元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「マグニフィセント・セブン」

2017-02-20 06:33:22 | 映画の感想(ま行)

 (原題:THE MAGNIFICENT SEVEN )楽しんで最後まで観ることができた。黒澤明監督の「七人の侍」(1954年)と、同作をハリウッドがリメイクした「荒野の七人」(60年)を原案に作られた西部劇。筋書きは事前にだいたい分かっているので、映画の出来は語り口と仕掛けによるところが大きいのだが、及第点に達している。

 西部の町ローズ・クリークの人々は、鉱山を所有しているバーソロミュー・ボーグの一味に搾取されていた。ボーグ一派は支配を完全なものにするために、住民を追い出そうとする。エマの夫マシューはこれに逆らったが、殺害されてしまう。ボーグが町を離れている間、エマは町を守るために7人の強者を雇い入れ、数週間後に町に戻ってくるボーグとの対決に臨む。

 依頼主は女性で、メンバーは多様な人種で構成されている。悪役は山賊の類いではなく、横暴な大企業(?)だ。そのあたりが今日性を反映していると言えるが、基本線は元ネタの2本とそう変わらない。しかしながら、7人の容貌がハッキリと見分けられ、それぞれの得意技が強く印象づけられているあたりは、アントワン・フークア監督の手柄だろう。また、活劇描写には定評があるフークアの演出は、アクション場面の配置には抜かりが無く、それがドラマ運びにも良い影響を与えている。

 「七人の侍」では悪者どもの人数が最初から決まっていて、その中の何人を片付けることが出来るのかという展開がストーリーの興趣になっていたのだが、上映時間が長くなるのは仕方が無かった。対して本作では敵方はカウントできないほどの多人数でやってくる。幾分大味だが、戦争アクションのような面白さが出てきて悪くない。

 フークワ監督は黒澤明の熱烈なファンであり、2004年に撮った「キング・アーサー」なんかは「七人の侍」の再映画化のような佇まいだった。それが今回“正式に”リメイクを任せられたのは感無量だったろう。

 ガンマンのリーダー格のサムを演じるのはデンゼル・ワシントンで、彼もまた黒澤明の信奉者だ。ここでの彼は「荒野の七人」のユル・ブリンナーよりも雰囲気は志村喬に通じるものがある。しかも、終盤にはサムがこの戦いに参加した“真の目的”が明かされるが、かつてフークア監督と組んだ「イコライザー」(2014年)の主人公を彷彿とさせ、元ネタ2本とは違うタッチを見せるのも面白い。

 クリス・プラットやイーサン・ホーク、ビンセント・ドノフリオ、イ・ビョンホンといった他の面子も良いし、ヒロイン役のヘイリー・ベネットや敵役のピーター・サースガードも良い。ジェームズ・ホーナーの音楽は申し分ないが、それよりもラストに流れるエルマー・バーンスタインの名スコアには感激した。とにかく、観て損の無い娯楽編である。
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「フリージャック」

2017-02-19 07:06:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:FREE JACK )91年作品。封切時には配給元の東宝東和が「ターミネーター2」に続くSF大作として売ろうとしたが、あまりにも小粒だったのでさほど話題にならなかった映画だ(製作プロダクションもそれほど大手ではない)。しかしながら無視できない程度の存在感はあり、作品規模にふさわしい公開形態であったならば、そこそこウケたかもしれない。

 売り出し中のカーレーサーであるアレックスは、レース中に別の車と接触して大事故を起こしてしまう。ドライバーは死亡したものと思われたが、実は事故の瞬間、18年後にタイムスリップさせられていた。その世界では環境破壊が進み、一部の金持ちが特殊な装置で別の若く健康な身体に自分の意識を移植して寿命を延ばしていた。アレックスもまたその“移植先の肉体(フリージャック)”として、ヴァセンデック率いる一味に過去から引っ張られてきたのだった。



