風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

『河内山』『芝浜革財布』 @歌舞伎座(3月27日)

2022-03-29 13:17:55 | 歌舞伎



三月大歌舞伎の第二部、前楽の日に行ってきました。
楽しかった
先月のようなヒリヒリするような緊張感も素晴らしいけれど、今月のようなのんびりした空気の歌舞伎座も私は大好きだ。

【河内山】
今月9日~15日はご体調が悪く休演をされていた仁左衛門さん。
今日私が拝見した限りでは、お元気そうなご様子でほっとしました。2、3、4月と三か月連続で歌舞伎座出演ですものね…。本当に本当にお体お大事になさっていただきたい
吉右衛門さんの河内山を観たことがあって大好きだという人が今月は観に行く気持ちになれないと仰っていて、私は先月の知盛がそうだったので、その気持ちがよくわかるんです。それでも私は先月観に行ったし、観に行ってよかったと思っているけれど(私は仁左衛門さんも大好きなので)。
その点、今月の河内山は私は初めて観る演目だったので、まっさらな気持ちで観ることができてよかったです。
もちろん吉右衛門さんの河内山も観ておきたかったなとは心底思いましたが。
またこの演目の歌六さんや次の演目の東蔵さんを客席から見ながら、「吉右衛門さんはもういないのだなあ」とそんな風に感じもしましたが…(吉右衛門さんとご一緒の舞台を沢山拝見したので…)。

仁左衛門さんの河内山、いい
ワルいニザさま、相変わらず素敵 色気もあって(もちろん!)、軽みもちゃんと出てる。
そして仁左衛門さんの動作って、ほんっっっっとうに美しいですよね・・・。頭の先から指の先まで・・・。見とれてしまう。最初に拝見した時からずっと変わらない。
あとどれだけ仁左衛門さんのお芝居を観ることができるのだろうか・・・と寂しい気持ちになるけれど、人生は本当にわからない。仁左衛門さんの大ファンだった友人が、あんなに早く逝ってしまうなんて想像もしなかった。「仁左さんのお父さんは90歳まで生きたし、きっと仁左さんも!」という話を一緒にしたなあ。彼女が旅立って、今月で四年です。コロナ禍で上演が中止になった一昨年を除いて、あれからずっと3月は仁左衛門さんは歌舞伎座に出てくださっている。その舞台を観るたびに、私の何百倍も仁左衛門さんのことが大好きだった友人のことを思います。彼女も観たかったろう…と。

千之助くん(浪路)、最近女方で観る機会が多いけれど、女方に進むのだろうか。ほっそりしていて、女方、似合っているような気がする。孝太郎さんに習うことができるしそれもいいのでは、と思うけれど。でもそうなると仁左衛門さんの芸を継いでくれる人はどこに・・・・・・・・(この話もよく友人としたなあ・・・)

【芝浜革財布】
この演目も私は観るのが初めてでした。
いい話だなあ。。。。。。。落語がもとの演目って、本当にいい話が多い。

菊五郎さん(政五郎)、冒頭に真っ暗な中で聞こえてくる「っくしゅん!(クシャミ)」からもうニヤニヤしてしまう。こういう可笑しみって菊五郎さんならではですよね。夜明け前の空気のような、白々とした薄青い照明が綺麗だったなあ。時蔵さん(おたつ)とはもう本当に夫婦!夫婦以外の何物でもない!
夫婦っていいなあ……とすごく羨ましくなってしまった(突然深刻)。

今月眞秀くんが出ているのを知らなくて(歌舞伎好きの丁稚の役柄でした)、「あ、眞秀くんだ」と思ったら、お嬢吉三や弁天小僧の名台詞のオンパレードを聞かせてくれて、すごく楽しかったです。本人もとても楽しそうで、周りの菊五郎劇団の人達の眼差しも温かくて、ほっこり気分にさせてもらえました。
寺島しのぶさんが今月のブログに「それにしてもほぼ80歳の父。凄いです。愛らしいです。あんな働かないで日がな一日飲んだくれてる貧乏人なんですが、奥さんが愛想をつかさないで一緒にいる説得力がある。何だろう。プーさんみたい。眞秀が出演しているおかげで毎日見られる幸福感。長屋にひっそり住む人たちが皆んな素敵です。」(3月7日)と書かれていて。しのぶさんはお父さん(菊五郎さん)が本当に大好きだよね
また、眞秀くんのこんなエピソードも。

眞秀が寝る前に私も添い寝をして話をする。
今日は休演日。明日から6回で千秋楽です。
しのぶ:芝浜っていい話だよねー。お母さん、時蔵さんの役やりたいなー。奥さんが主役みたいな話じゃない?
眞秀:主役は時蔵さんでもヒーマでもないよ。革財布だよ

って。なんか、グッときた。

(3月22日)

眞秀くん、鋭い。素晴らしい。本当にその通りだなあ。主役は革財布だなあ。

この演目は、江戸の風俗を感じられるのも楽しい。
納豆売り(色んな人達が次々と家と訪ねてくるのが楽しい)の「なっとぅなっと~ぅ」。おお、東京下町生まれの母親から聞いてはいたが、本当になっとなっと~って言うんだなあ
菊五郎さんの世話物はそこに出てくる食べ物が美味しそうで、食べたくなってしまうことが多い。
『雪暮夜入谷畦道(直侍)』の蕎麦もそうだし(関係ないけど直侍って河内山と同じく黙阿弥の『天衣粉上野初花』の一部なんですね)、今回はまずこの納豆が食べたくなった。おたつはお碗を納豆売りに渡して、納豆売りは藁の包みから中身を出してお椀に入れてあげてたなあ。藁の包みごと売るわけではないんだね。おたつ「からしたっぷりで」

そして、日本酒と刺身と天ぷら!
歌舞伎に出てくる刺身って必ずマグロのような赤い切り身がお皿に乗っているけど、江戸の人達ってマグロを食べていたのだろうか。カツオを食べていたのは知っているけど。
調べてみました。

まぐろは外海を泳ぐ魚である。江戸時代の関東周辺の場合、漁場は相模湾沖や房総沖だった。しかし早船で送っても、日本橋の魚市場に着くまでは数日かかる。

冷蔵技術のない時代であり、そもそも赤身のまぐろは劣化が早い。そのため、江戸城下のような都市部で生のマグロを食べることは難しかったのである。下等な魚として扱われたのもそのためだが、文化年間(1804〜18)ごろから変化が訪れる。

そのころ関東では銚子を中心に醤油が盛んに作られていたため、切り身にしたまぐろを塩気の強い醤油へ漬け、生のまま安全に届ける保存技術が考案されたのである。いうまでもなく、現代に伝わるヅケである。ヅケは江戸っ子の人気を呼び、まぐろ赤身を中心とした新鮮な魚介からなる、いまの鮨の基礎となったわけだ。

サライ

へ~~~~!マグロのヅケにそんな歴史があったとは!
ああ、江戸時代にタイムスリップして江戸の食事を食べてみたい。どんな味だったんだろう。
江戸の街中でご飯を食べて、お芝居を観て、お団子を食べたりしたい(食べてばかり)。

歌舞伎版のオチは、落語とは違うんですね。
久しぶりのお酒を飲んで、みんなで幸せにニコニコで幕。これはこれでいいな。
舞台の上には、菊五郎さんと左團次さん(大工勘太郎)と時蔵さんの3人。
平和で、温かくて。
今のご時世にこういう人情噺は、沁みるな。。。。。。

仁左衛門が語る、歌舞伎座「二月大歌舞伎」、「三月大歌舞伎」(歌舞伎美人)


歌舞伎座前の交差点。ここを通ると、この道にいた友人や麻央さんの姿を思い出す。ほんの数年前のことなのに夢のよう。人の命って本当に儚いですね…。
麻央さん、今の状況を天国から心配して見ているのではないかな…。






昼の歌舞伎座もいいけれど、夜の歌舞伎座も美しい。

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ディルの使い道

2022-03-27 01:56:35 | 日々いろいろ


ボルシチやニシンの酢漬けを作った後に余ってしまうディル。その使い道を、毎回考える。
ディルって個性的な風味なので、なんにでも使える感じではないし。
先日作った「サーモンソテー 炒め玉ねぎとディルのサワークリーム添え」は、とても美味しかった。

今回は、「ホタルイカとディルのペペロンチーノ レモン風味」を作ってみました。
フライパンにオリーブオイルを入れてニンニクと鷹の爪で香りを出し、玉葱とホタルイカを入れて軽く炒める。そこに茹でたパスタを投入し、軽く和えて火を止める。微塵切りのパセリとディルを投入して、塩胡椒で味を調整し、最後にレモン汁で和えて完成。
塩はしっかりめが美味しい。
パセリはたまたまあったので入れたけど、ディルだけでもいいかと。
爽やかで美味しかった

【気になるレシピ】
ディルとホタルイカの炊き込みごはん
これ、気になるけど、どうなんだろう。味の想像がつかない。失敗したら悲惨なことになりそうなレシピだけど、ホタルイカが売っているうちに一度作ってみたい。

「サーモンの塩漬け」

これも作ってみたいけど、一人暮らしだからなあ…。小さめの柵が売ってたら作ってみたい。

サーモンのディルマリネ
こちらの方が手軽そう でもこれならIKEAのレストランに行けば食べられるな。

ブリヌイ
ロシアに行ったら絶対に食べようと思っていたブリヌイ。今では夢のまた夢となってしまったので、仕方ない、作ってみるか…。しかし本場の味を知らないので、正解の味がわからん。

