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風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

E.T.A.ホフマン 『ブランビラ王女』他

2021-06-27 23:48:13 | 




仕事が忙しくて吐きそう。超安月給なのに、納得いかん。しかし転職しても(そもそもできるかという問題もあるが)そう状況はカワラナイのではないかとも思う。うちの会社は超低給であることを除けば、おそらくそこまでブラックではないので。。
100年前に漱石が『草枕』で書いた言葉が沁みる。

 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降(くだ)る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。

宮崎駿監督は、サン=テグジュペリの『人間の土地』(新潮文庫)に寄せた文章でこう書いた。

「日常だけでは窒息してしまう」

詩的世界と日常世界。空想世界と現実世界。理想世界と現実世界。人間以外の全ての者達にとって、おそらくそれらの世界の間に境はないのだと思う。人間だけがその二つの世界を意識し、行き来する。そしてそのあわいの場所で、様々な芸術が生まれる。その往来に時に心遊ばせ、時に憩い、時に恐れ、時にその間で引き裂かれた人達が遺してくれたものが、今日も私の日常を慰める。

先月、新国立劇場バレエ団の『コッペリア(ローラン・プティ版)』のネット配信を観たんです。私が観たのは小野絢子さんの日で、小野さんの踊りは初めて観たけれど素晴らしいダンサーだなぁ!と感嘆したり、一方でプティのエスプリ味を表現するのは日本人ダンサーには難しいというSNSの感想を読んで、なるほどとも実感したり。プティの作品って以前も観たことがあるけれど、エスプリ感が本当に重要ですよね。日本人が踊るとただ「可愛い」だけになりがちで、ハードルが高い。。。

しかし私が何より衝撃だったのは、「なんだこの話・・・」ということでした。
『コッペリア』ってこんな話だったのか、と(初めて観たんです)。
こんなストーリーを思い浮かぶ作家の頭の中って一体どうなっているのだろう??と気になり調べたところ、原作はE.T.A.ホフマンの『砂男』とのこと。ホフマンは200年前のドイツの作家で、チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』や、オペラ『ホフマン物語』(私は未見)などで有名。シューマンの『クライスレリアーナ』も、ホフマンの同名の小説に触発されて作曲されたそうです。wikipediaでは「後期ロマン派を代表する幻想文学の奇才」と紹介されています。
光文社古典新訳文庫から新訳が出ていたので早速図書館で借り、『砂男』、『クレスペル顧問官』、『大晦日の夜の冒険』、『くるみ割り人形とねずみの王さま』、『ブランビラ王女』の5作を読んでみました。

いやぁ、世の中にこんな奇妙な物語が存在したとは。。。。。
本当に世界は知らないことだらけ。

今回読んだ5作、どれもホフマン独特の感性が溢れていて面白かったけれど、とりわけ『ブランビラ王女』の印象が強烈でした。粗筋の紹介もしようがない、読んでいて頭がおかしくなりそうな、作家がどういう思考の流れで書いたのか想像もつかないような物語なんだけど、その迷宮に迷い込んだまま放られる感じがなんだかクセになるというか、頭から離れなくなる。そういう感じって、シューマンの音楽にもありますよね。シューマンがホフマンに傾倒したのがわかる気がする。

『ブランビラ王女』の主人公は若い青年の役者ですが、「ホフマンと演劇」についてググってみたところ、こんなページ↓が出てきました。

「E.T.A. ホフマン『ある劇場監督の奇妙な悩み』について」(田辺真理)

ホフマンはシェイクスピアの戯曲が好きだったようで、確かにシェイクスピアのあべこべの世界が生み出す混乱や皮肉、にもかかわらず根底に流れる世界の調和、そして失われることのない冷徹な視点はホフマンの作品と通じるところがあるように思う。

この地上における全存在の茶番を認識し、そのような認識を楽しむ、それがフモールなのです。
(『ブランビラ王女』)

ホフマンが描いた幻想世界と現実世界との行き来の物語には、常に根底に「ここ(現実世界)で生きていかねばならない私達」という認識があるように感じる。それは決してネガティブな意味だけではなく、「それが避けられないことであるならば、では私達はこの場所でどう生きるか」と現実世界に対峙する姿勢も垣間見え、それはおそらくホフマンがリアリストの視点を常に失わない人だったからなのでしょう。

『ブランビラ王女』の中で語られる「イロニー」と「フモール」(英語のアイロニーとユーモアですね)という概念が私には馴染みが薄かったので、少し調べてみました。

これ(=フモール)を、イロニー(アイロニー)Ironieと並ぶ基本的な芸術的意識態度として取り上げたのは、ドイツ・ロマン派の詩人ジャン・パウルである。彼はその著『美学入門』(1804)のなかで、これを「ロマン的滑稽(こっけい)」であり、「転倒した崇高」であるとしている。それは通常の揶揄(やゆ)のように個々の愚者や愚行をあげつらうのではなく、理念と対比された人類全体、現実の世界全体の愚かしさを際だたせる。それはまた、単に偉大なものをおとしめるパロディーParodieや、卑小なものから出発して偉大なものへと高まるイロニーとは異なって、これら偉大と卑小のいずれも、無限なものの前ではいっさいが等しく無であるとみる。そしてその限りで、個々の人間の愚かさも、愛すべき滑稽として受け入れる。ここではしたがって、滑稽とまじめ、喜劇的なものと崇高、笑うべきものとそれへの愛惜の感傷とが入り混じっている。
(日本大百科全書「フモール」)


さらに、こんなページ↓も。

「フモールによる死の微笑」(梅内幸信)

ホフマンの『チビ助ツァヘス』と漱石の『吾輩は猫である』を重ね、両作品におけるイロニーとフモールについて書かれています。少し長いですが、イロニーとフモールの概念がわかりやすく、『吾輩〜』についての視点も面白かったので、覚書として引用させていただこうと思います(引用が長すぎて梅内先生に怒られちゃうかな)。

ソクラテスの用いたイロニーの図式を考察してみるとき、次のような手続きが踏まれていることが分かる。まず第一に、話し手は、偽装という手段を用いて、つまり自分を無知なる者と称して低い立場に置き、同時に相手を高い立場に置くことによって、相手の警戒心を解除させ、現実世界の論理から抜けださせる。第二に、話し手は、相手に現実の世界を超えた理想の世界を対峠させ、これを認知させるのである。この図式は、簡略にすれば、テーゼーアンチテーゼージンテーゼという弁証法的発展として捉えられるであろう。
しかし、このイロニーの弁証法的発展経過においては、次の三つの構成要素が看過されてはならない。

一、話し手は、相手よりも高い認識をもっている。

二、相手は、話し手の高い認識を受け入れるだけの認識力をもっている。
三、ジンテーゼは、決して理想 (イデー) そのものとしては実現されない。

•••

イロニーの機能の本質は、テーゼに対して理想的なアンチテーゼを提示することによって、テーゼとアンチテーゼとを融合したジンテーゼを導きだすところにある。このジンテーゼが安定すると、やがてこれは再びテーゼとなり、これに新たなアンチテーゼが対峙させられることになる。このようにして、弁証法的発展が螺旋状に繰り返されるのである。しかしながら、最終的ジンテーゼである理想ないしイデーは、決して到達されることはありえない。従って、イロニーは、実現されることのありえない理想に向かって、永遠にテーゼに対してアンチテーゼを提示してゆく図式から逸脱できないのである。この意味において、時として弱く、はかない地上的存在にとってイロニーは、非情とも、冷酷とも見えかねない。最終的に、理想そのものを地上化することは不可能なのである。ここに至ると、理想的なものを地上化する機能をもつものがフモールであると考えられるのである。

地上的存在である人間が、イロニーの図式によって天上的存在にまで駆り立てられるとき、そこにはやはり、非人間的な状況が生まれると思われる。つまり、地上的存在である人間は、その生命の大前提として空気を、そして水を必要とする。ところが、天上に近づくと、空気は希薄になり、水分も少なくなり、さらに上昇すると、真空の状態になって、人間は生きてゆくことができなくなる。肉体をもつ人間は、イデーの中に生きることはできないのである。そこまでしてイデーを追求することは、生身の人間には求められていない。この極端に進むイロニーの軌道を修正し、天上への方向性を再び地上へと向けて、地上での理想を実現させるものが、フモールに他ならない。この意味において、フモールは、イロニーを前提として生まれるものであると言って差し支えないであろう。
厳しい批評眼からすると、このようなフモールは、一種の妥協という印象を受けるかも知れない。しかし、それは妥協というよりは、むしろ現実と理想の「調和」と呼ぶべきである。あるいは、人類の「智恵」とも呼びうるかも知れない。

