風薫る道

Who never feels lonely at all under this endless sky...?

英連邦戦死者墓地(横浜市保土ヶ谷区)

2021-01-28 00:07:06 | 旅・散歩




在宅勤務をしていると体がなまってしまうので、できるだけ意識的に近場を散歩するようにしています
写真は、先日訪れた横浜市保土ヶ谷区にある英連邦戦死者墓地の敷地内に咲いていた梅の花。
梅の花はふくよかで色っぽい香りがいいですよね。
桜と同じくらい、梅や桃の花も好きです。
少しずつ春が近づいてきているのだなあ。

横浜の外国人墓地というと中区山手にある墓地が観光地として有名ですが、この保土ヶ谷にある英連邦戦死者墓地もとても大規模なもので、かつてはエリザベス女王やダイアナ妃やチャールズ皇太子が、最近では2015年にウィリアム王子が訪問しています。
今はどうかわかりませんが、私の頃(ン十年前)は小学校(中学だったかな?)の遠足で訪れました。
また私は子供の頃にこの近所に住んでいたので、墓地の隣にある児童遊園地はお散歩コースでした。
先日訪れた週末の午後はほとんど人がおらずひっそりとしていましたが、敷地内は昔訪れたときと変わらず綺麗に整備されていました。


ゲートを入ってすぐにある記帳所。その奥が、墓地の入口です。


イギリス兵の墓地

「ここは日本で唯一の英連邦の墓地です。第二次世界大戦中に亡くなった2000名以上の連合国軍要員が、ここに埋葬または慰霊されています。大部分はオーストラリア、カナダ、統一インド、ニュージーランドおよび英国から英連邦軍に所属していましたが、80名は米国とオランダ軍からでした。

第二次世界大戦(1939年-1945年)中、何万人もの連合軍兵士と女性が日本軍の捕虜(POW)になりました。35,000人以上の捕虜が、労働力として日本に連行され、鉱山や造船から農業や軍需品製造まで、さまざまな産業で働かされました。福岡、広島、大阪、名古屋、東京、仙台、函館の七か所には、主要な捕虜収容所が設けられました。収容所の状態は苛酷だったので、何千人もの人々が捕虜の身のまま死亡しました。

1945年の日本の降伏後、この墓地は第38オーストラリア戦争墓地ユニットによって始められました。収容所で亡くなった人々の遺骨は埋葬のためここに運ばれました。」

(案内板より)


イギリス兵の墓地の片隅(写真左奥)には、火葬された335名の英連邦の兵士、オランダ兵およびアメリカ兵を追悼する納骨堂があります。


オーストラリア兵の墓地。
この先には、ニュージーランドとカナダ兵の墓地もありました。


インド兵の墓地


第二次世界大戦後の墓地






個人のお墓の写真を撮るのは少しためらいましたが、例えばこちらは1945年2月に25歳で亡くなった兵士の墓。
TO THE WORLD, HE IS ONE OF MANY
TO US, HE IS ALL THE WORLD
(世界にとって彼は大勢のうちの一人にすぎないが、私達にとって彼は世界のすべてである)
とあります。
20代で亡くなっている方が多く、母親や父親が言葉を寄せているものも多くあります。
日本兵もそうですが、若い人達が故郷から遠く離れた異国で亡くなるということは、辛いことですね…。


墓地に隣接する横浜市こども植物園にいたニャンコ

「英連邦横浜戦死者墓地」はどうして横浜につくられた?(はまれぽ.com)

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ポリーニのベートーヴェンのピアノソナタ第32番

2021-01-25 00:03:19 | クラシック音楽




先月NHKのクラシック音楽館のベートーヴェン特集で放送されたポリーニのベートーヴェンのピアノソナタ第31番と32番を、年末にオンデマンドで聴きました。2019年9月27日のミュンヘン・ヘラクレス・ザールでの演奏。
なんか、言葉で表現できない演奏だった。。。特に32番。
東京でショパンとドビュッシーを聴いたときに感じたあの独特の音色の透明感、孤高さ、鮮やかで繊細な色彩感、そのコントロール、スケール感、自然さ、温かみを思い出しました。ストイックな表情も。
私、ポリーニのベートーヴェンを聴いたのは今回が初めてだったんですけど、今回のこの演奏、いいねえとか素晴らしいねえとか、そういう言葉では表せない演奏に感じられました。
現世の強い感情がしっかりあるのに、彼岸の透明感も同時にあるような。聴いていて胸がいっぱいになってしまう演奏だった。
無人島に一曲だけ持っていくならこの演奏かもしれない、と思いました。この曲が一緒にいてくれたら、どんな状態にあっても、生き続けていくにしても死んでいくにしても、寂しくなく自分の人生を前向きに肯定できるような気がする(しかし現実的に考えると、無人島ならやはりポゴさんと同じように人の声の入った音楽を持っていくかな)。
繰り返し聴いてしまっています。

聴きながら、ふと思ったんですよね。
『リヴィエラを撃て』のシンクレアがもし今のポリーニの歳まで生きていたら、こういう演奏をしたのではないかな、と。
今回のベートーヴェンの演奏を聴きながら私の頭に浮かんだのは、あの小説で高村女史が書いていた言葉の断片だったんです。高村女史が小説でモデルにされたというポリーニのアバド&ウィーンフィルとのピアノ協奏曲の演奏よりも、今回の演奏の方にこそぴったりとくる文章に感じられました。

で、先ほど、実家にあると思い込んでいた文庫本が自宅の本棚にあることに気づき、その箇所を読んでみたんです。例のサントリーホールの場面。
ああ、やっぱりピッタリ。
高村女史が今回のポリーニの演奏について同じように感じられるかどうかはわかりませんが、今回私が受けた印象の記録として、ここに引用しておこうと思います(ただし小説で書かれているのはブラームスのピアノ協奏曲第二番についてです)。

 そのピアノはときに、五臓が震え立つほどのみずみずしい響きを発し、一条の光かと耳を疑う明るい響きが聞こえることもあった。深さと広がり、重さと透明、轟音と静けさを一つにして、なおあふれかえるほどの深い輝きに満ちながら、ピアノの重い爪は、光のすべてを再びうちに閉じ込め、ひたすら地の底を叩き続けて、オーケストラとともにコーダへなだれ込んだ。
 ・・・そのピアノの打鍵の重さ、激しさは、今は血を流しているのかと思うほどだった。これはピアニストの魂の声だろう。・・・またその音の深さ鋭さは、悲しみのそれに違いなかった。ピアニストはまぶしい氷の笑みをたたえて、怒り狂い、号泣していた。

