元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

無目的に選んでしまった2022年映画ベストテン。

2022-12-31 06:55:01 | 映画周辺のネタ
 年末の“ノルマ”として、2022年の個人的な映画ベストテンを今年も発表したいと思う(^^;)。

日本映画の部

第一位 PLAN 75
第二位 香川一区
第三位 マイスモールランド
第四位 窓辺にて
第五位 マイ・ブロークン・マリコ
第六位 教育と愛国
第七位 こちらあみ子
第八位 ビリーバーズ
第九位 土を喰らう十二ヵ月
第十位 戦場記者



外国映画の部

第一位 ナワリヌイ
第二位 あのこと
第三位 キングメーカー 大統領を作った男
第四位 渇きと偽り
第五位 帰らない日曜日
第六位 スティルウォーター
第七位 ブルー・バイユー
第八位 GAGARINE ガガーリン
第九位 白い牛のバラッド
第十位 ベルファスト



 2022年は“個人的な事情”によって映画館から遠ざかる時期が何回かあり、主要な作品をすべてチェック出来たとは言い難い。見逃した映画も少なくないだろう。しかしながら、何とかベストテンを選べるだけの本数をこなせたのは幸いだった。2023年からは“通常のペース”に戻せたらと思っている。

 日本映画の一位作品は、まさしくアップ・トゥ・デートな題材を反則技とも言える御膳立てで扱い、しかもそれを成功させているという希有な例である。国家権力による人命収奪を描いているが、実際にこのような施策が考案されたら、意外と広範囲な支持を集めてしまう可能性があるのではないか。それだけ我が国の社会的状況は救いようが無いフェーズに突入している。

 あと日本映画全体の傾向として、完全に“二極化”していることが挙げられる。私がベストテンに入れた映画と、巷で客を集めている作品群は別物だ。一般ピーブルは大手シネコンで全国拡大公開される映画以外に、邦画というものは存在しないと思っている。もちろんこのトレンドは随分前からあったのだが、近年それが昂進しているように見える。

 客の入りが良いのは結構なことだが、その仕掛けがマンガやライトノベルやテレビドラマ等の映画化であることを見透かされている以上、所詮は“バブル”であろう。質的な発展が期待できるものではない。

 外国映画のベストワンは2022年の一大ニュースに関連したドキュメンタリーの力作だ。現時点では“観るべき映画”の筆頭である。ハリウッド製の大作群はランクインさせていないが、これは別にアメリカ映画が特別見劣りしていたということではなく、レベルとしては“いつも通り”だ。少なくとも、面白い映画を企画・製作して観客動員を増やそうという真っ当なマーケティングが通用していることは、邦画界よりもマシである。

 なお、以下の通り各賞も勝手に選んでみた。まずは邦画の部。

監督:早川千絵(PLAN 75)
脚本:今泉力哉(窓辺にて)
主演男優:山田裕貴(夜、鳥たちが啼く)
主演女優:永野芽郁(マイ・ブロークン・マリコ)
助演男優:三浦友和(ケイコ 目を澄ませて)
助演女優:玉城ティナ(窓辺にて)
音楽:レミ・ブーバル(PLAN 75)
撮影:松根広隆(土を喰らう十二ヵ月)
新人:嵐莉菜(マイスモールランド)、北村優衣(ビリーバーズ)

 次は洋画の部。

監督:ダニエル・ロアー(ナワリヌイ)
脚本:オドレイ・ディワン、マルシア・ロマーノ(あのこと)
主演男優:イ・ソンギュン(キングメーカー 大統領を作った男)
主演女優:アナマリア・ヴァルトロメイ(あのこと)
助演男優:トロイ・コッツァー(コーダ あいのうた)
助演女優:ジュディ・デンチ(ベルファスト)
音楽:ジム・ウィリアムズ(TITANE チタン)
撮影:エリック・アレクサンダー・ウィルソン(ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ)
新人:オデッサ・ヤング(帰らない日曜日)、マディ・ジーグラー(ライフ・ウィズ・ミュージック)、
   ソ・ユミン監督(君だけが知らない)

 毎度のことながら、ワーストテンも選んでみた(笑)。

邦画ワースト

1.峠 最後のサムライ
演出・脚本・演技と、三拍子そろった(?)見事な駄作。とにかく、何も描けていない。製作側は“時代劇さえ作ればシニア層を大量動員できる”とでも思ったのだろうか。猛省を促したい。
2.SABAKAN サバカン
悪い意味で“子供をダシに使った”映画。筋書きのいい加減さは目に余る。
3.母性
4.シン・ウルトラマン
5.LOVE LIFE
6.ヘルドッグス
7.夜明けまでバス停で
8.この子は邪悪
9.グッバイ・クルエル・ワールド
10.ハケンアニメ!