そして『吾輩〜』の猫は「勇気をもって、完全に自由な個人主義的立場から、西洋文明を模倣しようとする当時の文化人たちを批判するのである。猫の批判は、超越的なものであって、人間の側からの批判は全く受け付けない。この意味において、猫の批判は、一方通行的なものであって、現実を正反対に映しだす「イロニーの鏡」の機能を果たしている。漱石は、『ガリバー旅行記』に見られるスウィフトの容赦なき諷刺ないしイロニーを高く評価していたと言われる。とはいっても、猫の諷刺ないしイロニーは、スウィフトのそれと比べると、それほど徹底したものではない。つまり、猫のイロニーは、完全に冷たいものではなく、そこには常に一抹の温かみと湿り気、すなわちフモールが潜んでいるのである。

•••

死によって変容するツァヘス、そして溺死によって成仏する猫の姿を観察するとき、その湿り気、すなわちフモールは、いずれの場合にもアンチテーゼとしてのイロニーを超え、一つの調和的なジンテーゼをもたらしている。ツァヘスにしろ猫にしろ、いずれもイロニーの力に駆り立てられ、自分の限りない理想を求めたのであったが、自らの、あるいは地上的存在としての限界に達し、ついには再び地上へと降下し、最終的には溺死する運命にあった。しかし、そこには限界に挑戦したという満足感が生じている。それは、生を享けた者の充実感であり、生の一回性を体験したものすべての喜びでもある。それゆえ、そこには生を無限に肯定する弥勤菩薩か仏陀のごとき「死の微笑」が、必然的に浮かんでくるのである。

漱石にとっての西洋文明と日本文化は単純にテーゼとアンチテーゼとして対峙されうるものではないようにも思うけれど、『吾輩~』の猫が溺死していくときの心情は確かにここに書かれてあるものに近いかもしれない、と感じました。『現代日本の開化』の結論も決して諦念や敗北だけではない何かがそこにはあり、それは梅内先生が書かれている「それは妥協というよりは、むしろ現実と理想の「調和」と呼ぶべきである。あるいは、人類の「智恵」とも呼びうるかも知れない。」と似たものを感じます。絶望だけではない何かを漱石は残してくれている。

話をホフマンに戻します。『大晦日の夜の冒険』や『クライスレリアーナ』が収められているのは『カロ風幻想曲集』というタイトルの作品集で、また『ブランビラ王女』もカロの版画からインスパイアされて書かれた作品です。ジャック・カロは400年前のフランスの版画家で、マーラーの交響曲第1番「巨人」の3楽章もカロの版画がもとになっていました。私はカロについては詳しくないけれど、マーラーの音楽はカロを通してホフマンの世界にも通じているように思う。ホフマンの作品をそのまま音符にしたら、マーラーのような音楽になるはず。グロテスクさ、病的になりかねない混沌、脈絡なく話が跳び、そして回収されない。なのに世界の統一感があって、都会的。wikipediaによると、マーラーの交響曲第一番の3楽章はホフマンの『カロ風幻想曲集』にヒントを得たともいわれているそうです。

 エルンスト・テオドール・ホフマンはアマデウス・ホフマン、すなわち「お化けのホフマン」と呼ばれた。いや、自分で好んでアマデウスを名のった男であった。敬愛してやまないモーツァルトに肖(あやか)ったのである。
 46歳の短い生涯であったが、その多彩奇才の表現力はなぜか老ゲーテや同時代のヘーゲルに嫌われ、ハイネに褒められ、のちには後期ロマン派の代表作家として、バルザック、ジョルジュ・サンド、リラダン、プーシキン、デュマ、ドストエフスキー、ネルヴァル、モーパッサン、ボードレールに絶賛された。
 この通信簿は悪くない。とくにプーシキンとリラダンが兜を脱いだところが上々だ。
松岡正剛の千夜千冊

この通信簿は参考になる。ホフマンを絶賛した作家の本を、今度は読んでみたくなる。

と、ここまで書いてきて、謎が謎のまま残っているのに何故か世界の調和を感じさせる妙な説得力があるのって、宮崎監督の映画と似てね?きっと宮崎監督もホフマンお好きな気がする!と思い「宮崎駿 ホフマン」とググってみたら。

三鷹の森ジブリ美術館企画展示
クルミわり人形とネズミの王さま展 ~メルヘンのたからもの~(2014年5月31日~2015年5月17日)


なんですとーーーーー
こんな企画展があったなんて・・・・・・・・
当時はホフマンを読んでいなかったとはいえ、後悔してもしきれん。。。。せめて企画展のパンフレットだけでも手に入らないかと調べてみたら、めっちゃプレミアム化していて手が出ない。。。仕方がないので当時のアエラの特集号を図書館で予約しました。宮崎監督の絵、すごく素敵だなぁ。行きたかったなぁ。。。。。。

宮崎監督とホフマン作品との出会いは『風立ちぬ』の制作中だったそうで、読書家の宮崎監督がそれまでホフマンを読んだことがなかったというのは意外。でも宮崎監督って、本や映画を最後まで読んだり見たりしなくて平気な人なんですよね。途中で想像の翼が羽ばたいて、続きの物語を自分で作ってしまうそうで。高畑監督はそうではないらしいが(ほぼ日新聞)。宮崎監督、『くるみ〜』はちゃんと最後まで読まれたのかしら

 内覧会では、東京・三鷹の森ジブリ美術館館長の中島清文氏が今回の“クルミわり人形とネズミの王さま展”が企画された経緯について語ってくれた。
 中島氏によると、宮崎駿監督は企画・監修だけでなく、イラストつきのパネル10数枚を描いており、今回の企画展示は、宮崎監督の長編映画製作における引退後の、初仕事とも言ってもよいとのことだ。 
 なぜ今回の企画が始まったのか、ということだが、これは宮崎監督がロンドン在住のイラストレーター、アリソン・ジェイ氏がイラストを手がけた絵本『くるみわりにんぎょう』に出会ったことがきっかけとのこと。

 宮崎監督がこの作品に触れたのは、ちょうど『風立ちぬ』の製作の真っ最中で、ヘトヘトに疲れていたときのこと。何度も何度も、毎晩この絵本を見ているうちに、作品が好きになった宮崎監督は、3人の女の子にこの絵本をプレゼントしたという。
 絵本の評判は上々で、それに気をよくした宮崎監督は、さらにネットでドイツ製のくるみ割りを購入して女の子にプレゼント。えこひいきにならないようにするために8体も購入し、「おかげでおこづかいがなくなった」とこぼしていたそうだ。
 とはいえ、そこで宮崎監督はおもしろいことがわかったようだ。男の子は、人形の口をがちゃんがちゃんと開けたりしてロボットのように遊ぶのだが、女の子は人形をぎゅっと抱きしめてくれたそうだ。

 女の子はたいそうくるみ割り人形を気に入ってくれたそうだが、宮崎監督は「なぜ、女の子はこんなにくるみ割り人形が好きなんだろう」と不思議に思い、E・T・Aホフマンによる原作本『クルミわり人形とネズミの王さま』を読むことにしたのだという。

 一読して宮崎監督は困惑したらしい。それは、話が理解できないからだった。「この人形は人間なのか? それとも人形なのか。つじつまがあっていないぞ」と混乱したという。しかし、周りで本を読んだ女性たちは「え? そうでした?」という感じでとくに気にしていなかったそうだ。そこで、「なぜなんだ、なぜこのつじつまがあわない世界を理解できるのだ」と宮崎監督は疑問に思い、さらに作品にのめり込んだらしい。

 現在、おもに流通している『クルミわり人形とネズミの王さま』は、19世紀後半にフランスで刊行された改訂版であり、物語のつじつまが合うように整理されているものだそうだ。その後にはバレエ版も作られていたが、E.T.A.ホフマンによる原作本はあまり読まれてはいなかったようだ。
 そのような経緯もあり、宮崎監督はいま一度、「ホフマンの世界を読み解こう」、「みんなにも読んでもらおう」と考えたのだという。そもそもなぜ主人公はくるみ割り人形なのか、当時のくるみ割り人形はどんなものだったのか……、と疑問に思って調べたのが、今回の企画展示の出発点となったそうだ。

