元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「土を喰らう十二ヵ月」

2022-11-28 06:25:28 | 映画の感想(た行)
 主人公のような生活と人生観には到底行き着くことは出来ないが、少なくとも映画を観ている間は“こういう生き方も悪くないじゃないか”と思わせてくれる。斯様な無理筋のキャラクター設定を(一時的にでも)観る者に納得させてしまえば、映画としては成功していると言えよう。そして映像と大道具・小道具の御膳立てには抜かりは無く、鑑賞後の印象は良好だ。

 初老の作家ツトムは、長野県の山奥で一人暮らし。畑で育てた野菜類や、山で採れる山菜やキノコ類を料理して自給自足の生活を送っている。彼を訪ねて時どき担当編集者の真知子が東京から訪ねてくるが、彼女はツトムの恋人でもある。だが、彼は13年前に他界した妻の遺骨を墓に納めていない。そんな中、近くに住む亡き妻の母親が逝去し、ツトムは葬式を仕切るハメになる。水上勉の料理エッセイ「土を喰う日々 わが精進十二カ月」を原案に劇映画として仕上げられた。



 ツトムは典型的な世捨て人で、真知子とは仲が良いが末永く付き合おうとは思っていないようだ。彼にとって世を去った妻の存在がどれだけ大きかったのかは明示されないが、たとえ生きていたとしても俗世と距離を置いたスタンスは変わらないだろう。単身人里離れた山荘に住むツトムの生活は、常人には付いていけない。もしも何かあったら、ただちに命の危険に繋がる。

 しかしながら、オーガニックな食事と共に四季の移り変わりを実感しながらマイペースに執筆活動をおこなうというのは、ある意味理想の生き方とも言える。たとえ不可抗力でそんな日々が途絶えたとしても、すべて責任を自分で背負って静かに退場するだけだ。

 演出・脚本を担当した中江裕司は、快作「ナビィの恋」(99年)で日常世界を離れた一種の桃源郷を描いていたが、舞台は違うものの今回もその姿勢は一貫している。そして本作では、それを納得させるような仕掛けの上手さがある。料理研究家の土井善晴が監修した精進料理の数々は、どれもすこぶる美味そうだ。しかも、食材の採取から調理手順に至るまで丁寧に示している。松根広隆のカメラによる信州の風景は痺れるほど美しく、観ているこちらにも清々しい空気が伝わってくるようだ。

 主演の沢田研二はさすがに年齢を重ねたが、決してショボクレた年寄りには見えないのは昔はスターとして鳴らした彼のキャラクターによるものだろう。真知子役に松たか子も凜とした好演だ。西田尚美に尾美としのり、檀ふみ、火野正平、奈良岡朋子などの脇の面子も手堅い。
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「シェルタリング・スカイ」

2022-11-27 06:20:23 | 映画の感想(さ行)
 (原題:The sheltering sky)90年作品。好評を得た「ラストエンペラー」(87年)のスタッフが再結集したということで、公開当時はテレビのゴールデンタイムに宣伝CMが流れるほど興行側は力を入れていたのだが、現在ではこの映画のことを覚えている人はあまりいないだろう。それだけ本作の印象は薄い。

 1947年、結婚から10年経った節目としてニューヨークからモロッコに旅行に出かけたポートとキットのモレスビー夫妻だったが、すでに2人は倦怠期を迎えていた。遠出したら気分が変わるかと思っていたのだが、期待したほどでもない。それどころかキットは同行していた友人のタナーと懇ろな関係になり、ポートも現地の女性とよろしくやっているという有様。そんな折、ポートはパスポートを紛失した挙句に風土病に罹って体調を崩してしまう。アメリカ人作家ポール・ボウルズによるベストセラー小説の映画化だ。



 都会生活で夫との関係に行き詰ったインテリ婦人が気晴らしのためにアフリカまでやってきて、好き勝手に振る舞った末に何となく悟ったような境遇になったという、それだけの話だ。もちろん、すぐに底が割れるような筋書きでも上手く作ってあれば文句は無いのだが、どうにもパッとしない。

 大御所ベルナルド・ベルトルッチの演出は平板で、ドラマティックに盛り上げられるようなモチーフもあえてパスしているように見える。一番気になったのが、彼の地に対する差別的とも思われる扱いだ。現地の住民の風体や振る舞いは、まるで未開人のそれである。ちなみに、この地域を描いた映画は他にも何本も接しているが、この作品のような突き放した描写は見られない。