洋画ワースト

1.アムステルダム
2.アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台
3.ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー
4.ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス
5.パーフェクト・ケア
6.ハウス・オブ・グッチ
7.Zola ゾラ
8.ナイトメア・アリー
9.シラノ
10.GUNDA グンダ
番外 トップガン マーヴェリック

 ローカルな話題としては、福岡市博多区那珂に開業したショッピングセンター“ららぽーと福岡”の中に、東宝系のシネコンがオープンしたことが挙げられる。もっとも、ロケーションが市内中心地から外れていることもあり、いまだに足を運べていない。2023年には何とか都合を付けて行ってみたいと思っている。
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「ケイコ 目を澄ませて」

2022-12-30 06:45:15 | 映画の感想(か行)
 形式としては“スポ根もの”であり、しかも主人公は肉体的ハンデを負っている。だから映画としては主人公が逆境に負けず辛い鍛錬の甲斐あって、大舞台で活躍するという“感動巨編”に持って行くことが王道であり、そうなっても文句を言う観客はあまりいないだろう。だが、本作の送り手はそれを潔しとしなかったようで、対象を一歩も二歩も引いたところから捉えてストイックなタッチを狙ったと思われる。それはそれで良いのだが、少々困ったことにこの映画の場合、突き放したようなスタンスが度を超しており、大事なことまでネグレクトされている。これでは評価出来ない。

 東京の下町の小さなボクシングジムで鍛錬を重ねる小河恵子は、生まれつきの聴覚障害で両耳とも聞こえない。それでもプロデビュー後の成績は悪くなく、会長の信頼も厚い。だがこの地域は再開発が進み、練習生の減少も相まって、ジムは閉鎖されることになる。恵子は言葉にできない屈託が心の中に溜まり、休会届まで書くのだが提出することは出来ない。そんな思いを抱えたまま、彼女は大一番に挑む。耳にハンデのある元プロボクサー小笠原恵子の自伝「負けないで!」を原案にしたドラマだ。



 ヒロインが寡黙なのは当然として、何を考えているのかよく分からないのは感心しない。たぶん自身の境遇に思うところが多々あるのだろうが、それが映画の中では明示はもとより暗示もされていない。そもそも、どうして彼女がボクシングに夢中になったのかも十分描かれていない。

 対して、周囲の人物はよく捉えられている。恵子が普段働いているホテルの同僚たちや、ジムのトレーナー、そして彼女の母親など、それぞれの立場で主人公を見つめている様子が窺える。特にジムの会長の描き方は出色で、長年ボクシングを愛していたがいよいよ“引き際”が訪れたことに対する懊悩が十分に表現されていた。しかし、肝心の恵子の内面が浮かび上がってこないので、何とも筋立てとしては不安定だ。

 試合の場面は及第点には達しているとは思うが、タイトルの“目を澄ませて”が示すような、ヒロインの目の良さが発揮される場面は見当たらないし、それを活かしたセコンドの指示も無い。斯様なタッチで、ラストの処理だけで全てを片付けてしまうような姿勢は釈然としない。三宅唱の演出は今回ドキュメンタリー・タッチを狙いすぎだ。あえて16ミリフィルムの撮影に臨んだことも、果たして適切だったのかと思ってしまう。

 主演の岸井ゆきのは健闘していて、よくここまで仕上げたものだと思う。だが、ヒロインの造型がイマイチであるため、印象は思ったほど強くはない。三浦誠己に松浦慎一郎、渡辺真起子、中島ひろ子、仙道敦子などの脇の面子は良い。そして会長に扮する三浦友和は好演で、近年の彼の代表作になるだろう。
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「戦場記者」

2022-12-26 06:23:56 | 映画の感想(さ行)
 現時点で“観るべき映画”の筆頭に挙げられる。ただ、もちろん映画鑑賞なんてのは単なる娯楽であり、有り体に言えば“ヒマ潰し”でもある。だから他人から“必見の映画だ”などとゴリ押しされる筋合いは無い。しかし、時として観ておけば知見が広がる(かもしれない)シャシンというのが出てくることがある。本作はそれに該当する。

