風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

NHK交響楽団 第1975回定期公演 Cプロ @NHKホール(1月21日)

2023-01-22 23:13:26 | クラシック音楽




【ラフマニノフ/幻想曲「岩」作品7】
《幻想曲「岩」》は、弱冠20歳のラフマニノフの管弦楽作品である。ソ連の音楽学者アペチャーンによると、4手版ピアノ譜の自筆譜に「《幻想曲》/黄金色(こがねいろ)の雨雲が一夜を過ごした/巨人のように切り立った岩の胸もとで/レールモントフ」とあり、また自筆総譜の筆写譜にも、この曲がレールモントフの詩『切り立つ岩(断崖)』(1841)の印象にもとづいて書かれ、最初の2行を題辞とした旨が書かれているという。原詩は8行からなり、以前にはリムスキー・コルサコフらによって少なくとも15以上の歌曲が作られていた。
原詩には詩人が翻訳していたハイネなどドイツ語詩からの影響が認められる。また同じくこの冒頭2行を題辞として展開した作品に、チェーホフの短編小説『旅中』(1886)があり、ここでは雪をまとった松の木が南国の椰子(やし)を、切り立つ断崖が去った雲を想い涙するハイネ=レールモントフの寓意的情景が源泉になっている。老境の絶望的に不幸な男と若い娘が偶然、駅馬車の宿駅に居あわせ、会話を通じて互いに一筋の理解を見いだすも、やがて時間が来て娘は去り、見送る男に粉雪が重く降り積もる─。
実は《幻想曲》の標題はこの『旅中』でもあった。ラフマニノフは敬愛するチェーホフに出版譜を贈り、そこに「同じ題辞をもつ短編小説『旅中』の内容が本作の標題となりました」と認(したた)めている。作品は標題つき単一楽章のため交響詩にも類し、冒頭、半音で下行する暗澹(あんたん)とした第1主題、軽やかに飛翔する第2主題、どこか感傷的でさまざまに姿を変える第3主題を軸に展開する。ここには原詩の対照性を柱としつつも、一連の標題を総合したような世界観が感じられる。まさに先達との創造的対話の結晶と言える作品である。
N響HPより

今回初めて聴く曲です。
ラフマニノフがこんな曲を書いていたことも、知りませんでした。
もととなったチェーホフの小説、いかにもロシアという感じですね。読んでみたいな。
クラシック音楽を聴くようになってから受けた意外な恩恵の一つが、自分の興味の対象が世界の様々な芸術へ一気に広がったことです。クラシックの音楽家達の多くは文学や美術からもインスピレーションを受けているので、私の中でもそれらに関する興味がどんどん広がっていく。おかげで一生読むことなどなかったであろうトーマス・マンまで読んでしまっている(面白いです!まだ読み終わってないけど)。E.T.A.ホフマンも。

さて、ソヒエフはやはりいい指揮者ですね。
先週に続いて、N響からとても美しい音を引き出していました。日本のオケからこんなに色彩豊かな音を聴くのは、私が今まで聴いた中では、デュトワと彼だけ。
ソヒエフが作り出す音は、想像していたとおり、先週のドイツプロよりも今週のロシアプロの方がずっと合っているように感じました。
ただ、これはソヒエフの端正な音楽作りのせいなのか、N響にも理由があるのかはわかりませんが、私には突き抜け感がイマヒトツ足りなく感じられてしまったんですよね・・・。これは先週も少し感じたことですが。
『岩』も、雪の美しさのような情景は感じられたのだけど、暗い心の悲痛や状況の悲惨さのようなものは、私は今日の演奏からは殆ど感じられず・・・。予習で聴いたスヴェトラーノフ指揮他いくつかの演奏からはそれが感じられたのだけれど・・・。

