元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「リコリス・ピザ」

2022-07-18 06:50:01 | 映画の感想(ら行)
 (原題:LICORICE PIZZA)奇妙で、取り留めもない映画だ。似たようなシャシンを過去に観たような気がしたが、それは同じポール・トーマス・アンダーソン監督の手による「ブギーナイツ」(97年)だったことを思い出した。ただし、70年代末から80年代にかけてのポルノ業界をスケッチ風に描くという、明確な方向性を打ち出していたあの映画と比べると、本作の散漫な印象はより強い。いわば作者の心象の映像化というべきものだろう。

 1973年のロスアンジェルスのサンフェルナンド・バレー。高校生のゲイリー・ヴァレンタインは学校に通う傍ら、母親の経営する芸能事務所を手伝ったり、俳優としても活動したりと忙しい日々を送っていた。あるとき、生徒の写真を撮るために学校に来ていたフォト・スタジオの店員であるアラナ・ケインと知り合い、ゲイリーは恋に落ちてしまう。とはいえ、相手は10歳も年上だ。対等な関係になるのは難しいと分かっていながら、彼は新たな儲け話を持ち掛け、アラナをビジネス・パートナーに誘うなどの猛チャージを開始する。



 まず、いくらゲイリーに商才があっても、高校生の分際でカタギのビジネスを容易に立ち上げられるとは信じがたい。しかも、取引先として“その筋”の顔役たちをいつの間にか取り込んでいるという都合の良さ。かと思えば、時間の経過が不明確で、知らぬ間に主人公たちは年を重ねている。

 通常の恋愛ドラマと同様、2人の関係は決して順風満帆ではなく、劇中ではいろいろと波風が立つ。しかし、それらが映画を盛り上げるモチーフにはなっていない。ただ何となくすれ違ったり、誤解したり、しばらく逢えなかったりと、通り一遍の退屈な筋書きを重ねるだけでストーリーを高揚させることはない。もちろん、熱いパッションといったものも見当たらない。こんな調子で2時間14分も引っ張ってもらっては、ひたすら眠気との戦いに終始するばかりだ。

 登場人物たちは作者とは世代が違うので、個人的なノスタルジーを追ったものではない。では何なのかというと、この時代に生きた若者たちはたぶんこういう風景を見ていたのだろうという、勝手な想像だろう。そのノリに付いていける観客ならば別だが、そうでなければ評価する余地はない。

 ゲイリー役のクーパー・ホフマンはフィリップ・シーモア・ホフマンの息子でこれがデビュー作。体型と不貞不貞しさは父親譲りかと思うが、あまりスクリーン映えする素材ではない。ヒロインを演じるアラナ・ハイムは、あのハイム三姉妹の一人だ。しかも、姉二人だけではなく家族総出でキャスティングされているのにはウケた。そしてその点が、本作で興味を惹かれた唯一のモチーフである。

 あとショーン・ペンやトム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパーも出ているが、実質的に“友情出演”の域を出ない。ジョニー・グリーンウッドの音楽はあまり印象に残らず、使われている既成曲も大して面白いとは思えない。いっそのことハイムに楽曲を担当させた方が良い結果になったかもしれない。
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「マン・フロム・トロント」

2022-07-17 06:52:27 | 映画の感想(ま行)

 (原題:THE MAN FROM TORONTO)2022年6月よりNetflixにて配信。他愛の無いアクション・コメディだが、けっこう良く出来ていて最後まで楽しめる。各キャラクターの造形は上手くいっており、アクション場面の練り上げも及第点だ。当初は劇場公開される予定だったらしいが、諸般の事情で配信のみと相成った。でも、これぐらいのクォリティならば映画館で観ても良かったと思う。

 主人公テディはオンラインでのエアボクシングを普及させようという野望を持っているが、甲斐性が無いため上手くいかない。そんな中、妻ロリの誕生日祝いにバージニア州にある山小屋を借りることにした彼は、住所を間違えて別の小屋を訪ねてしまう。そこにはヤバい連中が“トロントの男”と呼ばれるその筋のプロを待っていたのだが、テディはその男と間違えられて絶体絶命の危機に陥る。

