気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

発寒河畔 明石雅子 六花書林

2022-07-28 15:00:02 | つれづれ
やはらかき雪のくびれにさす茜 中洲ふたわけにして川の流るる

あふむきに泳ぎゆくときつるくさのつるの捩れのゆるびゆくなり

独り暮らしの怖さはそこにあるものが何日間もそこにあること

すぐそばに死があるゆゑに距離おきて話せ食せといふ 令和三年

三密といふ何やら甘ゆき言の葉のほそほそ飛び交うマスクの中より

来る人と逝きたるひととすれちがふ発寒河畔の風ひかる橋

少しづつしぼむわたしの紙風船 今も昔も言葉とは 剣

ひと様のことと思ひてゐたる死がふと立ち上がり目の前にある

みんなみの血が指の先までめぐるゆゑわたしは今日も眠れぬ一樹

ふくろふはねむたき尊者の貌をして今のまんまでよからうといふ

(明石雅子 発寒河畔 六花書林)

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短歌人所属の明石雅子の第二歌集。第一歌集『骨笛』上梓より三十年以上が過ぎたという。
歌集名の発寒川のほとりに長く暮らした歳月。「さくら鳥の来るところ」という副題がついている。残り少ないであろうこれからの日々を思い、気持ちを宥めるような歌に魅力を感じた。短歌という文芸に関わることで、豊かさを思うこともあれば、その逆もある。「うつし身は聖母ならねど 文芸のとりこなるゆゑ疎まれてゐる」という歌もあった。

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