 TBSの中東支局長である須賀川拓が、さまざまな地域の戦場に赴いて現地の実態をリポートしたドキュメンタリーだ。まず、支局長とはいっても正式なスタッフは須賀川だけであり、しかもデスクはロンドン支局の一角に据えられていることに面食らってしまう。つまりは“局長兼お茶くみ”という案配で何かの冗談のようだが、須賀川の職域はおそろしく広い。情勢が逼迫した拠点に乗り込み、突撃取材を敢行する。



 正直、世界各地に複数の要員を配した支局を網羅しているNHKならばともかく、民放の報道畑でこれだけの行動力を持った人材が存在することに驚かされる。映画はまずパレスチナのガザ地区で情報収集にあたる須賀川の姿を追う。イスラエル軍の攻撃により多数の民間人の犠牲者が出ている現状を踏まえ、須賀川はイスラエル軍当局とハマス(パレスチナ政府内与党)の双方の言い分を聞くが、それぞれが自身の都合の良いことしか述べず、責任を回避しようとするばかりで、具体的な事態の収拾は覚束ない。

 次に須賀川はウクライナに飛び、戦争が市民の日常生活の隣に存在する現実を活写。そして圧巻はアフガニスタンからのリポートだ。カブールの市街地に掛かる橋の下に多数の麻薬中毒者がひしめき、死を待つばかりの惨状が映し出される。一応は戦争は終結してタリバン政権により国内は統治されているが、国民生活の安定化には程遠く、先行きは見えない。

 興味深いのは、須賀川はこれだけの取材力を発揮しながら、ジャーナリズムの限界をも自覚していることだ。自分たちが現地に行っても当事者たちを助けることは出来ない。何か出来ると考えること自体が思い上がりだ。しかし、伝えることによって情報の受け手が何らかのインパクトを覚えたならば、それは十分価値がある。

 思えば“マスコミは信用出来ない”という言説は昔からあり、ネットの普及によって昨今そういう声は増しているようだ。確かにマスコミは間違いを犯すこともある。だが、その責任の主体もマスコミ自身である。マスコミが信用出来ないのならば一体何を信じればいいのか。少なくともネット上の曖昧な言説や陰謀論もどきの極論がそれに代われるとは思えない。須賀川のようなジャーナリストが現場に足を運んで得る情報の重要さに、今一度思いをはせる必要がある。
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「サボテン・ブラザース」

2022-12-25 06:05:26 | 映画の感想(さ行)
 (原題:i Three Amigos! )86年作品。お手軽すぎる邦題は、監督ジョン・ランディスの代表作「ブルース・ブラザーズ」(80年)の二番煎じを狙ったものだ。内容もそれに相応しく(?)超ライトで歯ごたえのない、観た後すぐに忘れてしまいそうになる脱力系コメディである。だが、本作は内容自体よりも“周辺のネタ”の方が興味深い。その意味ではコメントするに値するシャシンである。

 1916年のメキシコ。辺境の地にあるサント・ポコ村は、エル・グアポ率いる盗賊団のために危機的状況にあった。そのため村長の娘カルメンは盗賊団を撃退してくれる用心棒を探していたが、たまたま町の教会で上映されていたサイレント活劇映画「スリーアミーゴス」を観て実在の英雄のドキュメンタリー映像だと勘違いし、ハリウッドにスリーアミーゴスへの救いを求める電報を打った。これを受け取った件の映画の主演3人組は、これはメキシコでの新作映画のオファーだと思い込み、嬉々として現地へ向かう。



 要するに黒澤明の「七人の侍」のパロディで、知らぬ間に盗賊団に立ち向かうハメになった落ち目の俳優たちの悪戦苦闘を賑々しく描こうという作戦だ。設定は悪くなく、上手く作ればかなりウケの良いお笑い編に仕上がったところだが、ドラマの建付けがガタガタでギャグのキレも悪く、出るのはタメ息と失笑のみだ。