 シンクレアの指は、豪胆と繊細と、陰惨と美しさの衣を次々にまとっていく。・・・ピアニッシモからフォルティッシモまで、音の粒は鮮やかな輪郭をもって生まれ出すにもかかわらず、次から次へとからみ合いながら、激しく渾然となる。そうして地を叩きつけながら、その一方で天を仰いで伸びていく繊細な詠嘆の音は、聴く者の胸を引き裂き続けた。・・・
 ・・・ピアノは再びしずくになった。前よりもっとひそやかな一滴が、旋律の彼方に落ちる。また一滴。それは事実、ほかに重なる音も、それに前後して続く音もない、高い単音だった。それが、ほんとうのしずくに聞こえた。シンクレアの魂から、一滴一滴しぼり出されて落ちていく。まさに、涙の音のようだった。
 ・・・ほとんど現世のものでないすみやかさ、軽やかさ、明るさに包まれて、ピアノもピアニストも疾走していた。一楽章で地の底を叩きつけた指が、今は天を翔けている。それが人間の指なら、打鍵に伴うさまざまな夾雑物があるはずだが、シンクレアの指には、そういう一切の余分なものが、もはや残っていないようでもあった。

 初めからずっと変わらないシンクレアの笑みも、今は彼岸の輝きを発していた。そうして疾走しながら、ピアノはオーケストラを間断なく引っ張って、無限に続く扉を開き続け、一つ開くたびに光は増した。やがて、ピアノがコーダの光をいっぱいに開け放ったとき、ピアニストは一瞬、そこから溢れ出た陽光を一身に受けて立ったかのように見えた。交響楽の大地からたったひとり立ち上がった、至福の、あるいは至高の王者のようだった。

(高村薫『リヴィエラを撃て』より)

はぁ。。。。。。。。。作家の表現力って当たり前だけど素晴らしいよね。私の文章力で書いたら陳腐なポエムになってしまうであろうところ、もうこの文章、ポリーニの演奏そのものだよ。
と同時に、ブラームスの音楽を語っているはずのこの文章がベートーヴェンの音楽にあまりにピッタリと合うことに驚いた。
ブラームスって本当にベートーヴェンの音楽を愛していたのだなあ。と、こんなところで改めて実感してしまったのでありました。

ベートーヴェンを取り巻く12人の音楽家たち ~第11回ベートーヴェンとブラームス(クラシカ・ジャパン)

※そういえば亡くなった友人がブラームスの交響曲第一番を聴いて「ベートーヴェンの第九にそっくりでビックリした。第四楽章なんて「いいの!?」と感じてしまうほどそのまま。メロディだけじゃなくて、曲の持っていき方も」と言っていて、私が「ブラームスはベートーヴェンを尊敬しすぎてなかなか交響曲を作曲できなくて、あの第一番を作るのに21年かかったらしいよ」と言ったら、「それで作ったのがあの曲!?」と楽しそうに笑っていたのを思い出しました。ハイティンク&ロンドン響&ペライアの来日演奏会をNHKが放送したとき。あの来日公演を私に教えてくれたのも友人でした。そういえば彼女はポリーニのベートーヴェンが好きだと言っていたな。。。あの頃は私はまだポリーニの演奏を知らなかったから、あまり話ができなくて。いま、話したいと思うことがいっぱいあります。

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血まみれの二人 ~姜尚中『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』

2021-01-23 20:36:29 | 




1月12日に半藤一利さんがお亡くなりになったそうです。年末に『こころ』についての記事でそのお名前を書いたばかりでしたが、宮崎駿監督との少年のような大人な対談が大好きだったなあ。ああいうタイプの方達はこれからの日本には少なくなっていってしまうのではないか、と感じています。ご冥福を心よりお祈りいたします。

さて、先日、姜尚中さんの『NHK「100分de名著」ブックス 夏目漱石 こころ』という本を読んだのです。
姜さんが漱石について語られているのはテレビでは幾度か拝見したことがありましたが、本として読むのは今回が初めて。
拝読して、やっぱり姜さんの漱石像は私のイメージととても近いなと感じました。

不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時(いつ)か一度到達しなければならない死といふ境地に就いて常に考へている。
(『硝子戸の中』)

『硝子戸の中』の頃には身体的にも”死”について考えざるを得なくなっているけれど、漱石は若い頃から厭世的に”死”について思いを巡らす人だった。それは決して軽い気持ちからのものではない。
でもそうでありながら、漱石は生来的に”生”の価値を知っていた、”生”を愛していた人だと私は思う。
『こころ』の先生は、常に”死”を思いながらも”生”に惹かれ、思い切りがつかず、今日まで生きてきてしまった人。そして最終的に自死を選択した先生を、漱石が100%肯定的に描いているとは私には思えない。『こころ』という小説の芯の部分は”先生の死”にあるのではなく、先生の心を受け継いで未来を生きていく”私”が存在しているところにあるのだと私は思うのです。これは、姜さんも本書の中で同じように書かれていました。
ではなぜ漱石は先生を死なせたのか。未来へと向かう話にするのなら、先生を生かすストーリーにもできたはず。
私は、漱石の中では先生という人は死ぬ以外のストーリーはあり得なかったのではないか、とそんな風に思うんです。そもそも新聞連載が始まったときの題名からして『先生の遺書』ですし、最初から死ぬことが前提となっている。なぜなら、当時の漱石自身の中に先生を死なせる必要があったのではないか、と。漱石は『こころ』を書いたことで、その中で先生を殺してバトンを”私”へと繋げだことで、自分の中の何かに区切りをつけ、前へと進もうとしていたのではないか、と。”私”という存在には先生だけでなく漱石自身の希望も託されているのではないか、とそんな風に思うんです。不愉快に充ちた人生の中で身体的にも”死”に近づいていながら、それでも”生”に惹かれ、自身やこの国の人々の未来を見つめている漱石自身の姿が、この小説の構成にも表れているのではないでしょうか。