 宮崎監督は、自身の作品には“ここからは現実であり、ここからは異世界である”などという明確な“ルール”を決めているらしい。しかし、E・T・Aホフマンが書いた原作はつじつまが合わず、そのようなルールが見えなかったという。
 とはいえ、宮崎監督はE.T.Aホフマンによる原作の特徴を肯定する。なぜなら、子どもとっては、現実も幻想も空想もいっしょくたで、ひとつの物語になっているからだ。それこそメルヘンと呼べるものであり、この本は“メルヘンのたからもの”なのだとー。そこで、「このメルヘンのたからものを、みんなにも読んでもらいたい、みんなにも知ってもらいたい」という想いを持ったという。その想いが、最終的にこの展示へつながったのだそうだ。

(ファミ通.com「宮崎駿監督“引退後”の初仕事 三鷹の森ジブリ美術館“クルミわり人形とネズミの王さま展”をリポート」)


こんなに長く書いてきてすみませんが、ホフマンと宮崎監督について、最後にもう一つだけ書かせてください。

彼(ホフマン)は俗物を徹底的に嫌った。それは彼自身が俗物であったからである。・・・ホフマンが芸術家たるためには、いな芸術家であればあるだけ、市民的練達と事務的な仕事とを愛し、それを必要としたといわねばならない。・・・ホフマンに於ける俗物の世界は日常の世界である。この日常の世界に安住せんとするホフマンを他のホフマンが否定しようとする。それは魔法の世界、即ち不思議の国に住むホフマンである。この二つの世界はホフマンに於ては並立するのではなくして、二つは互に前後上下の関係にある。日常の世界の背後或は底に不思議の世界が隠されて居り、日常凡俗の現実の上により高い現実世界が予感される。ここにホフマンが浪漫派の人であると同時に浪漫派を超えて現実主義の世界に踏み入ろうとしている詩人である根拠がひそんでいる。浪漫派の人々にとって「青い花」は永遠に花として咲き、いたるところに咲いていると共にどこにも咲いていない花であるが、ホフマンにとってはそれは「青い花」として永遠の彼岸に咲き匂う花であると同時に日常の現実に於て咲きまた実を結ぶ花でもある。それはホフマンに於ては日常の世界はそのまま芸術の世界に変えられるからである。そしてここにホフマンの「現実」の秘密がひそんでいる。
(渡辺竜雄「エ・ア・テ・ホフマンと「現実」の問題」)

これを読んで、なんとなく宮崎監督が『風の帰る場所』で宮沢賢治について仰っていたことを思い出しました。宮沢賢治がホフマンと同じというわけではなく、なんとなく思い出したので、覚書として書いておきます。ちなみにインタビュアーはロッキング・オンの渋谷陽一さん。渋谷さんは表現者・宮崎駿を「本当に大好きで、もう死ぬほど好き」なのだそう。

「人を殺した人間だから、殺すことの痛みがわかった人間だから。それで膝を曲げるんじゃなくて、それを背負って歩いてる人間だから、この娘は描くに値するんじゃないかと僕は思ってたんですよ。純潔であるとか、汚れてないことによって、それが価値があるっていうふうな見方というのはね、なんかものすごくくだらないんじゃないかっていう気がするんですね。その泥まみれで汚れてて、それで傷だらけだから。だから、宮沢賢治を僕は好きなんですよ」
――うん。
「宮沢賢治が聖人でね、彼が言ってるとおりの人生を歩んだとは、僕は思えないですよ。やっぱりオナニーもしたんじゃないかと思うんですよね。だからっていって、僕は宮沢賢治をますます好きになるだけでね。そういう葛藤はあるはずですよ、当然です!」
――そうです、うんうん。
「で、非常に愚劣なね、もう少しいい男に生まれたらよかったのにとかね、そういうことを全然思わなかったはずないですよ!」
――ははははは。
「そういう無数の複合体だから、人間って。ただ、生き物っていうのは動態だからね。動いてる。静的な存在じゃないから。だから、同じ人物でもね、ものすごく愚劣な瞬間があったり、それからなんかやたらに高揚してね、あるいは実に思いやりに満ちたり、そういうふうに揺れ動いてるものなんですよ」

※このページ↓の『ブランビラ王女』の解釈、とてもわかりやすいし共感できる。
創作された夢 E.T.A.Hoffmannの『ブランビラ王女』の解読(木野光司)
同じ方の書かれたこの本も、読んでみたいです。
『ロマン主義の自我・幻想・都市像―E.T.A.ホフマンの文学世界』

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横浜市歌と森鴎外

2021-06-15 22:40:25 | 



先ほど何気なく谷山浩子さんのtwitterを遡って読んでいたところ、驚きの事実が。
横浜市歌って、森鴎外作詞だったのか

1909年(明治42年)7月1日に行われた、横浜港の開港50周年記念祝祭にて披露されて以来、市民に歌い継がれています。作詞は森林太郎(森鴎外)、作曲は、当時東京音楽学校(現、東京藝術大学)助教授だった南能衛(よしえ)氏です。
横浜市HP

ワタクシ小学校を卒業してから三十ン年たちますが、浩子さんと同じく、いまだにこの歌をソラで歌えます。
浩子さんは「すべての横浜市民が歌えた」と書いておられますが、おそらく正確には「すべての横浜市立小学校の子供達が歌えた」かと。
小学校では6月2日の開港記念日や色々な学校行事の際に、6年間数え切れないほど歌いました。中学校ではどうだったかなぁ。市立中学だったけれどあまり記憶にない
大人になってから両親がこの歌の存在さえ知らないことを知り、衝撃を受けました。しかし両親は横浜市出身ではないので、考えてみたら当然なのであった。たとえ市民でも大人は普段の生活で市歌なんぞ歌わないし、聴く機会も殆どない。もっとも子供の頃の私は家でよくこの歌を歌っていたのだが(浩子さんと同じく、私もこの歌がなぜか好きだったので)、娘が歌っているこの暗号のような歌詞の歌を親は何だと思っていたのだろう。
そういう歌なので、「ハマっ子か否かの分かれ目は、横浜市歌を歌えるか否か」と言われているとかいないとか。

子供の頃の私が特に好きだったのは、浩子さんが書かれている「昔はド田舎だったけどね(2行)」の部分です
むかし思えば とま屋の煙 (むかしおもえばとまやのけむり)
ちらりほらりと立てりしところ (ちらりほらりとたてりしところ)
土と緑と海しかない鄙びた漁村にポツンポツンと藁ぶき屋根の家があって、そこから煙が出ている昔の横浜村の長閑な風景が目に浮かぶようで、好きだったなあ

そして浩子さんと同じく、褒めているのが港だけなところが妙な歌詞だな、と子供心に思っていた。これじゃあ横浜市歌というより横浜港歌やんけ、と。
鴎外って実は横浜に全く興味がなかったんじゃと疑いwikiを読んでみると、なんと横浜市歌のみならず横浜商業高等学校(Y校)の校歌まで作詞しているではないですか。
鴎外にとって横浜はどんな街だったのだろう。
ググってみたら、こんな素敵なページを見つけました。
『森鴎外と舞姫事件研究』森鴎外と一八八八年秋の横浜
鴎外にとって横浜は特別な思い出のある街なのだ、と。鴎外は1884年にドイツへ留学した際に横浜から旅立ち、1888年に横浜に帰国。その4日後にドイツから彼を追って来た恋人のドイツ人女性が横浜に着きました。このドイツ人女性が誰かについては諸説あるそうですが、エリーゼ・ヴィーゲルトというのが定説だそうです。ひと月後、鴎外とその弟達はエリーゼとの最後の夜を横浜で共に過ごし、翌日彼女の船はドイツへと出港したそうです。1年後、鴎外は彼女をモデルとした処女作かつ代表作『舞姫』を発表。
鴎外にとって「横浜=横浜港」であった理由がなんとなくわかったような気がして、まぁ許してやるか、と思った100年後のハマっ子の私でありました。

などとエラそうに書いておりますが。
実は改めて横浜市歌の歌詞を眺めていたところ、鴎外作詞と同じくらいの衝撃の事実が発覚。子供の頃に覚えた歌アルアルですが。

あ~さっひただよぅう~み~に~ ⇒ 「朝日かがよう海に」だった。朝日は海に漂ってはいなかった。。

と~まるところぞみ~よ~や~ ⇒ みよやって全く意味がわからず歌っていた。「見よや」だった。

む~かし~思えば~ とま~やの~けむ~ぅり~ ⇒ とまやって「泊屋」(宿屋)かと思っていた(そんな日本語は存在しない)。「苫屋」(苫葺きの粗末な小屋)だった。藁葺きの家のイメージは間違っていなかったけれど。

小学校の先生は歌詞の意味をちゃんと教えてくれていたはずだが、子供ってこんなもん。
浩子さんのおかげで誤解したままで人生を終わらずに済みました。
まあ意味をわからず歌っていても、のんびり大らかで明るくて、今も昔も好きな歌です 
この先もずっと、横浜の子供達に歌い継がれていきますように。

そういえば友人が「顔は漱石の方がモテそうなのに、留学生活を満喫して現地の女性にモテたのは鴎外なのが面白いよね」と言っていたなぁ。職場の食堂でその話をした席も覚えている。うーん、最近どうも鬱っぽくていけないな(主な理由はわかっている。仕事が忙しすぎるから)。。久しぶりにお墓参りに行って来ようかな。。

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『地球交響曲第九番』完成!!!