ディルって今まで買ったことなかったけど、使ってみると楽しいハーブですね。

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ロシアの音楽について考えてみる

2022-03-25 23:24:13 | クラシック音楽




ロシアの音楽界ってなんて複雑なんだろう、と最近改めて感じている。
それと比べると、日本の音楽界のなんてシンプルなこと。シンプルでいられたということは平和な国であった証拠でもあるな、とも。

最近、チャイコフスキーがウクライナ系であることを殊更に強調する文章をSNS等でよく見かける。そしてロシアの作曲家ではなくウクライナの作曲家とするのが正しいのだと、ロシアの音楽ではなくウクライナの音楽とすべきだと、それらは言う(チャイコフスキーはウクライナ人だと言い切っているものさえある)。これなんかもそれ系の記事。
チャイコフスキーは祖父がウクライナの人で、自身もウクライナを愛してウクライナにしばしば滞在し、ウクライナ民謡を自身の作品に取り入れたりした。彼の音楽はロシア的というよりも西欧的である。しかしそれでもチャイコフスキーはあくまでロシア人であり、そのことで彼の音楽の価値が損なわれるわけでもなければ、ウクライナの人々が彼の音楽を深く愛してきた歴史がなくなるわけでもない。
「ウクライナをとても愛したロシアの作曲家」「ロシアでもウクライナでも愛されている(愛されていた)ロシア人の作曲家」では何故いけないのかと思う。
一方で、西側の音楽界ではチャイコフスキーの一部の作品の演奏が中止になったりもしている。ウクライナの人々の心を害するかもしれないから、と。
チャイコフスキー一人をとっても、ロシアに纏わる音楽事情は複雑だ。

そんなこともあり、「ロシアの音楽」とは何だろうか、と考えていたら、2018年のこんな座談会の記事を見つけた。

亀山郁夫×駒木明義×林田直樹『音楽から見るロシアの今~プーチン、ショスタコーヴィチ、ドストエフスキー~』(ontomo)

今読むととても悲しい気持ちになる内容だけれど、ロシアとウクライナ、プーチンとゲルギエフ、ロシア音楽などについてわかりやすく話されているので、以下に一部を抜粋。

林田: ところで、去年ウクライナの作曲家ヴァレンティン・シルヴェストロフにインタヴューしました。かつて前衛音楽の闘士でしたが、最近では耽美的なまでにメロディアスな作品をたくさん書いていて、まるでショパンやブラームスやラフマニノフのようでさえあります。でも、その静かな祈りのような精神性は、どこか現代的で、アルヴォ・ペルトにも近いものがあると思っています。

そんなシルヴェストロフに、プーチンの名前を出したところ、怒髪天をつくように怒りだしたんです。

亀山: もちろんプーチンの行なったクリミア併合は、ウクライナから見れば領土を失ったわけですから、反ロシアの感情は非常に強いです。でも、今われわれの話しているロシアはウクライナも含むものなんです。ブルガーコフだってゴーゴリだってウクライナの作家だし、多くのウクライナ出身の芸術家がロシアで学んで活動すると言うことを考えると、ウクライナとロシアを別々に考えることはできないと思います。時間はかかるけれど、いつかこの2国が大兄弟として和解できる日がくると信じています。

林田: ソルジェニーツィン(ロシアのノーベル賞作家)が「甦れ、わがロシアよ」(木村浩訳 日本放送出版協会)のなかで「ウクライナはロシアと離れるべきではない、なぜならウクライナはロシアの弟なのだから」と書いていますね、と言うと「違う違う、ウクライナが兄で、ロシアが弟なんだ!」と。

亀山: ロシアというのはキエフから起こっていますから。

林田: そうなんです。すべてのヨーロッパの文化は、ウクライナを通ってロシアに行った。ロシアはウクライナを通してそれらを学んだんだとシルヴェストロフは言っていました。

(中略)

林田: シルヴェストロフはとてもきれいなメロディを書きますが、彼によれば、チャイコフスキーはウクライナ的な作曲家であると。チャイコフスキーはウクライナ人ではありませんが、ああいう美しい旋律はウクライナ的なものでもあると言っています。ではロシア的なものはというと、最初に聴いていただいたショスタコーヴィチに代表されるようなアクの強いものかもしれません。

亀山: チャイコフスキーはとてもヨーロッパナイズされています。先ほど話題に出たようにヨーロッパの文化というのはウクライナを通ってロシアにやって来るわけですから、ウクライナ的というよりも、無意識のうちにウクライナ的なものがヨーロッパ的な要素に取り入れられていると言ったほうがいいかもしれません。

(中略)

林田: いずれにせよ、こういうふうに国の内部に外部を抱え込んでいることが、ロシア音楽の豊かさだという気がします。ポーランド、ウクライナもそうですし、ジョージアの音楽もそうですね。

駒木: ロマの音楽もありますよね。そういうもの抜きには、ロシアは成り立たない。外部から入って来たものを取り除いて、どんどん純化していったら、それはもうロシアではなくなってしまうんです。

そして「ロシアの音楽」を一言では表せないように、「ロシアのピアニスト」も一言では表せない。

В день рождения Святослава Рихтера / Оn Sviatoslav Richter's Birthday


これは、今月20日にモスクワ音楽院で開かれたリヒテルのバースデー演奏会の映像。
ピアノ協奏曲のソリストは、ヴィルサラーゼ。ヴィルサラーゼは以前インタビューで「音楽や芸術のうえで特に夢中になった人」を尋ねられて、まずリヒテルの名前をあげている。そして「でも、私はあまりにも彼の近くにいたので、彼のことをどう語ってよいかわからないのです」とも(『ピアニストが語る』)。
リヒテル(ウクライナ)もヴィルサラーゼ(ジョージア)も、モスクワ音楽院の卒業生。というかギレリス(ウクライナ)もアシュケナージ(ロシア)もレオンスカヤ(ジョージア)もアファナシエフ(ロシア)もポゴレリッチ(クロアチア)もモスクワ音楽院の出身。

ギレリスとレオンスカヤは、ユダヤ人の家庭で生まれた。1978年にウィーンに亡命したレオンスカヤは、「なぜあなたはそんなにソ連を離れたかったのですか?」という質問に、「ユダヤ人がソ連でどんなに酷い目に遭っていたかを知ったら、あなただって離れたいと思いますよ!」と答えている。

一方、リヒテルの父親はドイツ人で、スターリンによってドイツのスパイ容疑をかけられ処刑されている。オデッサの路上での銃殺だったと。そのスターリンの葬儀でリヒテルは演奏させられた。そのことに触れながら、アファナシエフ(1974年に亡命)はこんな風に書いている。

ピアノ演奏におけるロシア楽派について、私はしばしばいろんな質問を受ける。こうした質問にはいつも答えられるわけではない。というのも、私の意見では、ロシア楽派なるものは存在しないからなのだ。ソヴィエト連邦時代にあったのは、ほかに比較しようのない一つの人生の学校だった。殺されることがなければ、真の芸術家になれていた。舞台裏に死が待ち受けているというような生き方から、人生について学び、人生が豊かになっていた(「私を殺さないものは、私をいっそう強くする」とニーチェも言っている)。私たちが日々感じている苦痛がゆえに、コンサートホールで耳にする音が痛切なものになっていた。演奏の強さは人生に、その強度に一致する。流れに身を委せるのではなく、流れに逆らって泳がなければならなかった。リヒテルのような演奏家のエネルギーは、必ずしも彼の天賦の才能のみから来ていたのではなかった。それは外部から、抵抗からやって来ていた。リヒテルはスターリンの葬儀で演奏した。そのとき、彼は何を感じたろう。人生の学校、死の学校。
(ヴァレリー・アファナシエフ 大野英士訳『ピアニストのノート』)

彼らの演奏からは、はっきりと「ロシアの音」が聴こえる。同じ種類の音が聴こえる。でも、その「ロシア」はひとつの国ではないのだということを痛感する。国も違い、人も違う。またアファナシエフが言っていることについても、わかる気がする。
このさきロシアの音楽はどんな風になっていくのだろうか。強く「ロシア」を感じさせるヴィルサラーゼのモーツァルトを聴きながら、そんなことを思う。近所のホールで彼女の演奏を聴いたのはほんの2年前なのに、随分昔に感じられるな…。再び聴ける機会はあるだろうか…。そういえばあのホールはリヒテルが「東洋一の響き」と評したホールだった。

ところで、ロシアの音楽界では今週こんなニュースがありました。

モスクワ発 〓 グネーシン音楽大学の教員とキーシン、トリフォノフら卒業生がプーチン支持のホフロフ校長に抗議声明

また、西側の音楽界ではこんなニュースも。

ロンドン発 〓 ラトルら世界的な音楽家119人が嘆願書、ウクライナ侵略戦争の即時停止、ロシアのアーティストの一律ボイコットに反対の訴え

さて、ようやく週末ですね。
皆さん、今週もお疲れさまでした。来週は新年度。早いなあ。。。
よい週末をお過ごしください。

チャイコフスキーの生涯をたどる旅(前編)
チャイコフスキーの生涯をたどる旅(後編)

※上記嘆願書の全文は以下のとおり(Change.orgより)

Stop the war and counteract the blanket boycott of Russian and Belarusian cultural workers

There is absolutely no justification for the ruthless war that Putin's totalitarian regime has unleashed against sovereign Ukraine, with Russian tanks and missiles targeting innocent civilians. The bombing and attacking of civilian objects such as hospitals, schools, theaters, universities, libraries or churches are war crimes, crimes against humanity that must be condemned without exception and unequivocally. Many artists, musicians, composers and theater workers in Ukraine, our colleagues, are deprived of the opportunity to practice their art freely due to the war. The suffering of all those affected by this war of aggression is immeasurable and we understand

We unreservedly support the sanctions and diplomatic pressure used against the Putin regime and its cronies, against its supporters, propagandists and information manipulators, and against any person or entity whose ties to Putin and his government are clearly documented. But not all Russians and Belarusians, and certainly not all cultural figures from these two nations, support this terrible invasion. Thus, we consider it unfair to condemn Russians or Belarusians in a sweeping manner for the actions of the dictator and his supporters when there is no direct evidence of their involvement. Excluding a cultural worker from an event because of their nationality, while at the same time not wanting to harm the artist personally, as has now happened several times, is not possible. Nationality should not matter - no one would have to justify their origin or nationality.

