聴こえた玉さまの『お祭り』
いやあ、素敵!
30分前の穏やかな婆とのギャップがたまらない。
『ぢいさんばあさん』→『お祭り』の流れがこんなにトキメクとは予想外であった。今月の演目を決めたひと、GJ
舞台中央に一人立つ艶やかな芸者姿の玉さまに「なに、待っていたって?待っていたとはありがたい」(←正確な台詞は覚えてないです、すみません)とあの声で言われると、問答無用で「姉御!どこまででも付いていきますっっっ!!!」という気分になる。宝塚ファンの人達もこういう心境なのだろうか。
仁左さまの『お祭り』も極上だけど、玉さまの『お祭り』も極上だわ。。。。。。。。。。。
ほろ酔い気分の芸者の色っぽさ、江戸らしいきっぷの良さと粋。玉さま~~~とひたすら見とれた12分間でございました。泣く演目じゃないのに涙が出そうになってしまった。上演時間は短いけど、登場から花道の引っ込みまで大大大満足。
大和屋!!!



歌舞伎座に行く前に、恒例の上野動物園へ。
鯉のぼりが飾られていました

『ぢいさんばあさん』令和4年4月歌舞伎座にて上演決定!

仁左衛門さんと玉三郎さんがこの演目で共演するのは、12年ぶりとのこと。
この映像は12年前のものかな。

ぢいさんばあさん(青空文庫)

仁左衛門が語る、大阪松竹座「七月大歌舞伎」
2015年に時蔵さんと『ぢいさんばあさん』を演じたときのインタビュー。あの美しい川床は、十三世仁左衛門のアイデアだったんですね

 「大好きな狂言です。ほのぼのと温かみがあり、涙あり、笑いもあり」と、仁左衛門は『ぢいさんばあさん』の伊織のような笑顔を見せます。「私はのんびりしているようで、かっとしやすいほうで…」と明かし、眼目の一つである下嶋殺しの場は、下嶋とやりあう中で武士として恥辱的な言葉を吐かれ、「ついかっとなって反射的に、自分の意志で斬ってしまい、後悔する」という気持ちで伊織を演じます。

 原作ではこの場は2階座敷となっていますが、「父(十三世仁左衛門)が京都で演じたときに夏だったので、“床”に変えました。私も夏の雰囲気が出るのでそうしています」。一方、再会の場では、「父の伊織は、隠居している身として裃(かみしも)を着けなかったのですが、私は、殿に拝謁してきたのだから裃を着けているだろうと、十七世勘三郎のおじさんのほうの衣裳にしています」。

 「うまくまとまっている短編」に、父からの教えだけでなく、さまざまな工夫を加えて再演を重ねてきました。るんとの会話でも、初演した折に(平成6年3月歌舞伎座)玉三郎とのやりとりで、新たにせりふを入れたりしています。「伊織の気持ちは変わりませんが、るんのタイプで夫婦の雰囲気は変わってきます」と、今回の時蔵との初コンビにも期待を寄せました。

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在宅勤務中のおやつ

2022-04-28 01:44:48 | 日々いろいろ




苺のショートケーキってどうしてあんなに高いんですかね。どんどん高くなってますよね。
安いケーキだとフレッシュ苺がほんのちょびっとで苺ジャム使用だし。
と思いながら昼食後の散歩でセブンイレブンに寄ってみると、「もっちりクレープ カスタード&ホイップ」(税込194円)なる商品が。
おおっ
これに冷蔵庫にある苺を散らして、やはり冷蔵庫にある練乳を軽くかけて、ミントの葉を飾ると、立派なスイーツになるのでは。

やってみました。コーヒーも入れ、いきただきまーす。
美味しい
在宅勤務中のおやつとしては十分満足
お皿とマグカップはともにイッタラ。ここの食器はお値段は高めだけど長く使っても飽きがこないので、オススメです。

しかし最近のスイーツはどこもかしこも、なんでもかんでも、”モッチリ”ですよね。私はフンワリも好きなんだがなあ。焼き芋もホクホクよりネットリばかりだし。
セブンがモッチリクレープにするならファミマはフンワリクレープで勝負!とかすればいいのにと思うのだけど、やはり一般受けするのはモッチリの方なのでしょうかね。

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ハナミズキ 2022

2022-04-22 23:49:17 | 日々いろいろ




君と好きな人が 百年続きますように

(『ハナミズキ』)

今日のお昼の散歩中に何気なく撮ったら、たまたま飛行機が写っていて、おおっと嬉しくなった一枚

でも『ハナミズキ』の歌は、一青窈さんが9.11同時多発テロが発生したときに現地に住む男性のご友人とその恋人の無事と幸せを願って作詞された歌なんですよね。
以前にも書きましたが、私が初めてこの花を知ったのは二十歳のとき、この花を州花としていたノースカロライナ州の大学に滞在していたときで、3月のキャンパスにはいっぱいにこの花が咲き乱れていました。
100年前に日本が贈った桜の返礼として米国から贈られたのがハナミズキ。それから100年たった今も、春になると桜の花が米国で咲き、ハナミズキの花が日本で咲いている。そしてそこに住む人たちの目を楽しませ、心を和ませている。
国と国との関係が、いつもそんな風にあれたらいいのに。
しかし考えてみると、その100年の間に太平洋戦争が起きているのだな…。いま米国にあるソメイヨシノと日本にあるハナミズキは、そういう困難な時期を越えて咲き続けているんですね。

