元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

大雑把に選んでしまった2021年映画ベストテン。

2021-12-31 06:15:58 | 映画周辺のネタ
 年末恒例の(別に恒例でもないのだが ^^;)が、本年度(2021年)の個人的な映画ベストテンを発表したいと思う。

日本映画の部

第一位 すばらしき世界
第二位 街の上で
第三位 猿楽町で会いましょう
第四位 モルエラニの霧の中
第五位 子供はわかってあげない
第六位 ひらいて
第七位 彼女の好きなものは
第八位 まともじゃないのは君も一緒
第九位 すくってごらん
第十位 ザ・ファブル 殺さない殺し屋



外国映画の部

第一位 ノマドランド
第二位 ファーザー
第三位 少年の君
第四位 チャンシルさんには福が多いね
第五位 ミッション・マンガル 崖っぷちの火星打ち上げ計画
第六位 KCIA 南山の部長たち
第七位 ディア・エヴァン・ハンセン
第八位 MINAMATA ミナマタ
第九位 最後の決闘裁判
第十位 ラブ・セカンド・サイト はじまりは初恋のおわりから



 前年に引き続き、2021年もコロナ禍が映画界を直撃。映画館の閉鎖こそなかったが、ハリウッド製の大作の公開延期が相次いだ。次々とウイルスの変異株が現れていることから、コロナ禍の前の状況に戻るには長い時間がかかりそうだ。ただし、ベストテンを選べるだけの本数を上映してくれたのはありがたい。

 日本映画において印象的だったのは、我々が直面する社会問題を捉えようという作品が目立ったことだ。しかし、一位の「すばらしき世界」を除いて、それらは高評価を得られていない。なぜなら、映画として練られていないからだ。どんなに高尚な意図を持っていても、ウェルメイドに徹していなければ観客を振り向かせることは出来ない。

 外国映画の一位「ノマドランド」は、その主題や手法はアメリカ映画としては画期的なものだった。同作のC・ジャオ監督はマーベルの大作も担当しており、外部から異質な才能を呼び込むハリウッドの方法論を再確認した。ただし、同監督の出身国である中国当局の頑迷なスタンスは、世界情勢の暗い一面を垣間見せる。

 また、韓国映画は総体的に日本映画を圧倒しつつある。気が付いてみれば、国民一人当たりのGDPは韓国にも遅れを取り、我が国の衰退は避けられない状況だ。しかし、そのことに無自覚な国民は圧倒的多数を占める。たぶん、日本は落ちるところまで落ちないと、事の重大さを理解しないのだと思う。

 なお、以下の通り各賞も選んでみた。まずは邦画の部。

監督:西川美和(すばらしき世界)
脚本:今泉力哉、大橋裕之(街の上で)
主演男優:役所広司(すばらしき世界)
主演女優:石川瑠華(猿楽町で会いましょう)
助演男優:鈴木亮平(孤狼の血 LEVEL2)
助演女優:中田青渚(街の上で)
音楽:鈴木大輔(すくってごらん)
撮影:新宮英生、与那覇政之(モルエラニの霧の中)
新人:神尾楓珠(彼女が好きなものは)、首藤凜監督(ひらいて)

 次は洋画の部。

監督:クロエ・ジャオ(ノマドランド)
脚本:フローリアン・ゼレール、クリストファー・ハンプトン(ファーザー)
主演男優:アンソニー・ホプキンス(ファーザー)
主演女優:フランシス・マクドーマンド(ノマドランド)
助演男優:メラーブ・ニニッゼ(クーリエ:最高機密の運び屋)
助演女優:美波(MINAMATA ミナマタ)
音楽:ベンジ・パセク、ジャスティン・ポール(ディア・エヴァン・ハンセン)
撮影:ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ(ノマドランド)
新人:イー・ヤンチェンシー(少年の君)、ジョディ・カマー(最後の決闘裁判)、キム・チョヒ監督(チャンシルさんには福が多いね)

 毎度のことながら、ワーストテンも選んでみた(笑)。

邦画ワースト

1.ドライブ・マイ・カー
映画として何も描けていない。加えて3時間という気の遠くなりそうな長さ。観たことを心底後悔した。
2.パンケーキを毒見する
稚拙な語り口で時事問題を扱わないでほしいものだ。もっとマジメにやれ。
3.あのこは貴族
4.BLUE/ブルー
5.空白
6.茜色に焼かれる
7.明日の食卓
8.ホムンクルス
9.先生、私の隣に座っていただけませんか?
10.いとみち