姜さんは『こころ』をデス・ノベルであると仰っていて、登場人物がことごとく死ぬ、死に満ちた作品であると。私はそういう見方でこの小説を読んだことはなかったのだけれど、言われてみれば確かにそのとおりなんですよね。もともと登場人物の多い作品ではないけれど、それでも生き残るのはお嬢さんと私だけ。こんなに登場人物が死んでいく作品は他の漱石作品の中にはない。
漱石は、あるとき小学生の少年から(おそらく「『こころ』の先生はどうなったのですか」という内容の)手紙をもらって、こんな風に返事をしています。

あの「心」とい小説のなかにある”先生”といふ人はもう死んでしまひました、名前はありますがあなたが覚えても役に立たない人です、あなたは小学の六年でよくあんなものをよみますね、あれは子供がよんでためになるものぢゃありませんからおよしなさい、あなたは私の住所をだれに聞きましたか、
(松尾寛一宛て書簡、大正3年4月24日)

ここで漱石が言いたかったこと、わかる気がするんです。『こころ』は子供が読んで悪影響があるとまでは言わないけれど、人生経験の少ない子供の頃に読んで理解できる内容では全くない(つまり、ためになる内容では全くない)本だと思う。漱石は「あなたは子供なのだから、今こんな本を読んでいちゃだめですよ。読む必要のある本ではありませんよ」と言いたかったのでしょう。子供に対して「”先生”は死んでしまいました」と書くのさえ、漱石は辛かったろうと思う。でも子供相手だからと誤魔化したりしないのが、漱石のいいところですよね。
こういう漱石の”生”に対するどこか本質的な肯定感は、おそらく漱石の生まれながらの人間的性質なのだろうと私は思っています。太宰がどんなに望んでも持つことができなかったもの。私は”死”に惹かれながらも積極的な自死の実行というものは一度も考えたことがないことを以前ここに書きましたが、おそらく漱石も同じような人だったのではないか、と私は思っているのです。

で、前置きが長くなってしまったけれど(そう、ここまでの文章は前置きだったのですよ)、本書に書かれてある『こころ』についての姜さんの解釈は私の解釈と完全に同じではないものの殆どの部分で同じだったのですが、そんな中で特に「ほぉ」と新鮮に感じた部分を自分用覚書として書いておきたいと思います。
それは「血まみれの二人」という部分。

姜さんは、Kと先生の親密さには友情という言葉では表現しきれないものが含まれているけれど、それを単純に”同性愛”と呼んでしまうのは違うように思うと書かれています。そして『こころ』をポーの『ウィリアム・ウィルスン』(私は未読)というドッペルゲンガーを描いた小説と重ね、Kと先生の関係は一心同体のようなものなのではないか、と仰っています。

この物語になぞらえると、Kは一人の人格の「善の側面(グッドサイド)」を体現し、先生は「悪の側面(ダークサイド)」を体現しているという構図になります。

そして二人が一心同体の存在であることは彼らが暮らしている居住空間にも象徴されているのではないか、と。彼らの部屋は襖一枚でしか隔てられておらず、その襖を開けば一つの部屋になります。姜さんは書きます。

意味深長なことに、Kが自殺した夜、襖は少し開いていました。Kがわざわざそうして命を絶ったのです。これは何を意味するのでしょうか。二人がウィリアム・ウィルスン的な一心同体であったとするならば、「おまえが見つけてくれ」「おまえが看取ってくれ」「おまえに俺のすべてを託す」という気持ちの表れだったのではないか、とわたしは考えます。だから遺書も「先生」宛てだったのです。みなさま宛でもなく、お嬢さん宛でもなく、「先生」宛てだったのです。・・・恨むも恨まないもありません。許すも許さないもありません。そもそも二人はそのような次元のつながりではないのです。

そして、こうも書きます。

 それは、「もともと先生とKという極めて親密なペアがあった。そこに突然、お嬢さんという闖入者が現れたために、二人の蜜月関係がかき乱された」という読み方です。・・・
 「先生」とKの間にはしばしば「血潮」だとか「心臓」とかいった表現が使われます。・・・この生温かい血の感じは、Kの死後は「私」との関係に引き継がれます。
 また、「先生」はKの自殺の現場においても、恐ろしいと言いながらわりに恐れげなく踏み込んで、Kの頭を両手で抱えあげて顔を覗いてみたりしています。このようなことは、普通はやらないのではないでしょうか。頸動脈をかき切っての失血死ですから、現場は血の海だったはずです。布団がかなり吸収してくれたとありますが、Kは血まみれだったと思われ、その身体を抱えたりすれば「先生」も血まみれになったと思います。
 そこで、はたと気づくのです。その「赤く生々しいつながり」は、「純白のまま汚さずにおきたい」というお嬢さんとのよそよそしいつながりと、鮮やかな対比をなしていることに――。
 そのように読んでいくと、お嬢さんがふと漏らす嘆息も、ことさらなものに見えてしまいます。
 
 妻はある時、男の心と女の心とは何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものだらうかと云ひました。

 ことほどさように、『こころ』の三角関係は単純ではないのです。にっちもさっちもいかない不毛なトライアングルなのです。

姜さんご自身が「少々踏み込みすぎたようです」と書かれていますし、小説を読み返すと微妙な部分もあるのだけれど、それでもこの3人の関係を思うときに、強い説得力のある解釈だと感じました。

他に本書で興味深かったのは、Kと藤村操青年を重ねている部分、漱石の「高等遊民」感の考察、そして年齢表
私、先生が死んだときの年齢っていくつだったんだろうとずっと気になっていたんですよね。なので、この年齢表は本当に参考になりました。小説の文章から想定される先生の凡その年齢は、次のような感じとのこと。

明治8年、新潟生まれ。明治26年(18歳)、両親が病死。明治29年(19歳)、東京の高等学校に進学。明治28年(20歳)夏、帰省時に叔父に結婚を勧められる。明治29年(21歳)夏、従妹との結婚を強要され、断る。明治30年(22歳)、叔父が遺産を横領していたのを知り、残った遺産を換金して故郷を捨てて上京。東京帝国大学に入学し、下宿に移る。この夏、Kは実家から勘当。明治31年(23歳)、この年の暮れか翌年の初めにKを下宿に引き取る。明治32年(24歳)、夏にKと房州旅行に出る。明治33年(25歳)、2月中旬にKが自殺。6月に大学を卒業。暮れにお嬢さんと結婚。二、三年後に”奥さん”死去。その後、高等遊民生活を送る。明治41年(33歳)、高等学校生の”私”(19歳)と鎌倉で知り合う。明治42年(34歳)、”私”(20歳)が東京帝国大学に入学。明治45年(37歳)夏、自決を決意する。このとき”私”は23歳。

