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死なない子供、荒川修作

2011年02月23日 | 邦画(11年)
 ドキュメンタリー映画『死なない子供、荒川修作』を吉祥寺バウスシアターで見てきました。

 この映画は、以前私が見学したことがある三鷹の「天命反転住宅」(2009年2月11日の記事で触れたところです)をデザインした荒川修作氏に関するドキュメンタリーです。
 当初、渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映されるとわかり、是非とも見に行こうと思ったものの、レイトショーのためなかなか時間が合わず、そのうちに終了になってしまったところ、このたび近くの吉祥寺バウスシアターで上映されると聞き及び、レイトショーながら出かけてきたわけです。

 本作品は、「天命反転住宅」を紹介しながら、その合間合間に、荒川修作氏の講演の模様を挟み込み、さらには以前彼が制作した前衛的な作品や、岐阜県に作られた「養老天命反転地」をも紹介しています(注1)。



 三鷹の「天命反転住宅」を紹介するにあたっては、私が利用した見学ツアーの様子だけでなく(同住宅には、ツアー専用のコースが設けられています)、宇宙物理学者の佐治晴夫氏が、住宅の細部について様々のコメントを述べたりします。



 ただ、荒川修作氏は科学的な思考を重視しており、佐治氏の説明にも興味深いものがありますが、ただあまり明晰にこの住宅について喋られると、なんだか荒川氏の姿勢とは齟齬するのではないか、その芸術的な側面が消えてしまうのではないか、とも思えてきますが。

 さらに、私が見学した際には見ることができなかったプライベートな居住空間の様子とか、そこに住んでいる人たちの意見なども、映画では紹介されています。
 特に、この住宅に居住する者は、皆、荒川氏との対決が迫られるようで、それぞれ自分なりの解釈で凌いでいたり、あるいはそういった有形無形の圧迫を受けるのを嫌がって退去する者も出てくるようです。
 実際のところ、メインの床が砂漠のように波打つ砂地模様であったり、部屋が球形であったり、どの部屋も扉がなくて中が丸見えだったりするのですから、そこで暮らし続ければ四六時中荒川氏の思考に触れていることになるでしょう!なぜ彼はこんな形の家を作ろうとしたのか、この部屋はどんな意味があるのかなどと考えることになってしまう一方で、この家で暮らす時間が蓄積されると、おのずと環境の影響を受けて、もしかしたら従来の思考方法から脱して新しい境地へと飛び移ったりしているかもしれません
 特に、この住宅で生まれて育ちつつある幼児の映像が何度も映し出されますが(あるいは、この映画を制作した監督の子供でしょうか)、成長したら彼女がどんな目覚ましいことをやり遂げたり言い出したりするのか、今から楽しみになります!



 また、こうした映像に挟み込まれる荒川氏の講演風景は非常に特異なもので、よく聞き取れないながら、目を剥くようなことを喋っているようなのです。



 すなわち、これまで人が言ってきたことはみんな間違っている、不可能だとされてきたことは可能なことなのだ、人は宿命を反転できるのだ、環境・雰囲気・考えはみんな借りものなのだ、現実は変えられるのだ、だから人は死ななくともいいのだ、西欧の哲学の言葉は嘘ばかりで全部間違っている(注2)、自分が言っていることは誰にも分からないだろう、等々。
 実際には、荒川氏は昨年5月に亡くなっており、その葬儀の模様がこの映画で映し出されています。ですから、その主張を文字通りに受け取れば、荒川氏の方が間違っていると言えるのかもしれません。ですが、彼によれば、言葉の意味するところが全然違うのですから、そうは簡単に言い切れないでしょう。
 少なくとも、不可能と思われたことを何でもいいからやってみること、それが死なないことの意味だと受け取れば、この「天命反転住宅」がこれから何事かをなすかもしれません。あるいは、この住宅で生まれた幼児が大きくなったら、「死なない子供」になるのかもしれません!

 加えて、岐阜県にある「養老天命反転地」の模様も紹介されているところ、その場面で取り上げられているのは、専ら子どもたちの遊ぶ姿です。次世代を担う子供たちの中にこそ「死なない子供」が見出されるというのでしょう。




 なお、荒川氏は、若い時にアメリカにわたり、著名なマルセル・デュシャンと出会ったり、またドイツでは物理学者ハイゼンベルクに賞賛されたりしています。その時の写真とか、また初期の頃の作品も映画の中で映し出されます。
 そうした酷く前衛的な作品は、よくわからないながらも、全体から受ける雰囲気から人の生と死とを取り扱っているようにも見えます。



 荒川氏は、終生「死」とその反対である「生」にこだわり続けたのでしょう。


(注1)2月9日の朝日新聞記事によれば、この作品の制作に当たった山岡信貴監督は、三鷹の「天命反転住宅」で暮らし子供も育てたそうで、住んだ感想を荒川氏に報告するために映画を撮り始めたとのことです。

(注2)たとえば、『三鷹天命反転住宅 ヘレン・ケラーのために』(水声社、2008年)に掲載されている建築家・丸山洋志氏との対談において、荒川氏は次のように語っています。
 「たとえば過ぎ去った20世紀、100年の哲学(思想界)の動きをみても、すべての、身体と環境から起こるイベント(出来事)を「内在化する、いやさせるためのロジックを一生懸命つくりあげようとした。……しかしこの与えられた身体は、いや動きは、いつもバイオトポロジカルな位置にあり、完全にオープンなんですよ。外側に開かれてるんです。それなのに、17世紀以後、約300年、この「観察する」「知る」という行為が中心になって、内在化の方向へ進ませてしまった」(P.99)。
 あるいは、人の「死」とは、「内在化」された西欧のロジックに従った見方によるものであって、その考え方を逆転して人は「オープン」なのだとわかれば、人は「死なない」のだ、ということなのかもしれません。そして、人は外に向かって開かれていることを身を以て理解するためには、いくら机に向かって思索を凝らしてもダメで、「天命反転住宅」のようなところで生活しなければならないのでしょう!



★★★★☆




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