ところで、米国でハナミズキが満開になるのはちょうどイースターの季節。米国では、この花に纏わるこんな伝説があるそうです。

ハナミズキはかつてはとても大きく頑丈な木だったため、イエスの磔の十字架として使われた。木は、その役割に大きな悲しみを感じた。十字架上にいる間、イエスは木の苦痛を感じ、それが二度と磔に使われることがないように、細く曲がった枝を持つ低木に変えてやった。
イエスは十字架から降ろされ、墓に入れられた。3日後、彼が蘇ると同時に、森のハナミズキが一斉に花を咲かせた。それ以降、イエスの復活を祝うイースターの時期に花を咲かせ続けている。
ハナミズキの木は二度と処刑に参加することはなかったが、4枚の総苞は十字架の形をし、先端は釘穴の形にへこみ血のような赤みを帯び、中央の花弁はイバラの冠の形をし、イエスの受難を今も人々に伝えている。

ネットで調べると少しずつ書かれていることが異なるけれど、大体こんな感じの内容です。
最近流行りの都市伝説?とも思ったけれど、南部では割と昔から伝わっている話のようです(といっても20世紀)。ハナミズキは中東原産ではなく、聖書にこのような記述もありませんが、一部のキリスト教徒からは愛され続けている話とのこと。
あちらで私が通っていた大学はもっっっっのすごい敬虔なバプティストの大学だったので、ぴったりといえばぴったりの花だったんですね。私はそのときの経験で宗教アレルギーになったので、この花とこの伝説をあまり結び付けたいとは思いませんが、なかなか面白い伝説だなとは思います。




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谷川俊太郎 『幸せについて』(2018年刊)

2022-04-20 20:26:46 | 




幸せなんてコトバ(ほんとは)要らない

本当に、そのとおりだと思うな。
幸せなんて言葉がなくても人は幸せを感じられるけれど、幸せなんて言葉があるがゆえに不幸な気持ちになってしまうということはある。
幸せという感覚は本来その人の内部にしか存在しない、他者と比べることなど不可能な極めて主観的なもののはずなのに、「幸せ」という言葉が存在するために、それが皆に共通する何かであるように錯覚し、他者のそれと自分のそれを比べようとしてしまう。幸せを量る共通の基準なんて、ありはしないのに。
世の中に溢れかえる「幸せ」というコトバ。
それが実はとてもいい加減なコトバで、そのコトバ自体には意味や価値はなく、それに振り回される必要など全くないのだということを、当たり前のことのようで、意外と私達は忘れているような気がする。
谷川さんは本書のあとがきで言う。

 本当の幸せというのは、そういうふうに、なんだか訳がわからないけれども自分の中から湧き出てくるものだというふうにぼくは考えています。それは人間の感情というより、イノチというものの持つエネルギーかもしれません。
 そういった「自分の中から湧き出てくる幸せ的なもの」というのは、毎日の暮らしの中である秩序を守って生活していると、本来はイノチの自然として、湧いてくるものなのではないでしょうか。(中略)ぼくもよく幸せなんてただの言葉にすぎないと思うことがあります。もし幸せというコトバがなかったら、ヒトは不幸せになることもなかったかもしれない。

「幸せ」なんてコトバに意味はないと思いつつ、あえて「幸せ」について言葉で探ってみようと思ったという谷川さん。
あるページでは、こう書く。

幸せはささやかでいい、ささやかがいい、不幸はいつだってささやかじゃすまないんだから。

ちょっと言葉遊びのようだけど、これ、わかるなあぁぁ。。。。。

・・・たしかに幸、不幸を問わずに生きられる人、生きられる世の中は悪くないと思う。でもそれを〈ぬるま湯〉の幸せと呼ぶ人もいたな。

不幸を避け続けてそれなりに幸せな人、幸福を追求するあまり不幸になってしまう人、どっちが幸せなんだろう。

この「ぬるま湯の幸せ」って、なんとなく谷川さんに対して佐野さんが仰りそうな言葉だな。
佐野さんから「どういうときが幸せ?」と聞かれて「ニュートラルな状態」と答えたら、「信じられない」と驚かれたと以前インタビューで仰っていたし(『考える人2016年夏号』)。
なんて書きながら、実は私、佐野さんについては谷川さんを通してしか知らず、その著作を殆ど読んだことがないんです。『100万回生きたねこ』を子供の頃に読んだきり。
佐野さんが幸せについて書いた『神も仏もありませぬ』、今度読んでみよう

鍵をあける幸せがあれば、鍵をかける幸せもある。訳ありの部屋のドアの話ととってもいいし、自分のココロの話ととってもいいよ。

私は鍵をかける幸せはもう十分に味わったし、これからも味わうことができると思うので、鍵をあける幸せを死ぬまでに少しずつでも増やしていけたらいいなと思っています。無理はしすぎずに。
最後に、1990年の谷川さんの詩集『魂のいちばんおいしいところ』から「やわらかいいのち」(抜粋)を。

・・・
どこへ帰ろうというのか
帰るところがあるのかあなたには
あなたはあなたの体にとらえられ
あなたはあなたの心に閉じこめられ
どこへいこうとも
あなたはあなたに帰るしかない

だがあなたの中に
あなたの知らないあなたがいる
あなたの中で海がとどろく
あなたの中で木々が芽ぶく
あなたの中で人々が笑いさざめく
あなたの中で星が爆発する
あなたこそ
あなたの宇宙
あなたのふるさと