先生、自死したときは37歳位だったのか。
若いのだろうとは思っていたけれど、やはり若いですね。

この本、とてもいい本なので、漱石がお好きな方にはオススメです。

今夜は関東平野部でも雪という予報だけど、降るのかなあ
大雪の地方の方にはふざけるなと言われてしまうかもしれないけれど、一年に一度くらい、ちゃんとした雪を見たいなあ。今年はまだ一度も見られていないもの。
それでは皆さま、どうか温かくしてお過ごしくださいね


※追記
本書について、もう一点。
姜さんが『こころ』とトーマス・マンの『魔の山』に共通点を見出していることが興味深かったです。なぜならピアニストのグレン・グールドが『草枕』と『魔の山』を愛読書とし、その二作に共通点を見出していたからです。以前にご紹介した『草枕』のラジオ朗読に先立って、グールドはこんな風に解説しています。
「『草枕』が書かれたのは日露戦争のころですが、そのことは最後の場面で少し出てくるだけです。むしろ、戦争否定の気分が第一次大戦をモチーフとしたトーマス・マンの『魔の山』を思い出させ、両者は相通じるものがあります。『草枕』は様々な要素を含んでいますが、とくに思索と行動、無関心と義理、西洋と東洋の価値観の対立、モダニズムのはらむ危険を扱っています。これは20世紀の小説の最高傑作のひとつだと、私は思います」
マンの『魔の山』、未読なんですよね・・・。読まねば。

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ヴィクトル・ユゴー 『レ・ミゼラブル』(新潮文庫)

2021-01-10 23:57:26 | 

 


皆さま、あけましておめでとうございます
年末年始はいかがお過ごしでしたか?
私は元旦の朝に近所のデパートに福袋を買いに出た以外は、おせちを食べだり、日本酒を飲んだり(獺祭と司牡丹 獺祭の大吟醸おいしいねえ!)、休みに入る前に図書館で借りた『レ・ミゼラブル』を読んだりしながら、ひたすら食っちゃ寝な正月でございました

なぜレミゼかというと、先日ご紹介したヒュー・ジャックマンのインタビューを読んで、原作を読み返したくなったからです。以前に抄訳は読んだことがあるけれど、全訳は初めて。
いやあ、全訳版は忍耐が必要ですね~。ストーリー部分はスリリングでサクサク読めちゃうけれど、合間合間に挿入されている作者自身のマニアックな蘊蓄は、フランスの地理や歴史の知識がない私にはなかなかキツい。しかしその部分を読み飛ばしてしまうとレミゼという作品を真に理解できないように感じられて(実際そうだと思う)、めげずに読む。ということが文庫本の1~5巻まで繰り返されるのであった。

そして知ったのですが、ミュージカルの最後で歌われる"To love another person is to see the face of God.(誰かを愛することは、神の顔を見ること)"の言葉は、原作には登場しないんですね。あえてあげるなら、ユゴーの死後に出版された『La fin de Satan(サタンの終わり)』という未完の詩集の中の"l'essence de Dieu, c'est d'aimer.(神の本質は、愛すること)"という言葉が最も近いもののようです。でもレミゼの作品全体で言いたかったことはまさにそのことだと思うので、英語版作詞者のKretzmerさんはちゃんとそれをわかっておられたのだな。

以下、感想です。小説についてというより、小説を通して語られているユゴーの思想についてを中心に。自分用覚書と頭の整理のために書いているので、長いです。

『レ・ミゼラブル』は1864年から1962年の98年間カトリック教会の禁書リストに入っていたそうで、ユゴーが教会に批判的な文章を書いていることが理由のようです。もっとも彼はキリスト教という宗教自体を批判しているわけではないんですよね。ただ、ユゴーが理想とする宗教と、教会が説くキリスト教の姿は違った。ユゴーが考える神と、教会が考える神の姿は違った。彼の心の中には彼自身の神、彼自身の宗教というべきものがあった。そういう思想は、教会の出世街道から外れた道を歩んだミリエル司教の人物造型にも表れているように思います。

 ここで書いておかなければならないと思うことは、司教がいわば信仰の外部に、信仰の彼方に、過度の愛を持っていたということである。・・・この過度の愛とは、なんであったか?それは前に示したように、人間からあふれ出て、ときには事物にまでひろがっていく、澄みきった好意である。・・・
 この人を光り輝かせていたのは、心情であった。彼の知恵は、心情から出てくる光でつくられていた。体系は全くなくて、行為が多かった。・・・このつつましい魂は、ただ愛した。それだけなのである。・・・彼は嘆いている者や、罪を償う者の上に、身をかがめた。彼には世界が大きな病気のように思われた。いたるところに熱を感じ、いたるところに痛みを聴診し、謎を解こうとはせずに、傷に包帯をしようとした。・・・存在するものは、このまれにみる善良な司祭にとっては、慰めを求めている、永久に悲しいものなのであった。
 金の発掘に働いている人びとがいる。彼の方は、憐みの発掘のために働いていた。一般的な悲惨が、彼の鉱山であった。いたるところにある悲惨は、いつも親切の機会にすぎなかった。「互いに愛し合うべし」彼はこれを完全なことだと述べ、これ以上のことは何も願わなかった。そしてこれが彼の教理のすべてであった。・・・ビヤンヴニュ閣下は、神秘な問題を、検討したり、いじくり回したりして、自分の精神を混乱させたりせずに、それを外からみとめて、魂の中にその暗黒にたいする真面目な尊敬の念をいだいていた、単なる一人の人間であった。
(第1部第1章13、14)

また第1部で元革命議会議員のGがミリエルに言う、”神”の姿。
Gは革命派の多くの同類と同じく、無神論者と呼ばれる種類の人でした。
ミリエルは、死にかけているGに「進歩は神を信じるべきです。善は不信のしもべを持つことはありえない。無神論者は、人類の悪い指導者です」と言います(ミリエルって大人しい性格の人じゃないよね)。
Gは何も答えず、それから涙をいっぱいにためて空をながめ、独り言のようにこう言いました。