 ジョン・ランディスの演出は「ブルース・ブラザーズ」を撮った者と同一人物であることが信じられないほど覇気が無い。特にスティーヴ・マーティンにチェビー・チェイス、マーティン・ショートという当時人気絶頂にあった喜劇役者を起用していながら、ほとんど良さが出ていないことには閉口する。事実、その頃の本国の批評家の一致した見解は“つまらない”というものだったらしい。

 だが前述の通り、この映画は関連するネタの方が面白い。まず、当初予定されていたキャスティングがダン・エイクロイドにジョン・ベルーシ、ビル・マーレイ、ロビン・ウィリアムズ、リック・モラニスであり、監督にはスピルバーグが検討されていたとか。そんな大物たちが参加するような題材なのか疑わしいが、もしも実現していたならば“大作”に仕上がっていたかもしれない。

 そしてこの映画、何と日本公開時は地方ではオリバー・ストーン監督のアカデミー受賞作「プラトーン」との二本立てだったのだ。ベトナム戦争を扱った超シリアスな問題作と、能天気なおちゃらけ映画とのコラボレーションという、今から考えると究極的にシュールな状態が現出していたことを考えると、この映画の存在感(?)も捨てたものではないと思わせる。なお、本作は三谷幸喜が絶賛しており、なるほど生ぬるい展開の三谷作品と通じるものはあるようだ(苦笑)。
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「ルイス・ウェイン 生涯愛した妻とネコ」

2022-12-24 06:21:57 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE ELECTRICAL LIFE OF LOUIS WAIN )箱庭のように美しいエクステリアを持つ映画だ。昨今珍しい35ミリ・スタンダードサイズの画面が実に効果的。内容もお涙頂戴の“感動巨編”ではないことはもちろん、対象をドキュメンタリー・タッチに突き放したスノッブなシャシンでもない。一人の芸術家の生涯を平明に追った映画であり、この時代に生きた人間として哀歓も無理なく織り込まれている。良作と言っていい。

 1860年にロンドンの上流階級に生まれたルイス・ウェインは、早くに父親を亡くし、一家を支えるためにイラストレーターの仕事を始める。妹の家庭教師としてやってきたエミリーと恋仲になるが、彼女は労働者階級であり年齢も10歳も上だ。周囲からの反対を押し切り結婚する2人だが、幸せは長くは続かずエミリーは末期ガンを宣告されてしまう。ある日、ルイスは庭に迷い込んできた子猫を保護し、ピーターと名付けて飼うことにする。そしてエミリーのために猫のイラストを手掛けるが、これが評判を呼び、一躍彼の名は知られるようになる。猫のイラストで人気を集めたイギリスの画家L・ウェインの伝記映画だ。



 主人公はアーティストではあるが、同時に統合失調症を患っており、歳を重ねて病状が進むにつれ画風が変化していくことが若い頃に読んだ心理学関係の文献に載っていたが、今ではそれは真相ではないことが明らかになっている。タッチの変化は彼が試した方法論のバリエーションに過ぎなかったのだ。

 とはいえ、若くして家族を養うことを義務づけられ、愛した妻は若くして世を去り、しかも経済的感覚に乏しいために生活が楽になることは無かった。その気苦労がメンタル的に悪影響を及ぼしたことは想像に難くない。ただ、もっと上手く立ち回れば良かったと思うのは“後講釈”だろう。この時代で、この境遇にありながら自らの芸術的指向を全うしたことは評価すべきだと思う。

 ウィル・シャープの演出はケレンを廃した堅実なもので、派手さは無いが丁寧だ。主演のベネディクト・カンバーバッチはこういう役柄は得意で、今回も横綱相撲的なパフォーマンスを披露している。相手役のクレア・フォイも好演で、アンドレア・ライズボローにトビー・ジョーンズ、タイカ・ワイティティ、ニック・ケイヴといった脇の面子も申し分ない。

 そしてエリック・アレクサンダー・ウィルソンのカメラによる映像は見事としか言いようがなく、この映画自体が一つの絵画のようだ。あと余談だが、ルイスが猫の魅力を示す前は、猫というのは“ネズミを捕るためのツール”としか認識されていなかったことは驚きだ。だから、犬と違って猫に対する学術的研究はここ百年あまりの歴史しかないという。今後の経緯に注目したい。
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「夜、鳥たちが啼く」