洋画ワースト

1.プロミシング・ヤング・ウーマン
物語の前提は無理筋で、ストーリー運びは絵空事。話にならない。キャストも最悪。
2.007/ノー・タイム・トゥ・ダイ
これは断じて“007”ではない! 所帯じみたボンドなど願い下げだ。
3.ミナリ
4.17歳の瞳に映る世界
5.わたしの叔父さん
6.どん底作家の人生に幸あれ!
7.パワー・オブ・ザ・ドッグ
8.サウンド・オブ・メタル 聞こえるということ
9.イン・ザ・ハイツ
10.沈黙のレジスタンス ユダヤ孤児を救った芸術家

 ローカルな話題としては、アジアフォーカス・福岡国際映画祭が終了したことが実に残念だった。2020年に30回目を迎えたが、2021年3月をもって実行委員会が解散し、事実上終焉を迎えた。とはいえ、今までの上映作品はフィルムアーカイブとして福岡市総合図書館に保管されており、この資産を活用する施策も考えられるだろう。今後に注目していきたい。
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「彼女が好きなものは」

2021-12-27 06:33:18 | 映画の感想(か行)
 軽佻浮薄なラブコメのような“外観”に敬遠してしまうカタギの(?)映画ファンもいるだろうが(笑)、中身は真摯に作られた青春映画の佳編である。取り上げられた題材もさることながら、各キャラクターが十分に“立って”おり、ストーリーも説得力がある。こういう、若年層にアピールできるようなエクステリアを保ちつつも質は高いという作品こそ、実は今の日本映画には必要ではないかと思ってしまう。

 高校に通う安藤純は、自分が同性愛者であることをクラスメートはもちろん母親にも隠して生きている。彼には佐々木誠という妻子持ちの“恋人”がいて、ネット上ではMr.ファーレンハイトと名乗るゲイの友人と交流しているが、そんなことは周囲に一切明かしていない。ある日、彼は書店で同じクラスの三浦紗枝とバッタリ出会ってしまうが、彼女が手に取っていたのはボーイズラブ(BL)漫画だった。



 紗枝はBL好きであることを周りにひた隠しにしており、純に口止めをする。この一件が切っ掛けになり、2人は友人を交えて付き合うようになるが、やがて純は紗枝から告白される。彼は戸惑いつつも、彼女と交際を始めるのだった。浅原ナオトによる小説の映画化だ。

 いくらLGBTQがある程度市民権を得るようになったとはいえ、世間が色眼鏡で見てしまう風潮は厳然としてある。それを痛感しているからこそ、純はカミングアウトできず孤立している。同様に誠も他人に明かしていない(まあ、彼の場合は不倫なので当然だが)。それが紗枝という媒体を通して否応なしに外部との接点を持った途端、激しく純の世界は揺れ動く。またそれは本人に留まらず、当事者の家族や学校全体を巻き込んでの大きなうねりに発達する。

 純が引き起こしたあるアクシデントにより、全校生徒がLGBTQに関する議論に参加することになるのだが、この部分はドキュメンタリー・タッチで生々しい。同性愛を否定している者は一人もいないものの、皆どこか及び腰であるように見える。そこに純と親しい小野雄介が自分なりの思い切った考えを発露するに及んで、またまたドラマは大きく展開する。

 斯様にこの映画は主要登場人物の誰も甘やかしておらず、物語に対するスタンスを激しく律している。紆余曲折の末、純と紗枝が互いの関係性について“結論”を下す終盤の扱いは感動すら覚える。草野翔吾の演出は、おそらく長編と思われる原作を2時間に詰め込んでいるため説明不足の個所もあるが、おおむね及第点だ。

 純に扮する神尾楓珠は初めて見る男優だが、内面の表現が巧みで感心した。人気が出そうな外見も含めて、注目していきたい人材だ。紗枝役の山田杏奈は「ひらいて」に続く快演。見た目はタイプではないものの(笑)、かなりの実力者だ。抜群のコメディ・リリーフを見せる前田旺志郎をはじめ、三浦りょう太、磯村勇斗、山口紗弥加、そして今井翼と、キャストは皆好演。今年度の日本映画の収穫だ。
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「愛してるって言っておくね」