 そこは運良くFBIに救出されるのだが、今度はFBIから囮捜査を持ち掛けられ、本物の“トロントの男”と接触するハメになる。さらには成り行きで“トロントの男”と一緒に裏社会の刺客たちから狙われる立場になり、2人は共闘して次々と襲いかかるトラブルに対処していく。

 一種のバディ・ムービーであり、舞台設定が広範囲のロード・ムービーでもある。斯様な形式のドラマだと登場人物の個性がどれだけ屹立しているかがポイントになってくるが、本作は合格だ。テディ役のケヴィン・ハートは口八丁手八丁の胡散臭さを発揮し、対するウディ・ハレルソンはスキンヘッドの強面野郎。このコントラストは効果的だ。

 加えて、組織のボス役のエレン・バーキンが程度を知らない過激さを演出してみせる。また、このボスは手下に命令するだけで、“トロントの男”の顔を知らないという設定は気が利いている。ピアソン・フォード扮する“マイアミの男”の不貞不貞しさをはじめ、殺し屋どもはバラエティに富んでいる。さらに“東京の男”として山下智久まで出てくるのだから愉快だ。ケイリー・クオコとジャスミン・マシューズの女性陣も言うことなし。

 パトリック・ヒューズ監督の仕事ぶりは達者で、作劇のテンポが落ちることはないし、活劇シーンのヴォルテージの高さには驚かされる。ギャグの振り出し方も万全だ。すべてが丸く収まる終盤の扱いと共に、何やら続編も出来そうな雰囲気もあり、油断できない(笑)。
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「ベイビー・ブローカー」

2022-07-16 06:49:52 | 映画の感想(は行)
 (原題:BROKER)脚本がほとんど練り上げられていない。こういう穴だらけの筋書きでは、断じて評価するわけにはいかない。第75回カンヌ国際映画祭での優秀男優賞とエキュメニカル審査員賞の受賞は、いわば功労賞みたいなもので、それ自体が作品の出来映えを保証するものではないのだ。取り上げられた題材がアップ・トゥ・デイトなものであるだけに、もっと真摯に取り組んで欲しかったというのが正直な感想である。

 釜山で昔ながらのクリーニング店を営む中年男サンヒョンと、いわゆる“赤ちゃんポスト”が設置された福祉施設で働く児童養護施設出身のドンスには“裏の顔”があった。2人は“赤ちゃんポスト”に預けられた赤ん坊を横取りし、子供を欲しがる家庭に高額の手数料と交換に引き渡すというプローカー稼業で収入を得ていた。しかも、サンヒョンはヤバい筋からの借金がけっこうあり、その返済のためにもブローカーの仕事はやめられない。

 ある日、2人は若い女ソヨンがポストに預けた赤ん坊を連れ去るが、翌日思い直して戻ってきたソヨンに問い詰められ、仕方なく2人は彼女と一緒に里親を探す旅に出る。一方、彼らを現行犯で逮捕しようと監視している2人の刑事は、尾行を開始する。

 サンヒョンがカネに困っていることは分かるのだが、どうしてブローカーの仕事を選んだのかハッキリしない。実は彼には“家庭の事情”というものがあったらしく、それが何の伏線も無しに終盤に表に出てくるのは愉快になれない。ソヨンはある事件に巻き込まれているらしいのだが、華奢で若い女の身でそんな“犯行”に及ぶとは到底考えられない。また、ドンスが犯罪に手を染める動機付けも弱い。もっと切迫した事情を持ってくるべきだった。

 さらに言えば、刑事たちの存在は果たして必要だったのか疑問だ。警察の捜査をモチーフとして採用するのならば扱いを強固にするのが当然ながら、ここではそれが成されていない。ロードムービーとしての興趣もほとんど出ておらず、せいぜい途中で“闖入者”が加わるぐらいで、工夫が足りない。ラストの扱いに至っては、いったい何が解決したのか分からないし、各キャラクターの去就も明確ではない。