「おお、お前!理想よ!お前だけが存在する!」
司教はなんとも言えない一種の衝動を覚えた。
ちょっと沈黙してから、老人は空の方に一本の指をあげて、言った。

「無限は存在する。あそこにある。無限が自我を持たないとすれば、自我が無限の限界になるだろう。無限は無限でなくなる。言いかえれば、無限は存在しないだろう。ところが無限は存在する。だから無限は自我を持っている。無限の持つ自我、これが神だ」
(第1部第1章10)

これは、第2部第7章で語られる作者自身の思想と重なります。

 われわれの外部に無限なものがあると同時に、われわれの内部にも無限なものがあるのではないか?この二つの無限なものは、互いに重なり合っているのではないか?・・・下にある無限の中に自我があるように、上にある無限の中にも自我があるはずである。下にある自我、それが魂であり、上にある自我、それが神である。思惟によって、下の無限を上の無限に接触させること、それが祈りと呼ばれる。
 人間の精神からは何ものも取上げまい。取上げることは悪いことである。改革し、変形させねばならい。人間のある種の能力、思惟や夢想や祈りなどは、未知なものに向けられる。未知なものとは一つの大洋である。良心とは何か?未知なものへの羅針盤である。思惟、夢想、祈り、それこそ偉大な神秘的な輝きである。それを尊重しよう。この魂の荘厳な光は、どこへ進んで行くのか?闇へ向って、つまり、光明に向って進むことである。
 デモクラシーの偉大さは、何も否定しないことであり、人間性を何一つ否認しないことである。人間の権利のそばに、少なくともそのわきに、魂の権利がある。
 狂信を打破し、無限を崇拝すること、それが法則である。・・・
 無限なものの意志、すなわち神を否定することは、無限を否定しないかぎり不可能である。虚無は存在しない。ゼロも存在しない。すべては何ものかである。・・・すなわち、信仰と愛という二つの原動力なしには、人間を出発点と考えることもできず、進歩を目的と考えることもできないと。進歩は目的である。理想は典型である。理想とは何か?神である。理想、絶対、完全、無限、どれも同じ言葉である。


外部(上)の世界に存する自我が神であり、内部(下)の世界に存する自我が魂である、と。人間=出発点であり進歩=到達点であると理解するためには、信仰と愛という2つの原動力が必須である、と。
ただ、「進歩は目的である。理想は典型である。」という部分の意味が、どうもよくわからない・・・。そこで原文の仏語版英訳版の同じ箇所を読んでみました。

Le progrès est le but, l'idéal est le type.(Progress is the goal, the ideal is the type.)
Qu'est-ce que l'idéal? C'est Dieu.(What is the ideal? It's God.)
Idéal, absolu, perfection, infini; mots identiques.(Ideal, absolute, perfection, infinite; identical words.)

「進歩はゴール(目標)である。理想は化身である。理想とは何か?神である。」
うん、この方がわかりやすい。といって全巻を英語で読む気力も語学力もないですが。

ミリエル司教が王党派という設定も面白いですよね。この場面の司教、人間くさくて好き
フランス革命について「あなたがたは破壊した。怒りを含んだ破壊は信用できません」と言うミリエル司教に、Gは言います。

「さあ!神父さん、あなたは真実のなまなましさがお好きではない。キリストはそれが好きでしたよ。彼は鞭を取って、神殿を清めた。その光にみちた鞭は、真理をきびしく、告げ知らせた。彼が〈幼な子らをわれらのところに〉と叫んだとき、子供たちに区別をつけなかった。バラバの子とヘロデ王の子を、平気で近づけた。罪のないこと自身が、王冠なのです。罪のないことには、身分の高さなどどうでもいいのです。それは、ぼろをまとっていても、王家の百合花をまとっていても、同じように荘厳なのです」
「そのとおりです」司教は低い声で言った。
「重ねて言いたいのは」と革命議会議員はつづけた。「
あなたはルイ十七世の名をあげた。いいですね、われわれは罪のない人たち、殉教者たち、子供たち、上の者も下の者も、みんなに同情するのだね?賛成じゃ。だが、それなら、前にも言ったが、93年以前にさかのぼるべきだ。われわれが同情をはじめるべきなのは、ルイ十七世以前だ。わしはあなたと一緒に王子たちに同情する、あなたがわしと一緒に民衆の子に同情してくださるならば」
「わたしはすべての人に同情します」と司教は言った。
「平等にですよ!」とGは叫んだ。「もし秤がどちらかに傾くべきなら、民衆の方であって欲しい。民衆はずっと長いこと苦しんでいる。・・・大革命は、全体的に言って、偉大な人間的肯定だが、それは別として、93年は、残念ながら一つの返答なのだ。あなたはそれを苛酷だと思っているが、それでは君主制全体はどうなのか?・・・わしは大公妃で、王妃だったマリー・アントワネットに同情する。だが、新教徒の哀れな女にも同情する。この女は1685年、ルイ大王の治世に、子供に乳をやっている最中に捕らえられた。腰まで裸にされて、柱にしばられ、子供は引離された。乳房は乳にあふれ、心は悲しみでいっぱいだった。子供は空腹で青ざめ、乳房を見て、死にかけながら、泣きわめいた。刑の執行人は、乳飲み子の母である女に、子供の死か、良心の死かを選ばせて、改宗しろ!と言った。母親に適用されたこのタンタロスの刑罰を、あなたはなんと言いますか?よく覚えておいてください、フランス大革命には、正当な理由があったのです。その怒りは将来許されるでしょう。その結果は、よりよい世界です。その最も恐ろしい打撃から、人類にたいする愛情が出てくるのです。・・・いかにも、進歩の激しさは、革命と呼ばれている。それが終ったとき、人類は苛酷な目にあった。だが進歩した、ということがみとめられるのだ」

革命派(共和派)のGの言葉はミリエルを驚嘆させますが、Gが彼に与えたのは政治的影響などではなく、より大きな意味での人間的影響だったのだと思います。彼がGと出会った後に「前より優しくなった」というのは、彼の人間的な一つの”進歩”だったのでしょう。
ここでも、Gの革命や人類の進歩に関する考え方は、ユゴーの思想に重なります。
第4部第10章「1832年6月5日」の中で、ユゴーはこう書いています。