2021-12-26 07:03:15 | 映画の感想(あ行)

 (原題:If Anything Happens I Love You)2020年11月よりNetflixで配信。わずか12分間の短編アニメーションながら、強いインパクトを残す良作だ。アメリカの社会問題を取り上げていながら、そのテーマは普遍的である。第93回米アカデミー賞における、短編アニメーション部門での受賞作だ。

 冒頭、互いに離れた席に座る夫婦が無言で食事をしている。ただ、彼らの内面を表現している“影”が、相手を罵っている様子が示される。母親は洗濯機の中から子供用の青いシャツを取り出し、そのまま泣き崩れる。ここで、すでに彼らの子供はいなくなってしまったことが分かる。次に映し出されるのが、かつての家族の幸せな様子。そしてラスト近くに、その子が両親のもとを去った理由が明かされる。

 映画で扱われる“事件”は、もちろんアメリカ特有のものかもしれない。だが、どうしようもない社会の不合理で子供が命を落とす事例は、世界中にいくらでも存在している。あの時、ああしていれば子供は無事だったのかもしれないという両親の後悔が観る者の心を揺さぶると共に、この世界に蔓延る悲劇に、断固として声を上げていかなければという、作者のメッセージが痛いほど伝わってくる。

 ウィル・マコーマックとマイケル・ゴビアによる演出は、画調をモノクロに近いレベルに設定し、時折現れる色彩を強調させることに腐心している。また、セリフはほとんど無いが、これが幅広い層にアピールできる要因でもある。

 キャラクターデザインなどはスケッチ風のシンプルなもので、実にセンスが良い。リンジー・マーカスによる音楽も万全だ。スタッフの面子で興味を引いたのは、女優のローラ・ダーンがプロデューサーに名を連ねていることで、この問題に関心を持つハリウッドの有名人は少なくないのだと納得した。
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「ボストン市庁舎」

2021-12-25 06:12:37 | 映画の感想(は行)
 (原題:CITY HALL )とにかく長い。4時間半を超える尺の中では、正直あまりアピールするとは思えないネタもあり、もっと題材を絞り込んで3時間以下に収めた方が(興行的にも)良かった。また進行上の不備や説明が足りていない箇所もあり、一本の映画としてのまとまりに欠ける。しかし、無視できないモチーフが挿入され、考えさせられることも多々あるので、観て損はしないだろう。少なくとも、地方自治を考える上では、参考になるところが大きい。

 ドキュメンタリーの界の重鎮と呼ばれるフレデリック・ワイズマンが、自身の故郷であるマサチューセッツ州ボストンの市役所と街の人々を描いた作品だ。一応、主人公といえるのは撮影当時の市長マーティン・ウォルシュ(退役後にバイデン政権で労働長官に任じられている)であるが、市役所の担当者と一般市民とのやり取りに多くの時間が割かれている。



 しかし、参ったのは劇中にはナレーションはもちろん、テロップさえ無いことだ。市長を除けば、スクリーンに映し出されているのが役所のどういう部署の人間でどんな仕事をしているのか、対する市民はどういう立場で市当局に向き合っているのか、まるで分からない。特に前半はそれが顕著で、スタンスが判然としない者たちが自身の言い分を述べ合っている場面が延々と続く。はっきり言ってこれは、ストーリーが読み取れない劇映画を見せられているようなもので、観ている間は眠気との戦いに終始した。

 だが、中盤にさしかかると興味が持てる素材が出てくるようになる。その一つが退役軍人の集会のシークエンスだ。第二次大戦はもちろん、ベトナム戦争や中東で辛酸を嘗めてきた元兵士たちが、自らの辛すぎる体験と帰国後の葛藤を切々と述べる。これは市が主催しており、市長も出席しているのだが、戦争の悲惨さとその後遺症の深刻さが強く印象付けられる箇所だ。そして、市長を始め当局側が傷ついた市民を懸命にサポートしている様子も示されている。

 終盤近くの、貧困地区に大麻ショップがオープンする事案に関する業者側と住民とのミーティング場面も面白い。治安の良くない場所にマリファナを扱う店が出来れば、ますます事態は悪化することは火を見るより明らか。その点は住民の言い分に理がある。だが店側は、新規事業で雇用と景気高揚が見込めると主張。