 だが折しも勃発したレジスタンス組織との抗争の隙を突き、脱出することに成功。かつての恋人ジュリーのもとへたどり着くが、彼らはフリージャックを扱う大企業のCEOであるマッカンドレスから追われることになる。

 設定は悪くなく、ストーリーもまとまっている。危機一髪の状態から逆転する終盤の処理には文句はないし、未来世界の描写もソツがない。しかし、いかんせん監督ジョフ・マーフィ(「ヤングガン2」など)の腕が凡庸だ。作劇にメリハリがなく、ここ一番の盛り上がりに欠ける。

 加えて主演のエミリオ・エステヴェスは線が細い。敵の首魁に扮しているのがアンソニー・ホプキンスで、ヴァセンデックを演じているのがミック・ジャガーというのだから、目立てないのも当然か。そもそもジュリー役のレネ・ルッソよりも背が低いし、彼女やアマンダ・プラマーといった女傑的な面子とタメを張れるほどの偉丈夫でなければ、ドラマが締まらないだろう。

 なお、ヴァセンデックの役は最初デイヴッド・ボウイにオファーされたが、彼が断ったためにM・ジャガーにお鉢が回ってきたのだという。個人的には、せっかく出ているのだから一曲歌っても良いような気もするが、そこまでのサービス精神は製作側は持ち合わせていなかったようだ(笑)。なお、音楽を担当しているのはトレヴァー・ジョーンズで、しっかりと職人芸を披露している。
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「ドクター・ストレンジ」

2017-02-18 06:26:26 | 映画の感想(た行)
 (原題:DOCTOR STRANGE)豪華なキャスティングがまるで機能していない。大味な凡作だ。マーベル・コミック系列の映画は出来不出来が激しいが(というより、どちらかというと不出来の方が多い ^^;)、本作は俳優陣のクォリティの高さゆえ、内容のお粗末さが余計に強調されるという展開になっている。

 神経外科医スティーヴン・ストレンジは、どんなに難しい手術も音楽を聴きながら軽く片付けるほどの技量を誇る。しかし性格は実に傲慢で、周囲の評判はよろしくない。そんな彼がある日交通事故に遭い、両手の機能を失ってしまう。あらゆるリハビリを試すが、復帰は絶望的だ。



 偶然にネパールの奥地にどんなケガでも治してしまう秘密のスポットがあることを聞きつけた彼は、藁をもすがる気持ちで現地に赴く。ところがそこは謎の女導師エンシェント・ワンが仕切る魔術の修行場だった。その力を見せつけられたストレンジは魔術の習得に励むことになるが、エンシェント・ワンを裏切って世界征服を狙うカエシリウスの一派との戦いに巻き込まれていく。

 とにかく、筋書きがいい加減だ。不遜な態度を隠そうともしなかった主人公が、呆気なく“いい人”になってしまうばかりか、大した苦労もせずに敵のエージェント(?)と互角に渡り合う実力を身に着けてしまう。有力武器アイテムである“赤いマント”が、さしたる理由もなくストレンジの所有物に納まる。エンシェント・ワンが闇の力を借りている云々という意味不明の小ネタが、終盤での主要登場人物の裏切りに繋がっているという牽強付会な設定。

 さらには敵の首魁の造形が子供向けのテレビ番組にも劣るようなレベルの低さだったり、それに立ち向かうストレンジの“作戦”が脱力するほど稚拙だったりと、愉快ならざるモチーフがてんこ盛りだ。



 ならば映像面はどうかというと、これも評価できない。都市の風景がバラバラになり万華鏡のように変化する描写は確かに面白いが、何度も見せられると飽きる。魔術の繰り出し方も一本調子で芸がない。極めつけは「2001年宇宙の旅」のパクリみたいな“幻想的な映像”で、これを今の時点で得意満面でやってもらっても、観ている側は鼻白むばかりだ。