あなたは愛される
愛されることから逃れられない
たとえあなたがすべての人を憎むとしても
たとえあなたが人生を憎むとしても
自分自身を憎むとしても
あなたは降りしきる雨に愛される
微風にゆれる野花に
えたいの知れぬ恐ろしい夢に
柱のかげのあなたの知らない誰かに愛される
なぜならあなたはひとつのいのち
どんなに否定しようと思っても
生きようともがきつづけるひとつのいのち
すべての硬く冷たいものの中で
なおにじみなおあふれなお流れやまぬ
やわらかいいのちだからだ

(谷川俊太郎『やわらかいいのち』より)

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藤田真央 ピアノリサイタル @東京オペラシティ(4月11日)

2022-04-14 02:13:47 | クラシック音楽




真央君の演奏を聴くのは、衝撃の2019年のマリインスキー来日公演以来、2年半ぶりの2度目。同公演の変更前のソリストだったババヤンのリサイタルを先日ようやく聴くことができて、今回真央君のリサイタルも聴けて、満足です

【モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第17番 変ロ長調 K.570】
真央君が本格的にモーツァルトを弾き始めたのは最近とのことだけど、昨年にはヴェルヴィエ音楽祭でピアノソナタ全曲演奏会をしたり、ソニークラシカルから同全集を出す予定もあるなど、もはやモーツァルトは真央君の代名詞のようになっている。
のだけれど。
今日のこの演奏は、弱音部分の演奏が私には少し苦手な感じでした…。ふわふわ浮いているように聴こえるというか。これはマリインスキー公演のときのアンコールのグリーグでも実は少し感じたのだけど。でも今日の休憩後の演奏ではそれを感じなかったので、曲によるのだろうか(動画で見る真央君の演奏は結構な確率でこの弾き方をしている)。また、音を鳴らす前に時々一瞬遅らせる"間"も、好みの問題だけど、私は少し苦手で…。この曲の真央君の弱音はアムステルダムで聴いたヴォロドスの背中ムズムズ感をちょっと思い出してしまった…(ヴォロドスは弱音に定評のあるピアニストですが)。 ※素人の覚書なので悪しからず
そういえばこの曲、2楽章の短調の部分のメロディがピアノ協奏曲24番にそっくりと思ったら、作曲時期が近いんですね

【シューベルト:3つのピアノ曲 D946】
第一曲は、真央君らしいドラマティックさと歌心が同居している演奏が、聴いていてとっても楽しかったです
第二曲は、以前聴いたシフやピリスの自然な演奏と比べると、真央君は「音をコントロールしている」感が出てしまっているのが、少し気になってしまった(シフもソナタではそういう感じがあったけど)。
第三曲は、若くして死んだシューベルトと若い真央君が良い意味で重なったように感じられ、真央君のカッチリしすぎていない和音の響きに、「死ぬ前に人生のおもちゃ箱をひっくり返してしまったような」感覚を感じることができました。この感覚は、ツィメルマンのシューベルト以来だなあ。ツィメさんはどちらかというとカッチリ和音系だけれど。
これらの曲はシューベルトの死の数か月前に作曲され、それから40年後にブラームスが匿名で編集、出版した曲。ここから後半のブラームスに繋がるプログラム構成、いい

ただ真央君の演奏は「音のコントロール」感が強いので(もう少し年齢を重ねたらより自然になっていくのかも…?)、今日の演奏を聴いた限りでは、基本的に後半のようなロマン派の作品の方が合っているように感じられました。個人的にモーツァルトとかシューベルトって、一見即興的に聴こえるような自然さのある演奏が好きなんです…。後半の演奏ではそういう面が気にならず、自然に聴こえた。

(20分間の休憩)

【ブラームス:主題と変奏 ニ短調 Op.18b】
【クララ・シューマン:3つのロマンス Op.21】
【ロベルト・シューマン:ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.22】

【モーツァルト:ロンド K.485(アンコール)】
【ラヴェル:ハイドンの名によるメヌエット(アンコール)】
【バッハ:パルティータ 第3番 BWV1006よりガヴォット(ラフマニノフ編)(アンコール)】
【ブラームス:6つの小品 ロマンス Op.118-5(アンコール)】

休憩後の後半は、どの演奏も素晴らしかった
ブラームスの「主題と変奏」では前半で気になった弱音の響きは全く感じず、うっとり聴き入ってしまいました。とてもよかった。27歳のブラームスがクララに捧げた曲。
続くクララの「3つのロマンス Op.21」のうち第一曲は夫ロベルトの誕生日にプレゼントされ、後に全三曲がブラームスに捧げられた作品。そしてロベルトの「ピアノソナタ第二番」。
このブラームス→クララ→ロベルトの流れは、原田光子さんの『クララ・シューマン ヨハネスブラームス 友情の書簡』と『クララ・シューマン、真実なる女性』の2冊を愛する私には感涙のプログラム。
クララとロベルトの作品の真央君の演奏、切実さとドラマティックさが感じられて素晴らしかった なのに最後まで破綻せずに美しい。