 この集まりを企画したのが市当局であることが注目すべき点で、なし崩し的に怪しげな店がオープンすることを避けるための措置であることは明白だが、業者側も市役所の申し出に粛々と従っていることが興味深い。そう、ボストン市民は何のかんの言いながらも市当局を信用しているのだ。市役所が不十分ながらも漏れなく対応してくれるという安心感が、市民を支えている。これが地方自治のあるべき姿だろう。

 日本のように、公務員に対して的外れなルサンチマンを抱くような者は映画の中では見当たらない。対して我が国の場合は、当局側に“身を切る改革”とやらを押しつけて人気を得るボンクラな首長と、そいつが属しているボンクラな政党を盲目的に支持するボンクラな住民たちが目立つ。この違いは一体何なのだろうか。それにしても、時折挿入されるボストンの町の風景は、本当に美しい。
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「ニューヨーク東8番街の奇跡」

2021-12-24 06:33:07 | 映画の感想(な行)
 (原題:Batteries not Included)87年作品。随分長い間、これはクリスマスを題材にした映画だと思い込んでいた。しかし、ネット上でストーリーをチェックすると、季節がクリスマスと設定されている記事は無い。そう、確か本作が封切られたのが年末だったので、クリスマス・ストーリーだと勘違いしていたのだ。しかしながら、いかにもクリスマスの奇跡を想起させるようなハートウォーミングなSFファンタジーであることは確かである。

 再開発が進むニューヨークの下町。イーストサイドの最も古いアパートも取り壊しが決まっていたが、住民たちは立ち退きに反対していた。その一室に住む、亡くなった息子がまだ生きていると信じている老女フェイを長年世話していた夫のフランクは、年を取って疲れ果てていた。そんなある日、2体の小型のUFOがアパートに飛来してくる。



 それらは円盤型の機械生物で、2体は“夫婦”らしい。アパートの屋上に居候を決め込んだ2体の間に、3体の“子供”が生まれる。だが、そのうち1体は動かない。管理人のハリーはテレビの部品でその1体に“修理”を施し、回復させる。それが切っ掛けになり住民たちとUFOたちとの交流が始まるが、地上げをたくらむ悪徳不動産屋は、フランクたちを追い出すために強硬手段に打って出る。

 もちろん話自体はあり得ないのだが、主要登場人物が脳天気な若造なんかではなく、人生も終わりに近付いた老人ばかりなので、リアリティ云々を言い募るより先に、しみじみとした味わいが出ている。そして円盤生物のデザインが秀逸で、機械仕掛けなのに実にチャーミングだ。アパートの住人たちにとっては、子供か孫のような存在になる。

 善良なまま人生を送っていれば、最後にはこのような“奇跡”に遭遇してもおかしくないという、作者のポジティヴな姿勢が嬉しい。ラストの大仕掛けは御都合主義ながら、登場人物たちの笑顔を見ていると、こちらもホッとしてしまう。マシュー・ロビンスの演出はソツがなく、中盤以降に展開する活劇めいたシーンも難なくこなしている。ただし、これは製作総指揮に参加しているスピルバーグの意向も大きかったと思われる。

 ジェシカ・タンディやヒューム・クローニン、エリザベス・ペーニャ、マイケル・カーマインといったキャストも堅実だ。ジョン・マクファーソンのカメラによるニューヨークの下町風景は印象的で、ジェームズ・ホーナーの音楽がドラマを盛り上げてくれる。
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「ディア・エヴァン・ハンセン」

2021-12-20 06:24:00 | 映画の感想(た行)
 (原題:DEAR EVAN HANSEN)多少の作劇の不備を承知の上で、断固として本作を支持したい。道に迷いそうになっていた若い頃を思い出し、胸が締め付けられる思いがした。また、日々生き辛さを感じている観客にとっては大いなる福音になるだろう。そして何より、このシビアな題材を扱った映画がミュージカルだというのが素晴らしい。元ネタの舞台版がトニー賞で6部門を獲得したというのも、十分頷ける。