【チャイコフスキー/交響曲 第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」】
この曲は、2019年にゲルギエフ&マリインスキー管で聴いてとても感動した大好きな曲。
「ロシアの風俗、粗野なところもあるけどおおらかで温かく、色気もあって、大地の土の匂い。それらの美しさ。」
これは当時彼らの演奏から感じた私の感想です。
ヒヨコが最初に見た相手を親と思うように、私はこの曲をそういう演奏で刷り込まれてしまっているため、今日のソヒエフ&N響の丁寧で端正な演奏は、『岩』と同じく、3楽章くらいまではもう一歩物足りなく感じられたのが正直なところでした。幾度かハッとする物凄く美しい音が聴こえましたし、悪くはない、悪くはないのだけれど・・・というモヤモヤした気持ちで聴いておりました。ソヒエフの丁寧さは良くも悪くもだなと。
でも。
4楽章、とてもよかったな。。。
この楽章では、ソヒエフの音楽の誠実さのようなものに強く心打たれました。
特に四楽章の最後、加速してオケを煽ることをしなかったところ。
これはSNS情報によると楽譜どおりなのだそうですが、とても誠実で清澄に感じられ、かつあれほどの輝かしさを出せるのは素晴らしいと感じましたし、胸に迫りました。今の世界情勢で煽るチャイコフスキーを聴くのは精神的にきついということもありますし、こういう繊細で美しいチャイコフスキーに、今まで知らなかった形の「音楽がもつ力」をソヒエフから教えてもらったような気がします。ソヒエフの母国への愛情も感じました。
最強寒波が近づく真冬の東京で、心の中に温かく、熱いものが残った演奏会でした。
ありがとう、ソヒエフ。

一方で、ソヒエフはボリショイのオケだとどういう音楽を聴かせるのだろう?という興味も強く感じました。でもそれを聴ける機会は当分(二度と?)なさそうかな。。
そういえばボリショイのソローキンさんは、どうされてるだろう。あの一見不愛想でシャイで親日家な熱い指揮者さん。ロシアのウクライナ侵攻直後にロンドンのロイヤルオペラハウスからバレエの客演指揮を解雇されたというニュースを聞いたのが最後だけれど。モスクワでは今も指揮されているのだろうか。あの良い意味で洗練されていない演奏が懐かしいです(ジゼルまでロシア風に調理していたあの演奏)。早く平和な世の中になりますように…。

※追記:
そうだ、これを書き忘れていた。
[Cプログラム]の《交響詩「岩」》は、タイトルだけ聞くと断崖絶壁の光景を思い浮かべるが、旅の宿で出会った中年男と若い女性の束の間の交流を描いた、チェーホフの短編小説がもとになっている。旅立つ女を見送る男に雪が積もり、岩のように見えるという訳である。若きラフマニノフの作品をチャイコフスキーが激賞し、初演の指揮を約束したが、彼は間もなく世を去ってしまう。本来は同じ年に書かれた《悲愴交響曲》を組み合わせたかったが、《悲愴》の演奏に特別な思いを抱くソヒエフは、首を縦に振らなかった。またいつか別の機会を探りたい。
N響HPより
今のソヒエフに《悲愴》の指揮を提案するって、、、N響は無邪気&無神経すぎません…?

『冬の日の幻想』の解説(千葉フィル)







終演後は、明治神宮の龍村監督との思い出の場所をお散歩しました。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHK交響楽団 第1974回定期公演 Aプロ @NHKホール(1月15日)

2023-01-16 23:26:42 | クラシック音楽




N響の3公演セット券、お得ですよね~。
今回はソヒエフ×2、フルシャ×1で計五千円弱也。安い。

【ブラームス/ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品83】
【ドビュッシー/前奏曲集 第1巻 ー 第8曲「亜麻色の髪の乙女」(ソリストアンコール)】

ソヒエフを聴くのは今回が初めてですが、いい指揮者ですね!
N響からとても綺麗な音色を引き出していて、驚きました。まるで魔法のよう。
同じように色彩豊かでもデュトワの華麗さとは異なり、こちらはもう少しくすんだ落ち着いた色合いに感じられました。
指揮者によってこんなにオケの音って変わるのだなぁと、改めて感心しました。
音楽作りも丁寧で、好印象。

ただ、私がブラームスの音楽に求めるもの(ドイツぽい音)は、ほぼ皆無だったような。
帰宅後に知りましたが、ソヒエフって2012年 - 2016年にベルリン・ドイツ響のシェフだったんですね。ドイツのオケなら放っておいても”ドイツの音”が出てソヒエフと良いケミストリーのブラームスになっていたのかもしれないけれど、もともとドイツ味を備えているわけではないN響とだと、そうもいかないのかもしれません。ブラームスに何を求めるか、聴く側の好みの問題ですが。

