猫のひたい

杏子の映画日記
☆基本ネタバレはしません☆

田舎司祭の日記  &ベルの誕生日

2021-11-08 22:28:34 | 日記
1951年のフランス映画「田舎司祭の日記」を観に行った。

北フランスの寒村に、神学校を卒業したばかりの若い司祭(クロード・レデュ)
が赴任してきた。司祭は村人たちの悩みに真摯に耳を傾け、日々の出来事を日
記に綴っていく。自身の体調不良を抱えながらも布教と善行に務めるものの、
真面目すぎる司祭の行動は村人たちの反感を買い、やがて孤立していく。司祭
と村人たちのギクシャクした関係はやがて、思いがけない事態を招く。

ロベール・ブレッソン監督作品で、製作から70年を経て初めて劇場公開になっ
た。北フランスの貧しい村に新米の司祭が赴任してくるが、住民たちには経験
の浅い司祭を温かく迎える余裕はなく、また彼自身体調面での不安を抱えてい
たものの、初めて教区を任されて気力はとても充実していた。住民たちの悩み
を聞き、善行を行おうとする司祭だったが、時には心無い者から罵声を浴びせ
られたり、忠告すべき者にはっきりとものを言えず自責の念にかられることも
あった。先輩であるトルシーの司祭(アルマン・ギベール)に相談するが「相手
にするな。司祭が愛されているかどうかは教会は無関心だ」と諭される。やっ
と1日が終わるとその日あったことを日記に記す。この日記は司祭が本当の気
持ちを吐露する貴重な場だった。
村人たちがどうしてあんなに主人公の司祭を受け入れないのか、よくわからな
かった。皆自分たちの生活で精一杯というのもあっただろうが、卒業したばか
りの新米司祭なので舐められていたのだろうか。信心深い人が少ないというの
ではないのだが。そんな司祭にとっての楽しみは、子供たちを相手にした教義
問答の授業だ。しかし子供たちにさえからかわれてしまう。何故村人たちがこ
んなに悪意に満ちているのかわからない。司祭の純粋な信仰への思いは村人た
ちから疎まれていく。
司祭は慢性的な胃の痛みを抱えている。それは彼が真面目すぎることや気が小
さいことなどから来るストレスによるものだろう。次第に彼はパンと葡萄酒し
か受け付けられなくなってしまう。このパンと葡萄酒というのがキリスト教の
象徴になっていて、司祭はまさにキリストの受難を体現しているように見える
のだ。葡萄酒ばかり飲んでいるせいで村人からアルコール依存症の噂を立てら
れてしまい、事態はどんどん悪い方向へ行ってしまう。その上彼が関わった人
が自殺したり(自殺かどうかははっきりしないのだが)、幼い息子を亡くして嘆
き悲しみ、神に不信感を持っている夫人に必死に神の愛を説き、やっと夫人が
心を開いてくれ、後日「神を憎んでいた自分が司祭によって救われた」という
手紙をもらって喜んでいたのに、その夫人が病気で急死したりと、司祭にとっ
てショッキングな出来事が続き、ますます参っていく。
司祭の体力は更に低下し、町の医者に診てもらうことを決意する。駅までの道
を歩いていると、バイク乗りの青年が送りましょうと言ってバイクの後ろに乗
せてくれるのだが、バイクで風に吹かれて司祭は楽しそうな表情をする。それ
は映画の中で司祭が唯一笑顔になったシーンだ。いつも暗く苦悩に満ちた表情
をしていた司祭。それは同じブレッソン監督の「少女ムシェット」で、ムシェ
ットがゴーカートに乗っている時楽しそうな顔をする、ムシェットが唯一笑っ
たシーンと重なる。「少女ムシェット」にしろ「バルタザールどこへ行く」に
しろ、ブレッソン監督は救いようのない悲劇を描くのが好きなのだろうか。司
祭はどうやっても村人たちから受け入れられなかったのか。神は司祭に何故そ
のような困難を課したのだろうか。彼はキリストを象徴する存在に思え、明る
いバイクの青年が「本当はあなたと友達になりたかった」と言うシーンが印象
的だった。


明日11月9日はベルの18歳の誕生日です。便宜上の誕生日ですが。ベル、これ
からも元気で長生きしてね。たまにはノエルと遊んであげてね。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする