生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

研究指導オリエンテーション

2012年03月17日 21時00分58秒 | 放送大学大学院
研究指導のオリエンテーションは4月15日。

私の所属する人間発達科学プログラムは10時30分~17時まで千葉学習センター1F第1講義室で開催される。でも、画像からわかるように、各プログラムで時間がマチマチなのである。一番短いのは臨床心理学プログラムの3時間。そして、一番長いのが人間発達科学プログラムの6時間30分であり、実に、臨床心理学プログラムの倍以上となっている。

当然、長いオリエンテーションの方が有難いので、私としては大歓迎なのだが、この時間の違いはいったいなんなのだろう?
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放送大学大学院テキスト!

2012年03月17日 20時27分50秒 | 放送大学大学院
到着したテキストは4冊。

・現代社会心理学特論
・発達心理学特論
・才能と教育
・国際政治

以上の4科目である。で、驚いたことが1つ。通信指導のレポートが、なんと、択一式3科目、記述式1科目なのである!おいおい、大学院なんだから、当然記述式レポートだろう。しかも、提出は1通のみ。「才能と教育」の記述課題はなんと800文字以内という条件である。

武蔵野大学大学院は4単位ものながらレポートは5通。しかも文字数も放送大学の3倍以上!まあ、武蔵野大学大学院のレポートの文字数すら、通信制大学と比較して少ないと思われていたので、放送大学大学院の通信指導には驚いている。

学部の倍の授業料なのに、学部と同じ通信指導・・・う~ん、この複雑な気持ち察して欲しい。

まあ、とりあえずやってみよう。やってもいないのに文句を言うのはフェアじゃない。武蔵野も、今では本当に感謝しているが、最初の段階では、結構、失望していたから(笑)

この2年で何かを見つけられればいいと思っています。
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放送大学のテキストが到着!

2012年03月17日 19時55分30秒 | 放送大学大学院
学部のテキストに続き、大学院のテキストも到着しました!

で、「学生生活の栞」も大学院文化科学研究科となっており、本当に大学院生になったんだな~という感慨に包まれます。まだ学生証を手にしていないのですが、4月1日の入学に向けて少しずつ準備が整ってきております。

実質的にスタートするのは4月15日の研究指導オリエンテーションなのですが、それすら、もう1ヶ月切っているので、希望と不安が交じり合ったような思いであります。
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4連休

2012年03月17日 13時12分35秒 | その他
月曜日は休む予定なので4連休となる。

まあ、インフルエンザも流行っているし、突発的な事情があれば、電話がかかってきて休みは中止となる。それだけ、休みの取りにくいタイミングで年休を取得したのだから仕方ない。

休む理由はご存知の通り、大学院の修了式があるためである。会社の能力開発目標にも大学院修了と書いているのだから、ご容赦願いたい。

修了式の後は三鷹で飲み会がある。将来、仏教学を専攻してみようと思っているのだが、そのころには有明キャンパスに移っており、三鷹界隈で飲み会が催されるのもこれが最後になると思われる。

不思議なもので、産能大学院を修了したと同時に代官山キャンパスの所在地である目黒区から引越しをすることとなった。そして、今回の武蔵野大学院も修了したと同時に有明キャンパスと、遠いところに移転することとなる。

本当、ちょっとでも躊躇していれば、大学院に通うことさえできなかっただろう。そんなギリギリのところで学んでいるのである。

いつまでも あると思うな その好機(チャンス)

まあ、即興で作った下手な句であるが、気持ちはわかってもらえるかと思う。だから、人生のワンチャンス、ゆめゆめ、取り逃がすことのないように。
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要領の悪い学習

2012年03月17日 06時43分19秒 | 生涯学習
「要領よく学ぶ」・・・その言葉は私には縁のない言葉である。

JIT(ジャストインタイム)的に、必要な単位を、必要なだけ、必要な時に取得できるのは要領よく、効率的で、ムダのない学習法なのかもしれない。しかし、私は常にその思想の逆を進む。

大学時代に取得した168単位も、卒業所要単位146単位と比較して多めの履修単位だったと思う。ギリギリという概念がない。好きな科目は重複して受講する。経済学部の「経済史」と教育学部の「経済史」、あるいは文学部の「古文書学」と教育学部の「古文書学」。

思い返すと・・・古文書って「如件」で終わるケースが多いのだが、なんと読むかわかります?そう「くだんのごとし」と読むのです。そうやって、古文書の音読ばかりやらされていたな~(涙)文学部の学生に混じって、経済学部の学生が古文書の音読をする。他学部の学生は私だけでした(笑)

文学部で受講した「国語学特殊講義」の授業も経済学部の履修者は私だけ。「優」をいただきましたが、それら他学部で鍛えられた経験が、後日、大学院の教育学専攻で教員の方々と一緒に学んでも物怖じしない体質にしてくれたのだと思っている。

社会人になってからも「要領の悪い学習」は続く。

産能大学        取得200単位(卒業要件124単位)
産能大学大学院   取得38単位(修了要件30単位)
明星大学大学院   取得46単位(修了要件30単位)=履修可能単位のMAX
武蔵野大学大学院  取得46単位(修了要件40単位)

