玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*由比ヶ浜

2017年07月24日 | 捨て猫の独り言

 私と孫の三人は一泊の鎌倉旅行に出かけた。孫の遊び友達である、隣りの家族の実家は鎌倉の長谷にある。坂ノ下の私学共済の「あじさい荘」に泊まることを告げると、それは実家の近くだという。毎年「海の日」の連休には2泊の帰省をする。どうせならご一緒しませんかというお誘いがあった。ただちに旅館の予約変更の手続きをした。この変更は、とりわけ私に大きな恩恵をもたらすことになった。

 坂ノ下の信号前の由比ヶ浜で午後3時過ぎに落ち合うことにした。海の日の前日に9時に鎌倉駅に到着した。強い日差しの中を今小路から六地蔵を経て由比ヶ浜大通りを大仏様を目指して歩いた。下の子は海はどこかと何度も聞いてくる。テンプルよりもビーチのようだ。大仏様は思ったよりは小さいという。外国人の観光客の姿が目立つ。長谷寺の見晴らし台から鎌倉のまちと海を見渡すと歓声をあげた。長谷寺は見どころの多い寺だ。

 

 長谷駅と極楽寺駅の間には江ノ電の唯一のトンネルがある。そのトンネルの近くにある御霊(ごりょう)神社の境内を抜けて坂ノ下のコンビニで昼食を調達した。浜には木陰がない。チエックインの3時までには2時間もある。たまらず「あじさい荘」に飛び込んでロビーでの昼食の許可を得る。食事の後、近くの極楽寺まで歩いた。七里ガ浜~極楽寺切り通し~長谷寺~大仏は江戸時代の観光ルートだった。帰りは車道(切り通し)の上にある成就院の階段を上る。下る階段の向こうには由比ヶ浜が見えた。昔の旅人が心躍らせた場所だ。

    

 子供たちは午後と翌日の午前と浜辺で遊んだ。アサリがバケツ一杯採れた。潮干狩りをする人の姿がほかにないのは不思議だ。運がよければ地引網に参加できたという。浜は遠浅でいつも高い波が打ち寄せていた。私は孫を若夫婦に預けて浜を離れた。初日は長谷寺の隣の光則寺、二日目は北鎌倉の東慶寺を見学した。東慶寺では幸運にも鈴木大拙と小林秀雄の墓所にお参りすることができた。また訪れたほとんどの寺院にはハンゲショウが植えられていた。これは今回の旅での貴重な発見だと考えている。

コメント
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