2021-06-10 19:45:04 | 映画

『地球交響曲第九番』予告編



『地球交響曲第九番』がついに完成!
先ほど龍村仁事務所からのニュースレターで知りました(SNSを追いきれていなくて申し訳ない…)。
おめでとうございます!!!という言葉では表しきれません。
初めて龍村監督の作品『宇宙からの贈りもの』と出会ったのが15歳のとき。
あれからずっと追い続けてきて、ちょうど30年。
この第九番が無事に完成に至ったこと、本当に本当に、心から嬉しく思います。
龍村監督、よかった。。。。。。

龍村監督の道と私の道は今も同じ方向に向いているのか、それは見てみなければわからないけれど。監督の存在に常に生きる元気をもらえてきたこれまでの30年の時間の前では、そんなことは重要ではないんです。今はただ、完成おめでとうございますと心から申し上げたい。
東京都写真美術館での上映会、絶対に伺います。

★6/22〜7/11【3週間限定】東京都写真美術館ロードショー公開

■上映期間
2021年6月22日(火)〜7月11日(日)
・月曜休映(6/28、7/5)

■上映時間
10:25/13:00/15:35

■前売特別鑑賞券      1,500円
■当日券 一般・シニア   1,800円
学生(高校生以上)  1,500円
中学生以下(3歳以上)1,000円


龍村仁連続講座2016 第2クール 宇宙からの贈りもの編予告

へえ、あの少女にはそんなきっかけがあったのか。30年目に知る事実(この動画の存在を先ほど知った。ちなみにこの連続講座の存在は当時も知っていたけれど、ど~~~~~っしても仕事の都合で行けなかったのです)。
『宇宙からの贈りもの』と『未来からの贈りもの』はテレビを録画して何度も観て擦り切れそうだったVHSをDVDにし、今も大切に持っております。
以前地球交響曲の上映会でパンフレットにサインをいただく際にお話しさせていただいたときにも、「あの作品は本当に奇跡のような幸福な作品でした」と仰っていたなあ。


写真家 星野 道夫 未来からの贈り物 アラスカ編

星野さん、懐かしい。。。
死ぬまでにもう一度、アラスカを旅したいな。
次は星野さんが「アラスカが一番アラスカらしい季節」と仰っていた冬に行ってみたい。
ちなみにこの『未来からの贈り物』、演出が龍村監督で、物語は池澤夏樹さんです。ジブリの鈴木プロデューサーが感銘を受けた作品として、一部音楽を差し替えてジブリ学術ライブラリーからDVDが発売されています。

 

 

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麹甘酒『星空舞』

2021-06-09 00:24:38 | 日々いろいろ




たまにしたくなるインスタ的更新。
今回ご紹介するのは、千代むすび酒造の麹甘酒『星空舞』です。
鳥取県のお米『星空舞』から作った米麹だけを使った甘酒です。

先日職場で同僚からよく冷えたこの甘酒を「おやつに」といただいたので飲んでみたら。

美味しい

あまりに美味しかったので、すぐに楽天で注文してしまいました。
194g×12本セット=3,500円(クール便の送料込)
甘すぎず、甘酒独特のツンとくるクセもなく、ヨーグルトのようなマイルドさで、さらりと飲めるんです。
「これがあったら体がお菓子を欲しなくなる」と同僚が言っていたとおりで(私も同僚も来月の職場の健康診断に向けてダイエッターなので)、食後にちょっと甘いものを欲しくなったときに、この瓶の半分を飲むと美味しいのでそれだけで満足できる。
今までに飲んだ中では一番好きかもしれない味の甘酒です。
この記事を投稿したら、また飲むつもり。
こんな夜中に太るかな…。でも今日は(もう昨日だけど)お菓子を食べていないのでよしとしましょう。

■名前の由来
 見た目が透き通っており、星取県※から生まれた「星のように輝くお米」であることから「星空舞」と命名されました。

※「星取県」とは…
 鳥取県では、環境省が実施した全国星空継続観察で何度も日本一に輝き、どの市町村からも天の川が見えるなど、県内全域にわたって美しい星空を観察できることから、「星取県」を名乗り、星空の保全や星空を活用した地域振興に取り組んでいます。

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ダニエル・バレンボイム ピアノリサイタル 第二夜 @サントリーホール(6月4日)

2021-06-07 01:20:25 | クラシック音楽




そんなわけで第一夜に続き、バレンボイムのリサイタル第二夜に行ってきました。
昨夜も今夜も客席にはピアノを習っているらしき小学生くらいのお子さん達が多く、クラシック音楽の未来を感じさせて嬉しくなりました。あれぐらいの年齢でバレンボイムのようなピアニストの演奏を体験するのって、とてもいいことだと思う。

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第30番 Op.109】
勢いのある二楽章、短調だけど聴いていて楽しくてニヤニヤしてしまう。バレンさんのピアノ、短調もいいよね~
三楽章の静かなフレーズは、このピアノの音にピッタリ。一つ一つの温かな音が客席の空間に沁みわたっていって、音を聴いているだけでしみじみと胸にくるものが。特に『ゴルトベルク変奏曲』に例えられる最初の主題が最後に再び優しく懐かしく回帰して、静かに閉じるところは昨夜も今夜も沁みたな。。。

前回来日時のピアノ協奏曲の感想でも書いたけれど、バレンボイムのピアノって、他のピアニストに比べて「バレンボイムの音」という色が薄いのですよね。他のピアニスト達は数フレーズだけでもそのピアニストの個性が(決して悪い意味ではなく)感じられるのだけど。でも作品全体が弾かれると、間違いなくバレンボイムにしか作り出せない世界、バレンボイムが弾くピアノからしか見られない風景があるのが不思議。あ、でもあの驚異的に美しく温かな弱音は「バレンボイムの音」と言えなくもないのかも。でも前回のピアノ協奏曲では感じなかったものなので、特注ピアノのおかげもあるのかも
バレンボイムってゆったりフレーズでけっこう音をためるのに、圧迫感がないのも不思議。他のピアニストだとこういう”ため”は息がつまってしまい私は結構苦手なんですが、バレンボイムの演奏だとちゃんと呼吸ができて、変な緊張を強いられない。漏れ聞くバレンさんの性格を思うと不思議なんだけど、前回の協奏曲のときもそうだった。不思議なピアノ。
そういえば亡くなった友人(彼女はブルックナー9番とピアノ協奏曲の組み合わせの日に行っていた)がやはりバレンボイムのピアノを「不思議」と言っていたなあ。「後半の交響曲の指揮ではピアノの演奏と全然印象が違って驚いた」とも。
バレンボイムという一人の人間の交響曲、ピアノ協奏曲、ソナタを聴いただけでもその複雑性が感じられて、人間というのは内部に色んな面を隠しもっている生き物なのだなあ、と面白く感じます。南北の作品について三島が書いていたように「一定の論理的な統一的人格をもった人間」などというものは存在しないのだと、改めて感じたりするのでした。