2022-12-23 06:10:05 | 映画の感想(や行)
 佐藤泰志の小説の映画化にしては、極端に暗くも重くもないので“物足りない”と感じるかもしれない。しかしながら、適度な明るさと温度感を伴う方が観る側にとって幾分気が楽であるのは確かだ。ましてや監督は最近登板数が多くプログラム・ピクチュアの担い手のような存在になった城定秀夫だ。いたずらにヘヴィなタッチを期待するのは筋違いである(笑)。

 埼玉県の地方都市(ロケ地は飯能市)に住む作家の慎一は、かつては文学賞を獲得したことがあるが現在は複写機保守の仕事をしながら売れるアテもない小説を細々と書き連ねている。以前は生活を共にしていた恋人の文子がいたが、ケンカ別れした挙句に先輩に寝取られてしまう。そしてあろうことか、文子と一緒になったその先輩の元妻の裕子が幼い息子を連れて慎一のもとに転がり込んでくる。彼は家を母子に提供し、自分は敷地内にあるプレハブ小屋で暮らすようになる。こうして同居とも別居とも言えない奇妙な共同生活が始まる。



 慎一は嫉妬深くて気難しい野郎であり、今後文壇に復帰することはほぼ不可能。裕子は夜な夜な行きずりの男たちとの関係に溺れる身持ちの悪い女である。2人揃って通常のドラマではすぐに消されそうな“陰キャ”の典型だが、なぜか放っておけない存在感がある。それをバックアップするのが裕子の息子のアキラの存在。

 アキラは慎一を呼び捨てにするが、これはすなわち慎一の精神年齢が子供と同等であることを意味する。そんな“子供同士”の慎一とアキラは何となく仲良くなるが(笑)、それが裕子の内面にも微妙な変化をもたらす。もちろん、彼らが少しばかり前向きになろうと、状況は劇的に好転はしない。だが、そういう生き方も決して否定されるものではないのだ。

 城定の演出は淡々としていながら無駄がなく、適度なユーモアも交えつつ(特に“だるまさんがころんだ”の場面はケッ作)スムーズにドラマを進めていく。主演の山田裕貴はかなり健闘していて、この半ば人生投げたような男をリアリティをもって表現している。ヒロイン役の松本まりかはスクリーン上で見るのは初めてだが、巷の“あざと可愛い”という評価通りのヤバそうなオーラが満載。今後もこの個性を突き詰めてほしい。中村ゆりかにカトウシンスケ、藤田朋子、宇野祥平などの脇の面子も悪くなく、観て損しないだけの要素は確保されている。
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「あのこと」

2022-12-19 06:13:56 | 映画の感想(あ行)
 (原題:L'EVENEMENT )かなりの求心力を持つ映画で、鑑賞後の満足感は大きい。ただし、本作を頭から否定する者もいることは想像できる(特に日本において)。望まぬ妊娠をしてしまったヒロインに対し、“自業自得だ”とか“中絶への罪悪感は無いのか”とかいった道徳論をぶつけて指弾してくる手合いだ。一見モラルを説いているようだが、実は身も蓋も無い自己責任論にすぎない。対策案も考えずに建前論ばかりに執着していては、物事は一向に進展しないのだ。

 1960年代。フランス南部の大学に通うアンヌは、労働者階級の出身ながら苦学して学位にも手が届こうとしていた。ところが学位取得試験を前に、妊娠が発覚。当時は中絶は違法で、関わった医師も処罰の対象になる。交際相手の男に責任を取らせようとするが、逃げ腰で話にならない。手をこまねいている間にも、確実に彼女のお腹は大きくなる。アンヌは独力で解決方法を見つけるべく、不測の事態に徒手空拳で立ち向かう。2022年度のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの自伝的短編小説の映画化だ。



 とにかく、ヒロインの12週間にわたる壮絶な“バトル”に圧倒される。誰も助けてくれず、望みの薄い方法であっても飛び込むしかない。しかも、タイムリミットは刻一刻と迫ってくる。似たようなネタを扱った映画にクリスティアン・ムンジウ監督の「4ヶ月、3週と2日」(2007年)があるが、設定が“独特”であったあの映画よりも、ヴォルテージは本作の方がはるかに高い。なぜなら、誰にでも起こりうる事態であるだけではなく、主人公の価値観がある種の普遍性を持っているからだ。