 主役を張るベネディクト・カンバーバッチをはじめ、マッツ・ミケルセンにティルダ・スウィントン、キウェテル・イジョフォーにレイチェル・マクアダムスなど、出ている面子は一線級である。だが困ったことに監督のスコット・デリクソンの腕は凡庸で、これらのキャストを使いこなせていない。製作サイドの“有名どころを並べれば客は来るだろう”という思惑が透けて見えるようだ。

 エンドクレジット後の“オマケ”の部分では、ストレンジがアベンジャーズのメンバーに関与することを匂わせるが、“だから何だよ”と言いたくなった。とにかく、マーベル・コミック系列の作品をすべてカバーしなければ気が済まないコアなファン以外には、奨められないシャシンである。
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「嵐の中で輝いて」

2017-02-17 06:36:50 | 映画の感想(あ行)
 (原題:SHINING THROUGH )91年作品。復古調のエクステリアでゴージャスな雰囲気を出そうとしたサスペンス編だが、演出と脚本が手緩いので盛り上がらない。大時代な雰囲気だけで作品を成立させようという方法論は、製作された時点においても通用しなかった。

 ドキュメント番組「戦時下の女性たち」の収録のため放送局に赴いた老婦人リンダは、司会者の質問に答えながら若い頃を振り返っていた。1940年、ヨーロッパではすでにナチスが台頭。だがアメリカはまだ孤立主義を貫いていた。リンダは弁護士事務所の秘書として働いていたが、学歴のない彼女が採用されたのは、父親がベルリン生まれのユダヤ人であるためドイツ語に堪能だったせいである。



 実は、彼女の上司エドワードは弁護士という肩書きは表向きで、正体はアメリカ軍の情報部の幹部だった。ドイツ軍の暗号を解読するためにリンダを助手として雇ったのである。翌年、アメリカは第二次大戦に参戦。リンダは自らスパイに志願してエドワードと共にベルリンに潜入し、ナチス高官に接近して軍事機密を手にしようとする。スーザン・アイザックスによる同名小説の映画化だ。

 とにかく、筋書きがいい加減である。ヒロインが窮地に陥ると、決まってエドワードが都合よく助けに来るというパターンの繰り返しだ。これではサスペンスも何もあったものではない。

 主演はメラニー・グリフィスだが、とても女スパイには見えない。もちろん本職のエージェントではなく、個人的な事情によって諜報活動に臨んだという設定なので、通常のエスピオナージ映画とは勝手が違うということは分かる。しかし、それにしてもハードなミッションに対峙する“覚悟”が感じられない。グリフィスの代表作は「ワーキング・ガール」(88年)だが、あの映画のように可愛くて強かな女を演じてこそ持ち味が出る。本作みたいな役柄は向いていない。

 エドワード役のマイケル・ダグラスは、いつもの通り。脇にリーアム・ニーソンやジョン・ギールグッドという渋い顔ぶれを揃えているわりには、ドラマとして有効に機能しているようには見えない。監督デイヴィッド・セルツァーの仕事ぶりは冗長。マイケル・ケイメンの音楽は及第点。特筆すべきは撮影監督としてヤン・デ・ボンが起用されていることで、深みのある映像は、確かに印象的ではあった。
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「沈黙 サイレンス」

2017-02-13 06:39:20 | 映画の感想(た行)

 (原題:SILENCE )かなりの力作で、長い上映時間も気にならない。劇中で提示されているモチーフはもちろん、時代背景など多岐に渡って知識を深めたくなるような訴求力も兼ね備えている。本当に観て良かったと思わせる映画だ。

 江戸時代の初め。キリスト教が禁止されていた日本で布教活動をしていた宣教師フェレイラが、厳しい弾圧に耐えかねて棄教したという報せがローマにもたらされた。フェレイラの弟子である若き宣教師のロドリゴとガルペは、事の真相を確かめるため日本へ向かう。寄港したマカオで出会ったキチジローという日本人を案内役に、2人は長崎へとたどり着くが、キリスト教徒に対する圧政は想像を絶するものだった。