 そして驚いたのが、画面に何度も現れるハエの大群。実際もその通りなのかもしれないが、あまり愉快になれない。そういえば封切り当時に知り合いが“題名を「シェルタリング・フライ」に変更しろ!”と言っていたが、さもありなんという感じだ。

 デブラ・ウィンガーをはじめジョン・マルコヴィッチ、キャンベル・スコット、ティモシー・スポールといったキャストは熱演だが、訴求力に欠ける内容なのでそれほど評価できず。坂本龍一の音楽は流麗ながら、聴きようによっては感傷的に過ぎるかもしれない。ただし、ヴィットリオ・ストラーロのカメラによる映像はすこぶる美しい。彼は本作でいくつかのアワードを手にしている。
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「百合の雨音」

2022-11-26 06:22:02 | 映画の感想(や行)
 日活ロマンポルノ50周年を記念し、現役の監督3人がそれぞれ作品を手がけた“ROMAN PORNO NOW”の第三弾。金子修介が演出を担当しているだけあって、第一弾の松居大悟監督「手」や第二弾の白石晃士監督「愛してる!」よりはマシな出来映えだ。ヒット作を数多く手掛けた金子監督は、もともとロマンポルノ作品「宇能鴻一郎の濡れて打つ」(84年)でデビューしている。同性愛を扱った作品では「OL百合族19歳」(84年)という快作もあるので、今回の企画は手慣れたものだったはずだ。だが、やっぱり往年の日活ロマンポルノのヴォルテージの高さには及ばない。

 出版社に勤める葉月は恋愛に対してイマイチ踏み込めない。なぜなら、過去に辛い経験があり臆病になっているからだ。そんな彼女は美人で有能な上司の栞に憧れている。ところが隙が無いように見える栞も、夫との関係が上手くいかずに悩んでいる。ある夜、大雨で帰宅できなくなった2人は、成り行きで一線を越えてしまう。



 さすがに金子監督はラブシーンの扱いが上手く、けっこう盛り上がる。しかし演じる小宮一葉や花澄、百合沙といった女優陣は、昔のロマンポルノのキャストにはとても及ばない。演技指導が不十分なのか、皆表情が硬くセリフ回しも抑揚に欠ける。かといって、ルックスが並外れているというわけでもなく、大きな求心力は望めない。

 むしろ栞の夫の造型が興味深い。朝っぱらから職場で堂々と不倫行為をやらかす不埒な野郎でありながら、妻の言動がそれなりに気になっている。かと思えば葉月には屁理屈をこねて接近したりする。演じる宮崎吐夢は、この無節操な人物を観る者に“男なら誰しも、このような軽佻浮薄な側面があるよなァ”という共感を抱かせるパフォーマンスを披露している(笑)。

 会社内での紆余曲折を経て、収まるところに収まったラストはまあ納得出来るが、それほどのカタルシスは生まれない。金子の演出はヘンに昭和っぽく、フワフワしたBGMとスマートさを敢えて外したような画面構成は一種の個性を発揮しているが、それが効果的かと問われると、あまり色良い返事は出来ない。

 結局“ROMAN PORNO NOW”における三本は(当初の予想通り)成果を上げられなかったが、何やら“成人映画を作るのだから!”という気負いばかりが先行しているように思う。ポルノだって劇映画の一種なのだから、あくまで通常のウェルメイドなドラマ作りに専念し、その上で絡みのシーンを多めに挿入するという肩の力を抜いたスタイルで臨んで欲しかった。
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二胡のコンサートに行ってきた。

2022-11-25 06:18:03 | 音楽ネタ

 先日、福岡市中央区大濠公園にある福岡市美術館ミュージアムホールで開催された、二胡のコンサートに足を運んでみた。二胡というのは、中国の伝統楽器である。二胡だけではなく、他の楽器も交えた編成で、多様な出し物を披露してくれた。180席の会場は満員で、こういう演目に興味を持っている層が少なくないことを如実にあらわしている。

 公演は二部構成で、前半は地元の愛好家による演奏だったが、見どころは第二部だ。中国の人間国宝に当たる国家第一級芸術家の称号を持ち、現在は福岡市を拠点として活動するベテラン趙国良による二胡と、同じく福岡市在住の古箏の達人である江舟、そして熊本市をフランチャイズとして演奏活動をおこなっている揚琴の使い手である周暁丹の3人によるアンサンブルである。

