生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

論文指導!

2009年10月03日 23時02分40秒 | 明星大学大学院
本日は3回目の論文指導であった。

13時50分スタートで終了は21時10分!7時間20分、トイレ以外休憩なしのマンツーマン指導である。

こんなに指導いただけるなんて、大変恵まれている!

次の指導は一通りかけてからということとなった。最低4万字、できれば12万字程度でまとめたい。つまり、100枚!

1ヶ月でかけるかしら?

※明日は試験、来週の三連休はSCと行事目白押しなのですが・・・
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生涯学習の本を・・・

2009年10月03日 09時53分43秒 | 生涯学習
ここのところ、一から戻って、生涯学習論の書籍を読み漁っている。

今までは、「職業能力開発促進法」を中心としたものであったが、「生涯学習振興法」へと軸足を移している。無論、指導教官のアドバイスの賜物である。

本を読んで思うのは、「学歴社会の弊害」という言葉が100%出ていることである。しかし、私は思う、「何故、学歴社会は悪いのか?」と。

というより、「学歴社会」とは、一体何なんだろう?それが定義できないと、これから先、いずれ破綻する。

何故、悩んでいるかといのは、私は、生涯学習社会において、資格は非常に有益なツールであると考えている。

しかし、読んだ本のうち、「資格は学歴社会の弊害を取り除く有効な手段」と書いているものもあれば、「学歴が資格に置き換わっただけで、資格社会も弊害である」と書いてある本が存在する。その割合、ほぼ、互角である。

だから、学歴社会の弊害=資格社会の弊害となれば、私のまとめる修士論文は「弊害論文」となってしまう。

「学歴社会の弊害」とは一体なんなのだろう?では、アメリカのように、MBAやPh.Dが崇めたてられる社会は学歴社会の弊害はないのか?きっと、教育学部出身者なら、初歩の初歩ともいえる課題なのだろうが、私にはさっぱりわからない。

「学校歴社会の弊害」ならわかる。「東大にあらずんは人にあらず」という風習は、明らかにおかしい。しかし、中学⇒高校⇒大学⇒大学院と学習を継続すれば、それ相応にスキルが高くなるのだから、給与や採用の面で有利になるのは「弊害ではない」と思っている。

また、新卒後の学歴が一生ついて回ることを弊害というのなら、それこそ、卒業後の資格取得は生涯にわたったスキル形成への道筋となるのだが、資格に対して弊害視する必要はないだろう。また、資格だけでなく、学歴についても「昼夜開講」「通信制」「科目履修制度」等、バリエーションが増えたのだから、入社後学歴を評価すれば、チャンスは誰にでもあるわけで、差別でも区別でもない。いまや、大学院は、高卒でも短大卒でも、その能力が評価されれば、大卒でなくとも入学できる時代なのだから。

わからない・・・本当に、わからない。努力して取得した学位や資格が弊害になることの意味がわからない。
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