元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ティル」

2023-12-25 06:04:15 | 映画の感想(た行)
 (原題:TILL)映画の内容はもとより、ここで取り上げられた史実の重大さに慄然としてしまう。恥ずかしながら私は本作で描かれた“エメット・ティル殺害事件”を知らなかった。そういえばボブ・ディランに“ザ・デス・オブ・エメット・ティル”というナンバーがあると聞いたことはあったが、その曲自体をチェックしたこともない。だが、この映画を観て人種差別問題は現在のアメリカ社会にも暗い影を落としていることを、改めて認識した。

 1955年、シカゴに住むメイミー・ティルは第二次大戦で夫を亡くし、戦後は空軍基地で唯一の黒人女性職員としての職を得て、14歳の一人息子エメットと暮らしていた。彼は夏休みを利用して、ミシシッピー州デルタ地区にある叔父のモーゼ・ライトを訪ねる。メイミーからは出発前に“南部はシカゴと違って差別が激しい。だから身の程をわきまえろ”との忠告を受けたエメットだったが、彼は飲食雑貨店で白人女性キャロリンに向けて口笛を吹いたことで白人たちの怒りを買ってしまう。そして拉致されたエメットは凄惨なリンチを受けて殺される。息子の死に衝撃を受けたメイミーは、泣き寝入りすることを断固拒否し、正義を貫くため裁判を起こす。



 この事件は、しばしば“棺を開けたままエメットの遺体を人目にさらして葬儀を執り行なった”というメイミーのイレギュラー過ぎる所業がクローズアップされるらしい。だがそれよりも私が驚いたのは、本件が切っ掛けとなって考案された“エメット・ティル、未解決の市民権犯罪行為に関する法律”が成立したのは、事件から半世紀以上も経過した2008年であることだ。その間、公民権運動が盛り上がるなどの出来事を経たにも関わらず、この問題の解決への動きは遅々として進まなかったと言えるだろう。それだけ米国社会に蔓延る差別意識は根強いのだ。

 映画はシカゴでの慎ましい母子の生活から、明るい陽光に満ちていながら人々の内面に暗い影を落とす“未開の地”の南部に舞台が移行する際のコントラストに、まず強い印象を受ける。そして不条理とも言える裁判の様子と、その結果を受けての登場人物たちの言動には、現代史のダイナミズムが鮮烈に感じられる。シノニエ・チュクウの演出は骨太でありながら、メイミーとエメットの親子関係を丁寧に描くなどメリハリの利いた仕事ぶりを展開する。

 そして特筆すべきはメイミーに扮するダニエル・デッドワイラーのパフォーマンスだ。どうして彼女がアカデミー賞候補にならなかったのか不思議に思えるほど、自然かつ深みのある演技である。エメット役のジェイリン・ホールはイイ味を出しているし、ショーン・パトリック・トーマスにジョン・ダグラス・トンプソン、そして製作にも関与しているウーピー・ゴールドバーグといった他の顔ぶれも申し分ない。あと特筆すべきはマーシ・ロジャーズによる衣装デザイン。時代色を出しながらも卓越したセンスの良さで、感心するしかなかった。この点を見届けるだけでも鑑賞する価値はある。

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