元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ゴースト・イン・ザ・シェル」

2017-04-24 06:34:55 | 映画の感想(か行)

 (原題:GHOST IN THE SHELL)そこそこ面白かった。もとより押井守監督によるアニメーション版(95年)に迫るほどの出来の良さは期待していない。しょせんハリウッド映画だ。最後まで目立つような破綻が見られなければ御の字だろう。その意味では、本作は水準はクリアしていると思う。

 近未来、サイバーテロ阻止を専門とする部署である公安9課に所属する女性捜査官ミラ・キリアン少佐は、かつて凄惨な事故に遭い、脳以外は全て義体(機械)となりサイボーグとしてよみがえった。その実力は折り紙付きで、猪突猛進的に事件を追う姿勢は上官の荒巻大輔も彼女には手を焼きながらも、大いに評価している。

 今回の公安9課のターゲットは、テロ事件を企てる謎めいた男クゼだ。だが、クゼの足取りを調べるうちに、少佐は自分の記憶が何者かによって操作されていたことに気付く。そしてそれは、サイバー技術の大手であるハンカ・ロボティックス社の大きな陰謀に繋がっていることが明らかになる。

 押井作品が“人間とは何か”という重いテーマを大上段に振りかぶって扱い、しかも成果を上げていたことに比べると、本作の佇まいは“小さい”と言える。要するにヒロインの“自分探し”がストーリーの中心になっているのだ。しかしながら、分かりやすく万人にアピールできるような内容にするという作品の狙いにおいては、正解であろう。いたずらに哲学的なテイストを前面に出してしまうのは、ハリウッドの娯楽編としては相応しくないということだろう。

 ルパート・サンダースの演出は取り立てて才気走ったところはないが、ソツのない仕事ぶりだ。活劇場面も無難にこなしている。主演のスカーレット・ヨハンソンは健闘していると思う。ボディスーツが垢抜けないという声もあるようだが(笑)、よく身体は動いているし表情なども魅力的に撮られている。

 荒巻役のビートたけしも楽しそうに演じているが、セリフ回しや仕草がお笑い芸人っぽいのは御愛敬か。この2人に比べると公安9課の他のメンバーは大きくクローズアップされていないが、上映時間の都合で仕方が無いのかもしれない。その分、ジュリエット・ビノシュや桃井かおりなど、主人公を取り巻く人物達を演じる面々が印象深く扱われている。

 未来世界の有り様は「ブレードランナー」の類似品みたいだが、たぶんこういう方法論以外に思い付くものが無かったのだろう。なお、クリント・マンセルとローン・バルフェによる音楽よりも、ラストクレジットで流れる押井版の川井憲次の手によるスコアが効果的だった。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「課長 島耕作」

2017-04-23 06:55:21 | 映画の感想(か行)
 92年作品。弘兼憲史によるコミックの映画化だが、あれだけ原作が人気があったにも関わらず、映画になったのは(今のところ)これ一回きりだ。たぶん、連載されていた80年代から90年代初頭に比べ、それ以降は世の中が原作世界と乖離してしまったせいだろう。そして初の映画化である本作のレベルの低さが尾を引いているのかもしれない(苦笑)。

 主演は田原俊彦である。観る前からちょっとイヤな予感がしていたが、根岸吉太郎が監督で脚本は野沢尚なのでヘンなものは作るまいと思っていたのが大間違いだった。島耕作は(実在の企業をモデルにした)大手電器会社に勤めているが、そんな大企業において、30歳そこそこで本社の課長になれるのだろうか。しかも部署は宣伝課で、入社以来広報・宣伝の仕事一筋だという。はっきり言って、こういう奴はいないと思う。



 百歩譲ってフィクションだからこういった例もあるとしよう。ところが、この映画の田原は当時テレビでよく見かけたトシちゃんのまんまである。課長どころか勤め人にさえ見えない。管理職になったのも上役の口ききで、全然仕事が出来るようには全然見えず、やってることは専務の使い走りだ。それでいて、口を開けば“オレはどの派閥にも属したくはない”だとぉ。何眠たいこと言ってるんだか(脱力)。

 別に原作がそうだからと、その通りにする必要はない。原作は漫画だからこそ成り立っている部分が多いのであって、そのまま映画化しても失敗する可能性は少なくない(まして主演があれでは ^^;)。思い切って設定を変えてもよかったのではないか?

