風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

繰り返すあやまちの そのたびひとは ただ青い空の青さを知る

2020-12-28 22:27:52 | その他音楽




昨日年末のご挨拶をさせていただいたばかりですが、先ほど「『劇場版「鬼滅の刃」』がスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』を抜いて日本歴代興行収入1位に!」というニュースを読んで、「あ、そう言えば、今年のうちに書いておきたい記事がもう一つあったのだった」ということを思い出したので、書かせてくださいまし。

今年の夏に中島みゆきさんの『リトル・トーキョー 劇場版』を観に行った際の感想はここで書きましたが、そのときに映画館で『千と千尋の神隠し』が再上映されていることを知り(コロナ禍の影響で他のジブリ作品も一斉に再上映してくれていましたね!)、その2日後に観に行ったのです。
私がジブリ作品の中で”スクリーンで観てみたかった作品1位”が『千と千尋~』で。DVDで観て大好きだった作品だけど映画館では観たことがなくて、スクリーンで観られることは絶対にないのだろうと諦めていたので、嬉しかった。
いやあ、凄かった。アニメというのは映画館で観るのとDVDで観るのとでは完全に別物だ、と改めて実感(あの海の色…!)。エンドクレジットのときには「宮崎監督~~~」と涙ポロポロでした(ほんとに泣いた)。半藤さんとの対談で話題に出ていた漱石記念館用の『草枕』の短編アニメーションも、ぜひとも作っていただきたかったなあ。宮崎監督もそんなに『草枕』がお好きなら作ってくださいよ!
――と、こんなことが書きたかったわけではなく。

そういうわけでみゆきさんの『リトル・トーキョー』の2日後に『千と千尋の神隠し』を観たのですが、そのときにふと、「ああ、そういえばこの組み合わせは滝本弁護士つながりだな」と思ったんです。なので、そのことについて書きたいなと。

オウム真理教事件で殺害された坂本弁護士のご友人で被害者や教団脱会者の支援を続けている滝本太郎弁護士のブログのタイトルは、『千と千尋~』のエンディング曲「いつも何度でも」からの一節なんです。先ほどエンディングを聴きながら涙が出たと書きましたが、私もこの曲が大好きで、聴くたびにいつも胸がいっぱいになってしまう。この曲の作詞は、覚和歌子さん。谷川俊太郎さんと対詩ライブをされている方です。

事件当時滝本氏は坂本弁護士に代わりオウム真理教被害者対策弁護団の中心人物として教団に対する訴訟や信者に対するカウンセリングを行っていて、その結果、ご自身も度々教団からサリン等による襲撃を受けていました。
2000年5月12日、松本智津夫被告の第157回公判で被害者の一人として陳述をした滝本氏は、松本被告にこう語りかけたそうです(なお滝本氏は「松本被告には死刑を、それ以外の被告には教団の根絶および類似事件の防止のために死刑回避を」という意見でした)。

あなたが生まれたことを恨んではいません。あなたのしたことを恨んでいます。
中島みゆきの「誕生」という歌をいつかどこかで聞いてください。
以上です。

(弁護人:ということは、一番最後の部分、生まれてくれてウエルカムということを伝えたいということですか。)
中島みゆきの「誕生」という歌の、その詞のとおりです。弁護人からもあげてくれると有り難いです。

そして2018年7月6日、松本死刑囚の死刑が執行されました。その日のブログにはこう書かれています。

人ひとりの命が失われてしまった、悲しいです。
本人には、「生まれてくれてウェルカム」と言いたい。
(生まれて来なければ良かったのにとは言わないよという私も気持ちです。)

そしてそれは「麻原を一部たりとも許したものでもありません。」と。

私は滝本弁護士の活動や意見についてここで何かを書くつもりはなく、書けるとも思っていません。オウム事件についても同様です。ただ、上記で滝本さんが仰りたかったことの意味は、わかる気がする、とだけ書いておきます。
そしてさらに思うのは、これはみゆきさんの曲に限りませんが、そういう音楽に、そういう本に、そういう人間に出会えてさえいれば、その人は事件を起こさずに済んだのではないか。あるいは自殺をせずに済んだのではないか。そんな風に感じることが沢山あります。それくらい一曲の音楽や一冊の本や一人の人間が人の心に及ぼす力は大きいと思うからです。逆に言えば、それくらい人間の人生というのは紙一重で危ういものなのだと思うからです。あのときあの曲に出会えていなかったら、あの本に出会えていなかったら、あの人に出会えていなかったら、今頃どうしていたかわからない、ということは誰にでもあるはずだと思います。この世界に絶対といえるものなんて、ないと私は思う。自分は絶対にそうはならないなんて、誰が言いきることができるだろう。

今回の記事のタイトル「繰り返すあやまちの そのたびひとは ただ青い空の青さを知る」は「いつも何度でも」からの一節です。
そして滝本氏のブログのタイトルも、同曲からの一節です。

生きている不思議 死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ




※「人権かながら2012

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漱石の『こころ』

2020-12-27 20:30:08 | 



写真は漱石の家、ではなく松江にある小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の家です
漱石はイギリスから帰国後に東京帝国大学英文科で教鞭をとりましたが、その前任者が八雲でした。口を開いた途端に教室中を詩的空気で満たしたという八雲の講義は学生達に大人気で、当初は漱石の分析的な硬い講義に不満を感じていた学生達も多かったそうです。中勘助が入学した1905年には既に漱石が教鞭をとっていましたが(勘助は漱石の講義は一高から継続)、勘助も八雲が好きだったようで、以前横浜で行われた中勘助展では蔵書として沢山の八雲の本が展示されていました。また漱石自身も、八雲の作品を好んでいたようです(夏目漱石、小泉八雲との思わぬ不思議な縁に驚く。@サライ)。以上は余談。

さて、相変わらず鬱鬱気味のワタクシ。先日ご紹介したポゴさんのインタビューの中に「無人島に一曲だけ持っていくなら?」という質問があったじゃないですか。私なら何を持っていくかなあと夜中に寝ころびながら考えていたら、目が冴えちゃって、再び鬱鬱気味になっちゃって、ふと漱石の『こころ』がひどく読みたくなり、本棚から取り出して読んだんです。真夜中に(笑)。決して一番好きな漱石作品とはいえないのに、このときはなぜか『こころ』一択でした。読んで、不思議なほど気持ちが落ち着きました。やっぱり漱石の本は私の薬なのだなあ。私の人生の中に漱石がいてくれてよかった。
そして前回読んだときに感じられなかったものも沢山感じられました。この本を読むのは数回目ですが、前回読んだのは、ブログを振り返ってみると、11年前。11年の間で、変わっていないようで私も変わっているのだな、と感じました。そして読むたびに新しい発見がある本であることを改めて感じました。

今回読んで強く感じたのは、先生の”罪の意識”と”心の孤独”の深さ。それらはこの本のメインテーマだから当然なのだけど、今回はこれまで読んだときよりも遥かにずんと重く心に響きました。