 暴動というものと、反乱というものがある。それは二種の怒りである。一方はまちがっており、他方は正しい。・・・権利が行動している物音は、自然にわかるものであり、いつも混乱した群衆の戦慄から生ずるとはかぎらない。狂気じみた怒りがあり、ひびの入った鐘がある。警鐘がすべて青銅の音を出すとはかぎらない。情熱と無知の振動は、進歩の動揺とは異なる。立て、と言うのもすべてまちがっている。暴力的な後退はすべて暴動である。後退は人類にたいする暴力行為である。反乱は真理の発作的な怒りである。反乱が動かす敷石は、権利の火花を散らす。これらの敷石も、暴動の際には泥しか残さない。ルイ十六世に反抗するダントンは反乱であり、ダントンに反抗するエベールは暴動である。だから、ラファイエットが言ったように、反乱はときによって最も神聖な義務となりうるが、暴動は最も悲しむべき暴行となるかもしれないのである。・・・武力によるあらゆる抗議は、最も合法的なものでも、8月10日(1792年)でも、7月14日(1789年)でも、初めは同じように混乱する。権利が解き放たれる前には、喧噪と泡立ちがある。初めは、河も急流であるように、反乱も暴動である。一般に、それは革命という大洋に達する。・・・
 だが、これらはすべて過去のことである。未来はまた違う。普通選挙にはすばらしいところがあり、暴動をその原則によって取消し、反乱に投票権を与えることによって、その武器を奪ってしまう。市街戦であろうと、国境戦であろうと、戦争の消滅、それが必然の進歩である。今日がどのようなものであれ、平和、それが「明日」なのである。

 なお、反乱と暴動、この両者の微妙な相違点を、いわゆるブルジョワはほとんど知らない。彼らにとっては、すべてが暴動であり、単純な反逆であり、主人にたいする番犬の反抗であり、鎖と犬小屋で罰しなければならぬ傷害の試み、吠え声、鳴き声である。それも、犬の頭が突然大きくなり、暗闇の中でライオンの顔のように、ぼんやりと浮び上がってくる日までのことだ。そのときブルジョワは叫ぶ、「民衆万歳!」と。
 以上の説明のあとで、さて歴史にとって、1832年6月の運動とは、なんであろう?暴動か?反乱か?
 それは反乱である。
 この1832年の運動は、急激に爆発し、悲壮に消滅したが、そこには多くの偉大さがあり、それを暴動としかみとめない人びとでも、尊敬の気持ちなしにはそれについて語れないほどである。

この1832年6月の反乱は失敗に終わりますが、ユゴーは革命時の民衆とブルジョワを比較して、こんな風に書いています。

 1793年には、そのころ流れていた思潮の善意によって、それが狂信の日か、感激の日かによって、フォブール・サン・タントワーヌから、野蛮な群衆が出たり、勇壮な部隊が出たりした。
 野蛮。・・・あの髪を逆立てた人たち、革命の混沌における創世記的な日々に、ぼろを着て怒鳴り散らし、たけだけしく、棍棒を振上げ、鶴嘴をかざして、うろたえた古いパリに襲いかかった人たちは、何を望んでいたのか?圧制の終末を、暴政の終末を、君主の生殺権の終末を、男には職を、子供には教育を、女には社会の温情を、万人に自由、平等、友愛を、パンを、万人に思想を、世界の楽園化を、進歩を、望んだのであった。そしてこの神聖で優しく甘美なものである進歩を、彼らは、圧迫されて、われを忘れて、恐ろしい形相で、半裸体で、棍棒を握りしめ、唸り声を立てながら、要求したのだ。なるほど野蛮人に違いない。だが、文明の野蛮人だったのである。
 彼らは狂ったように権利を宣言した。たとえ戦慄と恐怖によってでも、人類を楽園に追いこもうとした。彼らは野蛮人のように見えても、実は救い主だったのである。闇の仮面をつけて光を要求していたのである。
 こうした、たしかに残忍だと言えるが、善のために残忍になった人たちと対照的に、別の、にこやかな、刺繍や黄金やリボンで身を飾り、宝石をちりばめ、絹靴下をはき、白い羽飾りをつけ、黄色い手袋をはめ、エナメル靴をはいて、大理石の暖炉の隅のビロード張りのテーブルに肘をつき、過去の、中世の、神権の、妄信の、無知の、奴隷の、死刑の、戦争の、維持と保持を穏やかに主張し、サーベルと火刑台と断頭台を、小声で上品にたたえる人たちがいる。
私に言わせれば、文明の野蛮人と野蛮の文明人のどちらかを選ばせられたなら、私は野蛮人の方をとるだろう。
 だが、幸いなことに、もう一つ別の選択が可能である。前進するにしろ、垂直に飛び降りる必要はない。専制主義もテロリズムも必要はない。われわれは傾斜のなだらかな進歩を望む。
 神がそれを準備する。傾斜をなだらかにすること、それが神の政治のすべてである。

(第4部第1章5)

多くの血が流されて失敗したこの1832年6月の反乱も、進歩の傾斜をなだらかにさせる神の政治であった、という意味になるのでしょうか。そして私達の世界は今もまだその道程の途中にあるのだ、と。

ユゴーの筆は、共和派を描くときだけでなく、王統派やボナパルト派を描くときにも非常に鮮やかに踊っています。
読んでいると「ん?ユゴーは王党派だったっけ?」とか「帝政を支持してる?」と錯覚してしまうほど。それは、そのどれもを、良い面も悪い面も含め、彼自身が身をもって、心をもって体験してきたからでしょう(執筆時には共和派になっていたユゴーも、この作品の舞台の頃はそうではなかった。また彼はナポレオン一世の熱烈な支持者だった)。だから上記のGの言葉だけでなく、マリユスの思想が王党派→ボナパルト派→共和派へと変化していく過程の描写も、ものすごくリアルで説得力がある。これは歴史小説ではなく、同時代に書かれたものであることを感じさせる。そしてユゴーがそんな風に自身の政治観を目まぐるしく変化させることに柔軟であった理由は、ユゴーがそれを"変化"ではなく人間的な”進歩”と捉えていたからではないかと思う。彼には宗教の宗派や政治の党派を超えた所にまず彼自身が理想とする人間や世界の姿があって、それを実現するための道程を彼自身が歩んでいる、という感覚だったのではないでしょうか。その根底を成しているのは人間の愛であり、それはイコール神である、とそういう考え方だったのではないかと思います。"To love another person is to see the face of God."という軸こそが彼の根底にあったのだろうと。彼は1881年の遺書の中で「私は教会での祈りはすべて拒絶する。すべての人々の魂のために祈ってもらいたい」と書いています。