 中小企業の課長にするとか、大企業でも本社じゃなく支社・支店を舞台にするとか、話を派閥抗争ではなくって仕事上のちょっとしたトラブルにするとかetc.話を絵空事にしないための工夫が欲しかった。豊川悦司や麻生祐未、津川雅彦、佐藤慶、原田大二郎といった脇のキャストも精彩が無い。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「キングコング:髑髏島の巨神」

2017-04-22 06:25:47 | 映画の感想(か行)

 (原題:KONG:SKULL ISLAND )とても楽しい時間を過ごすことが出来た。キングコングが登場する作品は(日本版も含めて)けっこうあるが、1933年の第一作を除けば大した作品は無かったように思う。しかし、ついに“本命”がここに登場した。怪獣映画のツボを押さえた、わくわくするようなセンス・オブ・ワンダーに溢れた快作である。

 ベトナム戦争が終わろうとしていた1973年、帰国間近だったパッカード大佐の部隊に最後のミッションが与えられる。それは、ランドサットが発見した未知の島・髑髏島へ赴く特務研究機関モナークのメンバー達の護衛だった。周りの海は一年中嵐が吹き荒れ、外界から孤絶したこの島は、生物も独自の進化を遂げていた。未知生命体の存在を確認しようと、ヘリコプターに乗ったパッカード隊と学者やカメラマン等からなる一行が遭遇したのは、巨大な猿だった。キングコングと呼ばれるそのモンスターによって部下の大半を失った大佐は、復讐に燃えて追撃を開始する。

 一方、別の場所に不時着した元特殊空挺部隊隊員のコンラッド達は、この島の原住民と、第二次大戦中に漂着した米軍パイロットのマーロウに出会う。話によるとキングコングは島の“守護神”で、今回はコングを怒らせたため襲ってきたのだという。彼らは島を脱出するために船との合流地点である島北部に向かうが、この島のモンスターはコングだけではなかった。調査隊の面々は究極のサバイバルを強いられる。

 キングコングがその威容を放つ姿を見せるのは、一行が島に到着した直後。通常、脅威を小出しにしてサスペンスを盛り上げるものだが、ここは潔い。さらに、次々と現れる怪獣達とのバトルは、それぞれが段取りとアイデアが非凡で飽きさせない。

 キャストではパッカードに扮するサミュエル・L・ジャクソンが最高だ。戦争が終わって虚脱状態に陥っていた根っからの軍人が、思わぬ強敵と遭遇して溌剌とした表情に早変わり。嬉々としてジャングルの奥地に進軍する勇姿は、あの「地獄の黙示録」のカーツ大佐を彷彿とさせるヴォルテージの高さだ。コンラッドを演じるトム・ヒドルストンやブリー・ラーソン、ジョン・グッドマン、ジョン・C・ライリーといった他の面子も悪くないのだが、サミュエル御大のアクの強さには敵わない。

 監督は新鋭ジョーダン・ボート=ロバーツだが、ストーリーテリングにおける水準は楽々クリアしているばかりか、大の日本びいきという個人的趣味が横溢しているのが嬉しい。マーロウがかつての“戦友”であった日本人将校の形見である日本刀を大切にして実戦にも使うあたりもアッパレだが、本作のハイライトはエンド・クレジット後のシークエンスだろう。日本の怪獣映画を愛してやまないこの監督の特質が見て取れる。大々的にフィーチャーされる60年代から70年代初頭にかけてのヒット曲も抜群の効果だ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「死んでもいい」

2017-04-21 06:36:08 | 映画の感想(さ行)
 92年作品。石井隆監督による、初の一般映画である。結果から先に言うと、イマイチ物足りない出来だ。何より、石井の本分である漫画家としての素養が表に出すぎているため、映画本来のメソッドがトレースされていない。そのため、ストーリーが盛り上がっていかないのだ。プロデューサー(伊地智啓)が上手く機能していない結果であるとも言える。

 山梨県の田舎町で風来坊の青年・信は名美という女に出会う。彼女には不動産屋を営む英樹という夫がいたが、信は名美にゾッコンになる。彼は英樹の会社の従業員となって当地で暮らすようになるが、事あるごとに名美との逢瀬を重ね、いつしか英樹を殺害して彼女と一緒になろうと考えるようになる。ある雨の夜、信はそれを実行に移そうとする。