結局のところKも先生も、自分を殺すことでしか、自分を救う手段を見いだせなかったのだと思う。
Kは失恋をしたから、あるいは先生に裏切られたから自殺したわけではないよね。お嬢さんに恋をして、それまで自分が信じて築き上げてきた信念や生き方が崩壊してしまった。そこで自分を切り替えて新しい生き方を歩むのではなく、その世界とともに自分を消してしまうことしか彼にはできなかった。そういう不器用さ、脆さは『レ・ミゼラブル』のジャベールを思い出させます。
Kが言った「覚悟」という言葉の真の意味、また夜中に先生の部屋との間の襖を開けて寝ている先生に声をかけ「最近寝つきはどうなのか」と気にしていたのは、この時点で既に彼が自殺を考えていたからでしょう。それは先生とお嬢さんの結婚が発覚するよりも前のこと。発覚後も、Kはおそらく先生のことを恨んではいなかったと思う。

そして先生も。
Kの自殺が単純な失恋によるものだったなら、先生の罪の意識はまだ軽かったろうと思う。
でも先生は、彼を出し抜くために彼の根本部分を突く攻撃をし、彼が生きてきた人生そのものを崩れさせる方法をとった。自分を頼って相談をしてきたKに対して、「向上心のないものは馬鹿だ」という言葉をぶつけることで。それがKに対しては最も効果的であることを知っていたから。誰よりKという人間を理解していた先生だから成し得た方法。このときに先生がKを受け止めてあげていたら、おそらくKは死ななかったのではないか。
先生はKが自殺するとは夢にも思っていなかったのだけれども、自分が勝つためにそういう卑劣な方法をとり、結果としてKは死んでしまった。そのことに先生の心は耐えきれなかった。
その罪の意識は例え奥さん(お嬢さん)に全てを話すことができて、奥さんが許してくれたとしても(許してくれることは先生にもわかっていた)、おそらく変わることはない。
だからといって「何も知らないままの妻でいてほしい」という先生の想いは、奥さんへの甘えと身勝手さでしかないよね。

 私は一層思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑え付けるのです。・・・その時分の私は妻に対して己れを飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を並べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気(インキ)でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。
(「下 先生と遺書」五十二)

と先生は一人で決めてしまっているけれど、奥さんは絶対に全てを話してほしかったはずだし、話してもらえない方が奥さんにとって遥かに辛いことであったことは先生にもわかっていたはずだもの。
ただ先生が自殺した後でも奥さんに真実を知らせた方がいいのか?となると、どっちなのでしょうね。真実を知って「生きているときに話してくれていれば私にもやってあげられることがあったのに」という苦しみと、真実を知らされないまま「あの人は何を悩んでいたのだろう、どうして死んだのだろう」と夫を最後まで理解できないままであることの苦しみと、どちらがましなのだろう。私なら、やっぱり真実を知りたいかな…。
思うのだけど、先生はKが死んでしまった時点で、結婚をやっぱり止めにすればよかったのだと思うのよね。そうすれば不幸な人が一人減ったのに。まあ恋をしていたし、結婚して奥さんを幸せにすることで少しでも贖罪に繋がると当初は思っていたのかもしれないけれど。

 叔父に欺かれた当時の私は、他(ひと)の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他(ひと)を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事(みごと)に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他(ひと)に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。
(「下 先生と遺書」五十二)


こうして自分自身を信じられなくなり、自分を軽蔑するようになった先生は、世間とも奥さんとも距離をおくようになっていく。
そして世界の誰とも理解し合えず、世の中にたった一人住んでいるような寂しさを覚えたとき、再びKの自殺の原因に思いを巡らし、「Kも同じだったのではないか」と思うようになる。
つまり失恋したからではなく、信じてきた道が崩れたからだけでもなく、自分と同じように淋しくて仕方がなかったのではないか、と。他者と分かち合えずたった一人で抱えるしかない心の、凄絶な孤独。

 ・・・酒は止めたけれども、何もする気にはなりません。仕方がないから書物を読みます。しかし読めば読んだなりで、打ち遣って置きます。私は妻から何のために勉強するのかという質問をたびたび受けました。私はただ苦笑していました。しかし腹の底では、世の中で自分が最も信愛しているたった一人の人間すら、自分を理解していないのかと思うと、悲しかったのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇気が出せないのだと思うとますます悲しかったのです。私は寂寞でした。どこからも切り離されて世の中にたった一人住んでいるような気のした事もよくありました。

 同時に私はKの死因を繰り返し繰り返し考えたのです。その当座は頭がただ恋の一字で支配されていたせいでもありましょうが、私の観察はむしろ簡単でしかも直線的でした。Kは正(まさ)しく失恋のために死んだものとすぐ極(き)めてしまったのです。しかし段々落ち付いた気分で、同じ現象に向ってみると、そう容易すくは解決が着かないように思われて来ました。現実と理想の衝突、――それでもまだ不充分でした。私はしまいにKが私のようにたった一人で淋しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうかと疑い出しました。そうしてまた慄(ぞっ)としたのです。私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚が、折々風のように私の胸を横過り始めたからです。
(「下 先生と遺書」五十三)

 私はただ人間の罪というものを深く感じたのです。その感じが私をKの墓へ毎月行かせます。その感じが私に妻の母の看護をさせます。そうしてその感じが妻に優しくしてやれと私に命じます。私はその感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいとまで思った事もあります、こうした階段を段々経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつべきだという気になります。自分で自分を鞭うつよりも、自分で自分を殺すべきだという考えが起ります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行こうと決心しました。
私がそう決心してから今日まで何年になるでしょう。私と妻とは元の通り仲好く暮して来ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。しかし私のもっている一点、私に取っては容易ならんこの一点が、妻には常に暗黒に見えたらしいのです。それを思うと、私は妻に対して非常に気の毒な気がします。
(「下 先生と遺書」五十四)

ところで先日、こんなページを見つけたんです。
吉本隆明氏の1960年代~2000年代の183の講演録(ほぼ日新聞)
漱石に関する講演もいくつかあって、私と捉え方が違うところもあるけれど、とても面白い。
この中で吉本氏は「漱石が作品で繰り返し描いている三角関係を漱石の実体験とする研究者も多いが、自分は漱石の人間的資質によるものだと思う。」と言っています。「『こころ』は西欧の姦通小説とは全く異なる展開を迎えるが、それは漱石が無意識に書いている先生とKの同性愛的関係が理由ではないか。」と(ここでは肉欲的関係ではなく、精神的関係)。
これは私も同感で、そういう風に見ると、先生の心の動きや行動が全て自然に理解できるのです。つまり先生は親友を裏切った自責の念だけで自殺したのではなく、劣等感を抱くほどの畏怖と憧れの対象であったKをああいう形で失い、その心の空白と寂寥を生涯埋めることができなかったのではないか、と。
ただ、作品として読む上では、それが同性愛か否かを突き詰めて答えを出さなくてもいいように思います。なぜなら作者の漱石自身がそれを意識的に書いているわけではないのだし、私達も自分の感情の全てに名前をつけて理解しているわけではないのだから。
ちなみに漱石をお好きな政治学者の姜尚中さんは、先生とKの関係を「一人の人間の分身」と捉えていらっしゃいます。私は未読ですがエドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルスン』というドッペルゲンガーを扱った怪奇譚があるそうで、もしかしたら漱石はそれを読んでいて『こころ』はその影響を受けているのではないか、とのこと。漱石はポーの短編集の和訳に序文を書いてもいるそうです。

