今回のお気に入りは、「虫眼とアニ眼」です。
今年最後のブログ更新は、養老孟司と宮崎駿の対談集「虫眼とアニ眼」について書きます。
2002年の発行ですが、最近読んだ人からも「面白かった!」という書き込みが多かったので読みました。
また大好きな宮崎駿のイラストがたっぷり掲載されている!という情報も選ぶ理由になりました。
AMAZONの内容紹介を引用します。
=====
「虫眼」の人、 解剖学者養老孟司と「アニ眼」の人、アニメーション作家宮崎駿との3度にわたる対談集。
「虫眼」とは、虫の身体の見逃してしまうくらい微小な特徴を目ざとく見つけ、それに感動できるセンスを持っている人のことである。宮崎は、その「虫眼」こそ、養老の自由な発想の源だと指摘する。
2人は、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などの宮崎作品や自然と人間とのかかわりあい、そして若者や子どもをめぐる現状についてざっくばらんに語りあっていて、とっつきにくい話題も身近なことのように感じられる。
冒頭で「養老さんと話してぼくが思ったこと」と題して宮崎が描き下ろしている、22ページにも及ぶカラー漫画が、濃密で刺激的だ。
ここでは、老若男女の誰もが「隠された自分の感覚や能力を発見できる」町の創設を、「養老天命反転地」をデザインした荒川修作とともに提唱している。
とくに、保育園や幼稚園を中心にして町づくりがなされているところが、子どもたちに関心を注いで映画作りをしてきた宮崎らしい発想である。
巻末には、養老の「見えない時代を生き抜く―― 宮崎アニメ私論」が収められている。宮崎との対談を受けての、日本人や日本文化の「都市化・脳化」にたいする警告が強く発せられている。
宮崎と養老は、格別に親しい間柄ではないという。
しかしお互いに一目置いているのが行間からうかがえる。
その距離のとりかたが、2人のやりとりに適度な緊張感を与えている。(文月 達)
=====
小さな虫の動きも逃さず捉えて感動できる「虫眼の人」養老孟司と、日本を代表する「アニメ(眼)の人」宮崎駿が、宮崎作品を通して自然と人間のことを考え、若者や子供への思いを語る。
自分を好きになろう、人間を好きになろう、自然と生きるものすべてを好きになろうという前向きで感動的な言葉の数々は、時代に流されがちな私たちの胸に真摯に響く。
カラーイラスト多数掲載。
=====
冒頭のカラーイラストのページでは、宮崎駿が新たな視点による都市計画を提案しています。
200戸ほどのコミュニティは、自動車が街中までは入れず、中心部に広場があります。
その辺りには子どもたちが家に帰りたくなくなるほど楽しい保育園があります。
子どもたちの自主性に任せ、ナイフや火を使い、木に登るなど冒険し放題。
多少の怪我はつきものとして放っておきます。
アップダウンが豊富で自然に囲まれたコミュニティが、宮崎駿の理想なのですね。
目が慣れて驚くほど虫を見つけることができる目を「虫眼」と言うそうです。
山菜を採りに行ったときに、はじめはなかなか見つけられないけれども、目が慣れてくると次々見つけられます。
これは「山菜眼」といえそうです。
目玉とビデオカメラの違いの話も面白かったです。
養老さんの話。
視界の中に左右に並んだ対象物があり、目玉を左から右に移動させても背景は移動しない。
ところがビデオカメラの場合、カメラの向きを移動すると背景も移動する。
これは脳が映像を修正しているから。
宮崎さんの話。
(その点について深く考えたことは無いが)イメージ通りに映像化できないことは多くある。
達人同士って深いところでつながっているのですね。
あとがきを養老さんが書いています。
宮崎アニメについて書いてほしいと編集者から要望されたそうですが、ハナから書けないと断言しています。
その理由として、芸術作品を言葉で語りつくすことができる訳がなく、できないからこそ芸術なのだと述べています。
開き直りともとれますが、実に納得できる言葉です。
今年も一年間いろいろな本を読みました。
オーテス・ケイリ著「真珠湾収容所の捕虜たち」、上橋菜穂子著「獣の奏者」「鹿の王」などは素晴らしかったです。
その中で今年のマイベストを挙げるなら、やはり久しぶりに読み返した鬼平犯科帳シリーズでした。
渡る世間の教科書をあらためて堪能しました。
来年もまたこれは!という本との出会いを楽しみにしています。