 序盤の、信と名美とが出会うシークエンスで、必要以上の多数のアングルから対象を捉えるという意味の無い所業を目の当たりにした時点で、鑑賞する気が失せてきた。そういう“カッコつけた”演出は最後まで続く。たぶん漫画ならばスタイリッシュな描き方として評価されるのだろうが、映画において手法ばかりが先行すると、観ていて鼻白むばかりである。

 原作は「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を下敷きにした西村望の「火の蛾」だから、筋書きは始まる前からだいたい分かる。その一直線のストーリーを訴求力のある作品として仕上げるには、キャラクターの内面描写と粘りのある演出が必要だが、それがあまり見当たらない。小手先のテクニックで乗り切ろうという、そんな意図ばかりが窺える。

 そもそも、名美役に大竹しのぶを起用したのが間違い。彼女の“腹の中では何を考えているかわからない”ような雰囲気は、それだけでネタが割れてしまう。ここは逆に“性格に裏表が無さそう”に見える女優を起用した方が、スリリングな展開になったと思われる。

 信に扮する永瀬正敏はいつも通りの仕事ぶりで、特筆すべきものはない。英樹を演じる室田日出男は頑張ってはいるが、役柄自体が救われないので、影が薄くなるのは仕方が無い。ただ、妙なところで登場する竹中直人だけは面白かったが・・・・。撮影は佐々木原保志で、音楽は安川午朗という、いつもの“石井組”のスタッフだが、何やら気合いが入っていない印象だ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「ムーンライト」

2017-04-17 06:31:38 | 映画の感想(ま行)

 (原題:MOONLIGHT )胸を締め付けられるほどの切なさと、甘やかな感慨が横溢する、まさに珠玉のような映画だ。オスカー受賞作がすべて優れた映画だとは言えないが、この低予算映画に大賞を与えた映画芸術科学アカデミーの会員達に、今回ばかりは敬意を払いたい。

 マイアミの貧困地域で暮らす小学生のシャロンは、内気なイジメられっ子だ。家庭ではジャンキーで売春している母親ポーラから迷惑がられるばかりで、居場所が無い。そんな彼に優しく接してくれたのは、近所に住む麻薬ディーラーのフアンとその妻テレサ、そして唯一の友達であるケヴィンだけだった。時が流れてシャロンは高校生になるが、フアンはすでに亡く、学校でも孤立していた。ケヴィンには友情以上のものを抱くようになるが、極悪な不良どもがそんな思いを踏みにじる。ついに堪忍袋の緒が切れたシャロンは、思い切った行動に出る。

 30代になった彼はアトランタに引っ越し、あれだけ嫌っていた麻薬の売人になっていた。ある日、長らく音信不通だったケヴィンから電話が掛かってくる。シャロンはマイアミに戻り、再会を果たす。

 出てくるのは黒人ばかりで、いずれも恵まれない生活を送っている。当然のことながら、白人や富裕層からは蔑まれる対象だ。しかも主人公はゲイである。本作はマイノリティの、そのまた少数派に属する人間の屈託に満ちた日々を追うが、かなり高次元での普遍性を獲得している。もちろんそれは、作者の内面描写が卓越しているからに他ならない。

 おそらく、順風満帆に人生を渡ってきた者にはこの映画の良さは十分理解できないだろう。しかし、人に言えない悩みを抱え、周囲との軋轢によって幾度もアイデンティティが危機に曝され、もがき苦しみながら生きてきた人間(程度の差こそあれ、我々の多くがそうだ)にとって、本作は胸に迫るものがある。

 劣悪な環境に抗いつつも、結局はそれを乗り越えることが出来ない凡夫であり、孤独に押しつぶされそうになりそうな主人公の最後の拠り所は、いくらかでも心を通わせることが出来た何人かの者達である。言い換えれば、たった一人でもいいから理解してくれる者を見つけること、あるいはそういう者がどこかに存在していると信じること、それさえ出来れば人生は無駄ではないのだ。ネガティヴなモチーフを積み重ねつつも、実は底抜けにポジティヴな視点を確保しているという、本作の巧妙な仕掛けには感服するしかない。

 バリー・ジェンキンスの演出力は強靱で、登場人物の動かし方はもとより、3部構成の仕切りの巧みさ等に非凡なものを感じる。シャロンを演じる3人の俳優(トレバンテ・ローズ、アシュトン・サンダース、ジャハール・ジェローム)をはじめ、アカデミー助演男優賞を獲得したマハーシャラ・アリ、ナオミ・ハリス、ジャネール・モネイ等、キャストは皆素晴らしい。そしてジェームズ・ラクストンのカメラによる映像は見事のひとことだ。また音楽の使い方は突出して優れている。本年度を代表する米国の秀作だ。
コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