Not everyone feels able to testify clearly, because such a testimony could potentially cause significant harm to the person himself or to his family, friends and work colleagues in Russia or Belarus. Many currently feel like hostages in their own country. Before invading Ukraine, Putin was already invading his own country, silencing all opposition and ideologically brainwashing the population. But we can defeat his hate-mongering disinformation campaigns by standing together. Therefore, all cultural workers who do not support this illegal war and the responsible regime, whether publicly or privately, should be allowed to continue their artistic activity.

We expressly raise our voices against the arbitrary exclusion of Russian and Belarusian persons solely on the basis of their nationality. Such measures are not only unworthy of a society striving to eliminate all forms of discrimination, but also serve to feed Putin's dangerous propaganda narratives.

We demand an immediate end to the war against Ukraine and urge fairness and justice towards Russian and Belarusian citizens who are not affiliated with Putin's regime.

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【スウェーデン大使館シェフのおつまみ】ニシンの酢漬けディルクリームソース

2022-03-22 22:28:59 | 日々いろいろ

【スウェーデン大使館シェフのおつまみ】ニシンの酢漬けディルクリームソース


先日見つけたこのレシピ、作ってみました

クリスプブレッドやポテトや雑穀パンなどと一緒にいただくといいと思いますが、私はなかったので食パンで。
白ワインとよく合って、爽やかで美味(上の写真は翌日のランチ時のものなのでカフェオレですが)
大使が飲んでるアクアビットという北欧のお酒は、飲んだことがないので飲んでみたいな。夏季だけIKEAで販売しているようなので、気にしておこう。

基本的に動画のレシピどおりに作りました。
違うところは、生ニシンではなく北欧産のニシンの塩漬け(いつもの山安さんの冷凍のです)を使ったので酢に漬ける時間を短縮したこと、ディルとパセリをフードプロセッサーを使わず包丁で微塵切りにしたこと(タラゴンはなし)。
ディルはたっぷり入れた方が美味しいですよ。



この紫色のボウル、可愛くないですか??
フライングタイガーで300円也。

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ムーティ&東京春祭オーケストラ @すみだトリフォニーホール(3月19日)

2022-03-21 20:59:47 | クラシック音楽




東京の春を彩る「東京・春・音楽祭 2022」が今年も無事開幕しました。ただそれだけのことがどれほど幸せなことか、と昨今の世界情勢の中でしみじみと感じさせられます。
ムーティ&東京春祭オーケストラの演奏会は春祭のオープニングコンサートとしてまず上野で行われましたが、私は2日目のすみだトリフォニーホールの方に行ってきました。
翌20日には、東京で開花宣言が発表されました(ムーティは上野の桜を見れたかな)。
うちの職場で受け入れていた学生さんも卒業して就職していき、長く一緒に働いた同僚も転職していき。春だなあ。。。

【モーツァルト:交響曲 第39番 変ホ長調 K.543】
昨年『マクベス』で海外オケも凌ぐ大名演を聴かせてくれた、このコンビ。
今年は『仮面舞踏会』の演奏が予定されていましたが、ムーティの「きちんとアカデミーの客席に学生を入れるなど、完璧な態勢でやりたい」という意向を受けて来年に延期され、今年はモーツァルトとシューベルトの演奏会となりました。

今回のtwitterの感想では春祭オケの「緊張感」や「隙のなさ」が絶賛されていて、昨年のウィーンフィルには「やる気を感じられなかった」というものが多く見られました。でも、私の好みはちょっと違くて。ウィーンフィルのときの感想にも書いたけれど、私は音楽には隙がほしい人間なんです。隙というと言葉が悪いけれど、春祭オケがムーティの指示に懸命に従っている音色を好ましく感じつつ、私はウィーンフィルのあの指揮者やオケではなく"音楽そのもの"が自然に歌っているような演奏が好きなんですよね。昨年秋のムーティ&ウィーンフィルの『ハフナー』などはまさにそういう演奏で、「この一曲のためだけに25,000円払える」と感じたものでした。
それと比較とすると、今年の春祭オーケストラの特にモーツァルトは、音の自由な伸びやかさが足りないように私に耳には感じられてしまったんです。例えば柔らかな音の箇所も、「ムーティが柔らかな音を出すように指示していて、奏者はきちんと忠実に従っているのだな」ということが透けて見えてしまうような演奏だったというか(ド素人の印象なので悪しからず!)。とはいえムーティ&ウィーンフィルでも『悲劇的』などではやはり伸びやかさの足りないぎこちない演奏になっていたことを思うと、ムーティの精緻で丁寧な音楽作りは、調子のよくない時にはこういう演奏になりやすいのかもしれない
また、今回のモーツァルトはリハ不足もあったのかな?とも。もしあと数回演奏が重ねられた後に聴けたなら、より素晴らしい演奏が聴けたのではないかという気もしました。
以下は、春祭オケのメンバーである3人の奏者さん達の最近の座談会より。ムーティとの昨年の『ハフナー』の演奏を振り返って、話されています(ムーティは昨年春祭オケとも同曲を演奏しました)。

福川「あのモーツァルトはすごかった。リハの時から幸太に話してたんですけど、今までモーツァルトの交響曲のメヌエット楽章って、なくてもよくない? って思ってたんですよ。でもムーティが振ると、そのメヌエットの楽章がめちゃくちゃ意味を持ってくる。あれがあるからこそ、そのあとの終楽章がある。音楽家を名乗っているのに恥ずかしいんですけど、それが初めてわかりました。堂々として、品があって。言葉で表現しきれないものをこそ、音楽が表現するんだということを、まざまざと体験させてもらいました」
長原「メヌエットの楽章って、気を抜いてても弾けちゃうから、つい気を抜いちゃうじゃん。それを許さないんだよね。今度やるディヴェルティメントはメヌエットの楽章が2つある。とくにトリオのほうは、前にやった時と今回とで、遊びの要素に対する思い入れが俺の中で全然違うと思うんだ。だからそれは楽しみなんだよね。メヌエットで泣きそうになったのなんて、去年のムーティが初めてだったもん」
塩田・福川「わかる!」
塩田「ムーティのモーツァルトって、テンポは遅めかもしれないけど、遅くても軽さがあるというか…。あれが不思議なんだよ。重くならない」
福川「でもああいうのってさ、ムーティが振ってるとそういう音になるんだけど、じゃあそれを自分たちでやろうとすると、むずかしくない?」
長原「でもさ、今回はみんなそれを知っているメンバーだから、出したい音のイメージを共有できてると思うんだよね」
塩田「引き出しに入ってる」
長原「だから、ひょっとしたらムーティがいなくても、そういう音になるんじゃないかなと思ってる。みんながそれを目指してるわけだから」

こういうのを読むと、ムーティがクラシック音楽の未来を担う若い音楽家達に自分の学んできたものを伝えたいという想いがちゃんと受け継がれているのだな、と幸福な気持ちになる
そして塩田さんが仰っている「ムーティのモーツァルトの不思議な軽さ」というのは、私がウィーンフィルという楽団に感じる特徴でもあるな、と(ウィーンフィルの場合は「軽さ」というより「長い伝統の厚みを伴った不思議な軽やかさ」と言った方が正しいけれど)。
ムーティは昨年のニューイヤーコンサートの際に「彼らからウィーン音楽の典型的なフレージングを学びました。また多くの音楽的なアイデアを習得しました。私にとって”ウィーンフィルの音楽の作り方”が、まさに音楽の理想型なのです。」と言っていたけれど、モーツァルトの表現も、おそらくムーティはウィーンフィルから学んだのではないかしら、と想像するのでした。
ちなみにムーティの『39番』は、個人的に4楽章が好きです。流れるように心が浮き立つ感じが好き。それは今回聴いた春祭オーケストラでも感じることができて、ニヤニヤしちゃいました。

(休憩20分)