また今日はピアノが私の苦手な感じだったため、なおさらオケも楽しめなかったのかもです。
ハオチャン・チェンのピアノは一見スケールが大きくブラームスに合っているように最初は感じられたのだけど、独特のタメが気になってしまった…(基本的にピアノのタメが苦手なんです…)。その度に音楽がつっかかって感じられてしまい、最後まで流れに身を任せて聴くことができませんでした。
結果的に、オケもピアノも、ブラームスの魅力であるスケール感があまり感じられず、小さく纏まっている演奏に感じられてしまいましたが、これは個人的好みの問題だと思います。
アンコールのドビュッシーは、悪くなかったように感じました。
またピアニストご本人の人柄は誠実そうで、好印象でした

(20分間の休憩)

【ベートーヴェン/交響曲 第4番 変ロ長調 作品60】
「2人の北欧の巨人(著者注:《交響曲第3番「英雄」》と《交響曲第5番「運命」》)に挟まれたギリシアの乙女」。音楽評論家でもあったシューマン(1810~1856)がこう述べたことから、ベートーヴェンの交響曲のなかでは、軽く明るい作品と見なされることが多い。
ところが、たとえば第1楽章の序奏部はどうだろう。変ロ短調で始まる冒頭部分は、ひっきりなしに調性が変わり、暗い不安感が蠢(うごめ)く。しかもその緊張感が限界点に達し、爆発したところで、一転して眩(まばゆ)い主部に入るという仕掛け。つまり、軽さや明るさなどとは無縁の幕開けである。それもそのはずで、この作品が書かれたのは、1806年から1807年にかけて。つまりベートーヴェンの耳の病が徐々に進行し、さらにナポレオン(1769~1821)率いるフランス軍が1805年にウィーンを軍事占領した記憶も生々しい状況のなかだった。にもかかわらず、いやそうであるがゆえに、この上ない緊張感を背後に抱えたベートーヴェンの創作意欲は増し、次々と傑作を世に送り出していった。
このように考えると、《交響曲第4番》を特徴づける一気呵成(かせい)ともいえるエネルギーも納得できる。先ほども書いたように、第1楽章序奏に満ち満ちるとてつもない闇をバネとして、疾走感に溢(あふ)れる主部が続く。おどけた音色のファゴットが超絶技巧のパッセージを要所要所で奏でるのも聴きどころ(第4楽章にもこの手法が現れる)。緩徐楽章にあたる第2楽章は、冒頭で示される符点リズムが楽章全体に張り巡らされ、その上に優しい歌が奏でられるものの、どこか翳(かげ)りを帯びているのが特徴だ。
第3楽章は、特に記されていないもののスケルツォを基本としており、シンコペーションやヘミオラなど、スケルツォの特徴である3拍子をあえて随処で崩すようなリズム感が特徴だ(これぞ、スケルツォの原義である「冗談」を地で行く姿勢とも言えよう)。そして16分音符による急速なメロディが上昇と下行を熱狂的に続ける第4楽章……。
つまりこの交響曲は、けっしてたおやかな優しい作品ではない。闇が厳然と存在するがゆえの光の世界への希求が、この曲のすべてを貫いている。
N響HP

上記は今回のN響による解説ですが、今日の演奏は、この解説のそれに近い印象を受けました。
決して重い演奏だったというわけではなく、とても軽やかに疾走する演奏でしたが、それでも「明るいだけ」になっていなかったのは、先ほども書いたソヒエフがオケから引き出す音色のためかもしれません。
美しくて彩り豊かなベートーヴェン。でも決して明るいだけでなく陰も感じられ、光と影がくるくると入れ替わり、でも全体的には軽やかで品が良い、好みな4番でした。
丁寧な演奏だけど突き抜け感がちゃんとあったのもよかった。欲を言えばもっとあってもいいかなとも感じたけれど…。
ただこのコンビなら、今回のドイツプロよりもCプロのロシアプロ(ラフマニノフ&チャイコフスキー)やBプロのフランスプロ(ラヴェル&ドビュッシー)の方がより合っていそうとも感じました。

演奏後は今日で第一コンマスを引退されるマロさんに、花束が贈呈されました。
ソヒエフはそんなマロさんを飽くまで立てていて、拍手を受けるときも自身は常に一歩下がって(当たり前といえば当たり前ですけど)、好感度大でした。N響との関係はとても良好そう。このような情勢の中で彼を呼んだところにも、両者の関係の良さを感じます。ソヒエフの日本でのマネジメント会社はkajimotoなんですね。
マロさんは、これからは特別コンマスとして残られるとのこと。
長い間、お疲れさまでございました!