 南部の地方都市に住む高校生エヴァン・ハンセンはメンタルに問題を抱え、友達はおらず家族にも心を開けない。通っているセラピーで指導された“自分宛ての手紙”を図書館で書いていた彼は、問題児のコナーにその手紙を持ち去られる。ところが後日コナーは自ら命を絶つ。彼が握りしめていた件の手紙を見つけたコナーの両親は、エヴァンが息子の友人だと思い込む。エヴァンは彼らを苦しめたくないため、思わず“コナーとは親友同士だった”と話を合わせてしまう。彼の告白は大きな反響を呼び、学校ではコナーの死を無駄にしないためのムーブメントが巻き起こる。



 いかに“成り行き上”とはいえ、ウソをついてしまう主人公には問題がある。このウソを貫徹するためには次から次とウソをつき通す必要があるが、高校生のエヴァンにとっては、それは越えられないハードルだ。だが、それにあまり違和感が無いのは、キャラクターが良く掘り下げられているからだと思う。

 内向的だが何とかしてブレイクスルーを成し遂げたいエヴァンは、このチャンスを逃してはずっと閉じ籠るしかないと判断し、あえて“暴挙”に打って出る。だが、映画は主人公一人の苦悩の描写では終わらない。コナーやその家族はもちろん、自身の母親、そして勉学やスポーツに打ち込んで充実した学園生活を送っていたと思われた者たちも、内面では自分の将来や人間関係に対して大いなる屈託を抱えていたことが明らかになる。エヴァンを媒体として、その懊悩が学内はおろか世界的規模にまで露わになってゆく過程は説得力があり、十分感動的だ。

 スティーヴン・チョボウスキーの演出は堅実で、ここ一番の盛り上げ方も堂に入っている。楽曲のレベルは大したもので、どのナンバーもしみじみと聴かせる(この前観た「イン・ザ・ハイツ」よりも数段上)。主役のベン・プラットは残念ながら高校生には見えないが(笑)、ケイトリン・デヴァーやアマンドラ・ステンバーグ、コルトン・ライアンなどの舞台版にも出演した面子ともども芸達者なところを披露する。

 コナーの両親に扮したエイミー・アダムスとダニー・ピノも良いのだが、エヴァンの母親役のジュリアン・ムーアが歌が上手いのにはびっくりした。この一件を経て主人公そして登場人物たちには、ほんの少しだが世界が広がって見えることだろう。本年度のアメリカ映画を代表する秀作である。
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「さんかく窓の外側は夜」

2021-12-19 06:24:37 | 映画の感想(さ行)
 2020年作品。話にならない出来だ。プロデューサーは一体何をやっていたのだろうか。脚本と演出プランを提示された時点で、速攻で没にするか抜本的なやり直しを講じるべき案件であることは誰の目にも明らかだと思うのだが、この業界ではそんな常識も通用しないらしい。とにかく、観る価値は無い。

 書店で働く三角(みかど)康介は、幼い頃から幽霊が見えるという体質があり、そのため周囲から孤立していた。ある日、冷川理人という男が、康介に一緒を仕事をしないかと勧誘する。冷川は除霊師で、その能力を活かして警察などの依頼を引き受けていた。一方、1年前から猟奇的な殺人事件が立て続けに起こっており、担当刑事の半澤は冷川らに協力を求める。冷川と三角は捜査を進めるうちに、謎めいた女子高生が事件に絡んでいることを突き止める。ヤマシタトモコの同名コミックの映画化だ。

 困ったことに、くだんの殺人事件は途中で放棄される。途中から、冷川が子供の頃に新興宗教の教祖になり、そこで信者の大量死亡事件が起こったことが示されてから、ドラマは完全に崩壊。脈絡の無いモチーフが次々と出てきて、それぞれがまったく解決の筋道が見えないまま、映画は適当な箇所で唐突に終わる。

 冷川と三角が持つ能力がどういうもので、それがどう事件の解決に結びつくのか不明。呪いの力がどうのこうのというハナシも、女子高生がそれをどう使いこなして、何を成し遂げたいのか全然分からない。冷川が前振りなしに持ち出す“三角形の結界”とやらも、どういう意味があるのか判然としない。

 同じような回想シーンが繰り返されるが、何の効果も上がっていない。ヘンに気取っているような中身スカスカの映像は盛り下がるばかりで、ホラー描写も実に陳腐。本作の送り手たちは、いったい何がやりたくてこのシャシンを手掛けたのか、最後まで分からなかった。森ガキ侑大なる監督の腕前は三流で、そこそこ演技が出来るはずの主役の岡田将生と志尊淳が、かなりの大根に見えてしまう。