ところで、圧倒的不利な状況の中で学生達がバリケードに立てこもっているときに、周囲の家々が次々と彼らに対して戸を閉じていく場面。彼らは市民のために命を投げ出して戦っているにもかかわらず、その市民達が彼らに対して戸を閉じる場面。そして彼らを見殺しにする場面を読みながら、そういう面がある世の中というものを思いながら(あるいはそれが世の中であると思いながら)、作者の俯瞰した視点からの描写を読みながら、中島みゆきさんの『世情』を思い出していました。
『世情』の詞って私にとってみゆきさんの歌の中で断トツで難解な詞なのですが(正確なところは今も理解できていない)、なんとなくこの場面の描写に重なったのでした。

 望むより早く、人民を不意に前進させることができるものではない。人民を強制しようとする者に災いあれ!人民は思いどおりには動かされない。そんなとき、人民は暴動をほうっておく。暴徒はペスト患者ということになる。家屋は絶壁となり、戸口は拒絶となり、正面入口は壁となる。その壁は見たり、聞いたりするが、望みはしない。戸口をちょっとひらいて、救ってくれないだろうか。いや、その壁は、裁判官だ。見守り、そして断罪する。閉ざされた家々は、なんと陰気なものか!家々は死んだように見えても、生きている。そこで生活が停止されたようでも、根強くつづいている。ここ二十四時間、誰もその家から外出した者はいないが、一人の住人も減ってはいない。その岩の内部で、人びとは行き来し、寝起きしている。そこには家庭があり、飲み食いし、おびえている。恐ろしいことだ!恐怖があの恐ろしい冷淡さを正当化する。そこに臆病がまじっていることが、その罪を軽くさせる。しかも、恐怖が情熱に変ることが、ときには見受けられた。恐慌が激怒に一変し、用心が憤怒に一変することもある。・・・「あの連中は何を要求しているのか?奴らは決して満足することがない。平和な人たちまで巻き添えにする。これでも革命が足りないといわんばかりだ!奴らはここに何をしに来たんだ?うまくいったらお慰みだ。奴らには気の毒だが、自業自得だ。当然の報いを受けるだけだ。あれはごろつきの集まりだ。何より戸口をあけちゃいかん」。そして家屋は墓のような姿になる。暴徒たちは、その前で、死の苦しみを味わう。散弾や抜き身のサーベルが押寄せるのを見る。悲鳴をあげても、聞く者はあるが、誰も来てくれないと知っている。彼らをかくまえる壁もあり、救うことのできる人びともいる。しかもその壁は生身の耳を持ち、その人びとは石の心を持っている。
 誰をとがめればよいのか?
 誰でもなく、しかもみんなをである。
 われわれが生きるこの不完全な時代をである。・・・
 進歩とは人間の在り方である。人類全般の生命が"進歩"と呼ばれ、人類の集団的な歩みが"進歩"と呼ばれる。進歩は前進し、天上的なもの、神的なものに向って、人間的で地上的な大旅行をする。遅れた連中と一緒になるため、ときどき休止する。・・・
 絶望する者は、正しくない。進歩は必ず目ざめる。また結局、進歩は眠りながらも前進したのだと言えるだろう。なぜなら進歩は成長したからである。それが再び立ち上がったのを見ると、前より高くなったのがわかる。いつも平穏でいるかどうかは、川の責任でもないし、同様に進歩の責任でもない。そこにダムを建てたり、岩を投げこんではいけない。障害物は水を泡立たせ、人類を沸騰させる。そこから混乱が生ずるが、その混乱のあとで、前進したことがみとめられる。普遍的平和にほかならない秩序が確立されるまでは、調和と一致が君臨するまでは、進歩は段階として革命を伴うであろう。
 では、進歩とは何か?それは今述べたとおりである。人民の永遠の命である。

 ところで、ときには個人の一時的な生命が、人類の永遠の生命の妨げになることがある。
 きっぱり言うならば、個人にはそれぞれ異なった利害があり、その利害のための契約をし、それを擁護したところで、反逆罪にはならない。現在、容認しうるほどのエゴイズムを持っている。一時的な生にも権利があり、絶えず未来のために犠牲となる義務はない。・・・「わたしは生存している」と”万人”という名の者がつぶやく。「わたしは若く、恋をしている。わたしは年寄りだし、休息したい。わたしは一家の父で、働き、成功し、商売も順調だ。貸家もある。金は国に預けてある。わたしは幸福だ。妻子があり、それらすべてを愛している。わたしは生きたいのだ。わたしにかまわないでくれ」――そこから、あるときには、人類の高潔な前衛にたいする、奥深い冷淡が生ずる。
 ところで、ユートピア思想も、戦いを起せば、光輝ある領域からははみだすことをみとめよう。明日の真理であるユートピア思想は、昨日の虚偽から、戦闘という方法を借りる。未来でありながら、過去のように行動する。純粋な思想でありながら、暴力となる。自己の英雄主義に暴力を混入させ、当然その責任を負わされる。・・・
 このような保留をつけたうえで、しかもそれを厳重につけたうえで、私は、未来の光栄ある闘志たち、ユートピア思想の司祭たちが成功しても、しなくても、彼らを讃えずにはいられない。たとえ失敗したとしても、彼らは尊敬すべきである。いや、おそらく不成功の中でこそ、彼らの尊敬は増すのだ。勝利は、進歩の方向に沿っているとき、人民の称賛に価する。一方、英雄的敗北は人民の感動に価する。一方は壮大であり、他方は崇高である。・・・敗者の味方になる者も必要だ。・・・
 あらゆる要請に応じて、ユートピア思想が要求するたびに、戦いをはじめることは、どんな人民にもできるものではない。国民は、必ずしも、四六時中、英雄や殉教者の気質をそなえているわけではない。
 国民は実際的である。先天的に反乱をきらう。第一に、反乱の結果は破局であることが多いし、第二に、必ず抽象的観念を出発点としているからである。・・・
 進歩のための戦いは、失敗することが多いが、その理由は今述べたとおりである。大衆は遍歴騎士の誘いを拒む。大衆というこの重い巨塊は、自分の重さのためにこわれやすく、冒険を恐れる。ところが、理想の中には、冒険がある。
 それに、これも忘れてはならぬが、利害がそこにかかわり、理想や感傷にはあまり好意を示さないことである。ときに胃袋が心を麻痺させることがある。・・・