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番 Op.110】
今日は30番と31番の間で舞台袖に引っ込むことなく、一度立ち上がって会釈して、すぐに31番の演奏が続けられました。
今日の31番を聴いてちょっと思ったのですが、もしかしたらバレンさんは昨夜は休憩時ではなくこの時に事実を知らされたのだろうか…?と。なぜなら今日の31番の演奏が昨日よりずっと余裕と安定感があるように感じられたので(それにしては昨夜舞台袖にいた時間が短かすぎる気がするし、再び舞台に現れたバレンさんの様子に変化は見られなかったけれど。もしこの時点で本人に伝えていたのなら、このときに曲目変更のアナウンスを流してほしかったです。そうしたら31番をもう少し落ち着いた気持ちで聴けたと思う)。
昨日の31番は全体的にテンポ等が重めに感じられたのに対し、今日の演奏は前半が良い意味での軽みを増していて、なので後半の沈潜の暗から明に向かう追い込みがより一層効果的になり、胸に迫ってきたのでありました。
弱音で途切れ途切れに現れる主題の断片が静かに混ざり合って、やがて溶け合って拡大して一つの大きな世界になっていって・・・。泣く・・・。31番ってこういう曲だったのだなぁ、と初めて聴く曲のように感じながら聴いていました。

(休憩20分)

【ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番 Op.111】
30番も31番もとてもいいけれど、やっぱり白眉は32番!の第二楽章!
演奏は昨夜の演奏とは別もので、そして怖いほどの集中力でした。
彼岸の高音トリルが終わってふっと空気が日常の世界に戻るところ(この演奏の24:40~あたり)、涙が出そうになった。そして最後に向かって穏やかに解き放たれていく心。
なんて大きく、穏やかな境地だろう。。。
多くのものを乗り越えてベートーヴェンが辿りついた境地。
SNSで「解脱」とか「寺院にいるよう」というような感想があって、やはりみんな同じようなものを感じたのだなあと。
サントリーホールいっぱいに広がっていくこの穏やかな境地、それをあの場所にいた全ての人に届けてくれたバレンボイム。
ホール全体が一つの世界に包まれていたように感じました。
そしてこれは昨夜も感じたことだけれど、このソナタの最後のさりげない終わり方がすごく好き。ベートーヴェンが生涯にわたり書いてきた32曲のピアノソナタの一番最後の終わり方が、こんなにもさり気なく静かであるということ。人がこの世界を去るときってこんな風なのではないかなと感じさせる。それぞれに長い人生を生きてきて、沢山の色々な出来事があって、でも最後は決して大仰でもドラマチックでもなく、ある日こんな風にふっとこの世界から去るのだろうと。
以下は、ドイツの雑誌のバレンボイムのインタビュー記事より(下記はgoogleによる英訳。このインタビュー面白いよ♪)。Heはバレンボイムのことです。

He says he learned more from music than from life, about how tension builds up and down, how to reconcile and what death is: when a note dies, it never returns.
(彼は人生からよりも、音楽からより多くのことを学んだと言う。どのように緊張が高まり、静まるか。どのように和解させるか。そして死とは何か:一つの音が消えると、それは二度と戻ることはない)

これは32番のソナタにも当てはまる言葉のように思うのです。作家トーマス・マンはこのソナタについて作中人物の言葉として「戻ることのない終わり」と書いているそうです(『ファウストゥス博士』)。
バレンボイムは、今回の来日前のインタビューでこんな風にも言っています。

私たちは内面と外面、両方の世界で音楽と結びついています。3曲は(番号としての)最後だけにとどまらず、文字通りのファイナル、一つの役割を終えて到達した満足感とともに奏でる作品です。日本の聴衆の皆さんも、そのような感覚に浸り、じっくりと耳を傾けていただければと思います。
discovermusic.jp

バレンボイムが55年前の初来日のときに弾いたのも、32番のソナタだったそうです。

心の底からのスタオベと感謝の拍手を送らせていただきました。
今夜もピアノの周りをグルリと周り、時間をかけて客席の一人一人と視線を合わせるように穏やかな表情で挨拶してくださったバレンさん。本気で感動していたので割と早めのスタオベをしていたら、しっかりこっち見て会釈してくれた
こんなに丁寧に挨拶されるなんてこれが最後の来日のおつもりなんじゃ…と一瞬センチメンタルな気分になりかけたけど、帰宅後にバレンボイムの尽力でベルリンに2017年にオープンした室内楽用ホール「ピエール・ブーレーズ・ザール」の構造を見て(ピアノの周囲360度に座席がある)、単にこのホールで360度の客席に挨拶するのがクセになっているだけなのかもしれん、と。でもバレンボイムは前回来日時もP席にすごく気を配ってくれていたことを覚えているので、そういう”奏者と聴衆の距離が近い状態”で演奏をすることがきっとバレンさんの理想なのだろうなと想像するのでした(こちらの記事でもその一端が窺えます)。ヤンソンスさんのことを思っても、音楽家にとっていいコンサートホールの存在は本当に重要なのだろうな。ラトルがロンドンを去ると決めたのもロンドン市がコンサートホールの建設に消極的だったのが理由のようだし(そういえばラトルとバレンさんは今も仲良く誕生日に電話し合ったりしてるのだろうか)。

幾度かのカーテンコールの後、鳴り止まぬ拍手に昨夜と同じくピアノの蓋をパタン。さらに今夜はお茶目に両手で椅子をピアノの下に仕舞い(足で蹴って仕舞うポゴさんと違うな笑)、ピアノに向かって小さく拍手。前回来日時もそうだったけど、バレンさんってこういう憎めない愛嬌があるんだよね。こういう仕草、演奏される音楽、漏れ聞く性格、政治的言動、そして決して綺麗なだけではない色々も裏ではあるのだろうと思う。本当に人間って不思議。

サントリーホールから出ると、雨上がりの曇りの夜空。まだ耳の奥で鳴っている32番第二楽章の音。今夜サントリーホールに入る前と出た後の世界が違う世界に感じられ、コロナ禍の生活で静かにストレスが溜まっていた心と体が清々しく浄化されたように感じられました。バレンさん、本当にありがとう。
大阪公演、名古屋公演の成功もお祈りしています。
そして、今回バレンボイムを招聘してくださったことについてはテンポプリモさんに心から感謝しています。本当にありがとうございました。



youtubeのバレンボイムの32番の演奏動画のコメント欄に、こんな言葉があるんです。
If I had to convince aliens not to destroy our planet I'd show them this.
(もし私が私達の地球を破壊しないでほしいとエイリアンを説得しなければならないとしたら、私はこの演奏を彼らに聴かせるでしょう)

本当に。どんな政治家の言葉よりもこの一つの演奏の方が遥かに説得力があるように本気で感じさせられる。
そう思うと、バレンボイムが中東で行っているウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団の活動も、案外夢物語とはいいきれないのかも、と感じるのでした。もっともバレンボイムは音楽自体にはそのような力はないとはっきり言っていますが。
ベルリンの壁崩壊3日後に開催された東ドイツ市民のためのベルリンの壁解放記念コンサートでベルリンフィルのベートーヴェンを指揮&ピアノ独奏したのがアルゼンチン生まれでイスラエル国籍のバレンボイムだったのがこれまで不思議な気がしていたのだけど(ちょうどその時録音のためベルリンにいたからだそうですが)、実は誰より合っている指揮者だったのかも、とも。
以下は、2004年5月、ウルフ賞芸術部門を授与された際のイスラエル国会のセレモニーにおける、バレンボイムの言葉(和訳はwikipediaより。英語の全文はこちら)。バレンさんってよく暗殺されずに生きてるな…。

I am asking today with deep sorrow: Can we, despite all our achievements, ignore the intolerable gap between what the Declaration of Independence promised and what was fulfilled, the gap between the idea and the realities of Israel?
Does the condition of occupation and domination over another people fit the Declaration of Independence? Is there any sense in the independence of one at the expense of the fundamental rights of the other?
Can the Jewish people whose history is a record of continued suffering and relentless persecution, allow themselves to be indifferent to the rights and suffering of a neighboring people?
Can the State of Israel allow itself an unrealistic dream of an ideological end to the conflict instead of pursuing a pragmatic, humanitarian one based on social justice?
(心に痛みを感じながら、私は今日お尋ねしたいのです。征服と支配の立場が、はたしてイスラエルの独立宣言にかなっているでしょうか、と。他民族の原則的な権利を打ちのめすことが代償なら、一つの民族の独立に理屈というものがあるでしょうか。ユダヤ人民は、その歴史は苦難と迫害に満ちていますが、隣国の民族の権利と苦難に無関心であってよいものでしょうか。イスラエル国家は、社会正義に基づいて実践的・人道主義的な解決法を得ようとするのではなしに、揉め事にイデオロギー的な解決を図ろうとたくらむがごときの、非現実的な夢うつつにふけっていてもよいものでしょうか。)

スピーチはこう結ばれます。

Despite the fact that, as an art, music cannot compromise its principles, and politics, on the other hand, is the art of compromise, when politics transcends the limits of the present existence and ascents to the higher sphere of the possible, it can be joined there by music. Music is the art of the imaginary par excellence, an art free of all limits imposed by words, an art that touches the depth of human existence, and art of sounds that crosses all borders. As such music can take the feelings and imagination of Israelis and Palestinians to new unimaginable spheres.