ところでウクライナ情勢は間違っても良い状況とは言い難いけれど、もはやゲルギエフやネトレプコでなければロシア人アーティストの来日は可能になっているのだろうか。先日あのザハロワが来日したのには驚きました。前回の公演ではロシア大使館の関係者がゾロゾロ客席にいたというプレトニョフはどうなのだろう。来月のチケットを買ってあるのだけれど。私自身も決して気楽に聴きに行ってるわけではなく、常に複雑な気持ちを抱えているのは事実です。


14日はヤンソンスさんの誕生日だったんですね…。
その人がこの世界から去った命日にではなく、この世界に生まれた誕生日にその人を偲ぶというのも、いいものですね。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル @浜離宮朝日ホール(1月13日)

2023-01-14 02:53:18 | クラシック音楽




ショパン:ポロネーズ第7番 変イ長調 Op. 61「幻想ポロネーズ」
ショパン:幻想曲 ヘ短調 Op. 49
ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op. 60
(20分間の休憩)
シューベルト:楽興の時 D780 Op.94
*****
ショパン:子守歌 変ニ長調 Op. 57(アンコール)
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 Op. 45(アンコール)
ショパン:夜想曲 第18番 ホ長調 Op. 62-2(アンコール)


11日のサントリーホールに続いて、浜離宮ホールのリサイタルに行ってきました。

今日もポゴさんは15分前まで舞台上でポロンポロン。小ホールでもぶれないポゴさん笑。
ポゴレリッチのリサイタルをサントリーホール以外で聴くのは初めてですが、浜離宮で聴くポゴさんもとてもいい
前半のショパン3曲は11日にも聴いているし、弾き方も基本的に同じだとは思うけれど、やはり会場が変わると響きも変わり、また今日のピアノは11日よりも音がクリアに聴こえました。なので、幻想ポロネーズも本日はしっかり堪能できました。

幻想曲の軍隊行進風のところ、11日にも感じたけど、ポゴさんの音で聴くと気持ちがいい。この曲、改めて聴くと決して切ない感じの曲ではないのに、やはり今日も切なく感じました。こんなにも祖国への想いが強い人なのに、もしかしたら二度とそこへ戻れないかもしれないと彼は感じていたろうか、とか。せめて心臓だけでもと思った心境を想像すると、切ないな…。

続いて、大好きなポゴレリッチの舟歌。聴くのはこれで3回目だけど、もしかしたらこれが最後ということもあるかもしれないと思いながら、大切に大切に聴きました。人生なんていつ何が起きるかわからないもの。小ホールのため響きが隅々まではっきりと広がって、一層心動かされました。

(20分間の休憩)

後半は、シューベルトの楽興の時
このプログラムを知ったとき、「ポゴレリッチのシューベルト…?」とどんな風に弾くのか全く想像できなかったけれど(今までのレパートリーにないですよね)、ポゴさんのシューベルトがまさかこんなに良いとは。。。。。
特に123456が良かった。いやほんとに、全部良かった。
第3曲はとても新鮮な弾き方で、確かに独特だけど、これ以上の弾き方はないのではと感じさせられる説得力。
そして第6曲。この曲のポゴさんの演奏は、リヒテルのようなゆっくり系。
楽興の時は1823~1828年にかけて作曲されたそうだけど(1828年はシューベルトが亡くなった年)、この第6曲は最後の年の作曲なのだろうか。今夜のポゴレリッチの演奏は、そう感じさせられる演奏でした。優しく、切なく、無垢で、気高く、美しかった。。。

また、今夜のポゴレリッチのショパンとシューベルトには、バッハを感じました。この二人の作曲家にバッハを感じたのは私は初めてだったな。毅然とした気高さが胸に響きました。

アンコール3曲は、本日も舞台袖に引っ込むことなく、「自ら曲名アナウンス→演奏」×3。
客席からの拍手を受けながら、ご本人はマイペースに手元の楽譜をペラペラ準備

静かに静かに終えられた楽興の時から同じ空気のまま続けられた子守歌前奏曲ノクターンの流れ、物凄かった。怖いくらい。
切なくて、でも限りなく優しく温かい、涙が出るような美しさでした。
これは滅多に出会えないpricelessな演奏会だ、と聴きながら感じていました。

