エホバの証人時代にうけた
個人的な仕打ちは忘れています。
それができそうです。
ただ、
それは、個人的な仕打ちを受ける前の自分に戻って信者活動にもどる意味ではありません。
その原因はなくなりましたが、
その後に知ったたくさんの情報があります。
今の自分は、何もなかった自分に戻すことでなく
この状況でできる原因を探してる
最初の原因は、非難する結果を生じさせたけど
次の原因は、賛美でおわらせたい。
賛美とかくと変だが
英語でいうと
praiseだ。
このためのcause を人生作ってゆきたい。
愛を心に
すべてに反応してゆきたい。
個人的な仕打ちは忘れています。
それができそうです。
ただ、
それは、個人的な仕打ちを受ける前の自分に戻って信者活動にもどる意味ではありません。
その原因はなくなりましたが、
その後に知ったたくさんの情報があります。
今の自分は、何もなかった自分に戻すことでなく
この状況でできる原因を探してる
最初の原因は、非難する結果を生じさせたけど
次の原因は、賛美でおわらせたい。
賛美とかくと変だが
英語でいうと
praiseだ。
このためのcause を人生作ってゆきたい。
愛を心に
すべてに反応してゆきたい。
逆回転させて元に戻すことはできませんね。
ある姉妹のご主人さんで最近研究を始めた方がおられます。いろいろな職業に挑戦し、人が大好きで、困っている人がいれば一目散に駆けつけるような方ですが、若いころは失敗の連続、無茶なこともたくさんしてきたそうです。家族のこともほったらかしだったそうですが、これからは家族が大切にしていることを一緒に大切にしたいと研究に応じたそうです。
その方曰く。
人は生きている間ずっと変化し進歩し続けられる。その人の評判は死ぬ時までわからないし自分で変えていけるものだ。
私は思わず、伝道の書の言葉と同じだと言おうとしましたが、やめました。なぜって、この方が今までの人生を通して学びえたことは聖書がなんと教えているかにかかわりなく、この方にとっては真実の言葉なのだと思ったからです。たまたまそれが聖書と一緒だっただけ、といったらいけないかもしれませんけどね。でもそれは聖書に書いてあるのと同じだと言ったらその方に失礼なような気がしました。その方の今までの人生のこれっぽっちも知らないですし、この先どう変化していくかもわからない私が、偉そうに聖書について語れないなと思ったのです。JW的には失格ですが(笑)
許せない許さないゆえに相手を憎んだり非難したりすることに力を使うより、許して、もっと生産的なことにパワーを使った方が、相手にも自分にもプラスになりますよね。
風立ちぬ。いざ生きめやも。
何事も始めるのに遅い時なんてないんだなとその方の言葉を聞いてつくづく思っています。
聖書のここに書いていますって
いわなくてよかったです。
我慢する識別力をもちましたね。
それで話しを気分のよいものに変えました。
だいたい、そういうことなんだろうな~ということは感じていました。
ベレーシートさんとはスケールが違うのかもしれないけど、僕もほぼ、同じことを経験しました。
身近な人で、同じような経験をした人も何人も知っています。
巡回監督や経験の長い長老たちが嘘をつくなんて信じられない人が多いかもしれないけど、
彼らも、自分が直接関係のないことにはいろいろ親身になって相談に乗ってくれますが、
自分の立場や自分がした判断の是非が関係する事案になると、とたんに態度を豹変させますね。
それが現実。 そして残るのはやり場のない怒りと悲しみ。
それだけではないけれど、そういうことの積み重ねがきっかけで知ってしまった現実の数々・・
現実は変えられないし、様々な経験を経て、そういう現実を認識することができたというのも、ひょっとすると、贅沢なことなのかもしれません。
さて、それを踏まえて、どのような人生を構築していくか
まだまだ、手探りではありますが、こうやってネット上で知り合うことができたベレーシートさんとともに真理を模索していきたいと思います
人生は楽しく!
悲しい経験でなく
贅沢な経験です。
それによって失うものは、
すべて維持する価値がなかったものです。
気を落とさないで
まっすぐ前方を輝く目で背筋をまっすぐに
して見つめることにしましょう。