アンコールの4曲も、とてもよかったです。モーツァルトのロンドは快活で自然だったし、ラヴェルには陶酔させられ、バッハのガヴォットの明るい音色もかなり好みでした(ラフマニノフ編なんですね)。そして最後のブラームス。ブラームスの存命中に出版された最後から2番目の作品で、クララに捧げられた曲。真央君のブラームス、今日聴いた限りでは、とってもいい。まだ若いのに、ブラームスの最晩年の曲をどうしてこんな風に弾けるのだろう。

そしてマリインスキー公演のときの感想でも書いたけれど、真央君の音ってロシアっぽい。ロシアのピアニストほど音の色合いや暗さは感じないけれど、低音の響きと歌心と熱量とスケールの大きさを感じさせるところが。と思っていたら、帰宅後に知りましたが、真央君ってロシア奏法を学んでいたんですね。師の野島稔先生がショパン国際ピアノ・コンクールの第1回優勝者であるレフ・オボーリンというロシア人ピアニストの直弟子で、真央君も十代から自然にロシア奏法を学んだとのこと。真央君の音のロシア味がずっと不思議だったので、理由がわかって納得。

会場は満席。先日のババヤンはこの半数以下のホールでもガラガラだったのに。ババヤンもいいピアニストなのだがなあ。
そしてゲルギエフと共演する真央君、大好きだったんだけどな…。熱いケミストリーが感じられて。ゲルギエフも真央君への愛情がダダ洩れで。
ゲルギエフ、プーチン大統領からボリショイとマリインスキーの両劇場を統括するポストを打診されているのだとか。沈みゆく船に共に、ということになるのかな…。二人は一蓮托生で、もはや離れることは不可能なのでしょうね。ゲルギエフの本心は本人にしかわからない。
でも私は、ロシア音楽や若手演奏家の教育に対するゲルギエフの想いは本物だろうと思っています。また、フレイレに示してくれた友情も(先ほど久しぶりにフレイレが怪我をした直後にゲルギエフが送ったプライベートメッセージの映像を見たけど、やはりとても優しい…)。そういえば真央君のインスタで、真央君がフレイレと一緒に笑顔で写っている写真を見ました。2019年のチャイコフスキー国際コンクールのときのもの。フレイレ、絶対に真央君の演奏が好きだったと思うな。。。


真央君の事務所は、ゲルギエフやツィメルマンと同じジャパンアーツなんだね。


このtwitterは、昨年11月にサンクトペテルブルクで行われたフレイレの追悼コンサートのときのもの。フレイレが亡くなってからまだ半年もたっていないのだな…。ゲルギエフのフレイレへの追悼メッセージの全体はこちらで見られます(5分弱。英語字幕付き)。葬儀ではゲルギエフから白い花のリースが送られたそうです。


世界を魅了するピアニスト、藤田真央――その才能はいかにして生まれたのか【前編】 【後編】
藤田真央インタビュー#01 「作曲家の理想の音を蘇らせる存在でありたい」

Mao Fujita plays Schumann/Liszt - Widmung No. 1 Op. 25

18歳のときの真央君のシューマン/リスト『献呈』。
先日のババヤンのリサイタルでも感じたけれど、リストの編曲ってピアノの華やかさを最大限に感じさせますよね。華美すぎると感じる向きもあるかもですけど(実際クララはこの編曲が気に入らなかったそうで…)。

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ロシアの料理について考えてみる

2022-04-08 01:04:14 | 日々いろいろ

「ロシアの音楽」や「ロシアのピアニスト」が一言では定義できないように、「ロシアの料理」についてもまた同じ。

東京のロシア料理店は、大きく3つに分類できるんです。
1つ目は、戦時中にハルビンにいて、引き揚げてきた日本人が創業したお店。どの店もアプローチが近いです。うちもこれに当たります。
2つ目は、戦後に亡命ロシア人が創業したお店。軽食を出す、小ぶりのバーのような店が多いです。
3つ目は、ソ連が崩壊したあとにロシア人が日本に来て開いたお店です。
・・・
「本場」というと、定義が難しいんです。ロシア人は「これがロシア料理だ」と意識せずに食べていると思います。
日本みたいに「日本料理」ってひとかたまりではなく、ロシアの国土が広がるのに合わせて各地域の料理を取り込んでいっているから、厳密な「ロシア料理」というものはないんですね。

『チャイカ』浅田社長 @メシ通

先日、歌舞伎観劇前に、銀座のロシア料理店『ロゴスキー』に行ってきました。
1951年創業の日本で最初のロシア料理レストランで、新宿の『スンガリー』や高田馬場の『チャイカ』と同じく、引き揚げ者によるハルビン経由の家庭料理をルーツとするお店です(上記の1番のタイプ)。
ハルビンは1896年に清朝と帝政ロシアの間で結ばれた露清密約により帝政ロシアの支配下となり、1898年にはロシア帝国が満洲を横断する東清鉄道の建設に着手。多くのロシア人が暮らしはじめ、発展していった街です。そして日露戦争後は、多くの日本人がこの街に移住しました。
ちなみに『スンガリー』の創業者は加藤登紀子さんのお父さんで、姉妹店『キエフ』のオーナーは彼女のお兄さん。
加藤登紀子さんの兄「胸が張り裂けそうだ」…京都のレストラン「キエフ」オーナー(2022年3月21日読売新聞)
画像資料による日本人移民への新視点(2013年 人間文化研究機構)
↑この人間文化研究機構のページ、貴重な画像資料がいっぱいで、日本人移民の歴史がわかりやすく書かれてありオススメです。

