元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「闇の列車、光の旅」

2010-08-16 06:29:12 | 映画の感想(や行)

 (原題:SIN NOMBRE)何より目を惹くのは、エルサルバドル発祥で本作の舞台となるメキシコにも拠点を置く国際的犯罪組織“マラ・サルバトゥルチャ(MS)”の生態である。その構成員の身体にはタトゥーが彫られている。クローネンバーグ監督の「イースタン・プロミス」に出てくるロシアン・マフィアもメンバーの証としてタトゥーを使用していたが、本作の中米ギャング団はもっと過激だ。何しろ組織内のグレードが高くなるにつれタトゥーの数は増し、挙げ句の果ては顔のまん中にも“MS”の文字が大きく彫られるのだから。

 つまり彼らは無法者であることを隠さない。それどころか一種の社会的ステータスとして認識されている。MSは暴力団であると同時に、中米からアメリカにやってくる移民たちをフォローしているという側面も持っている。もちろんそれはラテン・アメリカ諸国と米国との絶望的な経済格差が背景にあり、それが場合によってはギャングがダーク・ヒーローになってしまう歪な構図を形成しているのである。

 特に戦慄を覚えたのは、MSが年端の行かない子供をスカウトし、構成員に仕立て上げるくだりである。そんなのはパレスチナ・ゲリラかアフリカの反政府組織あたりの話だと思っていたら、中米では暴力団ごときがカルト宗教もどきの勧誘方法で勢力を拡大させている。未来も何もないドン詰まりの状況がアメリカのすぐそばで展開されていることに対し、暗澹たる気分になってしまう。

 さて、この映画は中米からアメリカを目指す若い男女の逃避行を描くロード・ムービーである。ホンジュラスから来た少女サイラは、より良い暮らしを求めて父や叔父と共に米国を目指す。メキシコ人ギャングの少年ガスペルは、サイラが乗っている列車に押し込み強盗を仕掛けるが、その際に個人的怨恨により先輩格のメンバーを殺害。追われる身となる。

 ガスペルの行く手には“死”しかない。対してサイラには僅かながらの“希望の光”が見えている。行動をともにするうちに、荒んだ生活を送ってきたガスペルにとって、サイラを無事に逃がすことに初めて生き甲斐を感じてゆく。二人の“道行き”は痛ましくも透徹した美しさを湛えている。

 これがデビュー作となる日系人監督キャリー・ジョージ・フクナガの演出は、シビアな題材に対して直球勝負ながら青春映画特有の“甘さ”をも兼ね備えているという、なかなか見上げたものである。2009年のサンダンス映画祭で監督賞と撮影監督賞を受賞したのも納得出来る、なかなかの力作だ。ラストの扱いなど、決して状況を悲観していない真摯さが窺え、観る者に感銘を与える。

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