初めてポゴレリッチを聴いたときは、こんな演奏をいつか聴ける日が来るなんて想像もしていなかったな。
ポゴさん、本当に変わりましたよね。演奏姿も以前よりずっとリラックスして見える。
きっとケゼラーゼも天国で喜んでくれているのではないかな、と感じました。いや、演奏にダメ出ししてたりして笑。そしてこんなことを言っていたら、次回はまた別の意味で驚かされることになるのだろうけれど。

そんなわけで今日の演奏会、私は大きな大きな感動をもらえたし、会場の拍手も熱かったので感動した人が殆どだと思うのだけれど、帰りのロビーでは「聴きなれている普通の演奏と違うから、聴きながら葛藤が…」という声も
これほどの演奏を聴いても、やはりポゴさんを聴きなれていないとそういう風に感じるのだね。

サントリーホールと曲目が被っていたのでチケットを買うのを少し迷ったけれど(値段も高かったし)、サントリーと浜離宮の両方に行って本当によかった。
そして何より、こんな演奏を聴かせてくれたポゴレリッチに最大級の感謝を。

今日は2階席のR側だったので1階席が見下ろせたのですが、梶本社長の隣の席にいらっしゃったのは、確かポゴレリッチの奥様ですよね


浜離宮に向かう前に、木挽町広場の歌舞伎茶屋で腹ごしらえ
お腹が鳴るのを気にしながらポゴさんのピアノを聴きたくないですからね。久しぶりに食べたけど、隈鶏カレー、美味しいな。鶏肉が炭火焼き風で。
東銀座は自分のテリトリーに戻ってきたようでほっとする。ここに通いつめた回数は六本木よりまだまだ多いものなあ。


こちらは終演後に東銀座まで戻った際に撮った歌舞伎座。
やはり雨の夜の歌舞伎座は格別に美しく見えます。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル @サントリーホール(1月11日)

2023-01-13 15:23:27 | クラシック音楽




8日の読響に続いて、ポゴレリッチのリサイタル@サントリーホールに行ってきました。
新年仕様?のロビーが華やかで新鮮。
開演前の英語アナウンスは、前回(もう3年前なのか…)と同じくポゴさんから。耐震構造の案内に続いて「公演は5分後に始まります。please enjoy!」と。休憩時間のアナウンスも。
会場は6~7割程度の入りだったでしょうか。リスト/シューマンプログラムのときほどではないけれど、ポゴレリッチのオールショパンプログラムでこの客入りの悪さは正直驚きました。私は3年前のショパンを聴いて以来、めちゃくちゃ楽しみにしていた公演だったので。

ポロネーズ第7番 変イ長調 Op. 61「幻想ポロネーズ」
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 Op. 58
(20分間の休憩)
幻想曲 ヘ短調 Op. 49
子守歌 変ニ長調 Op. 57
舟歌 嬰ヘ長調 Op. 60
*****
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 Op. 45(アンコール)
ショパン:夜想曲 第18番 ホ長調 Op. 62-2(アンコール)

通常のリサイタルではラストに演奏されることが多いピアノソナタ三番が前半になっていたので「プログラムの記載順を間違えてる…?」と思ったら、合っていた。
まあポゴさんの舟歌は物凄くいいので、ラストが舟歌なのはアリだと私も思う。

演奏は、幻想ポロネーズから思いきりtheポゴさん。
そのスローテンポに少なくとも私の周囲の人達は集中力がどんどん下がっていくのがはっきりと感じられ、ピアノソナタの頃には我慢大会の様相に
私はというと、演奏にではなく(それは今更驚かない)、いつもと違うピアノの響きが気になり、少々集中できず。
籠ったような音の分離の悪さが気になってしまったのだけれど。
これは休憩後には少し改善されていたような気がする・・・けど私の耳が慣れただけかも。

それでもピアノソナタ3番の3楽章の半ばあたり(例のノイマイヤーの椿姫のメロディが二回目に登場するあたり)のポゴさんの弾き方が物凄く美しくて・・・、うっとりと惹き込まれ、そのまま4楽章へ。4楽章、すごかった。予習で聴いていたからわかってはいたけど、ポゴさんのあの低音であの4楽章を聴けるのは至福ですね。いやあ、かっこよかった。終盤へ向けての追い込みも、怒涛の音の洪水でしっかり熱はあるのに、決して勢いだけで聴かせるのではなく、丁寧。自分に酔うことも、酔わせることもしない。
この曲を聴くのはフレイレ、ツィメルマンに続いて3回目だけど、別の曲かというくらい三者三様で、3人とも本当に素晴らしい。