 滝藤賢一に筒井道隆、和久井映見、北川景子とキャストは割と豪華ながら、ロクに仕事もさせてもらえない。ヒロイン役の平手友梨奈のパフォーマンスは、所詮“坂道一派”の枠を出ない低調なもの。ラストは何やら続編があることを匂わせるが、多くの観客にとってそこまで付き合う義理は無いだろう。
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「ミュジコフィリア」

2021-12-18 06:55:31 | 映画の感想(ま行)
 開巻30分程度はとても面白かった。しかし、それ以降は次第に盛り下がり、終わってみれば“普通の映画”である。とにかく、日本映画にはこの手の題材を活かす人材もノウハウも揃っていないことを改めて痛感した。原作は人気漫画らしいが、製作側も、よくある“ポピュラーな元ネタの映画化”という範囲内でしか仕事をしていないことは明白だ。

 京都の芸術大学の美術科に入学した漆原朔は、ひょんなことから現代音楽研究会なる変態っぽい(笑)サークルに無理矢理に参加させられる。偶然にそこには異母兄の貴志野大成と、その彼女であるヴァイオリニストの小夜もいた。大成は天才作曲家として注目されていたが、実は朔も小夜に憧れていた。その微妙な関係性に戸惑う朔だったが、そこに彼に多大な関心を寄せるピアノ科の上級生である浪花凪が現れる。さそうあきらによる同名コミックの映像化だ。



 朔が入部するのは文字通り現代音楽を追究しようという集まりで、顧問として担当教授も参画している。彼らが賀茂川の両岸に弦を張り、風で共鳴するサウンドに乗せて楽器を奏でるシーンは面白い。そして、サークルの中心人物で問題児の青田完一の作品を、凪のヴォーカルによってステージで披露するくだりもインパクトが強い。ところが、本作に興味を惹かれるのはそこまでなのだ。

 朔と大成との、幼い頃からの確執。そして、大成と小夜との恋の行方。また、学内での派閥争いなど、大して楽しくもないモチーフが延々と並べられる。もちろん上手く作ってあれば文句はないのだが、扱いは凡庸だ。題材が音楽で、しかも現代音楽というコアなネタを採用しているのだから、映画はそこに集中して音楽の何たるかを突き詰めるような展開にすればいいものを、作り手にはそんな度胸も力量も無かったようだ。

 だいたい、朔と大成の父親が有名作曲家で、朔の方がその才能を受け継いでいるという設定ながら、天才らしいパフォーマンスを少しも見せてくれないのには参った。大成の本業は作曲であるはずが、指揮者として振る舞うパートが長いのも釈然としない。

 大成よりも青田の方が数段面白いキャラクターなので、こちらを朔ともっと絡ませたら少しは盛り上がったかもしれない。極めつけは凪が河原で歌う場面で、ここだけお手軽なJ-POPのノリになっており、本筋の現代音楽はどこに行ったのかと、脱力するばかりである。谷口正晃の演出は可も無く不可も無し。

 主演の井之脇海をはじめ、山崎育三郎に川添野愛、石丸幹二、濱田マリ、神野三鈴など、いずれも精彩を欠く。凪役の松本穂香は歌唱のプロモーションのために映画に出ているという感じだし、青田に扮する阿部進之介は途中から出番が少なくなるのも不満だ。京都の町の風景は小綺麗に撮られているが、奥行きがなく平板である。
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「映画女優」

2021-12-17 06:29:20 | 映画の感想(あ行)
 87年東宝作品。吉永小百合の出演作を全部観ているわけではないが、彼女は稀代の大根俳優であり、演技面ではほとんど実績を残していないことは確かであろう。本作は市川崑監督による田中絹代の伝記映画だが、吉永のパフォーマンスは(頑張っているのは分かるのだが)やっぱり低調だ。しかし、そのことに目を瞑れば、そこそこ楽しめるシャシンかと思う。

 映画は大正14年に田中絹代が蒲田撮影所の大部屋女優として採用された時点から始まり、彼女を熱烈に推す新人監督の清光宏との関係性や、次々と不祥事を起こす家族たちに言及しつつ、それでも精進してスターの座につく彼女の姿を追う。やがて大物監督の溝内健二と出会い、女優として新たな一歩を踏み出すまでを描く。新藤兼人による「小説・田中絹代」の映画化だ。