”The illusion of victory” Daniel Barenboim (The Guardian, Jan 1, 2009)
イスラエルのガザ侵攻のさなかに行われた2009年1月のウィーンフィルのニューイヤーコンサートを指揮したバレンボイムは、世界平和と中東平和について英語でスピーチを行い、またそれに先立ち声明を発表。イギリスのガーディアン紙は「勝利の幻想(The illusion of victory)」と題してその声明の全文を掲載しました。

「私にとってベートーヴェンは作曲家の根源と言える存在なのです」(2021年5月18日 ぶらあぼ)
「作曲家には生涯を通じて手がける、日記とも呼ぶべきジャンルがあります。モーツァルトならピアノ協奏曲、シューベルトなら歌曲…。ベートーヴェンはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲でしょう。私もピアノ・ソナタから多くを学び、それを交響曲の解釈に生かし、再びソナタへと還流する営みを繰り返し、神髄を極めてきました」

来日公演直前 ダニエル・バレンボイム氏 特別インタビュー(ぴてぃな)

Wo sitzt Ihr Motor?(Where is your engine located?)@Süddeutsche Zeitung Magazin(Jan 7, 2021)
バレンボイムが質問に仕草だけで答える風変りなインタビュー

※バレンボイムの公式ページに掲載されている、今月のスケジュール。
ゲルギエフほどではないにしろ、コロナ禍においてもこんなに詰まってるとは、恐るべき78歳。日本へのフライトもステージの恰好のままいらしていたものなぁ。名古屋の後はそのままウィーンへ飛ぶと。ウィーンのプログラムは変更後の名古屋と同じですね。もしやウィーンのリハーサルのおつもり…?とか疑っちゃだめよ、だめだめ。
ちなみに名古屋と同じくウィーンでも"Keine Pause.(No break.)"での4曲ぶっ通し演奏とのこと。数年前のシフのリサイタルを思い出すな。あのときはモーツァルト、シューベルト、ハイドン、ベートーヴェンの最後のソナタを4曲弾いた後に、更に8曲のアンコールをぶっ通しで弾いたのだった。シフの32番も素晴らしかったなあ。
This summer, Daniel Barenboim performs in concert and recital across Europe and Asia. Starting with a tour in Japan, Barenboim performs a series of recitals featuring Beethoven’s Piano Sonatas in Tokyo (June 2June 3, and June 4), Osaka (June 7), and Nagoya (June 9). Barenboim then travels to Vienna, where he performs two recitals of Beethoven Sonatas on June 13 and June 15 at the Musikverein.
On June 28, Barenboim travels to Paris, performing at the Philharmonie de Paris with members of the Boulez Ensemble in a program of Debussy, Boulez and Jörg Widmann. Next, on June 29, Barenboim conducts the Staatskapelle Berlin in a concert featuring Beethoven’s Violin Concerto performed by Anne-Sophie Mutter, followed by two more concerts with orchestra on June 30 and July 1, featuring the Beethoven Symphonies.


Barenboim talks about music

全編はこちら(BBC. Barenboim on Beethoven - Masterclass on the Sonatas)

Daniel Barenboim & Giuseppe Mentuccia on Beethoven’s Piano Sonatas (3/4)



【6/11追記】


シフの『静寂から音楽が生まれる』(←良い本ですよ)の翻訳者さんのtweet。
まじか。。。だとすると第一夜の32番の音迷子も、通常仕様だった可能性もなくはないのか。一方、翌日の第二夜は別ものと言っていい演奏を聴かせてくれたので、こうなるとバレンさんのチケットを買うのは賭けだな。そんなところまでゲルギエフと同じとは。バレンさんもゲルギエフもチケット代がこんなに高くなければ「今日は吉かな?凶かな?どっちが出るか楽しみ♪」と気軽に通えるのだが。。今回の曲変更の件も、「無料で聴きに行っている評論家とお金を出して聴きに行っている客とでは演奏会の感想は違う」とパリ管の方が仰っていたけど、良くも悪くもそうであろうなあと実感した。。。

 


次回はぜひ初期ソナタを!お早い再来日をお待ちしております~。


数日違いでポリーニとバレンボイムのリサイタルが開かれるとは、さすが音楽の都ウィーン。と思ったけど、東京も数日違いでペライア、ツィメルマン、光子さんの演奏会が開かれていたから特に不思議なことではないのか。それにしても楽友協会、素敵なホールだなあ。

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ダニエル・バレンボイム ピアノリサイタル 第一夜 @サントリーホール(6月3日)

2021-06-03 23:58:17 | クラシック音楽




今夜はバレンボイムのピアノリサイタルに行ってきたんです。
直前まで気が気ではなかったけれど、無事来日してくださいました。ムーティと同じく、待期期間3日間とする代わりにバブルの中で過ごす特例のようです。ちなみにホールも、ウィーンフィルやムーティの春祭のときと同じく座席間隔は開いていませんでした(私はもう数回目なので慣れましたが…)。客席には音大生やプロのピアニストらしき方達も多数。

バレンさんのピアノを聴くのは5年ぶり。日本でのリサイタルは16年ぶりだそうです。
上のポスターにあるとおり、第一夜の今夜はベートーヴェンの「最初のソナタ」と題して第1~4番が演奏され、明日(4日)の第二夜は「後期三大ソナタ」と題して第30~32番が演奏される、予定でした。
が。

一曲目の演奏が始まった瞬間、私の頭の中は
「!?!?!?」
状態に。
第1番は悲劇的な短調の音で始まるはず。それが、明るく伸びやかな長調の音が聴こえてきたものだから。
これは明らかに予習してきた1番のソナタではない。2~4番でもない。
私はベートーヴェンのソナタをそれほど聴き慣れていないので、「一体バレンさんは何番のソナタを弾いてるんだろう…」と動揺し。
そのうち覚えのあるメロディで「30番だわ…」と。
バレンさん、もしかして今日を後期ソナタの日と間違えていらっしゃる…
ちなみにこの30番、大変よかったです。よかったのだけど、ワタクシかなり動揺していたので、曲を十分に堪能できる精神状態にはなく・・・。

演奏が終わり、ご満悦そうなバレンさん。
客席から拍手。
一度舞台袖に引っ込まれたときに、さすがに少しざわつく客席(皆さん行儀がいいからワーワー騒ぎはしないけど)。
きっと今頃スタッフがバレンさんに指摘していることだろうと思っていたのに、再び舞台に現れたバレンさんの表情に特に変わった様子はなく。
「ん・・・?もしやスタッフから指摘を受けていらっしゃらない・・・?」と嫌な予感がしたら、案の定、弾き始めたのは31番。
この時点で覚悟を決め、もうこうなったら後期ソナタに気持ちを切り替えよう!と思ったけれど。

ムリ〜〜~~〜😢😢😢

今夜は未来への夢と野望に溢れた若い青年の音楽を聴く心積もりで来たのに、突然何十年も時間が飛んで、死が近い晩年の心境が反映された音楽を聴くことになって、こんなに気持ちを入れ替えるのが難しいとは自分でも意外。通常のゴチャマゼ曲目のプログラムだったら問題なかったのだけど、今回はベートーヴェンの人生を辿るコンセプトのプログラムだったからね…。例えるなら、意気揚々とマーラー1番を聴きに来たら突然9番が演奏された、みたいな。
とてもいい演奏でした。いい演奏だったんだけど、ちょっと気持ちが切り替えきれないですーバレンさん。

(20分間の休憩)