 なぜ神は我々に過酷な試練を与えながら、沈黙したままなのか・・・・ロドリゴは苦悩する。やがてキチジローの裏切りに遭い、ロドリゴは捕えられ井上筑後守の取り調べを受ける。遠藤周作の小説「沈黙」の2度目の映画化で、監督マーティン・スコセッシは原作を読んで以来、28年をかけて映画化にこぎつけた念願の企画だという。

 まず感心したのが、ハリウッド名物“えせ日本”がほとんど出てこないこと。主なロケ地は日本ではなく台湾だが、見事に日本を舞台にしたドラマに仕上がっている。さらに、西欧と日本の宗教観の違いを、一方に肩入れすることなく冷静に描いているのもこの映画の美点と言えよう。

 本来、八百万の神々が存在する日本には、キリスト教のような一神教は馴染まない。たとえ熱心な信徒であっても、その信仰の理由はキリスト教の教義に一致していないことが示される。その背景には、当時の下層階級が置かれた厳しい境遇がある。このような状況下で、ロドリゴ達が自らの信仰を全うするには、一度キリスト教に背を向けなければならないという、圧倒的なディレンマが大きな説得力を持って描かれているのは驚くしかない。聖職者を志し、聖的な事物と表裏一体となったような暴力を描き続けていたスコセッシの面目躍如といったところだ。

 登場人物の中で最もクローズアップされているのはキチジローで、彼はロドリゴ達を裏切るものの、実は心の中に彼なりの信仰を抱き続ける。この両極的なキャラクターこそが宗教の持つ一面を表現しているということなのだろう。

 スコセッシの演出は静かだが力強い。宣教師を演じるアンドリュー・ガーフィールドとアダム・ドライバーは好演で、フェレイラ役のリーアム・ニーソンも光るのだが、日本人キャストが大健闘している。キチジローに扮する窪塚洋介にとって、本作が大きなキャリアになりそうだ。通辞役の浅野忠信、井上筑後守を演じるイッセー尾形の存在感。体重を大きく落として挑んだ塚本晋也の捨て身の演技。加瀬亮や笈田ヨシ、小松菜奈など他の面子もいい仕事をしている。キム・アレン&キャスリン・クルーゲの音楽も好調。幅広く奨めたい作品だ。
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「グレースと公爵」

2017-02-12 06:49:35 | 映画の感想(か行)
 (原題:L'anglaise & Le duc)2001年作品。フランス革命期における混乱をオルレアン公爵の元愛人であった英国人女性グレース・エリオットの目を通して描く。監督はエリック・ロメール。当初、若い女性の“惚れたの別れたのという話”が得意なロメールにこういう歴史ドラマが描けるのかと思っていたが、映画を観て大いに納得した。これは良い映画だ。

 1792年、パリの民衆はルイ16世の王権停止を求めて蜂起し、国王一家は投獄される。グレースは何と別邸へと避難するが、まもなく民衆による反革命分子の大虐殺が始まる。彼女は助けを求めてきたシャンスネ侯爵を匿うものの、彼はオルレアン公爵の政敵であり、オルレアンはいい顔はしない。それでもシャンスネをイギリスに逃がす手筈を整える。翌年、ルイ16世は処刑される。やがてロベスピエール率いるジャコバン派が台頭。グレースとオルレアンは審判を受けることになる。



 ここには史劇らしいスペクタクル場面やケレン味たっぷりの演技はまったくない。泰西名画のような背景の中に俳優たちをデジタル合成するという方法で難しい歴史考証をすべてクリアし、いわば舞台劇のような空間の中で、映画の焦点を登場人物の心理描写のみに絞り込ませている。そうすると膨大なセリフによってキャラクターを造形するというロメール本来の手法が活きてくるのだ。

 考えてみれば、この方法は彼が今まで撮ってきた恋愛喜劇だけに通用するものではなく、登場人物の内面を掘り下げるという意味でシリアスな題材にも十分応用が利くのである。それがまた“市民革命”とは名ばかりの弾圧と殺戮に満ちたこの時代の真実と、犠牲になる人々の有様を鮮烈かつ冷静に描き出すことに成功している。物量主義だけが歴史ドラマの方法論ではないのである。