 二胡は以前にも何度か生の音に接したことがあったが、古箏と揚琴は直に聴くのは初めてだ。その玄妙な音色にはとにかく驚いた。中国映画のBGMとしては御馴染みのサウンドのはずだが、眼前で展開されると豊かな響きに圧倒される。もちろん趙国良の名人芸は申し分なく、メロディを奏でるだけではなく、馬や小鳥の鳴き声まで二胡で表現しているのは感服するしかない。

 趙国良は1941年生まれだから相当の高齢だが、リズム感や音の伸びは(当然のことながら)前半の弟子たちのパフォーマンスを完全に上回っている。そして、このような人材が福岡に居を構えているということ自体、有難いことだと思う。これからも達者で芸を磨いてほしい。

 曲目は日本の楽曲が多く、他にクラシックやポピュラーもリストに入っていたが、やっぱり本国の伝統的ナンバーを手掛ける時が生き生きとしている。また、各楽器に関してのレクチャーが挿入されていたのも有意義だった。二胡が2本の弦で構成されているというのは知ってはいたが、弓は弦の間に挟まれており、琴筒はニシキヘビの皮で覆われていることは初耳だった。また、当ホールは音響的には悪くない環境だったが、もう少し広い会場でも十分に客を呼べると思う。
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「君だけが知らない」

2022-11-21 06:18:23 | 映画の感想(か行)
 (英題:RECALLED)それほど深味は無いとは思うが、トリッキィな筋立てで最後まで飽きさせない。最初は映画自体のジャンルを確定させるような建付けに見せかけて途中から別の方向性を示してくるあたり、かなり工夫されていると思う。そして何より、主演女優の魅力が圧倒的。観て損は無い韓国製サスペンスだ。

 若い人妻キム・スジンは病院のベッドで目を覚ます。登山中に滑落事故に遭い昏睡状態にあったらしいが、記憶喪失に陥っており詳細は思い出せない。それでも夫のイ・ジフンの献身的なサポートのおかげて回復に向かい、退院後は元の日常を取り戻し始める。ところが、次第に幻覚に悩まされるようになる。その幻覚は予知夢に近く、実際に彼女の周囲に不可解な出来事が頻発。さらには殺人事件をイメージした幻覚の通りに死体が発見されるに及び、彼女の身にも危険が及んでくる。



 予知夢という超自然的なモチーフをまず提示し、オカルト方面への展開を匂わせて、実はそうでもないという凝った筋書きは悪くない。真相はヒロインの生い立ちに関係しているというネタも、韓流ドラマにはありがちな要素ながら(笑)特に扇情的な扱いはされておらず、さほど気にならない。

 これが長編デビュー作となる女性監督ソ・ユミン(ホ・ジノ監督の門下らしい)はいわゆる“映像派”ではないようで、ヴィジュアル的なギミックは控え目だ。あくまでストーリーを堅実に積み上げることを優先する“職人派”なのだろう。そのため良い意味でのケレンが少なく、真に登場人物の心の闇を垣間見せるようなタッチは見られない。その代わり、テンポのいいドラマ運びとスムーズなアクション演出が披露されている。1時間40分という、無駄に長くはない尺に収めているのも評価できる。

 主演のンソ・イェジは初めて見る女優だが、整った容姿と内省的な演技はもとよりその“声”には参ってしまった。ハスキーな、まさに魅惑の低音ボイス。これだけ特徴的な声を持ち合わせているのは、俳優としては大きなメリットだろう。聞くところによると、私生活(特に経歴)ではかなり問題のある人物らしいが、本作を見る限り今後の仕事にも注目したくなる。共演のキム・ガンウ、パク・サンウク、ソンヒョクらも申し分ない。
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「マイ・ボディガード」

2022-11-20 06:17:16 | 映画の感想(ま行)
 (原題:My Bodyguard)80年作品。教育現場ではいまだに深刻であるイジメ問題については、私はかねてよりイジメられた側は逃げるべきだとの意見を持っている。もちろん対策は個々のケースで打ち出すべきだが、まずはイジメの現場から離れることが肝要だ。しかし本作はアメリカ映画らしく、とにかくイジメには果敢に立ち向かえという主張を展開している。もちろんこのテーマ自体には賛成できない。だが、そこを観る側に気を使わせずにエンタテインメントとして昇華させているのは、映画としては評価すべきだろう。