 是枝裕和の演出は平板で、これといった盛り上がりは見当たらない。主演のソン・ガンホは相変わらず達者な演技だが、彼にしてみれば今回は“軽くこなした”という程度だろう。カン・ドンウォンにペ・ドゥナ、イ・ジウン、イ・ジュヨンといったキャストは悪くはないパフォーマンスを見せるが、殊更優れたものでもない。是枝監督は次回はどこで撮るのか分からないが(Netflixでの仕事になるという話もある)、いずれにしろ正攻法で取り組んでほしい。
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「その場所に女ありて」

2022-07-15 06:25:56 | 映画の感想(さ行)
 鈴木英夫監督による昭和37年東宝作品。働く女たちの哀歓を描いた、いわゆる“女性映画”だが、これは観ている間に何度も“ほーっ”と感嘆の溜め息が出るようなウェルメイドな仕上がりだ。何より素材を扱う際にフェミニズムだのマッチョイズムだのといった余計なイデオロギーの視点が入っていないのが良い。作者のスタンスはあくまでナチュラルだ。

 主人公の矢田律子は西銀広告の社員。仕事は出来るが、周りの女性スタッフにはあまり恵まれていない。それでも懸命に頑張っている。彼女たちの次の営業ターゲットは、難波製薬が発売する新薬の広告だ。ライバル会社の大通広告も必死で食い込もうとする。そんな中、難波の宣伝課長である坂井が律子に接触する。大通広告も難波のスタッフを巻き込もうと暗躍し、2つの広告会社の競争は熾烈を極めていく。鈴木と升田商二の共作によるオリジナル脚本の映画化だ。



 鈴木監督は登場人物をすべて“一個の人間”として先入観なしに徹底的に描き込む。つまりはキャラクターをハッキリするという土台の上ではじめて映画の設定をのっけているわけで、どこぞの映画みたいに設定からキャラクターを無理矢理デッチ上げるような愚を犯していない。だからこそ、この映画には悪役も善玉もいない。たまたま主人公にとって敵にも味方にもなる人物が“設定上”存在するだけの話で、それぞれのあり方を糾弾も美化もしない。その状況に向き合って精一杯生きる登場人物たちをクールに描くだけだ。

 各キャラクターの造形がしっかりしているからこそ、観る者は自由に劇中の誰かに自分を投影し、その思いを共有することができる。お仕着せではない情感に酔うこともできる。切なさと痛々しさに感じ入ったりもできる。それを可能にする鈴木監督の堅牢極まりない演出力には脱帽あるのみだ。ラストのまとめ方も、ストイックで余韻が残る。

 そして有能なキャストの面々、主演の司葉子をはじめ宝田明や原知佐子、山崎努や大塚道子、児玉清、浜村純、西村晃などの分をわきまえた的確な演技が光る。ダメ男に惚れ込む身持ちの悪い女を森光子が嬉々として演じているのもうれしい。池野成の音楽と、逢沢譲のカメラによる撮影も言うことなし。後年のキャリアウーマンを描いたハリウッド作品なんかとは完全に一線を画す、女性を主人公にした映画の傑作である。
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「帰らない日曜日」

2022-07-11 06:17:26 | 映画の感想(か行)

 (原題:MOTHERING SUNDAY)鑑賞後の充実感は大きい。イギリス映画らしい(?)品の良さと節度、そして外連味のない抑制の効いた展開と各キャストの健闘。さらには確かな時代考証に裏打ちされた上質の美術や衣装デザインなど、80年代後半から90年代前半に撮られたジェイムズ・アイヴォリィ監督の秀作群を想起させる格調の高さだ。

 1924年3月、英国の上流階級の屋敷に仕える使用人たちが一斉に里帰りを許される“母の日”の日曜日がやってきた。だが、ロンドン郊外のニヴン家に住み込みで働く若いメイドのジェーンは孤児院育ちだったため、帰る家はない。そんな彼女に、近くのシェリンガム家の息子ポールから、両家の昼食会の前に密かに会おうという誘いが入る。