【シューベルト:交響曲 第8番 ロ短調 D759《未完成》】
これは素晴らしい演奏だったなあ。
この曲でもオケのぎこちなさは少々あるにはあったけれど、でもとてもいい演奏だった。SNSで前日の上野の演奏について「1楽章のティンパニの叩きが強烈で恐怖を感じさせた」という感想を多く見かけたけれど、今夜はムーティが修正を入れたのかティンパニは抑え目な音にされていました。その分、1楽章は弱音部分の不穏さにゾクゾクしました。冒頭の弦の「ファミファレミファソファソラシド」は楽章内で繰り返し登場するけれど、その度に得体のしれない不安が迫ってくる感覚が強まっていって凄かった。そして、そこに混ざる長調の主題の美しさに泣きそうになった…。シューベルトってどうしてこんな音楽を思いつくのだろう。よく作家が「言葉が降りてくる」という表現を使うけれど、本当にどこからか降ってきたのだろうとしか思えない。
2楽章も、胸がいっぱいになりました。1楽章と同じく長調と短調の交差する様は単純にそれらが対比されているのではなくて、最初は恐ろしい不安に打ち勝ちたいという想いがそこにあったのが、やがて諦念となり、慰めとなり、祈りとなっていくような…。モーツァルトとは違う種類の、シューベルト独特の音楽の清澄さ…。
この曲を今の世界情勢と重ねて聴くことも可能かもしれないけれど、シューベルトの音楽ってベートーヴェンと異なり交響曲でも響きが私的なんですよね。なので今回も、やはりシューベルトという一人の人間や人生を強く感じながら聴いていました。
2楽章の長調の響きは、まるでマーラー9番のよう。
シューベルトがこの作品を書いたのは25歳のとき。この年に彼は当時不治の病と言われていた梅毒の診断を受けて、六年後に31歳で亡くなった。
誰にも演奏されないかもしれないのに、彼はなぜこんな音楽を作れたのだろう…。彼はこの曲がオーケストラによって演奏されるのを一度も自身の耳で聴けていないのだろうか。未完成でも、非公式だとしても、一度も聴いていないのだろうか。これほどの響きを…。
それは悲しい想像だけれど、でも、村上春樹さんがシューベルトの人生について書いた「何かを生みだす喜びというのは、それ自体がひとつの報いなのである。」という言葉を思い、少し救われる。

【シューベルト:「イタリア風序曲」ハ長調 D591】
これも素晴らしかったなあ。帰りの電車の中でも、帰宅してからも、この明るいメロディーが耳の奥で鳴っていました。まるでオペラを聴いているよう。
今回のプログラムの3つの作品。通常ならメインの『未完成』で終わるのが普通だと思うのだけれど、今回の演奏会では最後がこの曲となっている意味がわかる気がしました。
18日の記者会見で、春祭実行委員長の鈴木幸一氏は次のように話されたそうです。

「ムーティさんと『《未完成》の第1楽章と第2楽章のどちらが好きか?という話をした。私は第1楽章だが、ムーティさんは第2楽章だと言う。『第2楽章は「祈り」だ。あそこまで深くなると残りは書けなくなる』と言っていた。その言葉に私は心を打たれた。音楽祭の最後は『祈り』である。でも人間は『祈り』だけでは生きられない。この音楽祭が人々にとって豊かな記憶や思い出となるようにしたい」twitter情報より)。

今回のプログラムでムーティが最後に明るく前向きな『イタリア風序曲』を置いたのも、「音楽の役割」について鈴木氏と同じような想いがあったからではないかしら。ムーティは初日のスピーチで「若いオーケストラ、若い音楽家の存在は、より良い未来への希望です」と言っていました。
それは、鈴木氏が東京春音楽祭を始めたきっかけとなったエピソードにも通じるものです。

(鈴木氏が)1970年代に仕事でプラハを訪れたのは、ドプチェクの改革運動「プラハの春」のあとの時期。ソ連がワルシャワ条約機構軍を率いて軍事介入し、プラハ中心部のヴァーツラフ広場にも戦車が並んでいるような状況だったそうです。

「仕事が終わった僕が帰国しようとしたら、地元の人々が『もうすぐプラハの春音楽祭だから、それを聴いてから帰国しろ。音楽祭だけが私たちの誇りだ』と引き止めるんですね。占領下で、本当に真っ暗な時代。でも人々は、音楽祭があるから生きていられるという。それぐらい音楽が強い力で喜びを与えてくれる。その体験が、この音楽祭を始めたきっかけです」
開幕記者会見より)


演奏後は、2回のソロカテコがありました。
2回目では舞台袖から走り出てきたムーティ。80歳なのに背筋が伸びてて、若いなあ
来年の春に再び上野でお会いできるのを楽しみにしています!


どうなる?水際対策──ムーティは「心配するな」と力強く(続・ふじみダイアリー)
コロナ禍でムーティが無事来日できるのかを心配していた春祭事務局に対し、ムーティは「東京春祭オーケストラと演奏することは、わたしの中でも非常にプライオリティが高い仕事だ。日本には絶対に行く。心配するな」と言っていたと
ちなみにこの記事にサラリと書かれてある「12月にイタリア・オペラ・アカデミーが本拠地のラヴェンナでなくミラノでの開催された」の件、その裏であった諸々のニュースを最近知りました(昨年5月のウィーンフィルを率いてスカラ座で公演をしていたムーティとその楽屋を訪れたシャイーとの一件を含め)。ツィメルマンやシフもそうだけど、音楽家の人達って本当に毎日色々なことが起きていますよね…。そしてslippediscの恐ろしいコメント欄を読むたびに「音楽家って精神的にタフじゃないとできない職業だな…」と感じる…。
ムーティが自伝でも「その話はしたくない」の一言で終わらせているスカラ座辞任事件。この記事が事実なら、16年たっても怒りが収まっていないムーティはスカラ座のオケを二度と指揮するつもりはなく、奏者達もムーティには二度と会いたくないと固く決心している、とのこと。ハイティンク&コンセルトヘボウにもいえることだけど、過去にどんなに蜜月関係があっても(あったからこそ?)、一度関係が壊れるとなかなか元には戻れないものなんですね…。まるで夫婦のよう…。

ムーティ&東京春祭オーケストラのリハーサルが始まりました!(続・ふじみダイアリー)

東京春祭オーケストラのメンバー表

シューベルト 「未完成」 交響曲の話(藤岡幸夫official site)
藤岡さんのシューベルトの話、シューベルト愛が強く感じられて好きなんです。

※以下は、18日の演奏前にムーティが英語で行ったスピーチの全文です。春祭公式HPより。
内容は先月28日にシカゴ響で行ったスピーチの方が遥かに直接的で強烈ですが(その前の24日にもスピーチをしています)、今回は東京春音楽祭ですし、日本で行うスピーチとしては今回のような愛と平和を全面に出した内容の方がやはり合っているのだろうな、と思う。

こんばんは。
日本語を話せなくて申し訳ないですが、コンサートの前に、一言だけお話ししたいと思います。 まず、18回目の「東京・春・音楽祭」のオープニングを飾ることができ、大変嬉しいです。 この素晴らしい祭典の主催者にお祝いを申し上げます。

次に、数日前にシカゴ交響楽団の指揮台からも申し上げましたが、世界の劇的な状況の中で音楽を演奏することは、我々や特に若い音楽家にとって非常に困難なことです。
もちろん、ウクライナのことを考えています。

ベートーヴェンが音楽に込めたように、音楽は、調和、美、平和、兄弟愛をもたらすはずです。
その一方で、罪のない人々が殺されていることや、女性、男性、子供から、自由、誠実さ、尊厳が奪われていることを知りながら、音楽を奏でることは困難です。
どんな状況であっても音楽を絶やしてはいけません。

そして、このような困難な状況にもかかわらず、皆様がここに来てくれた。
そして、先日の強い地震に私も遭遇しました。それでも皆様がここに来てくれた。
そして、私たちは皆様のために演奏し、ウクライナの人々のために演奏し、苦しんでいる世界中のすべての人々のために演奏します。

皆様は、ジュゼッペ・ヴェルディの《シモン・ボッカネグラ》の音楽をご存じだと思います。
シモンは泣いてこう言います。

E vo gridando: pace!
E vo gridando: amor!

「私は叫びたい、平和を!」と
「私は叫びたい、愛を!」と

必死に求め、平和と愛を手に入れるために泣いているのです。

この精神と共に、私たちは皆様のために演奏します。
若いオーケストラ、若い音楽家の存在は、より良い未来への希望です。
ありがとうございました。

KONBANWA.
Before the concert, I am sorry I don’t speak Japanese yet.
But before the concert, I want to say just a few words.
First, it’s a great pleasure for me to open the 18th edition of the Spring Festival in Tokyo, and I want to congratulate the organizer of this wonderful festival.

Second thing, it’s very difficult, as I say that from the podium of Chicago Symphony Orchestra few days ago, it’s very difficult for us, and especially for the young musicians to play music in a dramatic situation in the world. Then I am thinking, of course to Ukraine.

Music brings, or supposes to bring harmony, beauty, peace, as brotherhood, as Beethoven put in music. It’s difficult to play music when we know in the meantime when innocent people are killed. And other people take away from women and men and children, freedom, integrity, dignity.
In any case music must go on.
And the fact that you are here, despite the difficult situation, And I experienced with you a strong earthquake, but still you are here. And we will play for you, we will play for people of Ukraine and all the people in the world that are suffering.
You know, am sure that many of you, know the music of Verdi, Giuseppe Verdi and Simon Boccanegra, Simone cries and says,

E vo gridando: pace!
E vo gridando: amor!

And asking desperately, and I am crying to have peace, to have love. With this spirit we will play for you.
I want to say for that presence of young orchestra, young musicians is good hope for better future. Thank you.