東芝と音楽事業。

2017-04-16 06:28:51 | 音楽ネタ
 日本を代表する大手電機メーカーだった東芝も、放漫経営により今や存亡の危機にある。原発という先の見えない事業に大枚を叩いてしまった幹部連中は糾弾されて然るべきだが、減給とリストラを強いられる従業員こそいい迷惑だ。もしも倒産ということになると、膨大な数の社員が路頭に迷い、日本経済にも悪影響を及ぼす。まことに困ったものである。

 そういえば、私が子供の頃から東芝の製品は家に数多く置かれていた。白物家電やテレビ、掃除機もすべて東芝製。実家の近くに“東芝ショップ”があり、とにかく“東芝のものを買っておけば間違いはない”というのが我が家の不文律みたいなものだった(笑)。昔は一社提供のテレビ番組もけっこうあって、その頃はまさかこの会社が現在のようになろうとは、誰も想像していなかったと思う。

 かつて東芝はレコード会社も保有していた。米国のキャピトルEMIの出資を経て、73年に発足した東芝EMIである。当時EMIは世界有数のレコード・メーカーであり、ザ・ビートルズをはじめとして所属しているミュージシャンも大物揃い。クラシックの分野でも名盤が目白押しだった。国内のミュージシャンも粒揃いで、ヒット作が出るとビルが建つほどだったらしい。



 東芝はソフトを供給するだけではなく、レコードの製造も手掛けていた。その品質は国内盤では随一だったと思う。またCD時代になってからもディスクは83年から自社工場で製造。当時はCDの製造元は世界に数社しか存在しなかったが、その中でも1,2を争う品質を誇っていたのではないだろうか。

 また、東芝はピュア・オーディオも展開していた。ブランド名はAurex(オーレックス)で、確か70年代半ばに発足したと思う。オーディオ製品自体はそれ以前からリリースしていたが、松下電器(現Panasonic)のTechnics等に対抗するためか、本格的な取り組みをアピールしていた。高評価のモデルも多数あったが、80年代半ばには撤退してしまったのは惜しまれる(現在は別会社の安価なシステムにおいてブランド名だけは復活している)。

 さて、東芝は2006年に音楽事業からの撤退を決め、翌年に東芝EMIをEMIミュージックに売却した。皮肉にも、東芝がウエスチングハウス社を買収したのが、ちょうどこの頃である。

 その後のEMIはデジタル音楽配信の出遅れもあり、経営が傾いた。そしてついに2012年、音楽出版事業はソニーに、レコード部門についてはユニバーサルによって買収されてしまう。その後音楽ソフトの権利は(一部を除いて)ワーナーに売却された。かつてのEMIの名盤の数々が、ライバルだったはずのワーナー・ミュージックのロゴが入ったパッケージで店頭に並んでいるのを見ると、何とも複雑な気分になる。

 乱暴な言い方をすれば、東芝は音楽事業という(逓減傾向にはあったが)手堅い仕事を捨て、同時に原発という危なっかしい稼業にのめり込んだという見方もできる。もちろん音楽関係のビジネスとエネルギー事業とは違うが、印象としては“実業と虚業”ほどの差異があると思う。

 あのまま東芝が音楽事業を見捨てずに、地道にビジネスを展開していたら、少しはこの業界も賑わっていたかもしれない。いずれにしろ、いくら伝統のある企業でも、それをうまく維持して発展させるかどうかは、トップの見識次第だということだろう。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「SING シング」

2017-04-15 06:31:57 | 映画の感想(英数)
 (原題:SING)イルミネーション・エンターテインメントによるアニメーションだが、困ったことにキャラクターデザインがあまり可愛くない。このあたりはディズニーに一日の長がある。しかも、可愛さが足りないだけではなく、愛嬌も無い。感情移入できる登場人物を最後まで見つけることが出来ず、不満を抱えたまま劇場を後にすることになった。

 人間世界とよく似た、動物だけが暮らす別世界。コアラのバスター・ムーン(声:マシュー・マコノヒー)が支配人を務める劇場は、昔は繁盛していたが今や客足は途絶え、銀行から差し押さえられていた。バスターは起死回生の策として、歌のオーディションを開催する。ところが手違いにより賞金が実際よりはるか上の額のまま周知されてしまい、大量の応募者が押しかけるハメに。