(20分間の休憩)

休憩後は更に研ぎ澄まされて、今夜も彼岸が見えました。
幻想曲の切なさ・・・。
子守歌の優しさ・・・。
舟歌は今回も溢れる愛を感じさせて、でもそれだけでなく、なんだろうね、あのポゴさんの音色の透明な寂寥感・・・。
フレイレは最後にどういう気持ちでこの曲を弾いたのだろう、どうしてこの曲だったのだろう、と思わずにはいられませんでした。

舟歌演奏後に踏めくりの女性に譜面についての指示を出していたので、「アンコールをしてくれるのかな?」と思ったら、やっぱりしてくれた。
2曲ともポゴさんは一度も舞台袖に引っ込むことなく、それぞれ自ら曲名を言って演奏。
前奏曲op.45はポゴレリッチの個性にピッタリですね!!と思ったらこれ、前回本プロで舟歌の後に聴いていたことを帰宅してから知った。毎回新鮮に感動している私
そして、夜想曲op.62-2。この曲のポゴさんの演奏をもう一度聴きたいと強く願っていたので、今回聴くことができてとても嬉しかった。
ショパンが書いた最後のノクターン。ジョルジュ・サンドとの関係が破綻へ向かい、健康も悪化の一途を辿っていた中で書かれた曲が、どうしてこれほど優しく、美しいのだろう…。
op.62-2の最後の一音のような音。本人が意識せず、知らずに頬を伝ってポトリと静かに静かに落ちる涙のような音。
この音をポゴレリッチ以上に胸に迫る音で弾くピアニストを他に知りません。
ポゴさんの演奏って通常は弱音で演奏されるところなのにどうして大きめに演奏するのだろう?と感じることが時々あるのだけど、あれはきっとその後の”この音”を効果的に響かせるためなのだな、と今回の演奏を聴いていて感じました。
演奏後は、ポゴさんは鍵盤を押さえたまま。最後の一音の響きが完全に空間に溶けきるまで、長い長い長い静寂(客席えらい)。
あの空気は、言葉ではとても表せないのです。

そんなop.62-2だけど、楽譜を握っていたときに折れ目がついてしまったようで譜面台に置くのに四苦八苦し、演奏中も楽譜の置き方について細かく(でも優しく)踏めくりさんに指示していました笑。それであんな演奏を聴かせてくれちゃうのだものなあ。。。

ポゴレリッチからしか聴けない唯一無二の音。これがあるから彼の演奏会通いをやめられないのだよなあ、と今夜も改めて実感しました。
今日の客席は曲と曲の間の拍手もなく、マナーよし。
13日の浜離宮公演も伺います。

なお今回も、例の鍵盤ぶっ叩きは一度もありませんでした。ポゴさん、きっといい変化をしているのだろうな。

「ジョルジュ・サンドの住んでいた館の近くで、石鹸と本を買いました。その石鹸は、フレンチ・ラベンダーの石鹸で、サンドの館の庭から採った植物から作られています。彼女は亡くなる前、薔薇の木を自分の窓の前に植えてほしいと言いました。その薔薇の木は大きく茂り、今でも元気に生きていて、小さな薔薇の花からは強い香りが漂っていました。実際に館の中も見せていただき、ショパンが作曲したと言われている部屋も見ました。あのすばらしい曲が、この小さな部屋で書かれたのかということにとても驚いています。

ノアンにあるサンドの館は、フランス中央部にあり、大西洋と地中海との間に位置しています。ドライブしていると、昔のおとぎ話の国のような美しい森がありました。当時の人々は、そこを馬車で旅していたわけです。いまでは車になってしまいましたが、森の風景は今も昔も変わらないと思います。その美しい森は、サンドの住んでいた地域一面を覆っています。フランス、またヨーロッパのなかでも特別に美しい地域です。その土地の感覚や雰囲気は、私にはとてもよくわかります」

ポゴレリッチ、ショパンを語る(kajimoto))






