青山真治監督とも思えぬ醜態だ。少なくとも、彼が今までの諸作で示してきた切れ味鋭い攻撃性や、繊細な描写等はどこにも見受けられない。吹けば飛ぶような軽薄さが横溢しているだけ。彼は何か悪いものでも食ったのか、それとも単に魔が差したのか、前回の「サッド ヴァケイション」から4年弱も経っているが、その間にあまり良くないことが起こったのかもしれない(爆)。
写真家志望の大学生・光司は、歯科医の初島に幼い娘を連れて都内の公園を散歩している若い母親・百合香の尾行を頼まれる。彼女を盗み撮りしていたという負い目もあった光司はしぶしぶ引き受ける。一方、光司の両親は伊豆大島に移住しており、今は実家に彼一人で住んでいる・・・・はずだが、なぜか友人のヒロが居候している。また光司の周囲には懇意にしている幼なじみの美優や、何かと気を掛けてくれる姉の美咲がいるが、いまいち彼女たちとの距離感が掴めない状況だ。
本作の致命的な欠点は、ドラマツルギーの常道を逸脱していることだ。断っておくが、別に“逸脱するのは絶対ダメだ”と言うつもりはない。あえて定石から外れてみることによって新しい効果が生まれるのならば、それは大いに結構だ。しかし、この映画はそれを狙ったフシは微塵もない。ただ単純にヘタなのである。
たとえば光司が百合香に興味を持った理由は、今は亡き母親に面影が似ていたからだが、この誰の目にも明らかな事が判明するのを本作は何と後半のハイライトの一つに設定している。さらに、百合香は初島の妻であることも最初から明々白々なのだが、このことを中盤に美咲から指摘された光司が驚いてみせるという噴飯物のシークエンスが挿入される。
かと思えば、ヒロが実は幽霊であることや、その死んだヒロが美優の元カレだったこと、また美咲と光司は今の両親それぞれの連れ子であり血が繋がっておらず、美咲は光司に恋心を抱いているというようなことを、アホみたいに滔々とセリフで説明してくれる。
つまり、すでに明示されている事を御丁寧に反芻する一方、映像やシチュエーションで暗示されるべき重要なモチーフを、ベタなセリフの“解説”によって作者のお手盛り的に垂れ流されているという、あべこべな事態が漫然と展開しているのだ。斯様に作劇が明後日の方に向いているため、ドラマ面では何のカタルシスも実現されていない。それを取り繕うように“東京における公園の重要性”などといった空疎な物言いが登場人物の口から発せられるに及んでは、あまりのバカバカしさに失笑してしまう。
光司役の三浦春馬、美咲に扮した小西真奈美、共に健闘はしていたと思うが、話がこれでは演技も宙に浮いてしまう。百合香を演じた井川遥は可もなく不可も無し。そして美優役の榮倉奈々は最低だ。セリフを呟いているだけで何ら求心力のあるパフォーマンスを示していない。かねてより演技がほとんど出来ない彼女がどうして映画に出ていられるのだろうかと不思議に感じているが、その困惑は今回も深まるばかりである。とにかく奥行きのない平板な画面造型も相まって、観る価値はまったくないと断定して良いだろう。