話を戻して、最後に、語り部である”私”について。
もしかしたら先生は”私”と出会わなかったら自殺していなかったのではないか、と思うときがあります。死んだように生き続けていったのではないか、と。でもそれが先生にとって幸せだったかというと、別の話。
”私”との出会いは先生にとって幸福なものだったろうと思う。先生はKの中にあったのと同じような誠実さ、真面目さ、善良さを”私”の中にも感じたのではないか。そしてなにより”私”は、これからの未来を生きていく若者だった。

「・・・先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」
 先生はあきれたといった風に、私の顔を見た。巻烟草を持っていたその手が少し顫えた。
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐(あば)いてもですか」
 訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」
「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」
 私の声は顫えた。
「よろしい」と先生がいった。「話しましょう。私の過去を残らず、あなたに話して上げましょう。その代り……。いやそれは構わない。しかし私の過去はあなたに取ってそれほど有益でないかも知れませんよ。聞かない方が増(まし)かも知れませんよ。それから、――今は話せないんだから、そのつもりでいて下さい。適当の時機が来なくっちゃ話さないんだから」
 私は下宿へ帰ってからも一種の圧迫を感じた。
(「上 先生と私」三十一)

 ・・・私は書きたいのです。義務は別として私の過去を書きたいのです。私の過去は私だけの経験だから、私だけの所有といっても差支えないでしょう。それを人に与えないで死ぬのは、惜しいともいわれるでしょう。私にも多少そんな心持があります。ただし受け入れる事のできない人に与えるくらいなら、私はむしろ私の経験を私の生命と共に葬った方が好いと思います。実際ここにあなたという一人の男が存在していないならば、私の過去はついに私の過去で、間接にも他人の知識にはならないで済んだでしょう。私は何千万といる日本人のうちで、ただあなただけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいといったから。
 私は暗い人世の影を遠慮なくあなたの頭の上に投げかけて上げます。しかし恐れてはいけません。暗いものを凝と見詰めて、その中からあなたの参考になるものをお攫みなさい。(中略)その倫理上の考えは、今の若い人と大分違ったところがあるかも知れません。しかしどう間違っても、私自身のものです。間に合せに借りた損料着ではありません。だからこれから発達しようというあなたには幾分か参考になるだろうと思うのです。
 あなたは現代の思想問題について、よく私に議論を向けた事を記憶しているでしょう。私のそれに対する態度もよく解っているでしょう。私はあなたの意見を軽蔑までしなかったけれども、決して尊敬を払い得る程度にはなれなかった。あなたの考えには何らの背景もなかったし、あなたは自分の過去をもつには余りに若過ぎたからです。私は時々笑った。あなたは物足りなそうな顔をちょいちょい私に見せた。その極(きょく)あなたは私の過去を絵巻物のように、あなたの前に展開してくれと逼(せま)った。私はその時心のうちで、始めてあなたを尊敬した。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或る生きたものを捕まえようという決心を見せたからです。私の心臓を立ち割って、温かく流れる血潮を啜ろうとしたからです。その時私はまだ生きていた。死ぬのが厭であった。それで他日を約して、あなたの要求を斥けてしまった。私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴びせかけようとしているのです。私の鼓動が停った時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です。
(「下 先生と遺書」二)


 波瀾も曲折もない単調な生活を続けて来た私の内面には、常にこうした苦しい戦争があったものと思って下さい。妻が見て歯痒がる前に、私自身が何層倍歯痒い思いを重ねて来たか知れないくらいです。私がこの牢屋の中に凝としている事がどうしてもできなくなった時、またその牢屋をどうしても突き破る事ができなくなった時、必竟(ひっきょう)私にとって一番楽な努力で遂行できるものは自殺より外にないと私は感ずるようになったのです。あなたはなぜといって眼を瞠るかも知れませんが、いつも私の心を握り締めに来るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食い留めながら、死の道だけを自由に私のために開けておくのです。動かずにいればともかくも、少しでも動く以上は、その道を歩いて進まなければ私には進みようがなくなったのです。
 私は今日に至るまですでに二、三度運命の導いて行く最も楽な方向へ進もうとした事があります。しかし私はいつでも妻に心を惹かされました。そうしてその妻をいっしょに連れて行く勇気は無論ないのです。妻にすべてを打ち明ける事のできないくらいな私ですから、自分の運命の犠牲として、妻の天寿を奪うなどという手荒な所作は、考えてさえ恐ろしかったのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻り合せがあります、二人を一束にして火に燻(く)べるのは、無理という点から見ても、痛ましい極端としか私には思えませんでした。
 同時に私だけがいなくなった後の妻を想像してみるといかにも不憫でした。母の死んだ時、これから世の中で頼りにするものは私より外になくなったといった彼女の述懐を、私は腸(はらわた)に沁み込むように記憶させられていたのです。私はいつも躊躇しました。妻の顔を見て、止してよかったと思う事もありました。そうしてまた凝と竦んでしまいます。そうして妻から時々物足りなそうな眼で眺められるのです。
 記憶して下さい。私はこんな風にして生きて来たのです。始めてあなたに鎌倉で会った時も、あなたといっしょに郊外を散歩した時も、私の気分に大した変りはなかったのです。私の後ろにはいつでも黒い影が括ッ付いていました。私は妻のために、命を引きずって世の中を歩いていたようなものです。あなたが卒業して国へ帰る時も同じ事でした。九月になったらまたあなたに会おうと約束した私は、嘘を吐いたのではありません。全く会う気でいたのです。秋が去って、冬が来て、その冬が尽きても、きっと会うつもりでいたのです。
 すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈(はげ)しく私の胸を打ちました。私は明白(あから)さまに妻にそういいました。妻は笑って取り合いませんでしたが、何を思ったものか、突然私に、では殉死でもしたらよかろうと調戯(からか)いました。
(「下 先生と遺書」五十五)

 私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。
 それから約一カ月ほど経ちました。御大葬の夜私はいつもの通り書斎に坐って、相図の号砲を聞きました。私にはそれが明治が永久に去った報知のごとく聞こえました。後で考えると、それが乃木大将の永久に去った報知にもなっていたのです。私は号外を手にして、思わず妻に殉死だ殉死だといいました。
 私は新聞で乃木大将の死ぬ前に書き残して行ったものを読みました。西南戦争の時敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思って、つい今日まで生きていたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。西南戦争は明治十年ですから、明治四十五年までには三十五年の距離があります。乃木さんはこの三十五年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました。
 それから二、三日して、私はとうとう自殺する決心をしたのです。私に乃木さんの死んだ理由がよく解らないように、あなたにも私の自殺する訳が明らかに呑み込めないかも知れませんが、もしそうだとすると、それは時勢の推移から来る人間の相違だから仕方がありません。あるいは箇人のもって生れた性格の相違といった方が確かかも知れません。私は私のできる限りこの不可思議な私というものを、あなたに解らせるように、今までの叙述で己れを尽したつもりです。
(「下 先生と遺書」五十六)