 物質は存在し、瞬間は存在し、利害が存在し、腹が存在する。しかし、腹だけが唯一の知恵であってはならない。束の間の生にも、権利があることはみとめよう。しかし、永遠の生にも権利があるのだ。・・・
 私が今語っているような戦闘は、理想への痙攣にほかならない。拘束された進歩は病的であり、悲劇的な癲癇を起すものである。われわれは、進歩の病気、つまり内乱に、話の途中で出会わなければならなかった。それは、社会的断罪を受けた一人の男を軸とするドラマの、進行中でもあり、幕間でもある、宿命的な段階である。そのドラマの真の題名は、「進歩」である。

 ”進歩”!
 私がしばしば発するこの叫びが、私の全思想である。・・・
 今読者が読んでいる本は、端から端まで、全体的にも、部分的にも、中断、例外、欠陥があるにしても、すべて悪から善への、不正から正義への、虚偽から真実への、夜から昼への、欲望から良心への、腐敗から生命への、獣性から義務への、地獄から天国への、虚無から神への前進である。出発点は物質、到達点は魂である。初めの怪物は、終りでは天使となる。

(第5部第1章20)

そんななかで、ただ一人ヴァルジャンはバリケードの中にいるが戦闘には参加せず、誰も殺さず、バリケードの修理をしたり、ひたすら傷ついた者達の手当てをする。そして自分の敵であるはずのジャヴェールの命を救い、マリユスの命を救う。この作品の中でユゴーがヴァルジャンに与えたかった役割が、わかる気がします。そしてヴァルジャンがその人生の中で幾度も直面している心の葛藤に、人間の人生というのは常に自分の中に住むサタンとの闘いなのだな、と感じたのでした。

以上、長々と書いてしまいましたが、「レミゼってこういう内容だったのか」と新たな発見も多かった、充実した読書でした。本当に、世界は知らないことであふれている。。。
以下は、小説の内容以外のことを簡単に。

・ユゴーはロマン主義の時代の作家ですが、その時代のパリというと、、、ショパン!(ということは、リストもワーグナーもシューマンもメンデルスゾーンも同時代ということになる。)しかしショパンがユゴーについて触れているのは、1845年にユゴーがレオニー・ビヤールと姦通している現場を警察に押さえられたスキャンダルについてユゴーをボロクソに書いているルドヴィカ宛の手紙だけのようで。一方、ユゴーとジョルジュ・サンドは親しく交流があって、サンドが亡くなった際にはユゴーは弔辞を送ったりしています。ちなみにサンドも「カトリック教会はキリスト教の教義を歪曲している」と批判をし、教会との間に確執があったとのこと。

・ナポレオン三世と袂を分かったユゴーが亡命した先が、ブリュッセルだったんですね。ユゴーがグラン・プラスを「世界で最も美しい広場」と讃えたのは、亡命しているときだったのか。旅行中とかかな、と呑気に思ってた

・ユゴーについて調べていると「〈テーブル〉が言うには…」という文章がやたらと出てくるので調べてみたら、〈テーブル〉は何かの比喩ではなく、家具のテーブルそのものなのであった(正確には、テーブルに降りてきた霊)。ユゴーは晩年にオカルティスムに傾倒していたんですね。

・本は断然電子ではなく紙派な私ですが、調べものをするにはオンラインは便利ですねー。「レミゼではロベスピエールについてどんな風に書かれていたんだっけ?」と知りたかったら、レミゼの英訳ページでRobespierreとページ内検索をすればいいので、すごく楽でした。

・読もうと思っている本:『レ・ミゼラブル』の世界 (西永良成著)

・アンジェイ・ワイダ監督の『ダントン(Danton)』というフランス・ポーランド合作の映画があることを知りました。youtubeで英語の字幕版と吹き替え版の両方を見つけたので、観てみたいと思います。

・原作を読み返して、レミゼ25周年の最大の拾い物はハドリーのグランテールだよな~と改めて思ったのであった(あとガブローシュ。ラミンアンジョももちろんよき)。今年のGWに延期されたラミン&シエラとの "The Reunion"、ぜひともぜひともぜひとも実現してほしいものです。。。。。。。。

 人生を近くからながめてみよう。人生はいたるところで刑罰を感じさせるようにできている。
 あなたがたは人から幸福だと言われるような人であろうか?しかもあなたがたは毎日悲しんでいる。毎日それぞれ大きな苦しみや、小さな心配がある。昨日は親しい人の健康を気づかい、今日は自分の健康を心配する。明日は金銭上の心配が、明後日は中傷者の非難が、その次の日は友人の不幸がやってくるかもしれない。それから天気のこと、次にこわれた物やなくした物のこと、次に良心や背骨から責められる快楽のこと、あるいは世間の成り行き。心の悩みは言うまでもない。こんなふうにつづいていくのだ。一つの雲が散っても、またほかの雲が生じる。百日のうち一日だって、完全な喜びと完全な太陽はほとんどない。しかもあなたがたは少数の幸福な人たちの一人である。他の人々の上には、よどんだ夜がかぶさっている。
 考え深い人たちは、幸福な人とか不幸な人という言葉をあまり使わない。明らかにあの世への入口ともいうべきこの世には、幸福な人などは存在しない。
 人間の真の区別は、こうである。輝く人と、暗黒の人。
 暗黒の人間の数を減らして、輝く人間の数をふやすこと。それが目的である。教育!学問!と人びとが叫ぶ理由はそこにある。読むことを学ぶことは、灯りをつけることである。拾い読みをしたすべての綴りが、光を放つのである。
 しかも輝きは、必ずしも喜びということではない。輝きの中でも人は苦しむ。過度の輝きは燃える。炎は翼の敵だ。飛ぶことをやめないで燃える、そこに天才の神秘がある。
 あなたがたが何かを認識しても、また何かを愛しても、やはり苦しむだろう。光は涙の中に生れる。輝く人は、暗黒の人間にすぎないような人にたいしても、涙を流すのである。
(第4部第7章1)

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