やはり、ギリギリという概念がない。好きな科目を中心に、嫌いな科目も含めて、手当たり次第に履修しているような感じである。余剰単位だけで、もう1つ2つ大学が卒業できそうな勢いである。

正直、気が小さいので、多めに履修しておかないと不安になるということもあるのだが、ちょっと、度を越えているかもしれない。

ただ、その要領の悪さが、自分の特徴でもあるので致し方ないのである。要領の悪さは、大抵、マイナスのベクトルに向いているものなのだが、要領が悪いがゆえに、貴重な経験をさせていただくこともあった。つまり「要領の悪さ」=「悪」ではないということだ。

学びは正直である。学んだだけ、学んだ人に、その学びの成果を与えてくれる。それは要領が悪くても、要領がよくても変わらない。修了要件30単位で30単位学んだ人には30単位分だけ学びの成果が与えられる。修了要件30単位で38単位学んだ人には38単位分の学びの成果が与えられる。

で、時に学びの神様は粋な方であり、その余剰の8単位の中に、とてつもない大きな出会いを仕込んでおいてくださったのだ!必須でもない科目のゼミが、今でもずっとつながりを持っている。明星でも履修する必要のない面接授業。でも、それに出席したからこそ、胸を張って自分は教育学を学んだと言い切ることができる。

要領は悪いが、学びは嘘をつかない。学んだ分だけ自分に戻ってくる。そういうものである。要領が良くても、要領が悪くても、学ぶことはともに尊いのである。ただ、運命の出会いは、あらゆる「機会」を多く持ったほうがチャンスは増えていくのである。そして、その出会いこそ、生涯学習の余禄(副産物?)ともいえる醍醐味だと私は思っている。
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教員は修士レベル

2012年03月17日 05時42分10秒 | その他
本日の日経新聞42面の記事に「教員は修士レベル」というものがあった。

>中央教育審議会特別部会の作業グループは16日、現在は大学4年間で教職課程を履修すれば
>取得できる教員免許を大学院修了レベルの資格にするよう求める提言をまとめた。

この提言の通りにいけば、学部4年で「基礎免許状」、修士レベルで「一般免許状」、学校経営等の特定分野で高い専門性を身につけた教員に「専門免許状」が与えられるそうだ。

やっと、日本も国際レベルに通用する教員の養成にたどり着くのであろうか。医師や薬剤師も6年学ばなければいけないし、臨床心理士も最低大学院を修了しないと受験すらできない。理系は大学院を修了が採用の条件となる企業も多い。

そのような環境において、人を教えるという「聖職者」が学部卒でいいのか・・・という思いを以前からもっていた。というのも、自分の経験や周囲の状況を考えても、学部卒の段階でどれほどの力があったか。アルバイトやサークル、コンパにイベント・・・大学4年間でどれだけ真剣に学べただろうか。授業の出席も、100人単位で履修しているためザルチェックである。私自身、教育学部の授業も複数履修していたのだが、とてもじゃないが、学部レベルの授業では、子ども達を教えることはムリである。

教員免許は試験じゃない。単位がそろえば教員免許が与えられるのだ。専門職の資格を大学の単位や卒業・修了を以って与えるという方式は支持する。もっと、対象資格が増えてもいいと思っているくらいである。しかし、その程度が重要なのである。

好きな先生の授業は良くわかるが、嫌いな先生の授業は全然わからない。

こんな経験、したことがないだろうか?

これって一見正しいように思えるが、違うのだ。

授業の良くわかる先生は好きになり、授業が全然わからない先生は嫌いになる。

そう、人間の本能ともいうか、感情というか・・・はっきりいって、何言っているのかわからない先生は嫌いになるし、挙句、その授業も嫌いになるのである。先生と子ども達とのコミュニケーションがとれていないし、そもそも先生自身とろうとしない。

・・・

子ども達の人生を左右する先生、明日の日本を切り拓く子ども達を指導する先生、そういう重責を担う先生の「無試験免許」を、代返や居眠り、携帯、私語等であふれかえっている学部卒だけで認めていいのだろうか・・・

「モンスターペアレント」という言葉もあるし、「これは酷い!」という事例も報告されているが、実際、小学生・中学生の親をやってみて、「先生、それはおかしいよ・・・」と思うケースも多々体験している。正直、担任の先生の言うとおりにしていたら、長男は違う高校に進学していただろう。

無論、学部卒でも立派な先生もいる。しかし、学びの指導者ともいえる先生が「学び続けないで」なんとするのだろう。専修免許を取得するため大学院に進学している先生も多数いる。そう、既に、考えている先生は、必要に迫られて、自発的に大学院で修士を取得しており、こんなことルール化しなくてもちゃんとやっておられるのだ。

明星大学大学院で学んでいた時、院生の7割が教員だった。そりゃ、教育学専攻だから当然なのだが。で、全国津々浦々から参集する先生方は、本当に意欲的で、発表もわかりやすく素晴らしい方々だった。というか、私のような銀行員でも教育分野のことについてわかりやすく説明してくださったのだろう。このような先生方の下なら、子ども達も安心してまかせられると思ったものである。

そういう経験からも、この中教審の方針には賛成である。
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