信頼を置ける真面目な”私”という人間に出会え、自分の人生の経験を埋もれさせず”私”に話して未来への種とすることができたことで、先生のこころは少し救われ、安心して死んでいくこと(ずっと実行したいと思っていたこと)を心置きなくできるようになったのではないか。明治天皇の崩御と乃木大将の殉死(=明治という時代の終焉)を時機として。

それにしても”私”の立場になって考えると、ものすごく重いものを渡されたよね(しかも奥さんには真実を言うなと釘を刺されているし)。先生があれほど自分の過去を”私”に語ることに慎重になったのは、そういう理由もあったのかもしれませんね。それでも聞きたい、人生の教訓を得たいと”私”が言い、彼になら話せる、話したいと感じたから、先生は話したのでしょう。
いずれにしても遺された者が抱えていかねばならないものの重さは、逝った者が抱えていたものと同じくらい、あるいはそれ以上に大きいのではないだろうか。それはかつての先生も、これからの”私”も、そして奥さんも同じ。

漱石は世の中から、そして自分の内面から決して目を逸らさない。綺麗な面も汚い面もじっと見つめ続け、逃げずに立ち向かう。たとえ自分が傷つくことになっても。私が読んだことのあるあらゆる作家の中で最も真面目な人は、漱石なのではないかと思う。真面目で、誠実で、不器用。
漱石が『行人』の後に書いた作品が『こころ』です。以前もここで書いたことがあるけれど、当時の漱石が血を吐くような想いで(身体的にもそうだったのだけれども)見つめようとしている微かな希望の光に、私は心を揺さぶられずにいられない。

それぞれがそれぞれの心に抱える、他者と分かち合うことができないどうしようもない孤独。それは漱石自身の性格によるところももちろんあったろうけれども、漱石は現代の病でもあると言っています。社会の関係が希薄になり、<自由と独立と己とに充ちた現代>に生きる私達がその犠牲として背負わねばならないものなのだと。
そして旧時代から新時代への過渡期に生きてその変化を目の当たりにしてきたのが、明治を生きた人々だった。Kも先生も乃木大将も漱石も皆、明治の人だ。でも先生は自死を選びはしたけれど、先生も漱石も、古い時代に親しみを感じながらそれを全肯定することはせず、新しい時代に批判的な感情を抱きながらそれを全否定することもしない。なぜなら、それでも新しい時代はやってくるから。もう始まっているから。私達はその時代を生きていく以外にないから。前へと進むしかないことがわかっているから、苦しみの中で、漱石の目はしっかりと未来に向けられている。その姿は漱石が明治44年に行った『現代日本の開化』の講演を思い出させます。
漱石の作品の中でも『こころ』が一番好きだという姜尚中さんは、NHKの100分de名著に寄せて、こんな風に書かれています。姜さんの解釈は、私ととても近いものです。

鷗外は明治の終焉の号砲を聞くや過去に目を向け、「歴史小説」を書きはじめました。そこに「失われてしまった美しいもの」を見たからです。しかし、漱石は歯を食いしばって前に向かいました。「あまりいいこともありそうにない憂鬱な未来」から目をそむけなかったのです。その意味では、ややパターン的な分類ですが、明治の終わりとともに鷗外は「様式」に向かい、漱石は「心」に向かった──といえるのかもしれません。
「未来が閉塞すると、人は過去へ戻りたがる」という言葉があります。しかし、漱石はそれをしませんでした。本人の語彙を使えば、涙をのんで上滑りに滑りながら、ぎりぎりもちこたえたのです。血を吐く思いで、じっさい近代の深淵を書くことの重圧から心身を病んで血を吐きながら、前のめりに滑っていったのです。その態度を私は「漱石的真面目」と名づけたいと思います。その真面目さが、私を惹きつけてやまないのです。
見渡せば、いま個人と個人の距離はますます隔たって、隙間風が吹き荒れているようです。一つ一つの心は宇宙の塵のようにみじんにバラけて、無音の真空空間をさまよっているようです。「心の時代」と言われて久しいですが、おそらくいまほど心の問題を考えねばならない時代はないでしょう。「未来を予見する人」漱石は、こんな今日のわれわれの「心」のありさまも、見通していたのかもしれません。
姜 尚中 名著、げすとこらむ。

最後に、今回読み返して、漱石らしいとニヤニヤしてしまった場面がこちら
大学(おそらく東京帝国大学)を無事卒業した”私”は、卒業式の晩に先生の家の晩餐に招かれます。その席での会話。こういうところも、私が漱石を大好きな理由の一つです。

 私は式が済むとすぐ帰って裸体になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。それからその卒業証書を机の上に放り出した。そうして大の字なりになって、室の真中に寝そべった。私は寝ながら自分の過去を顧みた。また自分の未来を想像した。するとその間に立って一区切りを付けているこの卒業証書なるものが、意味のあるような、また意味のないような変な紙に思われた。
(中略)
 その晩私は先生と向い合せに、例の白い卓布の前に坐った。奥さんは二人を左右に置いて、独り庭の方を正面にして席を占めた。

「お目出とう」といって、先生が私のために杯を上げてくれた。私はこの盃に対してそれほど嬉しい気を起さなかった。無論私自身の心がこの言葉に反響するように、飛び立つ嬉しさをもっていなかったのが、一つの源因であった。けれども先生のいい方も決して私の嬉しさを唆(そそ)る浮々した調子を帯びていなかった。先生は笑って杯を上げた。私はその笑いのうちに、些とも意地の悪いアイロニーを認めなかった。同時に目出たいという真情も汲み取る事ができなかった。先生の笑いは、「世間はこんな場合によくお目出とうといいたがるものですね」と私に物語っていた。
(「上 先生と私」三十二)

今年のブログの更新はこれで最後です。
皆さま、今年も当ブログにお越しくださり、本当にありがとうございました。
健康にお気をつけて、よいお年をお迎えください

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Ivo Pogorelich plays Chopin Nocturne op. 62 no. 2

