団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

高層ビル

2017年11月07日 | Weblog

①    東京都庁ビル

②    ニューヨーク 世界貿易センタービル

③    上田 ほていやデパート 

①     子どもの頃から高い所が怖いけれど好きだった。保育園は寺の中にあった。その寺は、小松姫の墓があるほどの名刹である。背の高い松の木がたくさん植えられていた。何とか登ろうとしたが、松の木は登りにくかった。桜の木もあった。桜の木の中に登りやすいものがあり、よく登っていた。家の近くの川の土手に大きなクヌギの木があった。この木はカブトムシとクワガタの宝庫だった。直径数メートルある太い木で、幹が斜めになっていて登りやすかった。小学5年生の時校庭のプラタナスの木に登り、3メートル下の地面に落ち全身を強く打った。まだ体が柔らかだったのか、何もなかった。木登りは、子どもの体の大きさが小さいほど楽なようだ。だんだん年齢があがり、体が大きくなると、今度は高い建物や塔に興味が移った。

 再婚して海外に妻が赴任する前、私は糖尿病と診断された。長野県の佐久病院の糖尿病教育入院に参加して糖尿病とどう向き合って生きていくかの教育を受けた。運動療法で病院の周りを指導看護師と歩いた。それまで歩くことも運動することもない生活だった。妻の海外赴任の直前、東京の桜上水の宿舎に短期間滞在した。妻が研修に出かけた後、ある日、私は一人で桜上水から新宿まで歩いて行ってみた。そして東京都庁のビルの最上階まで階段を歩いて登った。展望室から見た景色が美しかった。もう2度とあのような無理はできない。

②     ニューヨークへ初めて行った時、私は19歳だった。エンパイアステートビルへ知人に案内された。留学した学校がある町で一番高い建造物は、20メートルほどの水道タンクの塔だった。大平原は、まっ平なので水を一旦タワーに揚げて排水しないと2階以上に水が届かなくなる。ニューヨークには摩天楼と呼ばれる高い建物がたくさんあって驚いた。お上りさんは、首を痛めた。

 2度目にニューヨークへ行ったのは、ネパールで知り合ったハーバード大学教授だった友人の結婚式に参加するためにボストンへ行く途中だった。

 3度目は、旧ユーゴスラビアで一緒だった日本人夫婦とニューヨークへ行った。妻は仕事で行く事が出来なかった。3人で世界貿易センターの最上階の展望室へエレベーターで上がった。あの世界貿易センターが9.11のテロの標的になって跡形もなく崩壊した。自分の目で見たビル、自分があのビルの中をエレベーターで最上階まで通過したこと、テロが起きた時、一気に記憶が蘇った。悪夢になった。

③     生まれ育った上田市で一番高い建物は、ほていやデパートだったと思う。山に囲まれた上田盆地の底からそれら山々に負けまいと背伸びするように建つ7階か8階の建物がいじらしかった。屋上からの景色が良かった。今はそのデパートも建物をなくなった。

 高い所が好きなのは、猿とバカという。猿でもバカでもよい。人間が建てた高いビルに登ってあたりを見下ろして偉い者になった気になる。人畜無害の空威張り。権力を握って、2泊3日の訪問で同じ人と4回も堅苦しい食事を共にするより気楽である。


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