さて、『ロゴスキー』。
ロシア料理店に来るのは久しぶり。私と同じくおひとり様も結構いる
席に座って、メニューを開いて、そして思い出した。
わたし、ロシア料理のコッテリクリーム系メニューが実はあまり得意じゃないのだった
ロゴスキーのランチセットは3種類。「つぼ焼きランチ 2000円」、「ビーフストロガノフランチ 2400円」、「シャシリクランチ 2600円」。
つぼ焼きとビーフストロガノフはクリーム系で、更にどのセットにもボルシチがつき、ボルシチにもスメタナ(サワークリーム)が入っているので、クリーム×クリームになってしまう。
となると、シャシリクランチの一択だな。


可愛らしいデザインのメニュー。
シャシリクはランチ時以外だとお高いんですね。


まずは「本日のサラダ盛り合わせ」
甘酸っぱいキノコのマリネ(写真手前)が美味しかった


「手作りピロシキ」
3種類のピロシキの中から、野菜ピロシキを選択しました。これも熱々で美味しかったです。ロシア系の店員さんから「熱いので紙をご使用ください」とアドバイスされ、紙で包んで手掴みで食べる。
揚げピロシキで結構なボリュームなので、既にお腹がいっぱい気味に。


「ウクライナボルシチ」
名前のとおり、ウクライナの伝統料理。
これもとても美味しかったけど、私はもう少しビーツ味が濃い方が好みかも。


「仔羊のシャシリク」
ジョージアや南ロシアの郷土料理。
自家製アジーカ(コーカサス風 唐辛子と野菜の辛口ソース)と一緒にいただきます。
これ、すっごく美味しかった
私が羊肉好きなせいもありますが。
付け合わせの野菜は、ディルの味。前菜のサラダにもボルシチにもディルが入っていて、本当にロシア料理はディルとサワークリームだらけだな


「ロシア紅茶」
ロシアではこんな風に紅茶にジャムを入れるのではなく、ジャムを別に舐めながら紅茶を飲むのが一般的なのだとか。
それはそれとして、このロシアンティーもとても美味しかったです。ブランデーの風味がいい(そう、私は酒飲み)。
ジャムを自分用のお土産に買って帰りました。
歌舞伎座から近いので、また歌舞伎観劇の際に伺おう。次回はアラカルトメニューを試してみたいです。
一方で六本木の『バイカル』や錦糸町の『スカズカ』など、現地の味に近いと言われている店も試してみたいな。また吉祥寺のロシア&ジョージア料理の『カフェロシア』も美味しいと評判なので、井の頭自然文化園にフェネックを見に行くついでに行ってみたい。
しかし本当に昔に比べて街からロシア料理店が減りましたよね。どうしてなんだろうか…。




観劇後は、歌舞伎座裏のウクライナ人オーナーによるロシア食品店『赤の広場』で、1年ぶりにお買いもの。
関西系ロシア人オススメのソーセージ、冷凍ヴァレニキ(ジャガイモとキノコ入り)、向日葵の種を買いました。全てロシア産。オープン一周年とのことで、可愛らしいチョコレートをくださいました。



というわけで、ある日のブランチ。
★余談ですが、写真のお皿はどちらも英国の「ポートメリオン」のもの。ここの食器は丈夫で電子レンジも使用できて使い勝手がとてもいいので、オススメです。マグカップはフィンランドの「イッタラ」のもので、こちらも丈夫で可愛いのでオススメ。
ソーセージ(RATIMIR社製)は、ボイルしてから軽く焼きました。スモークの風味が強くて驚いた。12本で1200円だったけど、一本でも満足感があるので高くないかも。しっかりスモーク味なので、マスタードなどは不要です。
店員さんのオススメに従ってサワークリームをかけたヴァレニキ(MIRATORG社製)も、美味しい
店のホームページによると「ウクライナの伝統料理ヴァレニキは、ぺリメニ(ロシアの水餃子)より少しサイズが大きめで肉以外の具材を包んだ料理」とのこと。
・・・しかしこの味はものすごく記憶にあるな。
絶対に過去にどこかで食べている。しかもそんなに昔じゃなく。
どこで食べたんだっけとしばし考え、思い出した。クラクフで食べた「ピエロギ」だ
調べたところ、「ヴァレニキ」「ピエロギ」は同じものとのこと。「ヴァレニキ」はウクライナ語で、「ピエロギ」はポーランド語。
以下、クラクフで食べたポーランド料理の写真です。オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)から戻って夜遅くなっていたのでお腹がペコペコで、食べ始めてから慌てて写真を撮ったので汚いですが


「ピエロギ」
同行者と分けたので、実際はこの倍量ありました。


「キノコソースのロールキャベツ」
これ、すんごく美味しかった。


「ジュレック」
ポーランドの伝統料理で、ライ麦を発酵させた液体から作る酸味のあるスープ。ディルがたっぷりで、サワークリームも使われています。

この他にビールとマッシュルームスープも頼んで会計が一人60ズロチ(1800円)だったのだから、やはりポーランドの物価は衝撃的に安かったのだな。
そして改めて見返して、ポーランド料理、ウクライナ料理、ロシア料理が似ていることがよくわかる。ロールキャベツは、ロシア料理ともポーランド料理ともされている料理ですね。