2020-12-14 20:21:32 | クラシック音楽

Ivo Pogorelich plays Chopin Nocturne op. 62 no. 2 - live 2005



今年の初め頃から、コロナの流行とは関係なく、なんとなく鬱ぽさが続いているワタシです。
以前職場で行われた臨床心理士の方のセミナーで言っていたのですが、こういうときにまず大切なのは、「そういう自分の状態を冷静に自覚する」ことなのだそうです。いつもと違うな、いい状態ではないな、と。そして植物に水をやるように、早めに、意図的にその状況を変える努力をすることが必要なのだそうです。好きな音楽を聴く、友達とご飯を食べにいく、好きなアロマを焚く、など自分が心地いいと感じることなら何でもいいそうです。その引き出しは多ければ多いほどいいので、普段から一つだけでなく、数種類用意しておいた方がいい、と。
また、自分の頭の中で、今の自分の状態をイメージするのだそうです。臨床心理士の方が教えてくださったのは、「悩みを箱に入れて、一端自分の外の棚の上に置く」イメージでした。これ、なかなかいいのですが、先日の夜はそれがあまり効果がなくて。そこで自分で思い浮かべてみたのが、「四角い自分の心の世界の中に、白いクマさん(通常の心理状態の安定した私)と黒いクマさん(鬱鬱大魔王。バイキンマン的な顔をしている)がいて、今は悪い黒いクマさんが私の心の世界を支配しようとしている(白いクマさんを追いやろうとしている)」イメージ。でも今は一時的に面積が小さくなってしまっているけれど、ちゃんと白いクマさんはそこにいるのです。負けるな白いクマさん!というイメージです。これ、いいです。イメージした途端に自分自身が白いクマさんのような気分になって、自分の中の黒い部分がすっと消えていきました。黒いクマさんと戦おう、という気持ちになりました。イメージするクマさん達(クマじゃなくてもいいですが)はリアルな感じじゃなく、キャラクターぽい可愛い感じがいいですよ。
そして思ったのが、一番心にとって良くないのは、四角い自分の世界の全体を灰色にしてしまうイメージだな、と。白いクマさんがいなくなってしまうと戦う気力が持てなくなる。だからどんなに小さくなっても白いクマさんは心の中に絶対に残っているから、残っていればいつかはきっと勝てるから(本当に強いのは白いクマさんだから)、そういうイメージを持つのがいいですよ。と、自分用覚書も兼ねて、書いておきます。同じような状況になったら、騙されたと思って試してみてね。

そんな心理状態が影響しているのか否かはわかりませんが、最近ポゴレリッチの演奏をよく聴いているのです。ガヴリーロフの記事を書いた際にポゴさんのリストのロ短調ソナタを聴き直したら、他も聴きたくなり。
上に載せたのは、ショパンの夜想曲op.62-2。
この2005年の演奏は、ケゼラーゼが亡くなった後のポゴさん暗黒期の演奏ですが、とてもいい演奏だと思います。ポゴさんの弾くショパンの音色がとても好き(と感じるようになるとは、初めてリサイタルに行ったときには思いもしなかったよねえ・・・)。ポゴレリッチの演奏を「自己陶酔」と批判する人がいるけれど、私の耳には自己陶酔から最も遠いところにある演奏に聴こえます。
この曲は、2017年のサントリーホールのアンコールでも弾いてくれました。ポゴさんの59歳の誕生日をサプライズでお祝いした日ですね(ちなみにアンコールのもう一曲は、ラフマニノフの『楽興の時』より第5番でした。そちらも素晴らしい演奏だった)。その数日後に奈良の正暦寺福寿院客殿で撮影されたのが、同曲のこちらの映像。
2005年と2017年のどちらの演奏でも、最後の3音(私の耳にはラソーファーと聞こえるので、おそらく楽譜ではソファーミー?)の弾かれ方が天才的だと思うのである。ぼんやりとした頬に涙がつたっているような、そんな音。

この夜想曲op.62は、ショパンの結核が悪化し、ジョルジュ・サンドとも別れた1846年の作曲。先日のガヴリーロフのリサイタルでショパンとモーツァルトに同じ空気を感じたように、ショパンの特に晩年の音楽にはどこか子供のような必死さ、焦燥、諦念、透明感、哀しみが感じられて胸に迫ります。
上記動画のコメント欄によると3:50~の記号はagitatoなのだそうで、「興奮して、急き込んで、不安な、動揺した」の意。ですが我を忘れて激しく弾くのではなく「自分の中に冷静さは残しつつ、感情の高まりや切迫した感じを表現する」のがagitatoなのだそうです。ポゴさんの演奏からはそういう感じが伝わってきますね。

Ivo Pogorelich ..Interview ..."Mezzo" TV

youtubeの関連動画に出てきた、比較的最近のポゴさんのフランスのテレビ局によるインタビュー。
私の目はポゴさんの腕の中のワンコに釘づけ。可愛い!でっかいポゴさんに、ちっさいマルチーズ。リードを指で弄んでるポゴさんも可愛い。
最も影響を受けた人物は?の問いには。
「私が出会った中で最も重要(important)な人物は、私が後に結婚することになった女性です。それは明らかです。ですが私に影響を与えた人物というなら、沢山います。特に作曲家達からは毎日影響を受けています。その音楽を毎日弾いているのですから、当然ですね(笑)。ですから、どこにいても、私はいつも良い仲間に囲まれています」と。
無人島に一曲だけ持っていくなら?と聞かれたポゴさん。
「独奏の曲はあり得ません。たとえそれがギターのパコ・デ・ルシアであっても、歌手のマリア・カラスやモンセラート・カバリェであっても。三重奏や四重奏も違いますね。合唱付きのオーケストラがいい。ですから、無人島の孤独に堪えるために、私ならブラームスのドイツ・レクイエムを持っていきます」と。
へえ、ブラームスのドイツ・レクイエムとは、思いつきそうで思いつかない選曲ですね。確かに大人数の演奏で人の声が入っている曲の方が寂しくないかも。レクイエムだけど、生きていく意志があるなら、ブラームスのこの曲はピッタリですよね。ポゴさんはきっと、寂しがり屋で、現実的で、そして前向きな人なのだな、と感じた回答でした。

Ivo Pogorelich ..Interview with Adriaan van Dis ..Amsterdam, 1984 ..

1984年、ポゴさんが25歳の頃のアムステルダムでのインタビュー映像。いいインタビュー
まだケゼラーゼが生きていた頃の映像で、この後に色々なことが起きたけれど、インタビューを受けている表情や落ち着いた話し方は今もあまり変わらない。
それにしてもチャーミングな青年だなあ。へたなハリウッド俳優より遥かに魅力的だよね。奥さんだったケゼラーゼが羨ましいと素直に思ってしまう(しかもこの時のケゼラーゼは今の私よりも年上なのであった。魅力的な人だったんでしょうね。音楽的にも女性としても)。
でもってポゴさん(25歳のポゴさんだけど)も演奏中の客の咳が気になるタイプだったのか!気にならないタイプかと思っていた。好きなピアニストはラフマニノフと。この当時から曲のrecreate、reproduceについても話していますね。「ショスタコーヴィチのように、ソヴィエトで音楽を学ぶ中でイデオロギー的な問題に直面することはなかったのか?」の問いには、「演奏家に比べて作曲家は曲の中で具体的に社会を反映し表現することができるから、より非難を受けやすい」と。ヴィルサラーゼだったかな?も似たようなことを言っていましたね。最後のスクリャービンもいい演奏

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アンドレイ・ガヴリーロフ ピアノリサイタル @港南区民文化センター ひまわりの郷(11月23日)

2020-12-04 13:17:11 | クラシック音楽




仕事でラトビア宛に荷物を送ったのですが、11/10に発送して到着がなんと12/2だったのです、EMSなのに。その話を同僚にしたら、韓国宛もベルギー宛も似た状況だったそうで。本当に今は地球全体がコロナの影響下にあるのだなあ、と改めて実感したのでありました。

