「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

全然大丈夫

2007年03月29日 | ああ!日本語
 若い人と会話していて、耳に逆らう言い方の一つに、全然の後に否定の語を伴わず、肯定を強める表現として使う言い方があります。
 昔、学校で、「全然できなかった。」「全然記憶にない。」のように下に打消しの意味を表す語を伴って用いると教わりました。この習慣が染み付いていて、肯定で使われるとなにか違和感があるのです。
 でも、考えてみると、全然とは、「全くしかり」と書くのですから、副詞の用法で、ことごとく、すっかり、すべてにわたって、全部といった意味で使用されるとなると、あながち否定詞を侍らさねばならないと、決まったものでもなさそうです。

 そこで、辞書に当たってみました。
 ありました。明治の文豪たちが、肯定で使っています。(日本国語大辞典・小学館より)
 ・僕は全然恋の奴隷であったから  国木田独歩“牛肉と馬鈴薯”
 ・腹の中の屈託は全然飯と肉に集注してゐるらしかった  夏目漱石“それから”
 ・「一体生徒が全然悪るいです」  夏目漱石"坊ちゃん”
 その他、葛西善蔵“椎の葉”、坪内逍遥“諷誡京わらんべ”と事例に事欠きません。
 さらに国定教科書でも、昭和初期(8年)までは必ずしも全然+否定形は、徹底していなかった事例がありました。いつから今のように、全然+否定形で指導されるようになったのでしょう。

 やがて、全然は、“とても”が辿ったように、肯定形、否定形の両方に使われるようになるのでしょう。時代と共に変貌するのが言葉ですから。

 若者たちの生活の中では、日常的にすでに肯定で違和感は全然ないようです。
 上記の辞書の最後には、(口頭語で肯定表現を強める)非常に。「ぜんぜんすてき」「ぜんぜんいかす」と用例が出ていました。
 ちなみに、パソコンでは、ご親切にも全然を肯定表現で使うと?波線で注意を喚起してくれます。