 グレースに扮するルーシー・ラッセルは堂々たる名演。革命の在り方に疑問を持つモラリストのヒロイン像を見事に創出している。公爵役のジャン=クロード・ドレフュスの存在感も捨てがたい。フランソワ・マルトゥレやレオナール・コビアン、キャロリーヌ・モラン、アラン・リボールといった脇を固める顔ぶれも確かな仕事ぶり。映像処理の素晴らしさも含めて、これはこの頃のヨーロッパ映画を代表するクレバーな秀作と断言したい。
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「ザ・コンサルタント」

2017-02-11 06:23:46 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE ACCOUNTANT)話の組み立て方は悪くないし、観ている間は(ラストを除いて)退屈しないが、鑑賞後には内容を忘れるのも早い。これはひとえに、単なる活劇編を超えるようなモチーフを提示出来ていないからだ。しかも“何とか新味を出してやろう”という思いが前面に出ているものの、それが上手く達成されていない結果を突きつけられると、何ともやるせない気分になってくる。

 主人公クリスチャン・ウルフは、シカゴ郊外に小さな事務所を構える会計士だ。口数が少なく派手さは無いが、的確に依頼人の要望に応えるため、評判は良い。だが、彼の本当の姿は、世界中の怪しげな組織の裏帳簿を仕切り、なおかつ邪魔者を始末する掃除屋だ。ウルフはある大手電機メーカーの財務調査を引き受けたところ、巨額の不正経理を見つける。そのことを会社幹部に話した途端、経理担当者のデイナ共々何者かに命を狙われるようになる。一方、財務省の監査部門に勤めるメリーベスは、上司のレイモンド・キングから裏社会の会計処理を請け負う謎の人物の調査を依頼される。だが、レイモンドにはこの男を追う別の目的があった。

 会計士という“表の顔”の設定は興味深いし、多国籍企業の阿漕な遣り口の描写も悪くない。さらには主人公が自閉症であったにも関わらず、厳格な父親はウルフが子供のころからスパルタ式に鍛え上げ、結果屈折した内面を持った人間に育ってしまったという設定は作者の良い意味での気負いが感じられる。

 しかし、主人公がどうして凄腕のスイーパーになったのか、その経緯が説明されていない。ウルフに指令を出す謎の“元締め”の存在も暗示されるが、思わせぶりな描写で終わってしまう。だいたい会計士のくせに帳票を“手書き”で表示しないと内容が分からないというのは、見ていて脱力した(システムのデータをディスプレイ上でチェックすれば済む話だろう)。

 アクション場面はスピード感はあるが、工夫がない。他の凡百の活劇映画と変わらないレベルだ。極めつけはあのラスト。ウルフは敵方のリーダーが自身に近しい“ある人物”であると認識するのだが、そこから急にナアナアの展開になり、煮え切らないまま終わる。それまでの大立ち回りは何だったのかと、首を傾げるばかりだ。

 ギャビン・オコナーの演出は可もなく不可もなし。主演はベン・アフレックだが、盟友のマット・デイモンの「ジェイソン・ボーン」シリーズに対抗するかのような役柄ながら、あまりサマになっていない。もっとギラリと光る内面の凄みを出して欲しかった。脇にはアナ・ケンドリックやJ・K・シモンズ、ジョン・バーンサル、ジョン・リスゴーといった多彩な顔触れが揃っているのだが、いずれも使いこなせていない。カメラワークは平凡。マーク・アイシャムの音楽だけは良かった。続編はいくらでも作れそうだが、本国でも大ヒットはしていないようだし、実現は難しいかもしれない。
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「ケアフル」

2017-02-10 06:35:05 | 映画の感想(か行)
 (原題:CAREFUL )92年カナダ作品。日本未公開で、私は第5回の東京国際映画祭で観ている。監督のガイ・マディンは「ギムリ・ホスピタル」(88年)や「アークエンジェル」(90年)を手掛けているが(どちらも未見)、主に短編映画の分野で活動しているらしい。