そんな中ではありますが、先週、アンドレイ・ガヴリーロフのリサイタルに行ってきました。
有名なピアニストとのことですが、私が彼を知ったのはつい最近のこと。ウィーンフィルの演奏会に来ていた人達の多くが東京や大阪で行われた彼のリサイタルの感想をSNSにあげていて、「次回は港南区民文化センターで行われます」と。港南区って、めっちゃ地元ですやん。電話をしてみるとまだチケットがあったので、行ってきました。客席数400席のこじんまりとしたホールで、この庶民的な町にこんな素敵なホールがあったとは
現在はスイス在住のガヴリーロフですが、先日のウィーンフィルとは異なり、正規ルートでのご入国。奥様が日本人のため配偶者ビザによる入国だそうで、今回は2週間の隔離期間を経て11/7名古屋→13福岡(with九響)→15東京→16大阪→23横浜→28東京(with都響)というツアーだったようです。

このピアニストの半生は、なかなか波乱万丈(といっても旧ソ連や東欧系ではそういう音楽家は少なくないけども)。
1974年18歳の時にチャイコフスキー国際コンクールで優勝し、同年ザルツブルク音楽祭でリヒテルの代役を務め一躍脚光を浴びたが、1979年突如ソヴィエト政府から国外での演奏活動を禁止され、それから5年間は国内拘禁状態に(ご本人曰く、イタリア共産党を称えるツアーをキャンセルしたからとか、闇の権力者の娘だった当時の奥様との離婚とか色々理由は推測できるが、真実は藪の中とのこと)。1984年ゴルバチョフのペレストロイカ政策により自由の身となり、次の?奥様とロンドンに移住。その後もご本人曰くKGBの暗殺の手が伸びたり伸びなかったりしながらも、カーネギーホールでリサイタルデビューを果たし、EMIやドイツ・グラモフォンと契約するなど、順調にキャリアを築いていく。かのように見えたが、1993年のある朝、その夜予定されていた女王臨席のブリュッセルでの演奏会を彼は突如キャンセル。本人曰く「なぜかはわからないけど、突然、自分は今夜の演奏会では弾けないと感じたんだ」。更にウィーンでのラジオ生放送中に演奏を中断するなど奇行が重なり、表舞台から姿を消す。彼が再び聴衆の前に姿を現したのは、2000年代初頭のこと。
という、なかなか特殊な経歴&キャラクターのピアニストのようです。
前置きが長くなりましたが、以下、リサイタルの感想を。

【ショパン:夜想曲 第1番 Op.9-1 / 第8番 Op.27-2 / 第4番 Op.15-1 / 第20番(遺作)】
大阪や武蔵野で聴いた人達の感想は、後半のプロコフィエフは絶賛されていたけれど前半のショパンとリストについてはネガティブなものが殆どだったため、どんだけぶっとんだ演奏を聴かされるんだろう?と身構えておりましたが。
事前にyoutubeでは聴かず会場で初めて聴いたのですが、事前情報で身構え過ぎていたのと、ポゴレリッチでショパンの変則演奏には耐性がついていたこともあり、全く抵抗なく聴けました。というより私、このショパンの演奏、好きでした。
普通と違うのになぜか自然で色っぽくて、無垢さ、ポーランド的な哀愁や深みもあって、そのときのショパンの心の内面が伝わってくるように感じる演奏で、好きだな。
そしてガヴ氏は、ピアノの周りの空気の色が変化するタイプのピアニストだった。それぞれに良さがあるけれど、私は色が変わるタイプのピアニストが好きなので、ガヴリーロフの音色は好みでした。
twitterの感想は色んな意味でポゴレリッチと比べているものを多く見かけたけれど、私はどちらかというと音はヴィルサラーゼに近いように感じました。
買い物ついでにちょっと寄りました風な人達もいる庶民的な雰囲気の客席だったけど、4曲の間で拍手も起きず、このホールのお客さんはマナーがいいなあ。
ガヴ氏のホームページにはショパンに関する記事が沢山あるので、自分用覚書のためにリンクを貼っておきますね(めちゃ多いな…。後で整理します)。リンクからは演奏も聴けますよ。
ちなみにop.15-1で長調が戻ってくる部分については、こんな風に書かれてあります。※ロシア語→英語のgoogle翻訳→私による意訳
「ここで”明るいパート”が戻ってくる。なぜ引用符を用いたか?それはショパンだからだ。ここの長調の明るさは、全ての短調を合わせたよりも哀しいものだ。その悲痛は、音符の”間”で打ち明けられている。彼は笑い、楽しみ、…そして泣いている。それは幸せの涙ではなく、悲痛の涙だ。彼の内部世界を我々は離れた場所からのみ覗くことができる。彼は決してあなたをそこに入れようとはしない。それだけでなく、あなたは彼から見つからないようにしなければならない。もし彼があなたに気付いたら、彼はすぐに去ってしまうだろうから。Chopin: Nocturne F Major Op. 15 no.1
Chopin. Nocturnes
Frederic Chopin (English)
Chopin
Chopin and Schumann
Revolutionary Frédéric
Revolutionary frederic II
Revolutionary Frederic III
Let's clarify a little about Chopin
Nocturne
Chopin: Nocturne in b-flat minor Op. 9 No. 1
Chopin: Nocturne Op. 27 No. 2 in D-flat Major
Chopin: Nocturne Op. 15 No. 1 in F Major
Chopin: Nocturne Op. 15 No. 1 in F Major
Chopin: Nocturne No. 20 in C sharp Minor, Op. Posth.

【リスト: ピアノ・ソナタ ロ短調】
わたし、この曲を生で聴いたのは過去にポゴレリッチだけで、今回のガヴリーロフで二人目なんです。
この曲の一般的な演奏時間は30分前後なのに、ポゴレリッチは50分で、今回のガヴリーロフは22分。・・・この曲の普通の演奏を聴いたことがない私(楽しいからよき)。
ガヴ氏はこの曲についてもホームページで部分的に実に詳細に自身の解釈を書いています(あ、「解釈」という言葉はお嫌いと言っていたか。そう言う音楽家は多いですね)。「イエスの死による人類の救済」、「イヴによる性的誘惑」、「人間の堕落」、「失楽園」、「悪魔の哄笑」など。ご興味のある方は、下記リンクからどうぞ。
それを読んでから聴くと、そうとしか聴こえなくなるから面白い。あくまでガヴ氏の演奏で聴いた場合ですが。
ポゴさんの演奏はまた別。
そしてどちらのピアニストの演奏会でも、前半のロ短調ソナタの個性的すぎる演奏に耐えられず、休憩時間に帰宅する人達が一定数いたのであった。リストも吃驚なことでしょう。
ガヴリーロフの演奏は暗く重い音色でガツガツ弾くかと思ったら、弱音はしっかり歌わせて、その度にちゃんと空気の色が変わる。というのはロシアのピアニストに共通する特徴だけれど、この人の場合、その振り幅がかなり極端で、全体的なバランスも良いのか悪いのかわからないけど。でも、嫌いじゃないです。
ただ、私はポゴレリッチの演奏も好きなんですよね。youtubeでは半分近くのマイナス評価が付いていて、確かに色々めちゃくちゃだけれど。来年のポゴさんのショパン尽くしも物凄く楽しみにしているので、無事に開催されるといいな・・・。※追記:ポゴさんのリスト、全く同日の演奏ですがこっちの動画では高評価が多いですね。