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スミルノワ、ヴィシニョーワ、ババヤン

2022-03-18 16:59:36 | 日々いろいろ

ヤフーに「名門ボリショイ・バレエ団のスター、戦争を批判しオランダに移籍へ」という記事があったので誰かな?と思ったら、スミルノワか…。
Olga Smirnova: Ballerina leaves Russia for Netherlands after denouncing war(BBC)

スミルノワさんは3月に入り、「現代の見識ある世界においては、文明社会は平和的な交渉によってのみ政治問題を解決することを期待している」などとする文章を公表。
「ロシアを恥じることになるとは思わなかった。才能あるロシアの人々、私たちの文化、運動面での業績をいつも誇りに思ってきた」、「しかし今や、以前と以後を区別する線が引かれたと感じている。人々が死んでいき、頭上の屋根を失ったり家を後にせざるを得なかったりしているのは痛ましい」とした。
そして、「数週間前、こんなことが起こると誰が予想しただろうか。私たちは軍事紛争のただ中にはいないかもしれないが、この世界的大惨事に無関心ではいられない」と書いていた。
オランダ国立バレエ団は声明を出し、スミルノワさんの移籍を歓迎。彼女はその言動により、「生まれた国で働くことが不可能になっている」とした。

同じ記事では、シクリャローフやヴィシニョーワの言葉も紹介されていて、ヴィシニョーワについては、
マリインスキー・バレエ団の元プリンシパルダンサーで、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場のソリストをつとめたディアナ・ヴィシニョーワさん(45)は、「私たちは戦争といかなる暴力行為にも反対を表明する。悲しみ、無念、支援の言葉、同情で、私たちの心はいっぱいだ」とした。
と。
ヴィシニョーワについて過去形で書かれてあるので(BBCの原文でも)「ヴィシ様、いつの間にマリインスキーを退団してたの」とマリンスキーの公式ページを確認したら、普通にprincipalsに名前があった。シクリャローフも。
自らバレエ団を去る人達はともかく、残るつもりはあるトップダンサー達(ヴィシニョーワ達に残るつもりがあるかは別として)を政府批判したという理由だけでプリンシパルから外したり退団させるような処置を万が一ロシア政府がするなら、それは完全にロシア側にとって一方的な損失となり西側にとって一方的な得となるだけとしか思えない。頭脳の海外流出も痛いだろうけど、文化の海外流出も同じかそれ以上に取り返しがつかないことになると思うがなあ。
プーチン大統領は海外の要人が訪ロしたときはいつもバレエやオペラやクラシック音楽の演奏会に連れて行っていたと聞く。そういう時に誇らしげに紹介できる音楽家やダンサー達がロシアからいなくなってしまったら一番困るのは自分ではなかろうか。

ボリショイで踊るスミルノワをもう見られないことはすごく残念だけど、なんとなくスミルノワがこういう選択をしたことはすんなり理解できる気がするのでした。
個人的な印象だけど、彼女の踊りにはロシアの空気が薄いように感じられたし(悪い意味ではなく)、これまでのインタビューの受け答えの感じでも彼女は西側のバレエ団の方が合っているような気がする。
彼女の未来を応援しています。
しかしこれでチュージンと踊るグリゴロ版白鳥完全版を二度と見られなくなったな…。

話は変わって、先ほど春祭からこんなお知らせが。


春祭事務局、今日の開幕記者会見で全公演のプログラムをライブストリーミング配信すると言ったばかりなのに、何があったの?と思ったら、公式ページに詳しく書かれてありました。
「出演者本人より、昨今の世界情勢により精神的に落ち着かない状態が続いており、今回は演奏に集中するためにも、カメラ等の設置を避けられないかと相談を受け、協議の結果、誠に残念ながら配信を中止することといたしました。」
そうか、そうだよね…。愛弟子のトリフォノフともども大変な状況なのだろうなと想像する。ババヤンはロシア人ではないしアメリカで教授職にある人ではあるけれど、ゲルギエフとよく共演していた人でもあるし…。
なお曲目変更は、以下のとおり。作曲家自体が変更になったのが赤字部分で、作品だけ変更になったのが青字部分。

【旧】
ペルト:アリーナのために
リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171
J.S.バッハ:《平均律クラヴィーア曲集》 より(抜粋)
リャボフ:幻想曲 ハ短調 op.21 《マリア・ユーディナの思い出に》
ラフマニノフ:
 練習曲集《音の絵》 op.39 より 第5曲 変ホ短調
 楽興の時 第2番 変ホ短調 op.16-2
 楽興の時 第6番 ハ長調 op.16-6

【新】
J.S.バッハ(ブゾーニ編):無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV1004 より シャコンヌ
シューベルト(リスト編):
 《美しき水車小屋の娘》S.565 より 第2曲 水車小屋と小川
 《12の歌》S.558より
  第8曲 糸を紡ぐグレートヒェン
  第2曲 水に寄せて歌う
ラフマニノフ:
 練習曲集《音の絵》op.39 より
  第5番 変ホ短調
  第1番 ハ短調
 《楽興の時》 op.16 より
  第2番 変ホ短調
  第6番 ハ長調
リスト:バラード 第2番 ロ短調 S.171
シューマン:クライスレリアーナ op.16

私はアルヴォ・ペルトやウラディーミル・リャボフという名前を今回のプログラムで初めて知ったようなクラシック音楽初心者なので(現代音楽の作曲家なんですね)、変更後のプログラムの方が親しみやすいことは確かですが。
いずれにしても今は無事来日して、無事演奏会が開催されればそれだけでいい

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老化。。。

2022-03-17 14:13:35 | 日々いろいろ


ブランデンブルク門©共同

前回、我が市の市庁舎がウクライナ国旗の色にライトアップされている話を書きました。
その関連ニュースの中に、こんなニュース↓があったのですが。
『ライトアップで連帯表明 仏独首都、国旗の色に』
これを読んだときに私が最初に感じたことは、

「ドイツの首都ってボンじゃなかったっけ?」

でした。
恐ろしいことに本気でそう思ったんですよ。
この記事間違えてるんじゃない?とまで思って、「ドイツ 首都」とググることまでしたんですよ。
そしたら。

ドイツでは、1990年の東西ドイツの統一を機に旧西ドイツの首都であったボンからベルリンへの首都機能移転の議論が本格化し、1991年の連邦議会のベルリン移転決議を経て、1999年9月に移転が実施されました。
(国土交通省)

・・・うん、そういえばそうだったよね・・・。
別にドイツの首都を知らなかったとか忘れていただけならどうってことないんですよ。
何が恐ろしいって、ワタシ、この直後(たしか2000年)にベルリンに行ってるんですよ。ちょうど東ベルリンの街並みが西側のように変わる前に見ておいた方がいいと言われていた時期で。
そのときは当然首都だと認識して行っていて、それからン十年、ドイツの首都=ベルリンと当然に認識していたのに、今回ググるほどまで本気で「ボン」と思ったことが恐ろしすぎる
これって、今でも思わずロシアをソ連と言ってしまうのとは意味が違う(実は今でも5年に一回くらい言い間違う。が、さすがに「いやソ連のはずでしょ」とググったりはしない)。

先日も書きましたけど、英単語もそうなんですよ。むかーしちゃんと覚えて、それからずっと知っていた単語のはずで、しょっちゅうではなくても使っていた単語のはずなのに、最近本気で忘れてるんです。

老化って、ただ記憶を忘れていく一方向パターンだけじゃなくて、真ん中の数十年がそっくり抜けて昔の時間に戻っちゃうブーメランパターンもあるんですかね。。。
私、まだ45なんですけど。。。

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アトランタ、ヘルシンキ、ワルシャワ、オデッサ

2022-03-15 20:11:56 | 日々いろいろ



写真は、今朝の朝食です。
地元の有名なドーナツ屋さん🍩が最寄り駅で期間限定出店していたので、買ってみました。
シナモンドーナツなんですけど、ブラックコーヒーとよく合って美味しかった
先日旅先で買ったお土産を見るとその場所の空気が一瞬で蘇るという話を書きましたが、食べ物もそうですよね。
20歳のときに数ヶ月ほどアメリカ南部で過ごしたことがあって、週末によく国内旅行をしたのですが、学生でお金がなかったので泊まったのはいつもモーテルでした(アメリカのモーテルはこういう感じの、よく映画とかに出てくるアレです。日本のラブホの意味はありません)。
アトランタのモーテルでは朝になるとロビーにコーヒーとドーナツが置かれてあって、それがセルフサービスの朝食でした(無料)。特別美味しいドーナツでもコーヒーでもないのですが、20歳の私は「アメリカだな~〜〜♪」と感じて、楽しい気分になったのを覚えています。ン十年前の話ですが、今もドーナツとコーヒーを食べるとアメリカの朝の空気を思い出す。

シナモンロールも、食べる度にヘルシンキを思い出す食べ物です。
特別好きなお菓子ではないけれど、あの街の空気を思い出せるので、日本でもときどき買ってしまいます。
旅行中にホテル近くのヘルシンキ中央駅の構内を散歩していたら、モスクワ行きの列車が普通に停まっていて、「これに乗ったらモスクワまで行けるのか」と不思議な気がしたものでした。初海外からン十年たっても、いまだにそういうことに感動してしまう島国育ちの私。




ヘルシンキ中央駅

ところでヘルシンキの街に着いたときの私の第一印象は、「ロシアの街みだいだな」でした(ロシアには行ったことないけれど)。
隣の国だから街も似るのかな?とその時は深く考えなかったのだけど、先ほど試しに「ヘルシンキ ロシア 街並 似ている」とググってみて、こんな事実が。

