「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

いただいた雛人形

2007年03月02日 | 遊びと楽しみ
 雛壇を組まなくなってもう何年になるでしょう。前は、座敷いっぱいに、子供会の団体さんの訪問もありました。海外暮らしの空白と、それに連続した高齢の父母の介護の日が、習慣を変えました。
 お雛様は、今は三代の内裏雛だけが箱からお出ましです。
雛の掛け軸と、お土産などでいただいたお雛様を気軽にあちこちに飾って、老ふたりの家もこのごろは華やいでいます。

 ずっと前、三月三日に挙式した甥の結婚の引き出物の上に、そっと添えられていた小さな大内雛です。山口にゆかりのある人なら、馴染み深い懐かしい漆塗りの雛人形です。
 守護大名の大内氏によって16世紀前半に興った大内塗りは、生地師、下地師、磨師、塗師、絵師と面倒な工程を経ると聞いています。朱のお碗に、家紋の大内菱を金箔で入れた秋草の絵柄のものなどが有名です。この大内雛にも、男雛の脇には大内菱が入っています。


  華道に専念する夫の妹が、鹿児島での華展の折のお土産にとくれた薩摩糸雛は、初めて目にする珍しいものでした。箱に入っていた栞によると、「江戸初期からつくられたもので、頭と髪が麻糸でできているのが特徴です。麻は強く丈夫で、生れた子の健康を願って顔と髪にもちいたものです。1本の竹の棒が首と背骨を兼ね、襟から出た首はそのまま顔で、麻糸がそのまま髪の毛として垂れています。・・・大正の初期まで初の女の子の節句にお祝いの人形として親戚知人から贈られたもの」(小澤人形)とありました。
 華やかな布地を重ねてた上に、体の大半を覆うかのような幅の金色の紙の帯を締め、帯には泥絵の具で、男雛には梅、女雛には藤が、達者な手馴れた筆で手書きされています。



 最後は、古い着物をといて、細工物を拵えていたころ、お互いの古布を交換しあっていた仲間にいただいたものです。
、器用な人で、私の差し上げた布を喜んでくださって、女雛と男雛に活かされていました。
古い着物の形見として大切にしています。