 15歳のクリフォード・ピーチは、家庭の事情により私立高校からシカゴ市内の公立校に転校する。ところがそこはいわゆる“底辺校”で、不良どもがのさばっていた。さっそくクリフォードはリーダー格であるムーディとその子分どもに目をつけられ、イジメの標的にされてしまう。一計を案じた彼は、同じ学校の生徒で一匹狼のタフガイであるリッキー・リンダーマンにボディーガードになってくれるよう頼む。リッキーはかつて弟を射殺したという噂が流れており、ムーディたちもビビッて近付くことさえできない。はじめは断固として拒否していたリッキーだが、徐々にクリフォードに心を開いてゆく。



 リッキーの造形が秀逸だ。一見無口でガサツな大男ながら、内面は誰よりも繊細でデリケート。辛い過去を周囲の者たちに打ち明けられずに、結果として孤立を招いている。それが真剣に接してくるクリフォードに触発され、徐々に自身の人生に向き合うようになってくる過程には説得力がある。

 クリフォードは辛い立場に置かれるものの、逃げようとは微塵も思わない。他のイジメられっ子たちも同様で、泣き寝入りするどころか自らの境遇をジョークで笑い飛ばそうとする。やがてクリフォードは、リッキーの助けを借りずに自力で事態を打開しようと考える。現実にはそう上手く行くわけがないのだが、弱い者が友情を得て奮起し、堂々と戦いに挑むという娯楽映画のルーティンを踏襲しているために気にならない。

 トニー・ビルの演出は実に手堅く、しっかりとドラマを引っ張る。ナイーヴな持ち味のクリフォード役のクリス・メイクピースも良いのだが、やっぱリッキーに扮するアダム・ボールドウィンのパフォーマンスが目覚ましい。彼らがバイクで街を走るシーンは高揚感が横溢する。ムーディを演じるマット・ディロンの太々しさも特筆もので、彼のキャラクターはこの頃確立されたと言っても良い。

 ルース・ゴードンにジョン・ハウスマン、ジョーン・キューザックといった他のキャストも良い味を出しており、デビュー間もないジェニファー・ビールスが顔を出しているのは興味深い。音楽担当は名手デイヴ・グルーシンで、さすがのスコアを提供している。
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「線は、僕を描く」

2022-11-19 06:24:00 | 映画の感想(さ行)
 水墨画という稀有な題材を取り上げていながら、内容は平板で陳腐。劇的な展開も、目を奪うような映像モチーフも見当たらない。キャラクターの掘り下げはもちろん、各エピソードの扱いも不十分。すべてが安手のテレビドラマ並に奥行き感が無い。聞けばけっこう高評価だというが、この程度の完成度のシャシンが持ち上げられること自体、日本映画を取り巻く状況のヤバさが垣間見える。

 滋賀県の大学に通う青山霜介は、アルバイト先の絵画展設営現場で展示予定の一枚の水墨画を見て衝撃を受ける。その絵のあまりの訴求力に涙さえ流してしまう彼だったが、その縁で大御所である篠田湖山に弟子入りすることになる。くだんの絵の作者は湖山の一番弟子であり実の孫娘である千瑛であり、霜介は彼女と出会うことによって益々水墨画にのめり込んでゆく。砥上裕將の同名小説の映画化だ。

 本作を観る前は、少なくとも水墨画の神髄の片鱗ぐらいは披露してくれるのだろうと思っていたが、実態は違っていた。たとえば、霜介が師匠から墨の刷り方に対してダメ出しされる場面があるが、具体的に何がどう不十分なのかは詳しくは示されない。そして水墨画の基本的テクニック、どのような技巧を施すと斯くの如くヴィジュアルに反映されるのか、それに関しても平易な解説は省かれている。

 湖山をはじめとするその道のアーティスト達の、水墨画に激しく傾倒している狂気じみたパッションも表現されていない。単に水墨画はドラマの“小道具”として扱われるだけだ。それでもかつての弟子であった西濱湖峰のパフォーマンスはスクリーンに映えるが、湖峰の境遇についてはほとんど言及されていない。千瑛の両親がどうなっているのかも不明。