周囲を6カ国に囲まれたポーランドは、長い侵攻を受けた歴史から、他国の食文化がパッチワーク的に組み合わさった国とも言えます。・・・ポーランドは、ドイツ、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニアの6カ国に周囲を囲まれています。じゃがいもやライ麦、小麦、大麦、甜菜などの農作物が多く収穫される一方、もともとは騎馬民族であるために、平野部では牛や豚、山麓では羊が飼育されており、乳製品も豊富です。寒い国なので煮込みやスープ料理が多く、ライ麦、小麦が豊富に収穫されることから、粉物文化も発達してきました。第二次大戦ではドイツ、ロシアの侵攻を受けましたが、それ以前も侵略されてきた歴史は長く、他国の食文化が複雑に入り混じっています。
(「ポーランド料理はパッチワーク」朝日新聞)

ほぅ。
食に歴史あり、ですね。影響を受け、影響を与え。
では同じスラヴ民族のチェコはどうなのだろうと調べてみたら、似ているといえば似ているけど(スメタナを多用したり)、そこまででもない感じ。

スラヴ語の共通性を基盤とするスラヴ全体の共通性を強調する態度は汎スラヴ主義と呼ばれ、国民楽派、第一次世界大戦と民族国家、旧東欧の概念などの重要な主体性ともなったが、文化・宗教面ではスラヴ各民族ごとに異なる主体性を持っており、過去何度も繰り返されたポーランド・ロシア戦争のほか、近年では1990年代のユーゴスラビア紛争や2010年代〜20年代のウクライナ紛争などのように血を流し合って対立する矛盾した面を持っている。
(wikipedia「スラヴ人」)

チェコ料理はドイツ、オーストリアの食文化の影響を強く受け、「より田舎っぽくしたドイツ料理」に例えられることもある。逆に、チェコの食文化はオーストリア料理にも影響を与えた。
(wikipedia「チェコ料理」)

なるほど。料理というのは民族的な影響よりも地理的、政治的な影響の方が大きいのかも。特にヨーロッパの国々では。そもそもスラヴ民族の定義が一つの民族を指すのではなく、言語学的な括りとのことだし。
チェコには昔行ったけど、なぜか食べた料理の記憶がない。写真もない。東京にはチェコ料理店が2つあるようなので(代々木上原の「セドミクラースキ」と四谷三丁目の「だあしゑんか」)、いつか行ってみたいです。


食事の写真はなかったけど、チェコで買ったお土産の写真が出てきたので、可愛いからあげておく(撮影はウィーンのホテルですが)。木の人形はチェスキークロムロフで、他はプラハで買いました。写真にもありますが、プラハでは音楽会のチラシが街の至るところで配られていて感動したことを覚えています。2004年なので、もう20年近く前の話。

最後に、オマケでもう一つ。



岩手にある日本人経営のロシア料理店『トロイカ』のロールキャベツ。
歌舞伎座向かいの岩手のアンテナショップで買いました。
以前購入した同店のボルシチが美味しかったので(ビーツ不使用だったけど、それも日本のロシア料理店らしくてまたよし)、今回はロールキャベツを購入。
右のホルモンはトロイカとは関係ありませんが、やはり以前アンテナショップで買って美味しかったので

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上野の桜 2

2022-04-06 01:59:31 | 日々いろいろ




 戦争の真ッ最中にも桜の花が咲いていた。当り前の話であるが、私はとても異様な気がしたことが忘れられないのである。
 焼夷弾の大空襲は三月十日からはじまり、ちょうど桜の満開のころが、東京がバタバタと焼け野原になって行く最中であった。
 私の住んでるあたりではちょうど桜の咲いてるときに空襲があって、一晩で焼け野原になったあと、三十軒ばかり焼け残ったところに桜の木が二本、咲いた花をつけたままやっぱり焼け残っていたのが異様であった。
(中略)
 三月十日の初の大空襲に十万ちかい人が死んで、その死者を一時上野の山に集めて焼いたりした。
 まもなくその上野の山にやっぱり桜の花がさいて、しかしそこには緋のモーセンも茶店もなければ、人通りもありゃしない。ただもう桜の花ざかりを野ッ原と同じように風がヒョウヒョウと吹いていただけである。そして花ビラが散っていた。
 我々は桜の森に花がさけば、いつも賑やかな花見の風景を考えなれている。そのときの桜の花は陽気千万で、夜桜などと電燈で照して人が集れば、これはまたなまめかしいものである。
 けれども花見の人の一人もいない満開の桜の森というものは、情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっていて、ふと気がつくと、にわかに逃げだしたくなるような静寂がはりつめているのであった。
 ある謡曲に子を失って発狂した母が子をたずねて旅にでて、満開の桜の下でわが子の幻を見て狂い死する物語があるが、まさに花見の人の姿のない桜の花ざかりの下というものは、その物語にふさわしい狂的な冷たさがみなぎっているような感にうたれた。
 あのころ、焼死者と焼鳥とに区別をつけがたいほど無関心な悟りにおちこんでいた私の心に今もしみついている風景である。

(坂口安吾『明日は天気になれ  ~桜の花ざかり』昭和28年)


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上野の桜 1

2022-04-05 23:32:13 | 日々いろいろ



先日、こんなニュースがありました。

「ソメイヨシノの原木にもっとも近い1本、ゲノム解析より判明」(Mynavi 2022年3月25日)