 それは、学術に対する姿勢である。アンヌは苦労して掴んだアカデミックな生き方を“妊娠ごとき”で手放したくはないのだ。これは決して子供を産むことを軽んじているわけではなく、彼女にとって学問はそれだけ価値があるものなのだ。オドレイ・ディワンの演出は強靭で、一時たりともスクリーンから目が離せない。リアルな描写も避けることなく真正面からぶつかっている。

 主役のアナマリア・ヴァルトロメイは捨て身の熱演で、観ていて鳥肌が立った。サンドリーヌ・ボネールにルアナ・バイラミ、ケイシー・モッテ・クライン、ルイーズ・オリー=ディケロなどの脇の面子も言うことなし。ロラン・タニーのカメラによる即物的な映像も印象的だ。第78回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を獲得。本年度のヨーロッパ映画の収穫である。
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「ダイアモンドは傷つかない」

2022-12-18 06:12:05 | 映画の感想(た行)
 82年作品。当時はヤクザ映画などに代表されるような男臭い(≒むさ苦しい)実写映画を数多く手がけていた東映が、珍しく若い女性層の動員を狙って仕掛けた一本。しかも、5月の連休明けを勝手に“OL週間”と命名し、東陽一監督の「ザ・レイプ」(田中裕子主演)との二本立てで臨んだという、今から考えると何とも向こう見ずなマーケティングを採用している。

 予備校で国語を教えている三村一郎は、妻の真知子がいながら元教え子で現在は大学生の越屋弓子と不倫している。さらに彼には10年以上前から付き合っている愛人の牧村和子がいた。真知子の弟で事情を知る中山修司は、一郎に奔放な生活を辞めるように忠告するが、聞く耳を持たない。弓子は一郎のかつての教え子として何食わぬ顔で真知子と対面するが、後日和子と会った際は同じ愛人としてライバル意識を丸出しにする。三石由起子の同名小説の映画化だ。

 一郎は実に不謹慎な野郎だが、いくら周囲から何やかやと言われてもまったく意に介さず、堂々と遊び人路線を突き進んで行く様子は見ようによってはアッパレである。しかも、オッサンのくせに若い女子とよろしくやっているあたり、羨ましくもある(笑)。実際にこんなのが身近にいたら迷惑だが、映画で見る分には存在感のあるキャラクターだ。また、彼をめぐる女たちの鞘当てもけっこう生々しくて見応えがある。

 藤田敏八の演出は取り立てて目立つところは無いが、そこそこ手堅い仕事ぶりだ。一郎に扮した山﨑努の傍若無人な怪演も楽しいのだが、圧巻は弓子を演じる田中美佐子である。これが彼女の映画デビュー作で、いきなり主演クラスという抜擢だが、期待に応えるような熱演を披露。全編にわたって服を着ている場面があまり無いという役どころだが(苦笑)、違和感なく奔放な若い女を演じきっている。

 思えば、この頃の若手女優は当たり前のように“身体を張って”くれていて、今とは時代が違っていたことを印象付けられる。加賀まりこに朝丘雪路、石田えり、趙方豪、小坂一也など、脇の面子もにぎやかだ。大林宣彦や高瀬春奈、家田荘子がチョイ役で顔を出しているのも興味深い。
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「ザリガニの鳴くところ」

2022-12-17 06:14:36 | 映画の感想(さ行)
 (原題:WHERE THE CRAWDADS SING )全世界で累計1500万部を売り上げたというミステリー小説の映画化だが、謎解きの興趣はほとんど無いことに面食らった。聞けば原作者のディーリア・オーウェンズの“本職”は動物学者であり、小説は本作の原作が初めてとのこと。そのためかどうか知らないが、ストーリーラインが練られていない印象を受ける。

 1965年、ノースカロライナ州の湿地帯で、地元の名士の御曹司であるチェイスの死体が発見される。近くの物見櫓から転落したようだが、状況から殺人の可能性も考えられた。犯人として疑われたのは、6歳で親に捨てられてから19歳になるまで一人きりで湿地の中で生き抜いてきた少女カイアである。彼女はチェイスの元交際相手でもあり、動機もあった。逮捕され法廷に立ったカイアは、自身の半生を回想する。



 ポリー・モーガンのカメラによる南部の湿地帯の風景は美しく、紹介される動植物も興味深い。しかし、率直に言えば“キレイすぎる”のだ。辛い人生を歩んできたヒロインの心象にシンクロするかのような、得体のしれない闇がジャングルの奥に潜んでいるような気配はない。「地獄の黙示録」や「アギーレ 神の怒り」といった作品との類似性は、最後まで見い出せなかった(まあ、それを期待するのは筋違いかもしれないが ^^;)。