 霜介には水害で家族を亡くすという辛い過去があり、それが水墨画へのインスピレーションに繋がっているとのモチーフを持ってくるが、いくら何でも牽強附会に過ぎるだろう。かと思えば、霜介の友人達が大学で水墨画サークルを立ち上げるといった、どうでもいいネタは挿入される。小泉徳宏の演出はキレもコクも無く、やたら説明的なセリフが多いのには脱力する(良かったのはエンドロールの水墨画ぐらい)。

 主演の横浜流星をはじめ、清原果耶に細田佳央太、矢島健一、富田靖子、江口洋介そして三浦友和と、キャストはほぼ危なげないパフォーマンスを見せているだけに不満が残る出来だ。ついでに言えば、目新しいテーマを掲げたことだけで賞賛されてしまう邦画界の状態にもやるせない気分になる。
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「ローリング・サンダー」

2022-11-18 06:18:35 | 映画の感想(ら行)

 (原題:Rolling Thunder )77年作品。70年代後半からアメリカ映画界ではベトナム戦争を扱ったものが目立つようになる。「ディア・ハンター」(78年)や「地獄の黙示録」(79年)あたりが代表作とされているが、それらに先立つシャシンにも見逃せない作品はいくつか存在する。この映画はその中の一本だ。

 1973年、テキサス州のサンアントニオの空港に8年の長きにわたって北ベトナムの捕虜になっていた空軍少佐チャールズ・レインが降り立つ。戦場の英雄の帰還に地元は沸き立つが、本人の心は晴れない。捕虜収容所でのトラウマは容易に払拭出来るものではなかったのだ。しかも、再会した妻は彼の留守中に他の男と懇ろになっていた。そんな中、メキシコのギャング団が家に押し入り、妻と息子は殺害される。チャールズも重傷を負い、生死の境をさまよう。ようやく回復した彼は、共に帰国したジョニーと一緒にギャングの一団を片付けるべくメキシコに向かう。

 マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」(75年)と似た話だと思っていたら、脚本家は同じくポール・シュレイダーだった。しかし、主人公の観念的な衝動のみで大立ち回りが展開するあの映画とは違い、本作のチャールズの言動はベトナム戦での体験が明確に反映されている。

 彼は家族を失っても、右腕を負傷しても、感情を表に出さない。彼の心はあの戦場に置き去りになったままなのだ。チャールズが再び能動的になるためには、あの戦争の“続き”を始めるしかない。軍服に身を包み、ジョニーと連れ立って敵のアジトに殴り込む彼の姿は、ベトナムでの“落とし前”を付けるように精気に満ち溢れている。

 アクション編に関しては定評のあるジョン・フリンの演出は闊達で、ドラマが弛緩することはない。終盤の活劇場面の盛り上がりも大したものだ。そのあとの無常的な幕切れも忘れ難い。主演のウィリアム・ディベインはニヒルな役柄を過不足なくこなしている。ジョニー役のトミー・リー・ジョーンズも好演だが、この頃は若い(笑)。チャールズを慕う酒場女に扮したリンダ・ヘインズは儲け役だ。

 決して大作ではないが、クエンティン・タランティーノはお気に入りの映画と公言しており、石井聰亙監督の「狂い咲きサンダーロード」(80年)やジョージ・ミラー監督の「マッドマックス2」(81年)など、インスピレーションを受けたと思しき作品もけっこう存在する。
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「RRR」

2022-11-14 06:23:11 | 映画の感想(英数)
 (原題:RRR )前半はけっこう楽しめる。ただし後半に入ると、あり得ない展開が目白押しになり脱力する。いくらインド製娯楽映画という“特殊フィルター”(?)を通しての鑑賞でも、これほど作劇がいい加減ならば評価はしたくない。巷ではかなりウケが良いらしいが、少なくとも本作よりも出来が良いインド製娯楽編は過去にいくらでもあった。

 1920年代の英国植民地時代のインド。少数部族の村にイギリス軍が我が物顔で乗り込み、手先の器用な幼い少女をさらってゆく。部族の用心棒的な存在であるビームは、仲間と共に総督府がある町に潜入。少女を奪還するチャンスを窺う。一方、現地出身でありながら英国政府の警察となったラーマは、デモ隊の鎮圧などに目覚ましい功績を残し、総督府からも一目置かれる存在になる。だが、実は彼が警察に入ったのは“ある目的”のためであった。そんな2人が偶然知り合い親友同士になるが、もとより立場は大きく違う。やがてある事件をきっかけに、彼らは重大な選択を迫られることになる。