「明日は何を弾くつもりだろうねえ(笑)」と話している、近くの席の年配の男性達。
ほんとにね。この流れで休憩後に32番以外の曲を演奏するとは思えないので、今夜はこのまま後期ソナタでいくのでしょう。
でも、明日もまあ間違いなく予定どおりの後期ソナタだろうな、二日連続で同じプログラムか、と思いながら通路に出ると、ホールのスタッフに問いただしている年配の女性達が。「休憩が終わるまでにアナウンスを流す予定です」と困り顔で答えているスタッフさん。お疲れさまです。。。
そして休憩が終わり、曲目変更のアナウンス。前半の変更には触れず、「後半は第32番を演奏します」と。

バレンさん、休憩時間中に今日予定されていた曲目と違うことを知らされたのではないかな。
休憩後に舞台に出てこられたときのお顔の表情、前半と違い硬かったもの。
そして第32番のソナタ。
まだ完全には後期ソナタモードに気持ちを切り替えきれてはいないものの、アナウンスもあったし、前半よりは落ち着いて聴けたのだけど、今度はバレンさんの方がやや動揺していたような。演奏、少し乱れてましたよね…?二楽章では音が迷子になっておられた。
とはいえ、それはそれとして。
バレンさんの32番、いいなあ
32番の曲自体が傑作ではあるのだけど、バレンさんの32番、私、好きです。
第二楽章はちょっと泣きそうになってしまったよ。
私の大好きなポリーニの32番は痛切な孤高の響きを感じさせるけれど、バレンさんの32番は「この世界の全てを包み込む」、そんな晩年のベートーヴェンの心の音楽に聴こえる。人類愛を感じさせる、大きな温かみ。

演奏が終わって舞台袖に引っ込んだ後で、通訳の方と一緒に戻ってきたバレンさん。
「皆さんが他のプログラムを聴きに今夜いらしていたことが、休憩時にわかりました。本当に申し訳なく思っています」と。
「私は1966年に初めて日本に来たとき以来、日本の聴衆の素晴らしさ、音楽への熱意に心から敬意を抱いてきました」と。ここで客席から笑いが起きていたけど、ここ、笑うところじゃないよね…?ここで笑うのってバレンさんに失礼じゃない?クラシックの音楽会で来日アーティストが英語で挨拶するときによくこういう客席の笑いに出会うのだけど、なんなんだろ。。。
「次回の来日時にはきっと期待されていた曲を演奏します」
客席拍手
お元気な再来日をお待ちしております~~~(リップサービスであろうけれども)。

今回の曲目変更、twitterでバレンボイムの確信犯じゃないかと言っている意地悪な人達がいるけど、バレンさんの表情や後半の演奏の動揺ぶりからすると、確信犯ではないと思うな。違約金も発生しかねないのだし。

最後はスタオベ。私は「突然のハプニング、バレンさんもお疲れさまでした(ご本人が一番衝撃だったと思う)。そしてコロナ禍の日本に来てくださってありがとう」な気持ちを込めて拍手を送りました。まあ演奏が素晴らしくなかったらスタオベしませんでしたが。
明日の第二夜も伺います。落ち着いて聴けなかった今日でもとても好きな演奏だと感じたので、明日は落ち着いて聴けるはずなので、楽しみ。でもバレンさんの前期ソナタも聴きたかったな。。。では明日どっちを聴きたいかと言われると、やはり後期ソナタなのだけども。

そういえばバレンさん、最初も最後も、ピアノの周りをグルリと歩いて周って、360度全ての方向の客席に挨拶してくれてた。こんなピアニストは初めてだ。P席だったので、にっこり笑顔が目の前でした。

※第二夜(6月4日)の感想はこちら


ピアノは準備万端だったかもしれないけどね。。。
ところで今回のリサイタルのために空輸されたこの特注ピアノ(正面に「BARENBOIM」の印字あり。今夜は譜面台は外されていました)、とてもいい音色で、聞き惚れてしまった。
ベルギーのピアノ製作者クリス・マーネ氏がバレンボイムと共同製作したピアノ。一般のピアノの低音弦が他の弦の一部と交差する配置になっているところ、このピアノでは全ての弦が平行に張ってあり、これにより響きの混濁を抑え、透明感を増して各音の特性を明確にする効果があるそうです。
また、バレンボイムの手に合わせ既存のグランドピアノより鍵盤の幅が狭く作られているとのこと。
純度が高く、でも冷たくない音色。
数年前にシフで聴いたベーゼンドルファー280VCの音に少し似ているように感じました。
※素人耳の覚書です









Questions and Answers on the Chris Maene Straight Strung Grand Piano - English subtitles
今回バレンさんが持って来たのは2015年作とのことなので、この動画で言っている二つの愛器のうちの一つなのでしょうね。
ところで3:09~、「バレンさんはデュプレのときもきっとこんな感じで、、、」と思わず想像してしまった。。。下のBBCの動画の1:53~も。。。

The 'radical' Barenboim piano unveiled


What is a Straight Strung Piano?


Daniel Barenboim's bespoke piano is an absolute stunner - here's why
バレンボイム自身による従来のピアノとの弾き比べが聴けます。ニューピアノの方がチェンバロぽく響きますね。

バレンボイム・メーン・スタインウェイ
ダニエル・バレンボイム 16年ぶりのピアノリサイタル 「マーネ・ピアノ」を調律して

この本、面白かったです♪広渡さんとクライバーの交流(広渡さんによるハイティンクとクライバーの親友エピソードも再び😊)、メータ&広渡さん&バレンボイムの三兄弟ぶりも楽しい。バレンさんの性格は、天真爛漫な末っ子属性とのこと。

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『桜姫東文章 ~上の巻~』 @歌舞伎座(4月14日)

2021-06-03 00:23:27 | 歌舞伎




あまりにも遅くなりましたが、4月の歌舞伎座の感想を(以下、「今月」とは4月のことです)。
第三部『桜姫東文章 ~上の巻~』を観てきました。
発売と同時の瞬殺チケットだったため、この日を逃したら観られない。ファンからの要望はエベレストの山ほどあったはずなのにこのコンビでの再演は36年間なかったことを思うと、今回が一世一代となる可能性は高い。どうかどうか中止にならないで(>_<)と開演直前まで気が気ではなかったけれど、無事開演してくれました。心臓に悪い。。。

で、感想ですが。
こんな事を書くのは不謹慎かもしれないけれど、これは命を賭けても観逃してはならない舞台だわ、と観ている間中ずっと感じていました(実際、最近の私は「これを観に行って死んだとしても後悔しないか?」「しない!」と自問自答して観る作品を選んでおります…)。
なにより舞台から発せられる仁左玉のオーラが、呆然とするほど。。。「伝説のコンビ」「奇跡のコンビ」と言われ続けてきたお二人だけれど、本当に「伝説」や「奇跡」という言葉はこのコンビのためにあるのだなあ、と改めて実感したのでありました。
36年前の舞台の抜粋映像も見たことはあるし、期待もめいっぱいに膨らませて行ったけれど、そんな仁左玉ファン達の長年の積もり積もった大き過ぎる期待と、現在77歳&70歳になられたお二人がこの作品を再演することへの微かな心配を、軽やかに超えて舞台上におられた仁左衛門さん&玉三郎さん。
お二人揃った舞台は2月に観たばかりだったけれど、今月のこの『桜姫』でのお二人はなんというか、、、言葉にならん。本当に私と同じ人間なのだろうか。

【江ノ島稚児ヶ淵の場】
冒頭、真っ暗な中に響き渡る捜索隊の声と揺れる無数の提灯。この空気からもうたまらない。
捜索隊が去って、人目を忍ぶように花道から登場する白菊丸(玉三郎さん)と清玄(仁左衛門さん)。この場面で既に長年のこのコンビならではのお二人の空気に胸がいっぱいになるワタクシ。
「未来では女に生まれてお前と夫婦になりたい」と言い、躊躇皆無でさっさと暗い海に身を投げる白菊丸
えっ、ちょ、待っ…!驚いた清玄は自分も後を追おうとするけれど、追い・・・きれない。死ぬのはやっぱり恐ろしい・・・。
そこに波間からさっと飛び立つ一羽の白鷺。天にのぼる白菊丸の魂でしょうか。手を翳す清玄。ここのニザさまの姿が超絶美しいの
落ちる幕。

【口上】
芝居小屋の座元による口上。今月上演されるのは上の巻で、下の巻は六月に上演することが伝えられます。歌舞伎のこの”お芝居”感、大好き!江戸時代の芝居小屋でお芝居を観ている気分になる
「さて、あれから17年後」。