 ポールは幼なじみのエマとの結婚が決まっていたが、ジェーンとも懇ろな仲であった。シェリンガムの邸宅で2人きりの時間を過ごした後、昼食会に出かけたポールを見送ってニヴン家に戻ったジェーンを待っていたものは、思いがけない知らせだった。ブッカー賞作家グレアム・スウィフトの小説「マザリング・サンデー」の映画化だ。

 映画は作家として名を成した老境のジェーンが、過去を回想するという形式で進む。彼女は一人で暮らしており、今でも孤独のように見える。しかし、ジェーンの胸中にいつもあるのは、あの劇的な日曜日の出来事だ。彼女の時間は、あの日で止まっている。しかし、決して彼女は不幸ではないのだ。たった一つでも忘れられない思い出があれば、人はそれを糧にして生きていける。そんな人生の機微を掬い上げた作者の着眼点と力量には、感服するしかない。

 ニヴン家には息子がいたが、第一次大戦に従軍した際に戦死している。シェリンガム家も、ポール以外の息子たちは戦地から帰ってこなかった。裕福だが、彼らの生活には確実に陰りが忍び寄り、いずれは時代の流れと共に消え去る運命だ。戦争の悲惨さと並行して、没落してゆく者たちへ挽歌を送るという、この仕掛けも上手い。エヴァ・ユッソンの演出はまさに泰然自若といった感じで、早くも巨匠の佇まいすら感じてしまう。ジェイミー・D・ラムジーのカメラによる英国の田舎の風景は痺れるほど美しく、モーガン・キビーによる音楽も的確だ。

 主役のオデッサ・ヤングは初めて見る女優だが、演技度胸の良さと複数の年代を演じ分ける実力には舌を巻いた。注目すべきオーストラリア出身の新鋭だ。ジョシュ・オコナーにオリヴィア・コールマン、コリン・ファース、そして老年に達した主人公に扮するグレンダ・ジャクソンなど、キャストは充実している。また、サンディ・パウエルによる衣装デザインには、いつもながら見入ってしまう。
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「トップガン マーヴェリック」

2022-07-10 06:06:57 | 映画の感想(た行)
 (原題:TOP GUN:MAVERICK)いかにもトム・クルーズ主演作らしい、大雑把で能天気なシャシンだ。そのことを割り切った上で気楽に楽しめれば文句は無いのだろうが、あいにく当方はそんなに素直な性格ではない(笑)。突っ込むべき点は遠慮なく突っ込ませていただく。少なくとも“ジェット機の轟音が鳴り響けば、それで満足”といった次元からは距離を置きたい。

 伝説の戦闘機乗りであるピート・“マーヴェリック”・ミッチェル海軍大佐が、若き精鋭たちの指導に当たるためノースアイランド海軍航空基地の教官として現場復帰する。彼が担当するプロジェクトは、某“ならず者国家”が建設中のウラン濃縮プラントの壊滅に向けての要員養成だ。着任早々、彼は訓練生たちと衝突。しかも彼らの中には、かつてマーヴェリックとの訓練飛行中に殉職した戦友グースの息子ルースターの姿もある。前途多難だが、基地司令官が昔の相棒であるトム・“アイスマン”・カザンスキーであったことから、マーヴェリックは職務に専念せざるを得なくなる。



 まず、いつからアメリカ海軍の将校はヘルメット無しでバイクをぶっ飛ばしても良いことになったのだろうか。映画限定の作り話かもしれないが、危機管理上はアウトの案件だ。また、劇中の“ならず者国家”とはいったいどこなのか。まさかロシアや中国に米軍が直接手を下すわけにもいかないので、イランか北朝鮮なのか。しかし、どう見てもあの基地は違うように思う。

 しかも、敵の戦闘機はたぶんSu-57だ。この機体はロシア以外には配備されていないはずだが、どういう事情なのだろうか。また、第五世代ステルス戦闘機が簡単にレーダーに映ってしまう不思議。ついでに言えば、米軍のF/A-18がSu-57に空中戦で互角に渡り合えるとも思えない。そして、なぜか敵基地に“あの飛行機”が完動品として保管されているという謎設定。