Liszt Sonata B minor
Franz Liszt: Sonata for Piano in B Minor, S. 178: III. Allegro energico (fugato)
Liszt, Chopin and Schumann
Night thought. About the efficiency of Chopin and Liszt
“Franz Liszt, Music Aesthetic and Father Philosopher of Modern Performing World”. AG

(20分間の休憩)
ピアニストにぶっ叩かれまくって瀕死状態のピアノを時計を気にしながら休憩時間いっぱいいっぱいまで調律していた調律師さん、お疲れさまでございました。。。ピアノが衝撃で動かないように、音と同じくらいに脚を入念にチェックしておられた

【プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第8番「戦争ソナタ」】
調律してから音の響き、変わりましたよね・・・?前半よりも素朴な響きになったような。最初はこれはどうなのだろう?と思ったのだけれど、いいのかもしれない。ヴィルサラーゼのときもそうだったけど、プロコフィエフって華美に響かないピアノで聴いた方が凄みが増す気がします。
このソナタについてもガヴリーロフは動画で詳細に解説していて、それを観てから聴くと、まさにそういう音楽に聴こえるし、ちゃんと全体像も構築されているのであった。沈鬱な音色、息もつかせぬ追い込み、圧倒されました。
なんだかこの曲に限らずガヴリーロフの演奏って、正しいとか正しくないとか良いとか悪いとかを超えて、曲の本質をついているように感じさせる妙な説得力のようなものがありますね。ポゴさんにもそういうところがあるけれど。
最後の音の弾き終わりと同時に立つのはマツーエフと同じだなあ。一ヶ月の間にそういうピアニストを2回も見るとは。

In 1994, I saw Gavrilov again when he came to Toronto to give a concert at the Weston Recital Hall at the Ford Centre.
That night, he revealed his true colours, his Russian soul, in his rendition of Prokofiev's Sonata #8.
"When I play the Prokofiev," he told me the evening before, "listen and you will hear -- it's the whole terrifying tapestry of Russia. All the horror of the revolution and the war, Stalingrad . . . all the suffocation of countless spirits since. But there is also the Russia we loved."
How a Soviet-era pianist preserved his Russian soul (The Globe and Mail, MAY 4, 2000)

Andrei Gavrilov talks and plays Prokofiev part 1
Andrei Gavrilov talks and plays Prokofiev part 2
Andrei Gavrilov talks and plays Prokofiev part 3

【ラフマニノフ:幻想的小品集より第1番エレジー Op.3-1(アンコール)】
私、この曲を知らなかったんです。ガヴ氏が今回の日本ツアーでこの曲をアンコールで弾いたのは、この日だけで。
誰の曲だろう、現代に近い曲で、センチメンタルな哀愁があって、民俗ぽさもあって、明らかに西欧の作曲家ではなくて、プロコフィエフでもない。誰だ・・・?と思いつかずにいたら、ラフマニノフだった(この作曲家の存在を忘れていた)。おお、言われてみれば確かにめっちゃラフマニノフだ。ガヴリーロフの音は、ロシアの作曲家の音楽とやはり合いますね。彼のホームページで、彼がこの曲を偶然録音することになったときのエピソードが紹介されています。以下、ロシア語からのgoogle翻訳。

This nostalgic play by the SVR is popular with the "peoples" of the world. He "hooked" something in the world soul with his youthful melancholy, which resonates in the souls of many, regardless of nationality. Interestingly, I recorded this piece by accident.

I had a contract with German TV for the recording of Scriabin and Prokofiev. I arrived in Baden Baden (there is the ZDF studio) and quickly recorded the “conversation about Prokofiev” (with the English composer Michael Berkeley) and Scriabin's works.
The directors were somewhat shocked by the speed of the matter and annoyed that the studio had been paid for the whole day, and everything was done.

They entered the studio, from which I was leaving and intended to go home to my Bad Camberg. They asked - "Andrey, please play something," like for the soul. " I remembered that often in Odintsovo, during the reconstruction of my house, I played Rachmaninov's “Elegy” to the workers. They drank vodka and cried touched, saying - “Vladimir, if these bitches still touch you, we will cut them up with axes” (I often ran to Lubyanka to meet with the KGB chiefs before traveling after “imprisonment”).

I sat down at the piano and played this piece. So she stayed "recorded".

Rachmaninov: Elegie in E flat minor Op 3 No 1
Preparing Sergei Vasilievich's concert for April 22 in Zurich
About two wonderful Russians who died on the same day

【プロコフィエフ:4つの小品より 悪魔的暗示 Op.4-4(アンコール)】
この曲を演奏する前に、沢山の拍手に応えてガヴ氏、「Bravo!」。これは、コロナでブラヴォー禁止だから客の代わりに自分で言ってみたのかしら(笑)。
今年はヴィルサラーゼ、マツーエフ、そしてガヴリーロフとプロコフィエフを聴いてきたけど、ロシアのピアニストが弾くプロコフィエフっていいですよね。無機質になりすぎずちゃんと音楽に聴こえて、ロシア的な凄みと皮肉をしっかり感じさせて。こういう系の演奏でプロコフィエフを聴いておくと、無機質系の演奏も良い意味で楽しめるようになる気がする。上にリンクを貼ったプロコフィエフについての動画で弾かれているロミジュリもよい演奏。
Sergei Prokofiev: Suggestion Diabolique, Op. 4, No. 4
Prokofiev: Suggestion Diabolique op. 4 no. 4

【モーツァルト:幻想曲 ニ短調 K. 397(アンコール)】
この演奏も私は好きだったな。いわゆるモーツァルト的な音色ではないかもしれないけど、孤独な寂しさ(ガヴリーロフの解釈では、死についてのモーツァルトの思いが表現されているとのこと)、容赦ない運命の厳かさ、モーツァルト以外の誰かが補完したといわれている最後の10小節の長調の無垢な音色。ショパンのときと同じく、そのときのモーツァルトの内面が伝わってくるような、モーツァルト本人がそこで弾いているような、そんな錯覚を覚える演奏だった。そしてこの演奏でも、音によって変わる空気の色がいい。調律後の素朴な響きも、曲によく合っていました。終演後に廊下で女性達が「モーツァルトの時代のピアノの音だったね!」と嬉し気に話していました。
Mozart Fantasie D minor KV 397
Wolfgang Amadeus Mozart