ヘルシンキはロシアの支配下にあったときに置かれた首都で、街並みは「サンクトペテルブルクに似ている」と倉方さんは言う。「ロシアは伝統的にドイツ人建築家を登用してきた国で、ヘルシンキでもドイツ人建築家が公共建築をつくっています。新古典主義的な建築が多く残っています」。
その代表的な例がドイツ人建築家カール・ルードヴィッヒ・エンゲルが設計したヘルシンキ大聖堂(1852年)だ。デザインはサンクトペテルブルクの大聖堂を参照しているとされる。
フィンランド人のルーツは中央アジアにあるといわれる。フィンランド語はウラル語族に属し、インド・ヨーロッパ語族のスウェーデン語やノルウェー語とはまったく異なる構造を持つ。独自の文化を持ちながらも、フィンランドはスウェーデンとロシアという大国に挟まれて翻弄され続けてきた。
「ロシアの支配下にあった19世紀半ばに、口承文学を収集した叙事詩集『カレワラ』が出版されました。フィンランドに豊かな文化の伝統があることが世に示されたわけです。それを元にシベリウスが交響詩『フィンランディア』を書き、民族意識が盛り上がって、独立へとつながっていきました。そういう意味でフィンランドは、北欧の中でも最も熱いナショナル・ロマンティシズムが沸き起こった国といえるでしょう」。
Lifull Home's Press

へ~
あの街並みにはちゃんと理由があったんですね。
ロシア帝国の支配下にあったときに首都になった街だから(1812年)。なるほど。1809年にフィンランドはスウェーデンからロシアに移譲されています。
ポーランドもですが、ヨーロッパの小国が辿ってきた歴史というのは、海に囲まれている島国の我々には想像できない凄絶さがありますよね…。まあ我が国も他人事ではないかもですが。


フィンランド航空でヘルシンキに行ったときのflight map。
世界地図を見ていると、フィンランドの隣国であるロシアが日本の隣国でもあることがよくわかる。そして中国と北朝鮮。日本って海に囲まれてはいるけど、実は地理的に相当ヤバイ場所にあるのよね。過度に恐れる必要は全くないけど、いざとなった時に冷静に対処できるよう、選択肢は時間のあるうちに議論&準備しておく必要はあると思うな。もちろん感情論は排して。
そういえば今はヨーロッパ線の航空機はロシア上空を迂回しているので、通常より+2~4時間の飛行時間になっているそうで↓

©Inpress Watch
JALは北回り、ANAは中央アジア。Google Earthで見る「ロシア上空を避けたルート」
「北周りはかつてのアンカレッジ経由と同様のルート」とあるけど、アンカレッジ経由って北極の真上を突っ切るわけじゃなかったのか

そして今、こんなニュースを見ました。
ロシア人の隣国フィンランドへの出国相次ぐ (NHK)
ロシアからフィンランド行きの列車は満席だそうです。
のんびりしていたヘルシンキ中央駅の構内も、今は全く違う光景になっているのでしょうね…。

こちらは、ポーランド。
ポーランドに脱出 170万人超 首都人口15%が避難民に 受け入れは“限界”に...(FNN)
道に迷ったりダブルブッキングがあったりと色んな意味で思い出深いワルシャワ中央駅。数年後にこんな光景を見ることになるなんて…。

そして、こんなニュースも……。
【速報】ロシア「南部ヘルソン州を制圧」 重要都市オデッサに迫る(FNN)
Odessa Opera House Members Sing & Prepare for Attack(Operawire, Mar 13, 2022)
ギレリスの生まれ故郷で、リヒテルが3歳から住んだ街、オデッサ。
ギレリスが13歳で初ソロリサイタルを行い、リヒテルが15歳からコレペティートルとして働いたオデッサ歌劇場では、今月ヴェルディの『アイーダ』『イル・トロヴァトーレ』、チャイコフスキーの『イオランタ』と3つのオペラの上演が予定されていましたが全てキャンセルとなり、ミュージシャン達は街に残った市民達と共に土嚢を積み上げ、予想される攻撃に備えているそうです。歌手達は応急処置のトレーニングを受けたりライフルの使い方を学んでおり、また市民を楽しませるために、一週間を通して劇場前で野外コンサートを行っているとのこと。12日には劇場の建物を守るために設置されたバリケードの前で、歌劇場の楽団と歌手達によりウクライナ国家やヴェルディのオペラ『ナブッコ』の“Va Pensiero”などが演奏されたそうです。コンサートは「FreetheSky」と題され、「ウクライナ上空を飛行禁止区域とすることを世界各国に呼びかけるのが目的」であると。


写真は、オデッサ歌劇場の公式ページより。「ウクライナ最古のオペラハウス!」とあります。
この美しい建物は1887年築。
街の重要部分であるためオデッサの「Cultural Heart(文化の中心)」と言われていると、上記Operawireの記事にありました。
ギレリスもリヒテルもロシアが誇る音楽文化にこれ以上なく貢献したピアニスト達なのに、その大切な故郷の街がロシアにより破壊されるかもしれないなんて…。

オデッサの姉妹都市である我が市の市庁舎も、ウクライナ国旗の色にライトアップされているそうです。4日にはオデッサ市から我が市へ応援メッセージをもらいたいとの連絡が届いたそうで、両市長による会談も行われたと…。

今日のブログはドーナツの明るい話題にしようと思っていたのに、すみません。最初は「ドーナツとコーヒーとアメリカ🍩」っていうタイトルにしてたんですけど…。

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音楽と政治について考えてみる 3

2022-03-13 02:17:31 | クラシック音楽

ロシアの若手ピアニスト、アレクサンダー・マロフェーエフ(Alexander Malofeev)が、8月にバンクーバーで予定されていたリサイタルに続き、今月9,10,13日に予定されていたモントリオール響との演奏会もキャンセルになったというニュースを読みました。マロフェーエフは既にモントリオールに到着していたそうです。
この決定はウクライナ人コミュニティからの要請に従ったものだそうで(電子メールを使用したキャンセル要請キャンペーンが行われたとのこと)、当初モントリオール響は彼がウクライナ侵攻に反対する声明を出していることを理由に要請を拒否したそうですが、最終的にピアニストの現段階での演奏は不適切であると判断したそうです(Montreal Gazette)。ウクライナ人コミュニティ曰く「ピアニストの戦争に対する態度は問題ではない。ロシア文化が宣伝されるということが問題なのだ」と(CJAD)。また配偶者の家族がウクライナにいる等の一部の楽団員から「彼との演奏を拒否する」旨の申し出もあったそうです(CBC)。
これは先日のカーネギーホールのキャンセルの流れと似ていますね。当初カーネギーホールの芸術監督Clive Gillinsonとウィーンフィルの事務局長Daniel Froschauer は「音楽と政治は別である」としてゲルギエフ指揮の演奏会の開催を目指しましたが、ウクライナ人抗議団体による圧力が増し(こちらはSNSのハッシュタグを使用したキャンセル要請キャンペーンが大々的に行われたそうです)、最終的にキャンセルになったとのこと(The Washington Post)。

以下は、バンクーバーのキャンセル決定後の今月7日にマロフェーエフがfacebookに投稿した文章です。和訳は私によるものなので、誤りがあったらご容赦ください…。原文も載せておきます。

いま起きているあらゆることを見るのは、私にとって非常に辛いことです。私はロシアや世界中でこれほど多くの憎しみがあらゆる方向へ向かっているのを見たことがありません。私がこの数日個人的に連絡を取り合っている人々の殆どは、ただ一つの感情、恐怖に導かれています。
私は今、記者達から声明を出すことを求められています。それは私にとって非常に心地の悪いことであり、またその声明がロシアの家族に与えうる影響についても考えます。
ロシアの文化と音楽が現在進行している悲劇によって傷つけられるべきではないと私は今でも信じていますが、今は切り離すことは不可能です。
正直なところ、今私ができることは、祈り、涙を流すことだけです。
明白な結論はあるように思われます:戦争によって問題を解決することはできず、国籍によって人を判断することはできないということです。しかしなぜ、たった数日のうちに、全世界は、全ての人が恐れと憎しみのどちらかを選択するというような状態に逆戻りしてしまったのでしょうか。
私は私の問題が、ウクライナに住む私の親戚を含むウクライナの人々の問題と比べ、重要でないことを理解しています。今最も重要なことは、流血を止めることです。私が知っているのは、憎しみの広がりは何の助けにもならず、より多くの苦しみを引き起こすだけだということだけです。

It is very painful for me to see everything that is happening. I have never seen so much hatred going in all directions, in Russia and around the world. Most of the people with whom I have personally communicated these days are guided by only one feeling - fear.
I am contacted by journalists now who want me to make statements. I feel very uncomfortable about this and also think that it can affect my family in Russia.
I still believe Russian culture and music specifically should not be tarnished by the ongoing tragedy, though it is impossible to stay aside now.
Honestly, the only thing I can do now is to pray and cry.
It would seem that there are obvious conclusions: no problem can be solved by war, people cannot be judged by their nationality. But why, in a few days, has the whole world rolled back into a state where every person has a choice between fear and hatred?
I do understand that my problems are very insignificant compared to those of people in Ukraine, including my relatives who live there. The most important thing now is to stop the blood. All I know is that the spread of hatred will not help in any way, but only cause more suffering.