 そして、前述したようにミステリーとしての体裁は整えられていない。では何があるのかというと、まずフェミニズムとエコロジー指向だ。カイヤの父は暴君で、家族は痛めつけられる。そして、この時代の南部らしい男尊女卑的な風潮も取り上げられている。そんな中にあって、ヒロインとその“理解者”たちはリベラルな方向から捉えられている。カイアには絵心があり、珍しい動植物を描いたイラストが評判を呼ぶ。ただ、そもそもどうして彼女の家族が湿地に住むことになり、なおかつ父親が横暴なのか、その理由は示されない。

 そしてカイヤと幼馴染のテイトとのアバンチュールは、完全なラブコメのノリだ。そういえばカイヤは人里離れた場所で暮らしていながら、少しも汚れた印象は受けない。あえて言えばこれはマンガの世界だろう。取って付けたようなエピローグも盛り下がるばかり。オリヴィア・ニューマンの演出は可もなく不可もなし。

 主演のデイジー・エドガー=ジョーンズは健闘していたと思うが、主人公の造形自体が場違いなものであるため、演技よりもルックスが印象付けられてしまうのは仕方がないかも。老弁護士役のデイヴィッド・ストラザーンは儲け役だったが、あとのテイラー・ジョン・スミスやハリス・ディキンソン、マイケル・ハイアット、スターリング・メイサー・Jr.といったキャストは堅実ながらあまり面白みは無い。本国の評論家筋の評判はあまりよろしくないようだが、それも当然かと思われる。ただし、テイラー・スウィフトによるエンディング・タイトル曲は良かった。
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「母性」

2022-12-16 06:26:45 | 映画の感想(は行)
 まさか映画館で往年の“大映ドラマ”の類似品を見せられるとは予想もしていなかった。ただし、本作は昔の“大映ドラマ”ほど吹っ切れてはいない。そこまで開き直る度胸も根性も無いのだ。では何があるのかというと、サスペンス編あるいはシリアスな家族劇のような素振りを見せて、それを期待した観客を劇場に集めようという下心だろう。確かに、大芝居の連続であるブラックコメディという体裁では興行的に難しいが、だからといって看板に偽りありの姿勢が容認できるはずもない。

 鉄工所に勤める夫と結婚したルミ子は、森の中の一軒家で暮らし始める。やがて長女の清佳が生まれるが、ルミ子は何かと世話を焼いてくれる母親に完全に依存している。そんなある日、火災が発生して家は全焼。仕方なくはルミ子は清佳を連れて夫の実家に身を寄せるが、そこには横柄な義母が待ち構えていた。湊かなえの同名小説の映画化だ。

 宣伝には“女子高生が自宅の庭で死亡。事故か自殺か殺人か!”というような惹句が踊っていたが、それが作品の中身とほとんど関係が無いことは早々に明かされる。あとは親離れできないヒロインと、スネてしまったその娘、そしてお決まりの嫁姑の確執などが仰々しく展開されるのみだ。しかもその顛末にはリアリティが著しく欠如している。もちろん、タイトルにある母性の何たるかなど、まったくマジメに言及されていない。

 ならばマンガチックなやり取りで笑いを取ろうという作戦に出ればいいものを、作り手にはギャグのセンスが備わっていないようで、大半のネタが上滑りしている。くだらないモチーフの羅列の果てに、取って付けたような結末を迎えるという、まるで世の中をナメたような所業には閉口するのみだ。監督の廣木隆一は今年(2022年)だけで5本も撮っているという多作家だが、映画の密度はそれだけ薄くなっているようだ。製作側は、意欲はあるのに仕事にありつけない作家に職を回すべきではないのか。

 年齢が10歳ぐらいしか違わない戸田恵梨香と永野芽郁が親子役だったり、義母に扮した高畑淳子やルミ子の実母を演じた大地真央が失笑するようなオーバーアクトを見せたり、三浦誠己や中村ゆり、吹越満らが臭い演技を披露したりと、キャストも迷走気味。マトモなのはルミ子の義妹に扮した山下リオぐらいだ。とにかく、観る必要のない映画である。
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