【新清水の場】
幕が開くとぱっと明るい華やかさ
沢山の侍女たちを引き連れた赤い着物の17歳の桜姫(玉三郎さん@二役)。玉さま、お美しい。。。。。。。玉さまの周りだけ空気の色が違う。。。。。。
桜姫が白菊丸の生まれ変わりと知り、愕然とする清玄。

桜姫の弟松若は、千之助くん。2月に上演された『隅田川』の死んだ息子梅若丸は、この松若丸と双子の兄弟。つまり『桜姫~』も「隅田川もの」なんですね。

皆が去った後、釣鐘権助(仁左衛門さん@二役)登場。色悪ニザ様こういうお役はもうお手の物ですよね。
花道の引っ込みで気だるげに「入相の鐘〜」を口ずさむニザ様、素敵すぎる。。。。。

【桜谷草庵の場】
ハイ、皆さんお待ちかねの場面ですよ~~~。36年前に孝玉ファン達によって剥がされまくって街から消えたという伝説のポスターの場面。
今回の私の席は三階三列目だったんですけど、この場面、上階から見るともっのすごく美しいのです
ポスターと同じく桜姫の脱いだ着物が床に広がるところ、玉さま、さり気なくちゃんと整えて広げていた。だから上階から見ると、その桜色が本当に綺麗に映えるんです。
鶯が鳴くうららかな春の中の権助&桜姫の濃厚濡れ場。
ここはあれだよね。36年前の映像からさらにパワーアップしていたよね。ニザさま、本気の濡れ場モード。こういう場面で吹っ切ってくださるニザさまが好き!ここは今回映像配信された日の舞台と比べても、私が観た日は更にエロかった。そんな権助と歌舞伎あるあるな肉食系姫様な桜姫(というか1年前に自分をレイプした男に惚れてずっと忘れられずにいるって・・・桜姫よ・・・)。長年のコンビならではの息の合ったお二人の演技は国宝級ですよね(どちらも人間国宝だけれども)。もうひたすらため息が漏れます。
すだれの下から覗く桜色の着物の裾。まるで雪岱の絵のようで、色っぽくて美しかったなあ
そして無実の罪を引き受けた清玄の上に散る桜の花弁。ここのニザさまも超絶美しいの(>_<)
この草庵の場は、長浦(吉弥さん)&残月(歌六さん)のネチョネチョ感も楽しかったです笑。

(休憩15分)

【稲瀬川の場】
草庵の場では美しいお二人による美しい濡れ場に陶然とさせてもらった私ですが、今回の舞台でより印象的だったのは、この稲瀬川の場以降の清玄&桜姫の姿でした。いまやとなった二人。
南北の重みと軽み!深みと浅み!人間の表と裏!そしてなによりの美しさ!南北の美の世界、最高だねえ。こんなに退廃的で倒錯的でエログロナンセンスでめちゃくちゃなのに、作者は冷徹なまでに俯瞰の視点を貫いているところも好き。決して自分に酔うことはない。こういうところもシェイクスピアと似ているなと感じます。
巻雲に浮かぶお月様の書割も素敵
突然「こうなったら祝言を」と桜姫に迫る清玄(本性でた)。「愚僧が〜」ってほんとに愚僧だよ。執着と煩悩の塊だよ。だがそれがいい。その人間臭さが好き。弱さが好き。愚かさが好き。
桜姫の赤子(権助との間の子)を腕に抱き、桜姫の姿を追って花道を去る清玄。。。。。

【三囲土手の場】
ああ、この舞台の暗さ。
落ちぶれても美しい二人。
落ちぶれて一層美しさが増す二人。
空からそぼ降る雨。
お二人とも雨が似合う。。。。。
雨に濡れた暗闇の土手も二人の着物も全てが寂しく褪めた色合いの中で、清玄の腕の中の赤ん坊をくるんだ桜姫の片袖だけが鮮やかな赤のまま変わらないのが眩しく、そして悲しい。
ワタクシ思うんだけど(ちょっと語らせて)、最近は「人生は目的をもってできるだけ前向きに幸福に生きるべきで、そうでない人生は残念な人生である」という価値観が基本となっているように思われるけれど、文楽や古典歌舞伎を観ていると、人生というものの正体はそういうものではないのではないか、と感じる。このボロッボロでどうしようもない泥の中で僅かに輝きを保っている赤い袖(しかも袖の主とは前世では両想いだったが、現世では想いは一方通行のまま)。本人以外にはなんの価値もなく、独りよがりで、時に自分勝手で、善悪とは別のところにあるものだけれど。でも多くの人において、人生の正体は案外こういうものなのではなかろうか、と決してネガティブな意味でではなくそう感じる。
そして台詞の中で幾度も出てくる「因果」という言葉が、やるせなさだけではない響きをもって耳に届くのでありました。

物語は6月の歌舞伎座『桜姫東文章~下の巻~』に続きます。


三島由紀夫と『桜姫東文章』
『桜姫東文章』は鶴屋南北が63歳のときの作品ですが、 1817(文化14)年の初演は大入りだったにも関わらずそれから110年間上演が途絶え、再演されたのは昭和に入ってから。そして現在のようなほぼ原作どおりの全編が再演されたのは1967(昭和42)年のことだそうです。
このとき補綴・演出を務めたのが郡司正勝で、「稚児ヶ淵の場」が初めて再演され、清玄が死に遅れた時に飛び立つあの白鷺も原作にはない郡司による創意だそうです(犬丸治さんのtwitterより)。
この1967年の「稚児ヶ淵の場」で白菊丸を演じたのが、当時16歳の玉三郎さんでした(このとき玉三郎さんは白菊丸としてのみの出演で、桜姫を演じたのは8年後の1975年とのこと)。舞台を観ていた三島由紀夫は玉三郎さんの白菊丸にすっかり魅了され、1969(昭和44)年には自身の作品『椿説弓張月』の主役として玉三郎さんを抜擢しています。
ところで三島の『桜姫東文章』への思い入れは強く、1959(昭和34)年に監修を務めた際には「『桜姫東文章』は南北の傑作と云つてよい」とまで言っています。この作品自体の面白さはもちろんでしょうが、この作品が輪廻転生の物語であることも三島の興味を惹いたのではないかなと想像します。
以下は、1967年の再演時のプログラムに寄せられた三島の文章からの抜粋です。鏡花についての文章もそうだったけど、三島って洞察力と表現力が素晴らしいよね。死なないでもっと長く生きて、もっと書き続けてほしかった、とやはり思ってしまうな。。

女主人公の桜姫は、なんといふ自由な人間であらう。彼女は一見受身の運命の変転に委ねられるが、そこには古い貴種流離譚のセンチメンタリズムなんかはみごとに蹴飛ばされ、最低の猥雑さの中に、最高の優雅が自若として住んでゐる。彼女は恋したり、なんの躊躇もなく殺人を犯したりする。南北は、コントラストの効果のためなら、何でもやる。劇作家としての道徳は、ひたすら、人間と世相から極端な反極を見つけ出し、それをむりやり結びつけて、恐ろしい笑ひを惹起することでしかない。登場人物はそれぞれこはれてゐる。手足もバラバラの木偶人形のやうにこはれてゐる。といふのは、一定の論理的な統一的人格などといふものを、彼が信じてゐないことから起る。劇が一旦進行しはじめると、彼はあわてて、それらの手足をくつつけて舞台に出してやるから、善玉に悪の右足がくつついてしまつたり、悪玉に善の左手がくつついてしまつたりする。
こんなに悪と自由とが野放しにされてゐる世界にわれわれは生きることができない。だからこそ、それは舞台の上に生きるのだ。ものうい春のたそがれの庵室には、南北の信じた、すべてが效果的な、破壊の王国が実現されるのである。

(三島由紀夫:「南北的世界」『国立劇場プログラム 昭和42年3月』)








ロシアの政府系メディアRussia Beyondで紹介されていた、3月に銀座にオープンしたばかりの東京初のロシア食品専門店『赤の広場』。歌舞伎座のすぐ裏だったので、行ってみました。お値段は高めだけど(写真の商品だけで2400円くらい払った)、近くて遠い国ロシアを気軽に体験できるのは楽しい。記事で紹介されていたアレクサンドロフのスィロク(チーズをチョコレートでコーティングした冷たいお菓子。写真左上の箱)も、濃厚な味で美味しかったです

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