 ビームの神出鬼没ぶりや、ラーマの有り得ないほどの腕っ節の強さを“そんなバカな!”と心の中で突っ込みを入れつつ面白がっているうちに、2人がパーティー会場で披露する“ナートゥダンス”で映画のヴォルテージは最高潮に達する。この超高速でハイレベルの振り付けを、寸分の乱れも無いシンクロで見せつけられると、観ている側は驚き呆れるしかない。

 しかし、この後はテンションは落ちる一方。ビームがピンチに陥るくだりや、ラーマのプロフィールなどが不必要に余計な尺で紹介され、次第に面倒くさくなってくる。果てはどう考えても向こう数か月は歩くことも出来ないような重傷を負った2人が、すぐさま何事も無かったかのように回復して大暴れをするに及び、少しはドラマ運びの常識というものを考えろと言いたくなる。

 監督のS・S・ラージャマウリの出世作になった「バーフバリ」シリーズは観ていないが、スマートとは言えない本作の建て付けを見る限り、どうも古いタイプの演出家のようだ。意外と残酷な描写が目立つのも愉快になれない。主役のN・T・ラーマ・ラオ・Jr.とラーム・チャランは絵に描いたような偉丈夫ながら、あまり垢抜けているとは思えない。

 ラーマの恋人役のアーリアー・バットと、インド映画では珍しい白人のヒロイン役アリソン・ドゥーディ、そして敵役のレイ・スティーヴンソンは好演だが、あくまでも主演2人の引き立て役だ。なお、テルグ語の映画を観るのは初めてだったが、今まで鑑賞したヒンディー語やタミル語の映画とは様相が違うように思われる。同じ国の作品でも、言語と映画のテイストとの相関性はやっぱり存在するのだろうか。
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「アムステルダム」

2022-11-13 06:03:15 | 映画の感想(あ行)
 (原題:AMSTERDAM )題材は目新しく、キャストは豪華。美術や衣装は凝っており、撮影も申し分ない。それにも関わらず、映画としては面白くない。これはひとえに、脚本と演出の不備に帰着する。実話を元にしているとのことだが、何やら“実録物である”ということを“言い訳”にして、出来の悪いドラマ運びを漫然と披露しているだけのように思う。

 1930年代のニューヨーク。医者のバートと看護師のヴァレリー、そして弁護士のハロルドの3人は、かつて第一次大戦下のアムステルダムで一緒の時間を過ごし、親友同士として末永く付き合うことを誓い合った仲だった。ところがある日、ハロルドの依頼人であるリズが何者かによって殺され、しかもバート共々容疑者に仕立て上げられてしまう。彼らは疑いを晴らすべく奔走するが、やがてこの事件の裏にある巨大な陰謀に行き着くことになる。



 本作がどこまで史実をトレースしているのか分からないが、随分と雑な建て付けだ。主人公たちが被る冤罪に関しても、衆人環視のもとで発生した案件でそう易々と濡れ衣を着せられるわけがない。このトラブルがどう解決するのか、その段取りには別に驚くようなトリックがあるわけではなく、そもそもサスペンスを盛り上げようという意思も感じられない。

 終盤の当局側責任者の演説も、普通の映画ならばカタルシスを用意するように動くのだが、この映画は空振りだ。よく考えれば、ここで取り上げられている“陰謀”も大したものではない。ハッキリ言って、実現不可能な与太話だ。デイヴィッド・O・ラッセルの演出はヘンにコメディ方面に振ったり、あるいは撮り方のタイミングをちょっとズラしたりと、やってる本人は気が利いていると思っているのかもしれないが、観ている側としてはイライラするだけだ。「世界にひとつのプレイブック」(2012年)の頃までのタッチを維持して欲しかった。

 主役3人はクリスチャン・ベール、マーゴット・ロビー、ジョン・デイヴィッド・ワシントン、そしてクリス・ロックにアニャ・テイラー=ジョイ、ゾーイ・サルダナ、マイク・マイヤーズ、ラミ・マレック、ロバート・デ・ニーロ、さらにはテイラー・スウィフトなど、キャスティングは実にゴージャス。エマニュエル・ルベツキのカメラによるノスタルジックな映像、ダニエル・ペンバートンの音楽も万全だ。しかしながら、映画の質が斯くの如しなので無駄足に終わっている感が強い。
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