そしてモントリオール響との演奏会がキャンセルになった9日には、「(演奏会を楽しみにしてくださっていた)聴衆の皆様に心からお詫び申し上げます」というメッセージを投稿しています。
若干20歳の彼がこんな言葉を書かなければならない今の世の中が、ただただ悲しいです。
モントリオール響は、今回の演奏会はキャンセルになったが"We continue, however, to believe in the importance of maintaining relationships with artists of all nationalities who embrace messages of peace and hope. We look forward to welcoming this exceptional artist when the context allows it."と言葉を添えています。

カナダという一つの国の中でも意見は様々のようで、モントリオール大学の歴史学の名誉教授Yakov Rabkinは、ロシア人音楽家のボイコットには反対だと言います。
「それで誰かが助かるとは思いません。ただロシア人に対する憎しみを生み出すだけです。それで何かが変わるとは思いません。ロシアの国民に対して逆効果をもたらすだけです」。
一方でカナダ芸術評議会の会長Simon Braultは、ウクライナで起きている残虐行為に対する答えとして文化的制裁は必要だと言います。
「プーチンを支持していないロシア人アーティスト達にとって不運であることは確かですが、本当の犠牲者は我々の舞台にではなく、ウクライナにいるのです。ロシアやベラルーシが関与する芸術活動にカナダの公的資金が使われないようにすることが不可欠です。それは芸術はバブルの中で守られているわけではないという警告になります」
Montreal Gazette, Mar 09, 2022)

そんな中、ニューヨーク州のバッファローフィルハーモニー管弦楽団は5日、予定どおりマロフェーエフとの演奏会を行いました。オーケストラのコメントは、以下のとおり。
「我々は、ウクライナで起きている紛争の重大さを認識しています。我々は、音楽には世界中の人々に慰めと平和と団結をもたらす力があると信じています。苦しんでいる全ての人々を支援するため、今回の公演をウクライナの国歌の演奏で始めます」
the Buffalo Philharmonic Orchestra)。
ウクライナ国歌で始まる演奏会で弾くことが彼や彼の家族に危険を及ぼさないのだろうか…と心配になりますが、多くのロシア人アーティスト達が現在そのような状況下で活動をしているのでしょう。

なおマロフェーエフのリサイタルをキャンセルしたVancouver Recital Societyは、今春のキーシンのリサイタルは予定どおりに行うそうです。キーシンはウクライナ侵攻を「犯罪」と呼び、明確に非難する声明を出しているためです。家族とモスクワに住むマロフェーエフとは異なり、キーシンは何年も前にロシアを去っており、イギリスとイスラエルの市民権も持っています。キーシンと同じ行動を全てのロシア人音楽家達に求めるのは酷でしょう。キーシン自身も「過去に明確にプーチンを支持してきた音楽家に声明を要求するのは当然のことだが、そうではない音楽家に声明を要求すべきだとは思わない」と言っています。

先ほどyoutubeで、こんな映像を見つけました↓
昨年9月にジョージアで開催されたTsinandali Festivalの映像です。上は食事会の様子ですかね。世界中の錚々たる顔ぶれの音楽家達が、年齢も国籍も超えて笑顔で同じテーブルを囲んでいます。マロフェーエフと真央君はお隣の席。このほんの数か月後に世界の音楽界が真っ二つに分断されてしまうとは、誰が想像したろう(プーチンは想像したかもしれないが)。
ゲルギエフにあれほど可愛がられ「マエストロいつもとてつもなく優しい。」と言っていた真央君。今どんな気持ちでいるのだろうか…。

Tsinandali Festival 2021


Tsinandali Festival 2021 I Third Edition


※追記

12日のマロフェーエフの投稿より。モントリオール響の客演指揮者マイケル・ティルソン・トーマスと。二人の初協演は中止になってしまいましたが、現地で会う時間を持つことはできたようです。アメリカ人のMTTは今回のキャンセルを受けて“I was very pleased to be working in Montreal for the first time with the extraordinary young pianist Alexander Malofeev. It is regrettable that political situations have made it impossible. I look forward to the possibility of collaborating with him in the near future,” とコメントを出していました。
ウクライナの人々はこういう時間を持つことさえできないのに、という批判もあるかもしれませんが、それもそのとおりですが、私は二人が会う時間を持ててよかったな、と感じます。MTTは脳腫瘍の診断を受けているとのこと(お酒飲んで大丈夫…?)。ご健康と、遠くなく二人の協演が叶いますように祈っています。そしてウクライナに一日も早く平和が戻りますように。

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音楽と政治について考えてみる 2

2022-03-08 02:11:17 | クラシック音楽

毎日やりきれないニュースが続きます。

ロシア人指揮者のトゥガン・ソヒエフさん(44)が6日、ロシアを代表する劇場のひとつであるボリショイ劇場の音楽監督兼首席指揮者と、フランスのトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督の双方を辞任した。
ソヒエフさんは「フランス=ロシア・フェスティバル」を企画するなど、国境を越えた様々な音楽的交流を実現してきた。「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られた」ため、辞任を決意したとし、「これからも『音楽家』として彼らのそばにいる」との声明を発表した。
ソヒエフさんはボリショイで2014年から、トゥールーズ管で2008年から、それぞれ音楽監督を務めてきた。
朝日新聞

ソヒエフは、ゲルギエフとルーツを同じくする北オセチアのウラジカフカス出身。3日にトゥールーズ市長から、次回の演奏会までにロシアのウクライナ侵攻について 明確なコメントを出すように要請されていたそうです。それに対して彼が出した答えは、仏露いずれかを選ぶのではなく、双方のオーケストラを辞任することでした。
ボリショイ劇場の音楽監督が政権と完全に分離しているなどということはあり得ないけれど、私の知る限りではソヒエフはゲルギエフのようにプーチン支持を公言していた人ではないはず。トゥールーズはウクライナの首都キエフと姉妹都市の関係にあるそうなので(キエフはミュンヘンとも姉妹都市でした)、今回の市長の要求にはそういう事情も影響していたのかもしれません。

一方、先日ゲルギエフとマツーエフを降板させたばかりのニューヨークのカーネギーホールでは、3日にトリフォノフのリサイタルが行われました。ホールの芸術監督Clive Gillinson曰く「あの決断はロシア人一般に対してではなく、著名なプーチン支持者である彼ら個人に対して行ったものである。我々は国籍でアーティストを差別することはしない」とのこと。
スポーツ界についてはどうかわかりませんが、少なくともクラシック音楽界においては必ずしも「ロシア人だから」という理由だけでアーティストを排除する機関ばかりではないようです。

Too Close to Putin? Institutions Vet Artists, Uncomfortably. (March 5, 2022, New York Times)
“We’re facing a totally new situation,” Andreas Homoki, the artistic director of the Zurich Opera, said. “Politics was never on our mind like this before.”
(チューリッヒ歌劇場の総監督アンドレアス・ホモキは「我々は全く新しい状況に直面しています。政治がこのように我々を悩ましたことはかつてありませんでした」と述べた)

ゲルギエフに関してはこれまでも行く先々で抗議デモが待ち構えている状況だったけれどあれは例外的で、今回のようにロシア人一般が対象となるケースは確かに「音楽界が初めて直面している状況」なのでしょう。
アーティストとプーチン政権の距離がtoo close(近すぎる)か否かをどのように判断するのか、本人に何らかの声明を要求するのか、どこまでの表現を要求するのか等の判断は現在のところ機関によって異なり、どこも手探り状態のようです。
ロシアのような言論の自由が保障されていない、発言次第では家族にも危害が及ぶ恐れのある国のアーティストに「プーチン非難の声明」を要求することにどんな意味があるのか?、個人的には大いに疑問ですが。
とはいえ、音楽と政治の関係について手探りながらも活発な議論が続いている西側の音楽界。
腹立つことは山ほどあるけれど、それでも私が東側より西側に信頼を置くのは、こういう部分なんですよね。異なる意見がちゃんと表に出て議論されているという事実。多様な意見が権力に抑えられることなく公になっていさえすれば、それだけでも自然にバランスはとれていくものだと思うから。

Experts warn that the pressure to take a tough stance against Russian artists risks ending decades of cultural exchange.
“The more we antagonize, the more we cut off, the more we ban, the more we censor and the more we have this xenophobic reaction, the more we play into Putin’s hands,” 
(ロシア人アーティストに対して強硬姿勢をとらねばならないという圧力は、数十年に及ぶ文化交流を終わらせる危険性があると専門家は警告する。「我々が敵対すればするほど、断ち切るほど、禁止するほど、検閲するほど、外国人を嫌悪するほど、プーチンの思うつぼです」)

それより私は日本のメディアの方が心配だわよ。冒頭に載せた朝日新聞の記事は事実がありのままに書かれてあったけれど、他のメディアは「ロシアの指揮者がボリショイ劇場を辞任!」みたいな偏った見出しばかりで、トゥールーズ辞任については全く触れていない新聞もある(朝日新聞が中立なメディアと言いたいわけではないです。今回の記事では、という意味)。ロシアのオーケストラを辞めたことではなく、仏露のオーケストラを同時に辞任せざるを得なかったというところに重要な意味があるのに。これが意図的なものでなければいいけれど、なんだか日本という国がどんどんおかしな方向に進んでいるような気がして仕方がない。社説は好きに書けばいいですが、事実は何も隠さず何も足さずありのままに報道していただきたい。