 クライマックスの敵基地攻撃のシークエンスは、明らかに「スター・ウォーズ」のエピソード4(77年)のパクりである。さらに言えば、その元ネタであるイギリス映画「633爆撃隊」(1964年)の類似品でもある。あと、主人公と恋人のペニーとのアバンチュール(?)は、日本のラブコメも真っ青なワザとらしさだ。

 ジョセフ・コジンスキーの演出は平板で、戦闘シーン以外は気合いが入っているとは思えない。トム御大扮する主人公をはじめ、誰一人として血の通ったキャラクターはいない。まるで皆ゲームの中のパーソナリティのようだ。ジェニファー・コネリーにヴァル・キルマー、ジョン・ハム、エド・ハリスなどキャストは駒を揃えているが、印象に残る演技は見つけられない。

 レディー・ガガによる主題歌も、ほとんど記憶に残らない。なお、トニー・スコット監督による前作(86年)はリアルタイムで観たはずだが、使用楽曲以外は内容はまったく覚えていない。それだけ大味でコクの無い映画だったということだが、本作もいずれ忘却の彼方に消え去ることだろう。
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「恋する女たち」

2022-07-09 06:55:11 | 映画の感想(か行)
 86年作品。早い話が学園を舞台にしたラブコメなのだが、昨今のいわゆる“壁ドン映画”とは次元が違う出来である(とはいえ、最近のお手軽ラブコメをチェックしているわけではないので、正確な表現ではないかもしれないが ^^;)。スタッフの堅実な仕事ぶりとそれに応えるキャストの頑張りさえあれば、カタギの映画ファン(?)も納得させるだけの結果に繋がるのだ。

 高校2年生の吉岡多佳子は、友人の緑子の“葬式”に出席していた。緑子はショックな出来事に遭遇すると、勝手に自分の“葬式”を催し、周囲の者たちをそれに付き合わせるのだ。今回の“葬式”の原因は、片思いしていた二枚目の教育実習生に婚約者がいることを知ったからだった。その帰り道、クラスメートの汀子から好きな人がいると聞かされた多佳子は気が動転し、発作的にR15指定作品が上映中の映画館に飛び込んでしまう。



 だが、そんな多佳子に熱い視線を向ける者たちがいた。それは下級生の基志と、多佳子をモデルに裸婦画を描くことを狙っている美術部員の絹子だった。さらには彼女を憎からず思っている野球部員の沓掛勝もいて、多佳子をめぐる人間関係は慌ただしくなってくる。氷室冴子による同名小説の映画化だ。

 オフビートなキャラクターばかりが出てくるのだが、決して浮ついたタッチにはなっていない。これはやはり大森一樹監督(脚本も)の起用のたまもので、子供向けのシャシンではないのだ。各登場人物の内面は十分に掘り下げられており、突飛に思える彼らの行動も、実はそれなりの切迫した背景があることが平易に示されている。加えて、多佳子たちの会話がけっこう知的だ。

 表現には奇を衒ったところは無いが、含蓄がある。主演は斉藤由貴で、当時はNHKの朝ドラの主演もこなし、人気は絶頂にあった。そんな彼女に入浴シーンからラストは彼女の全裸図(笑)の披露までさせているのだから、プロデューサーの手腕は侮れない。

 大森の演出は快調で、テンポ良く彼女たちのハイスクールライフを綴っている。相楽晴子に高井麻巳子、柳葉敏郎、菅原加織、小林聡美といった濃すぎる級友役や、原田貴和子に川津祐介、星由里子、蟹江敬三などの脇の面子も光る。舞台になっている金沢の街の風景はとても魅力的だ。
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「峠 最後のサムライ」

2022-07-08 06:21:32 | 映画の感想(た行)
 これはヒドい。まったく映画になっていない。キャラクター設定はもちろん、話の進め方、キャストに対する演技指導、映像処理etc.すべてにおいて落第だ。いくら監督が一時期は実績を残したベテランの小泉堯史とはいえ、この出来映えではプロデューサー側は冷徹に“お蔵入り”あるいは“撮り直し”といった決断を下すべきではなかったか。とにかく、今年度ワーストワンの有力候補であることは間違いない。

