鬼平や竹鶴~私のお気に入り~

60代前半のオヤジがお気に入りを書いています。

お気に入りその1427~イレーナ・センドラー

2017-10-11 12:18:50 | 鬼平・竹鶴以外のお気に入り
今回のお気に入りは、イレーナ・センドラーです。

先日FBで、イレーナ・センドラーという人のことを知りました。
それによると・・・
=====
彼女は、ホロコーストから子どもたちを救い続けた愛と勇気の人だそうです。
当時ドイツに占領されていたポーランドの一般女性という弱い立場にあったため、見つかれば死刑でした。
一度はゲシュタポに捕まり、拷問を受けたそうです。
死刑になる直前に救い出され、その後も偽名を使ってユダヤ人の救出を続けたそうです。
戦後、命懸けの救出を続けた理由を尋ねられ、
「父から、溺れている人がいたら、自分が泳げなくても飛び込んで助けるように、と言われていたからです。」
と答えたそうです。
晩年、ノーベル平和賞の候補になりましたが、惜しくも受賞を逃しました。
=====

へー、杉原千畝やシンドラーなどの有名人以外にもユダヤ人を救出し続けた人がいたのですね。
杉原は外交官、シンドラーは収容所の出入りを許されたドイツ人実業家ということで、そう簡単に身柄を拘束されない立場の人たちでした。
彼女は、被占領下のポーランドの一女性。
まさに命懸けの活動でした。

彼女のことをもっと知りたくなり読むことにしたのは、平井美帆著「イレーナ・センドラー ホロコーストの子ども達の母」。
注文から半月かかって到着しました。

内容紹介を引用します。
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二〇〇八年五月十二日。
やさしい目をしたひとりのポーランド人女性が九八歳で亡くなりました。
その人の名前は、イレーナ・センドラー。
第二次世界大戦中、ドイツ軍に占領されていたポーランドで、ゲットー(ユダヤ人居住区)から、二千五百人のユダヤ人の子どもたちを救った女性です。
当時、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)が行われていたポーランドでは、ユダヤ人を助けることは死刑に値する罪でした。
それでも、イレーナは自分の命の危険をかえりみず、ひとりでも多くの子どもを救おうと活動を続けました。
どんな状況におかれても、決してあきらめず、二千五百人もの子どもたちの命を救ったイレーナ―。
その勇敢な人生をのぞいてみましょう。
=====

字が大きく、行間が広い、小学校中学年向けの児童書です。
発行から9年間で第6刷。
こういう良書が地道に売れていることはうれしいことです。

さてその内容は・・・。

彼女の父親は医師でした。
元々ポーランドの首都ワルシャワに住んでいましたが、幼い彼女が呼吸器の病気を持っていたため、空気の良い田舎に引っ越しました。
ある年、その町に発疹チフスという致死性の伝染病が蔓延しました。
町にいた3人の医師の内、彼女の父親以外は町を出て行きました。
彼女の父親は患者の治療を続け、発疹チフスにかかり亡くなりました。
彼は使命に殉じたのでした。
彼女はその父の背を見て育ったのです。
「もし溺れている人を見かけたら、例え泳げなくても助けようとしなくてはなりません。」
彼女は、その教えを生涯守り続けることになります。

彼女が幼い頃、教室でユダヤ人は左側に座るように、という規則を憎み、自分から左側に座って抗議し、退室を命じられたことがありました。
大学時代もユダヤ人を擁護したため、停学になり、卒業が何年も遅れました。

そしてドイツの占領下でユダヤ人を救出する地下組織の子ども救出のリーダーになった彼女は、収容所に忍び込んでは子どもたちを救出し、ポーランド人の里親に偽名で預ける活動を続けます。
ある日ついに捕られられ、拷問を受けましたが、最後まで隠れ家や仲間の名前を自白しませんでした。
いよいよ明日は銃殺という晩、彼女の仲間に買収された看守が彼女を解放しました。
手足の骨を折られた彼女は、回復を待たずに松葉づえを使いながら救出を続けたそうです。

彼女は、親から子どもを預かるとき、その家族の情報をメモし、瓶の中に保管しました。
その数は2500に達しました。
幼くして偽名を名乗り、養父母に育てられることになった子どもたちが、戦後無事に親の元に帰るための大切なメモが入った、それはまさに「命の瓶」でした。

ユダヤ人はポーランドだけでも300万人が処刑され、生き残ることができたのはわずか10%でした。
そのほとんどは隠れ家に隠れていた人々や、誰かに匿われていた人々でした。

彼女は2500人もの子どもたちを救ったことを誇りに思ってなどいませんでした。
もっともっと救えたはずだった、と後悔さえしていました。
300万人という圧倒的な数の前には確かに2500人という数はわずかです。
戦後、親の元に戻ることができたのはごく一握りの子どもたちだけでした。
しかし彼女の命を賭けた隠密裏の行動では、それが精一杯だったことを誰もが知っています。

ある年、米国で彼女の行動がニュースになりました。
高校生たちはそれを劇にしようと考えました。
題名は「瓶の中の命」。
その劇は話題になり、海を越えヨーロッパでも公演されたそうです。

イレーナは虐殺されていくユダヤ人を見過ごすポーランド人に怒りを感じていました。
その怒りがユダヤの子どもたちを救出するエネルギーになりました。

もしその時代に生きていたら、彼女のような勇気ある行動ができたでしょうか?
占領下では、自分にもしものことがあったら大切な家族を路頭に迷わすことになる・・・。
それでも虐殺される人々を救出することができるでしょうか?
心の中で抗議しても、行動には移せない、それが限度。

この辺りが残念ながら偉人と凡人の違いなのでしょう。

日本でも「イレーナ・センドラー」の名が杉原千畝やシンドラーと同じくらい知れ渡ることを願います。
それが差別と戦争を生涯憎んだ彼女の願いにつながる道だからです。





コメント
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