 バスターは今さら間違いだったとは言えないまま、出演者を選出する。しかしオーディションに合格した面々も一筋縄ではいかず、それぞれに大きな問題を抱えていた。やがてこれが新たなトラブルを引き起こすことになる。

 いくら動物ばかりの架空の世界とはいえ、話が雑なのではないか。バスターが経営する劇場が左前になった理由がよく分からないし、その立て直し策に(いくら上手いとはいえ)素人の“のど自慢大会”を持ち出す道理は無いと思う。バスターの友人の祖母が往年の大スターだったという設定も、都合が良すぎる。そもそもこの劇場主は、隣のビルから盗電したり水道管を勝手に引っ張ったりと、阿漕なことを平気でやるので同情できない。

 雇い入れた“歌手”たちもそれぞれ事情を抱えているが、面白いエピソードには繋がらない。父親が泥棒やっているゴリラなんか、無理筋のシチュエーションだし、ネズミは生意気でゾウは煮え切らない。ブタは所帯じみていてヤマアラシはふて腐れている。



 結局この映画のセールスポイントは、挿入される楽曲に尽きるのであろう。ほとんどが知っているナンバーで、それを芸達者な声の出演陣が朗々と歌ってくれるのだから、その点は満足度が高い。リース・ウィザースプーンやセス・マクファーレン、ジョン・C・ライリーにタロン・エガートン、トリー・ケリー、ニック・クロールと、面子は揃っている。特にスカーレット・ヨハンソンの意外な歌のうまさには驚いた。

 ガース・ジェニングスの演出は平板。とはいえ続編が製作決定とかで、このシャシンを評価する向きも少なくないのだろう(まあ、個人的にはパート2は観るのを遠慮したいけどね)。
コメント   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加

「インビジブル」

2017-04-14 06:35:33 | 映画の感想(あ行)

 (原題:Hollow Man)2000年作品。ポール・ヴァーホーヴェン監督がハリウッドで最後に撮った映画で、当時彼が“まるでスタジオの奴隷になったようだ”とコメントしたように、あまり気勢の上がらないシャシンではある。ただ、クライマックスではこの作家らしい勢いは感じられ、その意味では存在価値はあるだろう。

 極秘の国家プロジェクトに取り組んでいる天才科学セバスチャン・ケインとそのスタッフは、人間を透明にする方法を追求していた。すでに動物実験では成功しており、あとは人体で試すだけだ。しかし、当然ながらそこには技術的・倫理的ハードルが存在する。躊躇する皆の反対を押し切り、セバスチャンは自ら実験台になって見事に透明人間に変身する。ところが元の姿に戻れなくなってしまう。

 当初は落ち着いていたが、次第に常軌を逸した行動を取るようになった彼は、勝手に外出して狼藉の限りを尽くすようになる。やがてセバスチャンは自らを全能の神だと思い込み、同僚の研究メンバーを次々と殺していく。生き残った研究員のリンダとマットは、必死の抵抗を試みる。

 要するに、人間にとって“姿が見える”ということも重要なアイデンティティのひとつであることを描きたかったのだと思うが、そこまでは深く突っ込まないままサスペンスフルな活劇路線に移行してしまうのは不満だ。監督の内面描写力が足りないこともあるが、やはりヴァーホーヴェンがボヤいていたようにプロデューサーの意向でそうなったのだと思う。

 それでも、透明であることで意外に不便な点(たとえば、目を閉じても眩しさを感じること)が示されるのはちょっと面白い。終盤の活劇場面は、さすが凡百の演出家とは一線を画す粘りと迫力を見せる。

 主役のケヴィン・ベーコンはさすがの怪演。若い頃の青春スターの面影は、すでに無い。エリザベス・シューやジョシュ・ブローリンといった脇の面子も悪くない。音楽はジェリー・ゴールドスミスが担当しており、重厚なスコアを提供している。ヴァーホーヴェン監督は本作を撮った後にオランダに帰還。「ブラックブック」(2006年)のような快作を手掛けている。やはりハリウッドのシステムは、時として強い個性を持つ作家には相容れないことがあるようだ。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「わたしは、ダニエル・ブレイク」

2017-04-10 06:28:13 | 映画の感想(わ行)