 劇中の清光宏は清水宏のことであり、溝内健二は溝口健二で、五生平之肋は五所平之助を指していることは論を待たない。しかし、どういうわけかヒロインの名は田中絹代そのままで、さらに小津安二郎だけは“本名”の役柄が振られている。これは実に居心地が悪い。作者のえり好みか、あるいは余計な忖度があったのかと勘ぐりたくもなる。

 だいたい、日本映画史上屈指の女優である田中絹代を吉永が演じようという、その企画自体に無理がある。唐突に打ち切られるラストも感心しない。ただ、吉永を除けば各演技者の仕事ぶりは評価に値する。母親に扮する森光子をはじめ、常田富士男に田中隆三、横山通乃、石坂浩二、渡辺徹、中井貴一、平田満、岸田今日子など、豪華な顔ぶれが映画を盛り上げる。

 圧巻なのは溝内を演じる菅原文太で、そのスケールの大きさと、映画に対する造詣の深さを上手く醸し出している。彼のフィルモグラフィの中では、任侠物以外では上位にランクすると思われる。また、上原謙と高田浩吉が本人役で出ているのはご愛嬌だ。

 結果として、昭和20年代までの日本映画の盛衰を要領よくまとめているという点は(あまり深みは無いが)認めて良いと思う。脚本は原作と同じく新藤と日高真也そして市川が担当しているが、和田夏十が手掛けていればもっと面白くなったのかもしれない。五十畑幸勇のカメラによる映像は美しく、谷川賢作の音楽も万全だ。
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「アイス・ロード」

2021-12-13 06:55:03 | 映画の感想(あ行)
 (原題:THE ICE ROAD)突っ込みどころは少なくないが(笑)、パワフルな演出と主演俳優の存在感で最後まで見せきってしまう。昨今、肩の凝らない娯楽作品の分際でやたら長い尺を持つシャシンも多々ある中、これは2時間以内にキチッと収めているのも嬉しい。そこそこ大作感もあり、金を払って観て損しないだけのレベルはキープしている。

 カナダのダイヤモンド鉱山で爆発事故が起こり、作業員26人が地下に閉じ込められてしまう。坑内には可燃性のガスが充満しており、30トンもある排出装置を現場に運んで対処しなければならない。ところが、鉱山へは湖に張った80センチの氷の道を踏破する必要がある。一定のスピードで細心の注意を払いながら進まないと、氷が割れて水底に沈んでしまう。地下の酸素が尽きるのは約30時間後だ。訳ありのトラックドライバーであるマイク・マッキャンをはじめとする輸送スタッフの面々は、決死のミッションに挑む。



 明らかにアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「恐怖の報酬」(1953年)を意識した設定で、あの映画の脅威がトラックの荷台に満載のニトログリセリンであったのに対し、今回は薄すぎる氷が主人公たちの行く手を阻む。次々と襲いかかるトラブルは、良く考えると辻褄が合わない箇所が散見されるのだが、そこは勢いで乗り切ってしまう。

 実はこの事故の裏には別の陰謀が存在しており、途中からマイクたちを消そうとする連中が押し寄せるという展開になるのだが、果たしてそういうモチーフを挿入したことが正解だったのかは微妙なところである。単純に、道なき道を行くトラックと坑内の緊迫した状況を交互に映し出した方が効果的だったかもしれない。とはいえ、これは送り手のサービス精神の発露と捉えておこう。

 監督のジョナサン・ヘンズリーの仕事ぶりは力強く、ドラマが弛緩するようなことはない。アクション場面の扱いも及第点だ。そして何といっても主演のリーアム・ニーソンである。幾分総花的なストーリーをものともせず、俺様流の強引さで観る者を納得させてしまう。やっぱりこの個性は貴重だ。

 ローレンス・フィッシュバーンが早々に退場してしまうのは残念だが、ベンジャミン・ウォーカーやアンバー・ミッドサンダー、マーカス・トーマスといった他のメンバーが盛り上げる。トム・スターンのカメラによる、冷え冷えとしたカナダの自然の描写。マックス・アルジの音楽とカーラジオから流れるカントリーソングも効果的だ。
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