ソメイヨシノは1本の木が原木となり、すべて接ぎ木して増やされたクローンであることは有名な話。
一斉に咲き一斉に散るのも、同じ遺伝情報をもつクローンだから。
そんなソメイヨシノのルーツについて、2015年に千葉大のチームが「元祖の1本は東京の上野公園にあった」とする研究成果を発表しました。
そして先日、かずさDNA研究所が「もっとも祖先のゲノムに近い一本」を確認したとのこと。
その場所がこちら↓



上野動物園の正門に向かって左手にある広場ですね。
当初は136番の木が原木と考えられていたそうですが、今回の解析の結果、133番の木がもっとも祖先のゲノムに近いものであると確認されたそうです。



これは先月29日にババヤンのピアノリサイタルに行った際に撮ったもの。花曇りだったので暗めの写真になっていますが、写真右手の全体が写っている木が133番の木です。
この一本の木から日本中に、そして世界中にソメイヨシノが広がっていったのかもしれないと想像すると、感慨深いですね
たとえその脇にどでかいゴミ箱が置かれていようとも(東京都なんとかしなさいよ!!)

諸説あるソメイヨシノの起源の中で「江戸時代の植木職人が品種改良によって生み出した」という説をもとに木内昇さんが書いたのが、『茗荷谷の猫』という連作集の中の「染井の桜」というお話。



この本(単行本)は、表紙がとても美しいのです。
久しぶりに読み返そうと思ったら、実家に置いてきてしまったみたい。。

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セルゲイ・ババヤン ピアノリサイタル @東京文化会館小ホール(3月29日)

2022-04-04 20:45:13 | クラシック音楽




2019年のマリインスキー来日公演で協奏曲の演奏が予定されていたババヤン。直前にピアニストが真央君に変更となり、ゲルギエフ×マリインスキー×真央君には素晴らしい演奏を聴かせてもらえて大大大満足の演奏会でしたが、やはりババヤンのピアノも聴いてみたいと思いつつ早2年半。ようやく聴くことができました。
しかし649席の小ホールでも7割程度しか埋まっていなかったな。ババヤンって日本で一般的には人気がないのだろうか。客席にはピアニストらしき方達が多数いらしていました(上原彩子さんなど)。

【J.S.バッハ(ブゾーニ編):無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より シャコンヌ】
【シューベルト(リスト編):《美しき水車小屋の娘》S.565 より「第2曲 水車小屋と小川」】
【シューベルト(リスト編):《12の歌》S.558より「第8曲 糸を紡ぐグレートヒェン」、「第2曲 水に寄せて歌う」】
【ラフマニノフ:練習曲集《音の絵》op.39 より「第5番 変ホ短調」、「第1番 ハ短調」】
【ラフマニノフ:《楽興の時》 op.16 より「第2番 変ホ短調」、「第6番 ハ長調」】

今回は直前に曲目変更がありウクライナ情勢の影響では?との噂もありましたが、変更後の曲目は1月から演奏されている彼の今シーズンのプログラムのようなので、おそらくそこに特別な理由はないのではないかと。
ピアノはスタインウェイ。けれど弾き始められると、意外なほど音が響かない。以前同じホールでレオンスカヤを聴いたときもやはり響かなくて、その時はYAMAHAだからかなと思ったのだけど、このホールの音響なのかも。あるいは休憩後の方が響きが増していたように感じられたので、曲目や調律の関係もあるのかも。
ババヤンは時々指がもつれ気味だったのが意外で、それとホールの音響に私の耳が慣れるまで少々時間がかかってしまったけれど、個人的に「第2曲 水車小屋と小川」がとってもとってもよかったなあ。。。。。私的前半の白眉はこの曲でした。レオンスカヤやヴィルサラーゼもそうだったけど、ロシア系のピアニスト(ババヤンは旧ソ連のアルメニア出身でモスクワで教育を受け、アメリカに移住した人。詳細はこちら)って低音域の音はもちろん特徴的だけれど、中音域の夢見るように歌う音色がもっっっっのすごくいいですよね。この温かみと暗さをもった幻想的な音。それとともに変化する空気の色。その響きの中に風景も感情も全てが内包されているような…。怖いほどの魔法のような音色にうっとりしてしまう。音楽を聴いたというより体験したという感覚。
そんなババヤンですが、曲によっては典型的なロシア系ピアニストと違い濃厚こってりなだけじゃなくジャズのような軽さも所々にあって、個性的で面白いピアニストだなと感じました。
ラフマニノフの「第1番 ハ短調」もとてもよかった。ただそれ以外のラフマニノフは、彼の録音のそれと比べて今日の演奏は私の耳には少々単調な音に聞こえてしまったりも。シンフォニックな響きは素晴らしかったです。

(20分間の休憩)

【リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171】
【シューマン:クライスレリアーナ op.16】
この2曲も、とてもよかったな。いわゆるリストっぽい、シューマンっぽい演奏ではないのかもしれないけれど。
先ほども書いた、中音域の歌うような音色の素晴らしさ。そしてロシア系独特の低音を含めた多彩な響きに空間が満たされる感覚。ピアニシモでも芯のある温かな音色。そして明るさだけではない、音の深みと重みと暗さ。今後ロシアの音楽界がどんな風になっていくのか想像がつかないけれど、この音色だけは絶対に失われないで受け継がれていってほしいと心の底から思ってしまう。こういう大胆な熱とエネルギーをもった大きな流れの、でも繊細なところはしっかり繊細な表現豊かな演奏って、現代ではすごく貴重だと思うから…。
一方『クライスレリアーナ』の第8曲の主題のリズムが諧謔とは真逆だったりと、この人の弾き方はやはり独特だなとも感じました。
※リストのバラード2番はホロヴィッツの演奏、クライスレリアーナはヴィルサラーゼの演奏も素晴らしいよ。