 19世紀、アルプス山麓の街トルツバート。ギムナジウムの学生ヨハン(ブレント・ニール)は、幼馴染みの婚約者クララ(サラ・ネヴィル)がいながら、自分の美しい母親に近親相姦的愛情を抱き、そのために精神錯乱になり自殺する。ヨハンの死後、その弟グリゴリス(カイル・マクローチ)がクララを愛するようになるが、クララもまた自分の父親に近親相姦的愛情を抱いていたことが発覚する。



 ・・・・というようにプログラムからストーリーを引用してしまったが、物語自体はこの映画に関してあまり意味を持たないように思う。ハッキリ言ってこの作品は今まで私が観てきた映画のどれとも違う。誰も真似ができない独特の雰囲気とユニークすぎる映像処理は観る者を仰天させずにはいられない。

 すべてスタジオ撮影。シェイクスピアかギリシア悲劇のパロディみたいなドラマ。サイレント映画の手法の大胆な導入。画面の切り替え(フェイドイン・フェイドアウトの多用、強引なワイプ処理)はもとより、字幕だけの画面が多く挿入され、弁士のようなナレーションも入る。そして何よりわざとフィルムの粒子を荒くしたようなタッチが目を引く。

 モノクロ映像に故意にノイズを加え、それにコンピュータ処理で着色したらしいヴィジュアルもユニークだが、サウンドまで画面に併せて“シャーシャー”という大きなヒスノイズが全編鳴りっぱなしなのには、まったく閉口していいのやら感心していいのやら・・・・。登場人物も徹底してマンガ的で、ドラマ運びのタイミングやら語り口はマジメなようでいて、どこか完全にオフビートである。

 笑える場面があるかと思うと、突然残酷なシーンがあったり(それが全然違和感がないのだ)、とにかく、ここで私がくどくど説明するより実際観てもらわなければ、この奇抜さはわからないだろう。“おたく度”においては“全盛期”のティム・バートンをも凌ぐ。私としてはあまり好きではない個性だが、一見の価値はあると思う。
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「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」

2017-02-06 06:36:15 | 映画の感想(あ行)

 (原題:EYE IN THE SKY)ワンシチュエーションの映画だが、練られた筋書きと畳み掛けるような演出により、見応えのあるシャシンに仕上がった。もちろん、取り上げられた題材の重大性も如何なくクローズアップされており、なかなかの力作だと思う。

 イギリス軍の諜報部門のキャサリン・パウエル大佐は、最新鋭のアメリカ軍のドローン・リーパー(MQ-9)偵察攻撃機を使い、米軍と共にテロリスト壊滅作戦を指揮している。彼女はケニアのナイロビに過激派組織アル・シャバブのテロリストが潜伏していることを突き止め、彼らが大規模な自爆テロを決行しようとしていることを察知。国防大臣のフランク・ベンソンにドローン機からの攻撃を要請する。

 これを受けてアメリカ・ネバダ州の米軍基地では、新人のドローン・パイロットのワッツ中尉らがミサイル発射の準備に入った。だがその時、ターゲットであるテロリストの隠れ家の近くに幼い少女がパンを売りに現れる。民間人を巻き込んでしまえば軍当局は批判の矢面に立たされる。しかし、このまま自爆テロが発生するのを放っておけば、多数の犠牲者が出るのは確実。パウエル大佐たちは究極の選択を迫られる。

 シチュエーションはひとつだが、視点は多岐にわたっている。英国諜報部と米軍の様子はもちろん、各閣僚やケニア政府の対応、さらには少女の家族や現地の諜報員など、それぞれの関係者が合理的と思われる行動を取るたびに、事態は混迷の度合いを増していくという、その切迫性の描出には並々ならぬものを感じる。特に、保身と建前で責任回避を図る政治家たちの言動がリアルだ。