ところで「ゲルギエフもソヒエフのようにマリインスキーを辞任するくらいの気概を見せてほしかった」みたいな意見をいくつかtwitterで見かけたけれど、1988年から34年間マリインスキーの音楽監督をしてきた68歳のゲルギエフと2014年から8年間ボリショイの音楽監督をしてきた44歳のソヒエフを比べることはできないですし、比べても意味はないと思う。オケとの関係も、プーチンとの関係も、ロシアでの立場も、それぞれが抱える事情も異なるのだから。
ですが先ほども書いたとおり、西側の国々も少しずつロシア人アーティスト達への対応についての議論が進んでいるようですし、少なくとも現政権との繋がりが濃くはないアーティストに関しては、希望を捨てる必要は全くないと私は思っています。時間はかかるかもしれませんが、信じて待ちたいです。もちろん私はゲルギエフの音楽も愛しているので信じて待ちたいと思っていますが、こちらはどうなるか…。マリインスキーやボリショイのバレエ団の来日も今後どうなるか全く想像つきません…。
ウィーンフィルが"For us, music always has something that connects us and not separates us."(私達にとって、音楽はいつも私達を繋ぐものであり、分断するものではありません)(Operawire, 24 Feb 2022)と言っていたように、政治により世界が分断してしまっている時だからこそ、音楽には世界を結びつける存在であってほしいと心の底から思いますし、また音楽にはその力があると信じたいです。

以下は、ソヒエフのメッセージの全文です。
誠実な、読む者に今の音楽界で起きている状況について考えさせないでおかない、悲しいコメントだと思います。
日本語訳はkajimotoのHPから拝借しました。ゲルギエフのマネジメント会社はjapan artsですが、ソヒエフはkajimotoなんですね。


トゥガン・ソヒエフからのメッセージ – Message from Tugan Sokhiev

多くの方が、私が現在の自分の見解を表明し、現在起きていることに対する私の立場を明らかにすることを望んでいると思います。

今、何が起きているのか、そしてそれらによって私の中に生まれた極めて複雑な感情をどう表現すればよいか、考えをまとめるのに時間がかかりました。

はじめに最も重要なことを申し上げなければなりません。私は、どんな形であれ、紛争を支持したことはありませんし、これからも反対しつづけます。音楽家である私に、平和を望んでいるかどうかの質問を投げかけ、音楽で地球上の平和以外の何かを語ろうとしていないかを問いただす人がいることが、私にとっては衝撃的であり不快なことです。

私の20年にわたるキャリアの中で、人類は様々な紛争に直面してきましたが、私はいつも仲間の音楽家たちとともにすべての紛争の犠牲者に対する支援や思いを示し、表現してきました。これこそが私たち音楽家の使命なのです。音楽で物事を表現し、音楽で感情を語り、音楽で慰めを必要とする人たちに寄り添います。私たち音楽家は幸運なことに、音楽という国際的な言語をもち、時として文明社会に存在するどの言葉よりも雄弁に語れるのです。

私は、豊かな文化を持つ国ロシア出身の指揮者であることを常に誇りに思っていますし、同時に、2003年からフランスの豊かな音楽文化の一翼を担っていることも大変誇りに思っています。これこそが音楽の役割なのです。音楽は、異なる大陸や文化の人々、アーティストたちを結びつけ、国境を越えて魂を癒し、この地球上の平和を愛する全ての存在に希望を与えてくれるものです。音楽はドラマチックで、叙情的で、愉快で、悲しいものです。しかし決して攻撃的なものではありません!これこそが、私とトゥールーズの素晴らしいオーケストラとの実りあるパートナーシップが示すものであり、ボリショイ劇場の優れたアンサンブルがロシアでの公演やヨーロッパツアーのたびに私に教えてくれたことです。トゥールーズでもボリショイ劇場でも、私はウクライナの歌手や指揮者を定期的に招いていました。国籍のことなど、私たちは考えたこともありませんでした。私たちは共に音楽を創りあげることを楽しんでいたのです。そしてそれは今でも変わることはありません。フランスとロシアの人々が歴史的、文化的、精神的、そして音楽的につながっていること、そして私が愛するこの2つの偉大な国のつながりを誇りに思っていることを人々に示すために、トゥールーズでフランス=ロシア・フェスティバルを立ち上げたのです。今日、このフェスティバルはトゥールーズの政治家や行政によって開催が阻まれています。なんと嘆かわしいことでしょう。そして彼らは、私に平和に関する見解を表明するよう求めているのです!私は、このフェスティバルがどのような政治的な言葉よりも、架け橋として多くのことを成し遂げられると信じています。

この数日というもの、私はこれまで想像だにしなかったものを目の当たりにしています。今、私はヨーロッパで選択を迫られ、仲間の音楽家たちの中からどちらか一方を選ぶことを余儀なくされています。
私は、どちらかひとつの文化的伝統を選ぶよう求められています。
私は、特定のアーティストを選ぶよう求められています。
私は、特定の歌手を選ぶよう求められています。
まもなく私は、チャイコフスキーやストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチと、ベートーヴェン、ブラームス、ドビュッシーのどちらかを選ぶようにと求められるでしょう。ヨーロッパの一国であるポーランドでは、すでにロシア音楽が禁止されています。

私は、仲間であるアーティスト、俳優、歌手、ダンサー、指揮者たちが脅され、不当に扱われ、“キャンセル文化”の犠牲になっている様を目撃することに耐えられません。私たち音楽家は、偉大な作曲家の音楽を演奏し解釈することによって、人類がお互いに思いやりと尊敬の念を持ち続けるための特別な機会と使命を与えられているのです。私たち音楽家は、ショスタコーヴィチの音楽を通して戦争の悲惨さを人々に思い起こさせるために存在しているのです。私たち音楽家は、平和の使者なのです。今や私たちや私たちの音楽は国や人々を結びつけるために用いられるのではなく、分断され、排斥されようとしています。

以上のような理由から、そして、愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたことから、私はモスクワのボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督の職を即刻辞任することにしました。この決断は、私がボリショイ劇場や トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽家たちと知り合うことができてとても幸運であったということをお伝えするためのものです。これら2つの団体の素晴らしいアーティストたちと音楽を創ることは常に光栄なことであり、私はこれからも「音楽家」として彼らの側にいます!!!!!!!

トゥガン・ソヒエフ

I know that many people were waiting for me to express myself and to hear from me my position on what’s happening at the moment.

It took me a while to process what is happening and how to express those complex feelings that the current events provoked in me.

First of all I need to say most important thing: I have never supported and I will always be against any conflicts in any shape and form. For some people even to question my desire of peace and think that me, as a musician could ever speak for anything other than Peace on our planet is shocking and offensive.

During various catastrophic geopolitical events our humanity faced during last twenty years of my career, I always remained with my fellow musicians and we always, together, shown and expressed the support and compassion for all the victims of those conflicts. This is what we musicians do, we express things with music, we say emotional things with music, we comfort with music those who need it. We musicians are the lucky ones to be able to speak this international language that can sometimes express more than any words known to civilisation.

I am always very proud to be a conductor who comes from such a rich cultural country as Russia and I am also very proud to be part of rich french musical life since 2003. This is what music does. It connects people and artists from different continents and cultures, it heals souls across the boarders and gives hope for peaceful existence on this planet. Music can be dramatic, lyrical, funny, sad but never offensive! This is what my very fruitful partnership with great Toulouse orchestra has proved. This is what my fantastic ensemble of Bolshoi Theatre was showing me every time I conducted performances with them in Russia or on tour in Europe. Both in Toulouse and in Bolshoi Theatre I regularly invited Ukrainian singers and conductors. We never even thought about our nationalities. We were enjoying making music together. And it still remains the case. This is why I started Franco-Russe festival in Toulouse, to show everyone that people of France and Russia are connected historically, culturally, spiritually and musically and that I am proud of this connection between our two great countries that I love. This festival is being opposed today by the politicians and administrators in Toulouse. What a shame. And they want me to express myself for peace! I believe that this festival can achieve more in building bridges than political words.

During last few days I witnessed something I thought I would never see in my life. In Europe, today I am forced to make a choice and choose one of my musical family over the other.

I am being asked to choose one cultural tradition over the other.
I am being asked to choose one artist over the other.
I am being asked to choose one singer over the other.

I will be soon asked to choose between Tchaikovsky, Stravinsky, Shostakovich and Beethoven, Brahms, Debussy. It is already happening in Poland, European country, where Russian music is forbidden.

I cannot bare to witness how my fellow colleagues, artists, actors, singers, dancers, directors are being menaced, treated disrespectfully and being victims of so called “cancel culture”. We as musicians are given extraordinary chance and mission to keep human race kindhearted and respectful to each other by playing and interpreting those great composers. We musicians are there to remind through music of Shostakovich about horrors of war. We musicians are the ambassadors of peace. Instead of using us and our music to unite nations and people we are being divided and ostracised.

Because of everything that I have said above and being forced to face the impossible option of choosing between my beloved russian and beloved french musicians I have decided to resign from my positions as Music Director of Bolshoi Theatre in Moscow and Orchestre National du Capitole de Toulouse with immediate effect. This decision should confirm to everyone concerned that I am a very lucky person, to be able to know Bolshoi Theatre artists and Toulouse orchestra musicians. It is always a privilege to make music with all wonderful artists from those two institutions and I will always stand by them as MUSICIAN!!!!!

Tugan Sokhiev

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