「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

文楽 曽根崎心中をみる

2007年03月10日 | みやびの世界
 7日戸畑文化センターで、今年も文楽を見ることができました。
 文楽協会主催、文化庁後援の地方公演です。昼の部は「菅原伝授手習鑑」、夜の部の出し物は「曽根崎心中」でした。それぞれ、時代物と、世話物の”あたり”をとった代表作です。
 近松門左衛門の原作では、頭に”観音巡り”が置かれていますが、今は省かれることが普通のようです。生玉社前の段、天満屋の段、天神森の段が上演されました。
 人形浄瑠璃としては、近松の世話物の第一作です。実際にあった心中事件に取材して書いたものです。初めての世話物とはいえ、心中の道行きに至るまでのいきさつを、近松は、「日本のシェークスピア」といわれるだけの見事な劇構成で徐々に盛り上げてゆきます。初演の当初から大変な人気があったようです。


 醤油屋の手代徳兵衛は、天満屋の遊女お初と堅く末を誓っています。生玉社前で、九平治に諮られだましとられた金なのに、衆人環視の中、逆に強請りと辱められ、殴られ痛めつけられます。
 次の天満屋の見せ場は、縁先に腰掛けたお初が、内掛けの中にかくした徳兵衛と、互いに「心中」の決意を確かめ合うのですが、内掛けの中の徳兵衛と、お初が足を使って気持ちを伝え合うところなど、艶のある情感深い場面が展開します。いよいよ天満屋を脱け出そうとして、暗闇の中でのややユーモラスな一騒動があります。
 こうした前置の後、最後の天神の森になると、語りも、三味線も一転して、しんみりとした”この世の名残、夜も名残”と、七五調の名文句で曽根崎の森へといざなってゆく有名な道行となります。

 舞台装置も、前二場とはうって変わり、中央に梅田橋の大動具があるのみ。あとは幕に描かれた天神ノ森が夜の闇に包まれているだけの単純化で、二人の姿だけを際立たせています。

 前に見たときは、お初を刺したところで柝が入って幕になったと記憶しますが、今回は、美しい人形独特の”うしろぶり”を吉田蓑助(重要無形文化財)が、十分に堪能させてくれました。

 段ごとに太夫が入れ替わり、淡々とした語り口、張りのあるいい声と、それぞれに聞き応えのある2時間を短く感じました。

 いつも文楽観賞の後で思うのですが、あの黒子の動きが何時の間にか、気がかりな邪魔なものでなくなり、人形だけに集中して引き込まれてゆく不思議です。

 生身の人間の女よりも、あるいは、女形の演ずる歌舞伎の女よりも人形の女方は女らしく感じられます。それは、人間の女ではないがゆえに、強調された特徴がより美しく抽象されているからだと、頭では理解していても、あの女方の人形の、無いはずの足が、膝をくの字にした立ち姿に、強く艶めかしく女を意識されられます。
 来年の公演にもまた楽しみに出かけることにします。

次の画像は、来年予定の地方公演の演目です。 会場での案内冊子「文楽」より

義経千本桜 道行初音の旅 静御前
佐藤忠信、じつは狐忠信と静御前の
持つ初音の鼓の因縁話

絢爛たる衣装で忠信との連れ舞に、今から期待。



生写朝顔話 明石舟別れの段 深雪
(しょううつしあさがおばなし)

”江戸時代版・君の名は”のすれ違い劇。
道成寺の清姫と並ぶ深情けの女が深雪。




伊達娘恋緋鹿子 火の見櫓の段 お七
(だてむすめこいのひがのこ)

”降り積る、雪にはあらで恋といふ、その愛しさの
心こそ・・・”
ご存知八百屋お七。雪の降る中、髪振り乱して火見櫓へ。