今年最後のブログ更新は、養老孟司と宮崎駿の対談集「虫眼とアニ眼」について書きます。
2002年の発行ですが、最近読んだ人からも「面白かった!」という書き込みが多かったので読みました。
また大好きな宮崎駿のイラストがたっぷり掲載されている!という情報も選ぶ理由になりました。
AMAZONの内容紹介を引用します。
=====
「虫眼」の人、 解剖学者養老孟司と「アニ眼」の人、アニメーション作家宮崎駿との3度にわたる対談集。
「虫眼」とは、虫の身体の見逃してしまうくらい微小な特徴を目ざとく見つけ、それに感動できるセンスを持っている人のことである。宮崎は、その「虫眼」こそ、養老の自由な発想の源だと指摘する。
2人は、『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』などの宮崎作品や自然と人間とのかかわりあい、そして若者や子どもをめぐる現状についてざっくばらんに語りあっていて、とっつきにくい話題も身近なことのように感じられる。
冒頭で「養老さんと話してぼくが思ったこと」と題して宮崎が描き下ろしている、22ページにも及ぶカラー漫画が、濃密で刺激的だ。
ここでは、老若男女の誰もが「隠された自分の感覚や能力を発見できる」町の創設を、「養老天命反転地」をデザインした荒川修作とともに提唱している。
とくに、保育園や幼稚園を中心にして町づくりがなされているところが、子どもたちに関心を注いで映画作りをしてきた宮崎らしい発想である。
巻末には、養老の「見えない時代を生き抜く―― 宮崎アニメ私論」が収められている。宮崎との対談を受けての、日本人や日本文化の「都市化・脳化」にたいする警告が強く発せられている。
宮崎と養老は、格別に親しい間柄ではないという。
しかしお互いに一目置いているのが行間からうかがえる。
その距離のとりかたが、2人のやりとりに適度な緊張感を与えている。(文月 達)
=====
小さな虫の動きも逃さず捉えて感動できる「虫眼の人」養老孟司と、日本を代表する「アニメ(眼)の人」宮崎駿が、宮崎作品を通して自然と人間のことを考え、若者や子供への思いを語る。
自分を好きになろう、人間を好きになろう、自然と生きるものすべてを好きになろうという前向きで感動的な言葉の数々は、時代に流されがちな私たちの胸に真摯に響く。
カラーイラスト多数掲載。
=====
冒頭のカラーイラストのページでは、宮崎駿が新たな視点による都市計画を提案しています。
200戸ほどのコミュニティは、自動車が街中までは入れず、中心部に広場があります。
その辺りには子どもたちが家に帰りたくなくなるほど楽しい保育園があります。
子どもたちの自主性に任せ、ナイフや火を使い、木に登るなど冒険し放題。
多少の怪我はつきものとして放っておきます。
アップダウンが豊富で自然に囲まれたコミュニティが、宮崎駿の理想なのですね。
目が慣れて驚くほど虫を見つけることができる目を「虫眼」と言うそうです。
山菜を採りに行ったときに、はじめはなかなか見つけられないけれども、目が慣れてくると次々見つけられます。
これは「山菜眼」といえそうです。
目玉とビデオカメラの違いの話も面白かったです。
養老さんの話。
視界の中に左右に並んだ対象物があり、目玉を左から右に移動させても背景は移動しない。
ところがビデオカメラの場合、カメラの向きを移動すると背景も移動する。
これは脳が映像を修正しているから。
宮崎さんの話。
(その点について深く考えたことは無いが)イメージ通りに映像化できないことは多くある。
達人同士って深いところでつながっているのですね。
あとがきを養老さんが書いています。
宮崎アニメについて書いてほしいと編集者から要望されたそうですが、ハナから書けないと断言しています。
その理由として、芸術作品を言葉で語りつくすことができる訳がなく、できないからこそ芸術なのだと述べています。
開き直りともとれますが、実に納得できる言葉です。
今年も一年間いろいろな本を読みました。
オーテス・ケイリ著「真珠湾収容所の捕虜たち」、上橋菜穂子著「獣の奏者」「鹿の王」などは素晴らしかったです。
その中で今年のマイベストを挙げるなら、やはり久しぶりに読み返した鬼平犯科帳シリーズでした。
渡る世間の教科書をあらためて堪能しました。
来年もまたこれは!という本との出会いを楽しみにしています。