 (原題:I, DANIEL BLAKE )厳しくも、美しい映画だ。また、これほどまでにこの時代の一面を照射した作品はないだろう。ケン・ローチ監督の真骨頂とも呼べるような、強靱な求心力がみなぎる、まさに必見の映画だ。

 イングランド北東部にある町ニューカッスルに住むダニエル・ブレイクは、大工を生業にしていた初老の男だ。彼は心臓の病気に罹り、医者から仕事を続けることを止められる。しばらくは失業手当で糊口を凌いできたが、突然役所から給付を打ち切られる。働けるのだから就職活動をしろということらしく、そのための求職手当は出るという。

 しかしドクターストップが掛かっているのに、就業できるはずもない。そんな複雑な制度に翻弄されていたある日、役所で途方に暮れていたシングルマザーのケイティを助ける。それをきっかけに彼女や2人の幼い子供たちと交流し、何とか助け合うことで家族のような絆が生まれていく。しかし、厳しい現実は彼らを次第に追い詰める。

 先日観たスウェーデン映画「幸せなひとりぼっち」と似た設定だが、あちらが幾分ファンタジー仕立てだったのに対し、本作はリアリズムに徹している。まず、役所の理不尽な仕打ちに怒りを覚えずにはいられない。だが、考えてみると仕方が無い面もあるのだ。

 経済効率至上主義および新自由主義のテーゼが大手を振って罷り通る昨今、真っ先に削られるのは福祉だ。福祉という名の“施し”を受ける層は、経済的に見て“不合理”だと言わんばかりに、権力側は排除しようとする。その圧力は現場で申請者に対応する末端の役所の担当者にも降りかかる。逼迫した者を、余裕の無い者が邪険に扱うという、不条理極まりないことが英国はもちろん世界中で起こっているのだろう。

 そんな中でも主人公のダニエルは優しさを忘れない。困っているのは自分なのに、他人であるケイティたちを助けようとする。彼が子供たちに木で作った飾りをプレゼントするくだりは泣けてくるが、やがて明らかにされるダニエルの生い立ちと亡き妻との関係性を知るとき、本当の人間の美しさとは何なのかということに思い至り、切ない感動を呼ぶ。

 それにしても、日本では大した件数では無いと思われる生活保護の不正受給を必要以上に強調し、弱者排除を堂々と公言する手合いが存在するみたいだ。明日は我が身かもしれないことに考えが及ばず、自分より“下”の者を軽視して何かしらの優越感を得るという、低レベルの自尊感情や自己有用意識に過ぎないのだろう。

 ダニエルに扮するデイヴ・ジョーンズは本国では有名なコメディアンとのことで、役人相手に減らず口を叩く冒頭部分は笑わせてくれる。だが、映画が進むに従ってこのキャラクターの慎み深く暖かい内面を滲み出していくのはさすがだ。ケイティ役のヘイリー・スクワイアーズも好演。第69回カンヌ国際映画祭における大賞受賞作で、今年度のヨーロッパ映画の収穫の一つである。
コメント   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加

天神東宝が閉館。

2017-04-09 06:35:25 | 映画周辺のネタ

 2017年3月31日をもって、福岡市中央区天神にある天神東宝(TOHOシネマズ天神・本館)が営業を終えた。天神東宝ビルの所有者が建替えを予定しているとのことで、それに伴う措置だという。

 同映画館は97年3月にオープンしている。その前身は博多区中洲にあった宝塚会館だ。宝塚会館は5スクリーンだったが、天神東宝は6スクリーンだ。しかし、劇場の規模は宝塚会館の方が大きかった。繁華街の真ん中にある天神東宝は確かにロケーションは良いが、設備面では満足できるものではなかった。特に男子トイレを使うのに階段を上り下りする必要があったのには閉口した。

 顧客サービスにおいても、九州東宝株式会社が経営・運営していた頃は旧来型の映画館と変わらず、新興のシネコンに比べると見劣りしていた。ただし、2008年にTOHOシネマズ株式会社に経営統合されたあたりから、随分と良くなったように思う。

 それにしても、6スクリーンが一挙に無くなったというのは、映画好きの福岡県民にとってはかなりのダメージだ。まあ、福岡市のような規模の市場に東宝系のシネコンが存在しない状態が長く続くとは思えず、たぶん別の場所で開館してくれると予想するが、現時点では未定というのが辛い。今後の展開を見守りたい。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加