 そんな中、パウエル大佐はある“プラン”を提案するが、それは一見最小のダメージに抑えられるものの、深刻な結果を残すことには変わりはない。

 軍や政府の関係者は、現地で情報収集にあたるエージェント以外、遠く離れた会議室やドローン遠隔操縦室に留まっている。メディアによるリアルタイムの報道映像が“テレビゲームのようだ”と表現されたのは湾岸戦争の頃だが、これはもちろん戦地と後方支援組織との距離的・立場的な乖離を揶揄したものであった。しかし、実際にはそれは偽りなのだ。紛争現場であろうと指揮系統の中枢だろうと、戦争の悲惨さはリアルタイムで伝わってくる。本作のやるせない結末が、それをヴィヴィッドに示している。

 ギャヴィン・フッドの演出スタイルは正攻法で、まったく“揺らぎ”がない。これからも作品を追いかけたくなるような力量を持っていると思う。パウエル大佐役のヘレン・ミレンはまさに快演で、有能だが冷酷な職業軍人の実相に鋭く迫っていた。アーロン・ポールやバーカッド・アブディ、ジェレミー・ノーサムといった脇の面子も良い。また、この映画はアラン・リックマンの俳優としての最後の仕事(この後に「アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅」で声だけの出演あり)になった。実に感慨深い。
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「鏡の女たち」

2017-02-05 06:13:50 | 映画の感想(か行)
 2002年作品。お膳立ては大仰だが、語り口の巧みさで見せきっている。この頃の日本映画の収穫であることは間違いないだろう。

 東京郊外の閑静な住宅街に住む初老の女・川瀬愛の娘の美和は、20歳の時に家出をし、4年後に一度帰ってくるものの、娘の夏来を生むと再び姿を消してしまった。それから24年が経ったある日、役所から愛に連絡が入る。失踪した美和の母子手帳を持った女が、警察に保護されているらしい。尾上正子というその女は記憶喪失者で、愛も彼女が実の娘なのか分からない。愛はアメリカにいる夏来を呼び寄せ、正子と対面させる。すると、正子の記憶は少しずつ甦ってくるが、それは昭和20年夏の広島に起因していた。愛と夏来、そして正子は、広島へ向かう。

 まず主演の岡田茉莉子の新劇調大芝居に“引いて”しまう。さらに、この作品が遺作になった室田日出男や西岡徳馬、北村有起哉といった脇のキャストまでもが大げさな演技のオンパレードだ。当初このままではストーリーが空中分解してしまうのではと危惧したが、見終わってみれば見事にバランスの取れた構成になっているのだから映画は分からない。

 監督はベテランの吉田喜重だが、同監督の作品としては「人間の約束」(86年)と近いテイストを持ち、語り口は実にストイックで鋭角的。原田敬子と宮田まゆみによるシャープな現代音楽をバックに展開する寒色系をメインとした幾何学的な構図の映像は見事で(撮影監督は中堀正夫)、どのショットをとっても芸術写真として通用するほどのヴォルテージの高さである。そんな無機的かつ硬質の作劇が、感情を剥き出しにしたようなキャストの演技と上手く中和しているのだ。

 親子の因縁話を追う物語自体はかなりウェットながら、映画からはセンチメンタリズムのかけらも感じさせないのも、この生硬な語り口があってこそである。舞台が原爆投下後の広島に移り、主人公たちの生い立ちが明らかになる映画終盤はいくらでも“お涙頂戴劇”に持って行けるはずだが、感情移入を巧妙に排した演出は安易な予定調和を断固として拒否する。ペシミスティックな結末は“しょせん、人間は今を生きるしかないのだ”という真実を雄弁に語って圧巻だ。

 記憶喪失の女に扮する田中好子のミステリアスな存在感が光るが、孫娘役の一色紗英の自然体演技が緊迫したドラマ運びの中にあってガス抜きのような役目を果たしていて印象的。三條美紀や犬塚弘、石丸謙二郎といった他の顔ぶれも良い。
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