演奏を終えたガヴリーロフは、投げキスもしてとってもご機嫌。他の演奏会でもいつもご機嫌だったそうなので、どうやらガヴ氏はご機嫌属性のピアニストのよう。
でも彼のホームページを読んでいると、決してそれだけの人ではないことがわかる。
彼はソヴィエトや現在のロシアの政治と文化の腐敗についてかなり多くのページを割いていて、繰り返し批判をしています。ただ、その批判の仕方がすこし気になる。(全部の記事を読んだわけではないので、またロシア語→英語のgoogle翻訳段階で違うニュアンスになっている可能性もあるので、私の理解が間違っていたらすみません。)
ガヴ氏の政治的意見から、プーチン支持を表明しているゲルギエフやマツーエフやネトレプコを批判するのは理解できる。
でも続けて”同じページ”で、彼が2011年に発表したリヒテルに関する文章(後に『Andrei, Fira and Pitch』として出版されています)に対して連名で抗議をした音楽家達の名前をあげるのは違うのではないか、と。それはアルゲリッチ、マイスキー、レオンスカヤ、ヴィルサラーゼ、エマールといった言わば錚々たる音楽家達で、彼らの声明もガヴリーロフに対して「世間から忘れ去られたピアニストが、自分の話題作りのために根も葉もない嘘を書いてリヒテルを利用したモラルに反する本である」というかなりキツイ言い方をしているのでガヴ氏の気持ちもわからなくはないけれど、それでもこういう風に彼らの名前をゲルギエフ達と並べて書くのはちょっと違う気がする。なぜならその2つの共通項は「自分にとっての敵」という部分だけなのだから(ガヴ氏はアルゲリッチ達を「反ガヴリーロフ同盟」と呼んでいる)。
さらに「現在のクラシック音楽界は腐敗した権威により意図的に作り上げられたものであり、そこで一流と言われている音楽家達も偽物である。若い音楽家達は皆、彼らの悪影響を受けている」とし、「真の音楽を理解していない人」としてアルゲリッチやゲルギエフなどの名前をあげています。「音楽」に関してはシフなども他の音楽家について言いたい放題言っているし、何が正しいという結論はないので好きに書けばいいわけだけど、なんとなくそこに個人的感情も混ざっているように感じてしまうのは気のせいだろうか・・・(違ったらゴメン、ガヴさん・・・)。

それでも。
良い演奏だったんだよなあ、ガヴリーロフの演奏。。。
世界には色々なピアニストがいるものだ。

ところで、ガヴリーロフのお母様はネイガウス門下のピアニストですが、お父様はウラディミール・ガヴリーロフという画家なのです。もう亡くなられていますが、ネットで見たら、沢山素晴らしい絵を描いていらっしゃる。特に人物が逞しく生き生きとしていて素敵です


The pianist who fell to earth (The Guardian Dec 21, 2006)
'Feel free': Gavrilov plays Chopin (The Guardian, Dec 21, 2006)
Andrei Gavrilov: Interview with Asteroid Publishing Company (Feb 27, 2017)
SPIEGEL conversation "Our cultural life has been devastated" (11/23/1987)
Andrei Gavrilov: “Playing the piano means sharing love” (Interlude,  September 3rd, 2017)
Renowned pianist comments on the current state of music education (The Cross-Eyed Pianist, JULY 28, 2015)

Andreï Gavrilov, une âme russe au piano(Le Temps, May 29, 2013) ※仏語からgoogle翻訳
He hates the word "interpretation" and prefers the idea of ​​"transmission". "When I play Chopin, I have to become Chopin, and be the medium through which Chopin's voice and his soul come alive and embrace the audience in the hall." A speech tinged with mystical fervor that he does not deny. If Prokofiev is naturally one of his strings, he always comes back to Chopin. “Chopin and Mozart are the most elusive composers. Their music has a constantly changing nature; it is not inscribed in a monolithic form, as in Beethoven, Wagner, Prokofiev, Stravinsky. They are like elves: you think you have caught them, and here they are laughing in your face, turned over on their heads. "
・・・
From a more technical point of view, Gavrilov admires the dense counterpoint in Chopin. “99% of performers think it is about playing the melody and adding the accompaniment. At Chopin's, there are 3, 4, 6, 8, up to 12 voices simultaneously, and the difficulty is to get them all to sing together. " It is therefore understandable why Gavrilov evokes his exhaustion - "to the point of spitting blood"! - after playing two hours of Nocturnes . “Chopin gives you an extremely expensive check to repay. You pay for it with your life, your experience, your suffering. ” Will he live up to his demands? "If you come to my concert, I guarantee you a total experience, which may even induce a change of life." Alleluia!

ANDREI GAVRILOV. TALENT IN CONTRARY (Premiere, Oct 30 2017)
Andrei Gavrilov in conversation with Melanie Spanswick (DECEMBER 8, 2013)
“Isms” do not work In great music.
Avant-garde composers

Sergei Prokofiev (2017 Mar 11)
And the music is wonderful, fresh. The accuracy of wishes and instructions is exhausting during work. It is excruciatingly difficult to remember and implement everything. Dash over EVERY note. And this must be remembered. The meaning changes from each stroke. Completely digital composer. Digital serious classical and very classical pop music. Because the Americans like it so much. Pleasure without stress. The American dream.

But on stage there is nothing to do. Everything is played by itself absolutely without the participation of the heart. Physical and moral "rest". A very “profitable composer” for those who make their living with music. Chopin's one nocturne is more difficult to play than the whole of Prokofiev. It is not surprising that Shostakovich, who was "an open wound", did not understand a fig in his music and decided that Prokofiev began to discover new shores shortly before his death. And the “new shores” consisted only in the fact that the sky seemed like a sheepskin to our master of solitaire and he slightly began to filter the music with his heart (Sonata 8).

If you understand musical language, you can forget the verbal language. composers blurt out EVERYTHING about themselves in music. Down to the smallest detail!

If you understood the music – you understood life. (Oct 31, 2018)
Take Prokofiev in moderate doses as a life-making a of graphics in painting. Don’t forget he’s doing everything coldly and calculated. Don’t take him seriously. It’s a high-class entertainment. With a rare exception.

Date with Chopin: Andrei Gavrilov performs in Cairo (Nov 29, 2016)
Among those dangerous thoughts, Gavrilov sheds light on fundamentalism and authoritarianism sweeping many countries. He says that every fundamentalist power is and always will be against culture, because culture makes people free and free people are dangerous since they cannot be manipulated. “Culture gives you the food for thought and for your free spirit; every ingenious performance, or a piece of music – and especially music, as it goes straight to your heart – extends your spirit and opens many doors in your heart. People of culture are dangerous to anyone who seeks power,” he says.

Gavrilov left Russia over 30 years ago, he lived in Germany for over a decade, and since 2001 he has resided in Switzerland. He says however that his heart is always with Russia, a country which over past couple of decades went through many difficult political developments. “It’s weird that 30 years after ‘Gorbachev’s revolution’ we still have political dissidents as well as political prisoners. Everyone who is against the ruling people goes to jail. Now Putin is seeking power. They call him authoritarian, but of course he is totalitarian.

PIANIST ANDREY GAVRILOV: IN THE BEGINNING THERE WAS MUSIC, March 2, 2020 (schwingen.net)

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