 1867年の大政奉還により、260年余り続いた江戸幕藩体制は終焉を迎えたが、国内では新政府勢力と旧幕府軍との戦乱が勃発していた。そんな中、越後長岡藩の牧野家家臣・河井継之助は双方いずれにも属することなく中立を保とうとしていたが、いつの間にか官軍側と相対するようになる。司馬遼太郎の長編小説「峠」の映画化だ。

 冒頭、徳川慶喜に扮した東出昌大がいつもの通り棒読みのセリフを披露する時点で、早くも映画全体に暗雲が立ちこめる。さらに河井継之助の挙動不審ぶりが遠慮会釈なく展開されるに及び、鑑賞意欲が大幅に減退。とにかく、主人公像がまったく練り上げられていないのには参った。継之助は越後長岡藩の中立化と独立を望んでいたらしいが、具体的にそれがどういうものだったのか、最後まで説明されない。そして、官軍と一戦交えることになった動機も明かされることはない。

 また、藩の軍事責任者であったにも関わらず、知見の乏しさには呆れる。夜中に密かに八丁沖を渡って奇襲をかけるはずが、その行程は怒号が飛び交う大人数での移動だったり、せっかく調達したガトリング砲を使いこなせなかったり、極めつけは“西には信濃川があるから官軍はやって来ない”と勝手に判断したものの、いざ敵が川を渡って迫ってきた時に“何ィ!”と目を剥いて驚いたりと、素人ぶりを大いに発揮している。

 戦いが終わって自ら“決着”を付けようとするくだりも、要領を得ない言動に終始。主人公がこの有様なので、あとのキャラクターは推して知るべしだ。見事に全員が“ただそこにいるだけ”であり、何の存在感も無い。合戦シーンは少しも盛り上がらず、登場人物たちが決死の覚悟で刃を交す場面も見当たらない。小泉の演出はメリハリが無く、平板そのものだ。

 そもそも、かなりの長編である原作(私は未読)を2時間程度に収めようとしたこと自体、大間違いである。戊辰戦争時に40歳代であった継之助を60歳代の役所広司が演じるのは違和感があるし、役所より20歳以上年下の松たか子が妻に扮するのもオカシイ。香川京子に田中泯、永山絢斗、芳根京子、榎木孝明、渡辺大、佐々木蔵之介、井川比佐志、吉岡秀隆、仲代達矢など配役はかなり豪華だが、見せ場らしい見せ場も与えられていない。

 やたら粒子の粗い映像は奥行きが無く、見た目も汚い。加古隆の音楽は印象に残らず、石川さゆりの主題歌も取って付けたようだ。本作を観ると、もはや我が国にはマトモな時代劇を撮れる人材がいないことを痛感する。とにかく、とっとと忘れてしまいたい映画だ。
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「ミックステープ 伝えられずにいたこと」

2022-07-04 06:23:38 | 映画の感想(ま行)
 (原題:MIXTAPE )2021年12月よりNetflixにて配信。殊更持ち上げたくなるような秀作でも佳作でもないが、観た後の感触は良好だ。音楽をネタにした学園ものという題材も個人的に嬉しい。さらには使われている楽曲の数々が実にアピール度が高く、それだけでもチェックして良かったと思わせる。

 西暦2000年をもうすぐ迎える12月、ワシントン州の地方都市に住む中学生のビバリー・ムーディは、今は亡き両親が選曲して録音したカセットテープを見つける。ところがデッキに装着して再生しようとした途端、テープが絡まって動作不可になる。彼女はラベルに書かれた“曲のキャッチフレーズ”を頼りに、友人のエレンやニッキー、そして世間嫌いのレコード店オーナーのアンティらと共に、ミックステープの復刻を目指す。



 ビバリーの両親は10代で一緒になったが、彼女が生まれてすぐに事故でこの世を去っている。だからビバリーは親から何も受け継いでいない。今は母方の祖母ゲイルとの二人暮らしだが、ゲイルも娘に対して屈託があり、ビバリーに母親のことを詳しく話さない。だからミックステープの作成は、ビバリーにとって両親の人となりを知る唯一の手段なのだ。