【J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲より「アリア」(アンコール)】
リサイタルの日から、このアリアの響きが耳から離れないでいる。
深みのある音色で、ゆっくりと弾かれたアリア。
私の大好きなシフのゴルトベルクの演奏とはタイプが違うけれど、このアリアも私の眠れない夜の音楽リストに加えたい。しかし、今回の演奏会はご本人の希望で録音されていないのであった
某音楽評論家の方が「追悼というと『G線上のアリア』ばかりが演奏されるのはどうにかならないものか」と嘆いておられたけれど、今日のような演奏ならゴルトベルクのアリアも追悼や鎮魂にふさわしいように思う(オケじゃなくてピアノ曲だけど)。というより自分が死ぬときに聴きたい。そんな風に感じた、ババヤンのアリアでした。この演奏に今のウクライナを重ねた人達がSNSに少なからずいたのが理解できる。
なおアルペジオは全て上↘下でした(覚書)。






Artist of the Year: Daniil Trifonov (musical america)
トリフォノフがババヤンに弟子入りした経緯の話など。
この記事で知りましたが、カーネギーホールの芸術監督のClive Gillinsonって、トリフォノフが優勝した2011年のチャイコフスキー国際コンクールでチェロ部門のjuryだったんですね。先日のゲルギエフ&マツーエフ降板の一件でGillinsonはぎりぎりまで粘ったそうだけど、このインタビューの感じからするとゲルギエフと割と親しそうだな。彼はコンクールの際にトリフォノフの演奏に惚れ込んだとのこと。昨今の騒動の中でもカーネギーホールでトリフォノフのリサイタルが決行されたのは、そういう理由もあったのでしょうね。チャイコフスキー国際コンクールはソ連時代は裏がありありなコンクールだったようですが(ポゴさんがモスクワ音楽院のピアノ科主任だったドレンスキーから1980年のショパンコンクールを捨てれば2年後のチャイコフスキー国際コンクールで一位を取らせると提案され、それに従わずに参加したため例の騒動が起きた話は有名)、今がどうかは不明。でもとてもいい演奏家を世に送り出していますよね。

SERGEI BABAYAN IN CONVERSATION WITH ZSOLT BOGNÁR, 2011
"I value humanity, sincerity, a certain child-like openness to the world, sensitivity, creativity, integrity, warmth, and vulnerability… the list can go on, but these qualities are not fostered or born in competitions."

Daniil Trifonov and Sergei Babayan “His deep love of music sets him apart” (Interude, January 17th, 2018)

※3月26日のFBより。ウクライナ問題についてのババヤンの見解。「アルメニアで生まれモスクワで教育を受け1980年代にソ連を去った音楽家として、Stalinist imperialism(スターリン主義者の帝国主義?)の復活に恐怖を感じている。ウクライナ人は彼らの自由のためだけでなく、自由な世界の市民としての私たちの自由と民主主義のためにも戦っている。私は音楽家として、そして人間として、このような犯罪を前にして中立でいることはできない。私たちは沈黙を守ってはならず、戦争犯罪者のプーチンと彼に仕えたり、彼におもねる人々を止めなければならない」とし、プーチン政権を強い言葉で非難しています。



Der Müller und der Bach (Live)


ババヤンが弾くシューベルト(リスト編)《美しき水車小屋の娘》S.565 より「第2曲 水車小屋と小川」。1992年の演奏です。
2009年のクリーヴランド大学での同曲の演奏は、こちらで聴けます。
この魔法のように空気が変化する音色、おわかりになりますでしょうか。曲の世界の中に引き込まれないではいられない。怖いくらい。失意の青年に死の安らぎの手を差し伸べる小川の優しい囁き…。

Bach-Busoni: Chaconne in D Minor (Kissin)


こちらはキーシン演奏の『シャコンヌ』。
この曲のピアノ編曲版って今回のリサイタルで初めて知ったのですが、とてもいいですね。
バッハの音楽って本当に「全てがそこにある」という感じがするな…。



演奏会前に、恒例のシャンシャン
一周目も二周目(70分待ち)もぐっすり眠っていました。眠っている姿も可愛い


もうすぐ返還期限の6月ですね…。


上野公園は桜が満開でした。もちろん宴会は禁止ですが(宴会はずっと禁止でいいよ…)。


この景観を思いきり損ねている緑色のネットとゴミ箱はどうにかならんの…?





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2022-04-02 01:26:00 | 日々いろいろ




一年に一度、名残惜しく過ぎゆくものに、この世で何度めぐり合えるのか。

その回数を数えるほど、人の一生の短さを知ることはないかもしれません。

(星野道夫『旅をする木』より)

私自身の人生の時間だけでなく、この風景をあと何回大切な人と一緒に見ることができるのだろうということも、思わないではいられません。
無窮の時の流れの中で私達の短い一生の時間が重なるということ自体が奇跡のようなことなのだと、自然はさりげなく教えてくれる。
未来を心配しすぎることなく、過去を後悔しすぎることなく、今の時間を大切に過ごさなければいけないと改めて感じる、2022年の春です。

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