Ivo Pogorelich - Chopin - Prelude in C-sharp minor, Op 45


Ivo Pogorelich, Chopin Nokturne in E major Op. 62 No. 2
2021年のライブだそうです。

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読売日本交響楽団 第254回日曜マチネシリーズ @東京芸術劇場(1月8日)

2023-01-11 10:12:52 | クラシック音楽




今年の演奏会初めは、山田和樹さん×読響×ポゴレリッチ。
正月早々に演奏会に行くのは、私にしては珍しいかも。歌舞伎は行くけど。

30分前に会場に入ったら、ポゴさんはいつものようにポロンポロン中。でも後ろでオケの奏者達が思いきり練習しているので、リサイタルのときのようにピアノの響きは楽しめず

【チャイコフスキー:「眠りの森の美女」第一幕 から“ワルツ”】
ヤマカズさんから客席へ「新年明けましておめでとうございます!」のご挨拶があってから、演奏開始
ヨーロッパのオケに比べるとあまりワルツの華やかさや軽やかさは感じられない演奏だったけど、新年の挨拶代わりといったところだと思うので、気軽に聴けばいいのかも。

【ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18】
あいかわらず一筋縄ではいかないポゴさん。
今日は予習で聴いていた最近の彼の演奏よりもずっとサラサラと弾いていて(もちろんガッツリのところはガッツリでしたが)、最初こそ戸惑ったけれどすぐに慣れ、これはこれで大変よい。
甘く歌うことがない、ロシアの大地を思わせるスケールの大きな演奏。
決して大仰に鳴らさず(ポゴさん比)、自然に遊ぶように弾き流すといってもいい感じで、大音量のオケの音に埋もれることも多かったのに(それくらいオケを鳴らしてほしいというポゴレリッチからの要望のようです)、にもかかわらず不思議とオケ以上の存在感を常に放っているピアノ。なんであの弾き方であれほどのスケールの大きさと存在感を保ち続けられるのだろう。こういうところ、アルゲリッチのピアノに少し似ているなと感じました。例のショパコン事件のエピソードにもかかわらず今までポゴレリッチとアルゲリッチのピアノが似ていると感じたことは一度もなかったのだけど、今回初めてそう感じた。、、、ってそうか、私、アルゲリッチを生で聴いてからポゴさんのピアノを聴くのは今回が初めてなのだった。

今回の演奏会は当初はプロコフィエフ3番が予定されていて、曲目変更でラフマニノフ2番になったけど、個人的にはポゴレリッチにはラフマニノフの方が合っているような気がする(ポゴさんのプロコフィエフ聴いたことないけど)。思えばラフマニノフの音楽の魅力を初めて教えてもらったのは、ポゴさんからだったなあ。
ポゴレリッチは前日の演奏の終盤で指のアカギレが切れて鍵盤を血まみれにして弾いていたそうで、今日の演奏にその影響があったかは不明。両日聴いた人の感想では、一日目と特に変わった演奏をしていたわけではなさそうですが。

一方、オケは彼の自在なピアノに合わせにくかったようで(実際演奏後にそうツイしている奏者さん達もおられた)、ピアノと絡む部分になるとポゴさんに合わせようとしてかオケの音がどこか慎重で硬くなってしまって、そもそもヤマカズさんとポゴさんではこの曲で目指す方向性が異なっているようにも感じられ、全体的にはいまひとつ統一感のない演奏となった印象を受けました。あくまで素人耳の印象ですが。なお、ポゴさんは常にマイペース。
ただ終楽章の最後は(ようやく)オケも吹っ切れたような演奏を聴かせてくれて、なんだか突然ギアが入った感じで不思議だったけど、あれもポゴさんの指示だったのかどうなのか

※隠し撮り動画なので紹介しにくいけど、個人的にはポゴレリッチでこの曲だったら、これくらい突き抜けたオケの音で聴きたいです。

(15分間の休憩)