 ビバリーの学校生活も、決して明るいものではない。人付き合いの苦手な彼女は、イジメの絶好のターゲットになっている。このイジメっ子の親玉が車椅子の身障者であるというのも、かなりキツい。エレンやニッキーと仲良くなるのも、時間と手間ばかりが掛かってしまう。そんな逆境だらけの日常を何とか上向かせるツールというのが、くだんのカセットテープであるというアイデアは悪くない。曲を集めるたびに一歩ずつビバリーの世界が広がっていく様子は、観ていて気持ちが良い。

 選曲のセンスは良好で、ロキシー・ミュージックの「夜に抱かれて」や、キンクスの「ベター・シングス」などは久々に聴いたが、いずれも優れたナンバーであることを再確認した。驚いたのがザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」も入っていること(もちろん、日本語オリジナルだ)。そういえば最近「リンダ・リンダズ」というLA出身の10代ガールズバンドが注目されているが、あのグループの名前の由来もこのナンバーだ。

 ヴァレリー・ワイスの演出はテンポが良いとは言えず、余計なシーンも目立つのだが、登場人物の内面は上手く掬い上げている。特に終盤は、それぞれのキャラクターが自らの人生に折り合いを付ける様子を過不足なく描写して、好感触だ。ジェマ・ブルック・アレンにオードリー・シェ、オルガ・ペッツァ、ニック・スーン、ジュリー・ボーウェンといった出演陣は馴染みはないが、皆良い演技をしている。
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「FLEE フリー」

2022-07-03 06:53:39 | 映画の感想(英数)
 (原題:FLEE)当初、限りなくドキュメンタリーに近い実録ドラマをアニメーションに仕立てる意味があるのかと思ったのだが、実際観てみるとかなり効果的であることに驚かされた。もしも俳優を起用しての実写版で製作されたならば、確かに見た目のリアリティは増すが、結局はそのヴィジュアルの世界観を超えることは難しい。アニメーションによる素材の抽象化が、ここでは大きくモノを言っている。

 アフガニスタンのカブールでそれなりに幸せな少年時代を送っていたアミンは、政情不安により父が当局に連行されてから、家族ともども逆境に追いやられる。一家は国外脱出を図るが、最初のチャレンジは失敗に終わる。万難を排しての二回目は何とか成功し、モスクワにたどり着く。しかしそこは異邦人は偏見と差別にさらされ、彼らにとって定住すべき土地ではなかった。アミンたちはさらなる亡命を求めて、危険なミッションに臨む。



 映画は一人でデンマークまで逃げ延びたアミンが、30歳代半ばになり安定した生活を手に入れた後、同性の恋人に辛い過去を告白するという形式で進む。彼の半生は筆舌に尽くしがたいほどハードなものだ。今まで生き延びられたのは、まさに奇跡である。家族とは離ればなれになってしまったが、とりあえずは皆無事だ。

 これを波瀾万丈の大河ドラマ仕立てにすることは、予算があれば可能だったろう。しかし、本作のようなアニメーション、しかも作画は単純化され動きも決して滑らかではない映像で表現されると、観る者の想像力によっていくらでも物語の奥行きは大きくなる。もちろん、それには作者の力量が伴うことが不可欠だが、監督のヨナス・ポヘール・ラスムセンはストーリーのエッセンスを抽出して、それ以外のモチーフを削ぎ落とすことによって求心力を高めることに腐心している。

 また、アミンとその家族の旅は悲惨ではあるが、エンタテインメント性は決して低くはない。辛酸を嘗めたロシアでの境遇から、いかにして脱出するか。先の読めない展開はスリリングで目を離せない。さらに、アミンの同性愛者としての悩みと将来に対する不安も、十分にすくい上げられている。尺は89分と短いが、充実感は大きい。

 第94回米アカデミー賞において、国際長編映画賞と長編ドキュメンタリー映画賞、そして長編アニメーション映画賞の3部門の候補になった。他にもアヌシー国際アニメーション映画祭における大賞獲得など各種アワードに輝いているが、それも頷けるほどの出来映えである。
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