「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

やなぎ箸

2009年01月03日 | みやびの世界
 平常と異なる器に囲まれて過ごす三が日で、今年は「家内喜箸」が気になりました。
 三十代の若いころ、大山のスキー場での年越しをしていたころを除いて、新年を迎える祝い箸は、奉書につつまれた家内喜箸でした。癖のある筆跡で父が書いた名前を見て、自分のありどころを改めて覚悟していたものです。昨日と変わるはずのない日を何か新鮮なものに感じさせる入り口でした。

 子ども達もいなくなった今は箸包みには名前も入っていませんが、今年箸が気になったのは、娘が送ってきたお歳暮の入った箱の中に、私のための本の贈りものがあったからです。2冊のうち、1冊は「日本画でみる茶花図典」。もう1冊が「半紙で折る折形歳時記」でした。この後の1冊の最初のページが「おめでとう あらたまの新しい朝 ともにいまここに在ることを喜びあう はじまりのかたち」と詞書があって、“箸を包む”でした。

 墨のにじみが強すぎて使いづらい和紙があるので、試みに「折形」の指示どおりに折って見ました。
 箸は両口箸です。“神人共食“一方を神様、一方を人が用いるために両方の先端を少し細くしたものと言い伝えられている中央部が太い太箸です。折れにくい柳を素材にしたところから柳箸とも呼ばれて、おめでたい当て字で「家内喜箸」と書いています。
 この本で初めて知ったことがありました。何でも室町幕府の7代将軍足利義勝が元朝の儀式に使っていた箸が折れ、その年に僅か9歳の命を落馬で失ったというのです。そのため、弟の義政が将軍になると家臣は元日の箸は折れないように太く削らせて供したという説がある。とか、利休箸の呼び名は、客をもてなすために、利休はその日の朝、山で切ってきた赤杉を自ら削って箸を作り供したところからだとか記されています。いにしえ人の心配りを考えさせられます。私が思いつくのは、あのスサノオノミコトが斐伊川の畔で上流から流れてくる美しい箸に人の存在を知り、川を登り櫛名田姫にめぐりあい、八岐大蛇を退治することになる説話ぐらいですが、この話も箸が二人を橋渡しする縁となっています。古来箸は「橋」に通じ、橋は繋ぐものとして縁起のよいものとされて図案にとりあげられてきました。考えてみれば箸によって、食べ物を口にし私達は生命をつないでいます。自然の中で育てた、あるいは奪い得たものを口にする道具として、箸は長い細い架け橋でしょう。
 生地のままの白木の箸の清らかさに淑気を感じ、おのずから感謝の思いを胸に箸を取ったことでした。

 年々少なくなってゆく伝統行事のうち、暮れの買い物客の混雑にもまれながらも、正月行事はまだまだ健在のようだと嬉しく確認したことでした。



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2 コメント

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橋・端・箸 (香hill)
2009-01-04 18:18:42
橋を渡らずに対岸?の問いに、橋の端を歩かずセンターを歩いて答えをだした一休さん。
両口箸って似ていますね、このトンチ話に。
長いお箸、芥川の小説にありましたか?あれ両端が細いならご夫婦で交互に。

幼児のスプーンからお箸への切り替え時期、新米のママさん方は悪戦苦闘も一番幸せを感じるんじゃないかな?
それから何十年後、箸を使えなくなった老父・老母にスプーンの使用方法を指南する苦労って悲しいですね。

三が日、お雑煮を作りお餅は毎回4ヶ。
お雑煮には日頃の箸ではあきませんね、寿と記された和紙に包まれた例の箸が一番。
下手な筆で名前を。
器は特別のもの持ってませんが、重箱が食卓の上に乗ると正しくお正月のムード。

お節料理は自作とはいかず出来合い品を買うのですが、ご飯の量が増えますね。
しかし胸焼けやヒツコサがなく・・・幸福感、やっぱし日本人だと納得。
ところで、黒豆1ヶずつお箸で摘むのが下手に・・どうやらスプーンの練習開始の時期が目前。
お餅の数 (boa !)
2009-01-05 14:58:31
お雑煮に4個もお餅を召し上がるとはお若い!!
当分スプーンは出番はなさそうですね。ちなみに我が家は1個と2個。それも小ぶりの丸餅です。
お節をいただくので、お屠蘇の杯も重なり、あれこれと摘むうちにお雑煮になるころはもう充分といった按配です。九州のお雑煮はご存知のように、海老、紅白かまぼこほか、具沢山ですから。お正月の三が日は、二食です。それでも体重が増えてしまいます。

今日からお正月用の食器、屠蘇器と、片付けを始めています。次第にハレから、ケへと移行して七草が終わると完全に平常が戻ります。