【チャイコフスキー:マンフレッド交響曲 ロ短調 作品58(スヴエトラーノフ版)】
ヤマカズさん&読響、この曲では一転、突き抜けた演奏を聴かせてくれました。
”ポゴレリッチ縛り”から解放されたようなオケの音
日本のオケ全般に言えることだけど、ワルツみたいな曲よりもこういう曲の方が合ってるというか、上手く演奏するように思う。
昨年の新日フィルのラヴァルスと同じく、今日のプログラムの中ではリハーサル時間のほとんどをこれに使ったのでは?と感じる質&熱量の演奏でした。
N響に比べると繊細さが足りなく感じる読響ですが、ヤマカズさんはキッチリ構築しながらも開放的に鳴らしていて、この纏まりのない交響曲を説得力ある作品に仕上げていました。読響もちゃんとついていっていて上手かった!
インバル&都響がフランチェスカ・ダ・リミニで聴かせてくれた”地獄の音”を今日のヤマカズさん&読響も聞かせてくれて、大満足。また二楽章や三楽章のような曲想の演奏も、大らかで美しかったです(三楽章のオーボエとてもよかった)。
ヤマカズさん、一度だけ指揮台からおりてヴァイオリンパートの間に自ら入っていって指示してた。こんなの初めて見た。面白い。
帰宅後に知りましたが、ヤマカズさんの師匠ってコバケンさんなんですね。音楽作りはあまり似ていない気がするけど(ヤマカズさんのがスタイリッシュな印象)、全力系の指揮姿とちゃんと大見得きってくれるところは似てるかも。
演奏後は、ヤマカズさんの「本年もよろしくお願いします!」の挨拶で気持ちよく終演
ヤマカズさん、今年、バーミンガム市響と来日されるんですよね。聴きに行きたくなっちゃったけど、今年はベルリンフィル、ウィーンフィル、コンセルトヘボウ、マーラーチェンバーオーケストラ、あとオスロフィルも来日?。うーん、悩ましい・・・(お財布が)。
ヤマカズさんはベルリン在住なんですね。真央君はベルリンに移住したそうだけど、ヤマカズさんがいたら寂しくないね!でもヤマカズさんは今後はイギリスに引っ越すのかな。

そういえば龍村監督、先月18日にコバケンさん&仲間たちオーケストラの第九を聴きにいかれたそうで。最後にベートーヴェンを聴くことができて、それもコバケンさんの第九で、よかったなあ…。あの演奏会からちょうど3年か。第九番が無事完成したのも、よかったなあ…。



恒例のポロンポロン中のポゴさん。
いつもと同じ感じの服装と帽子で、いつもと同じように10分前にスタッフに声をかけられて退場されていました。



「マンフレッド」ってだれ? チャイコフスキーの交響曲とシューマンの序曲に登場するあの人(ontomo)

藤田真央さん特別インタビュー「飛躍の2022年、そして2023年への思い」(婦人画報)

※以下は、ラフマニノフ自身が弾く、ピアノ協奏曲2番の演奏。ラフマニノフのピアノって初めてちゃんと聴いたのですが、ものすごく上手いんですね…技術的に上手いだけじゃなく、音楽的な豊かさもしっかりあって、驚きました。
ポゴレリッチはインタビューで好きなピアニストを聞かれてラフマニノフと答えていましたよね。アファナシエフもやはりラフマニノフと答えていた。ロシア系ピアニストのアイドルなんでしょうかね。

Piano Concerto No. 2 in C Minor, Op. 18: I. Moderato (Remastered)

Piano Concerto No. 2 in C Minor, Op. 18: II. Adagio Sostenuto (Remastered)

Piano Concerto No. 2 in C Minor, Op. 18: III. Alegro Scherzando (Remastered)

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

龍村仁監督

2023-01-08 20:42:07 | 映画

龍村監督が1月2日午後3時に亡くなられたことを、先ほど知りました。

これまでも何度かこのブログに書いていますが、10代半ばから今日までの30年間、谷川俊太郎さん、中島みゆきさんとともに、私にとって「この人がいてくれたから生きてこられた」という大きな大きな恩人のお一人です。

直接言葉を交わせたのは恵比寿で一度だけでしたが、その後の明治神宮での連続上映会のときに休憩時間に外で風にあたっていたら他に誰もいなくて、そしたら向こうから監督がこちらに向かって歩いてこられて、うわ、どうしよう…!と内心ドギマギしていたら、まっすぐ私の目を見てニコッと笑いかけてくださって。嬉しかったな。明治神宮に行くといつも、思い出します。

とてもスケールが大きくて、飾らず格好いい、素敵な方でした。

今はまだ言葉が浮かびませんが、ただひたすらに心からの感謝を。

本当にありがとうございました。

 

 

Comment
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする