家猫はふくふく太り眠りをりデフレの国の行方知らずに
これは最近の新聞歌壇に載った歌。
家猫とは文字通り猫の意味で歌った。
おいしいキャッツフードを食べさせてもらって暖かい家でふくふく太って眠っている猫。
この国の経済がどうなろうと関心もないし解るはずもない。
しかし家猫に日本経済がまったく関係ないとはいえない。
その家の経済が破綻したら、もう猫は飼えないかも知れず、突然野良猫になる可能性だってあるのだ。
この歌を作って日が経ち、活字となった歌を距離をおいてながめてみると、この家猫は人間の暗愈とも読めるなと思えてきた。
どこのスイーツがおいしいなどとグルメを気取って、おいしいものを食べて余りしんどい運動はせず、政治経済にはほとんど関心がなく太って家でのんびり昼寝している主婦像・・・への揶揄と取れなくもない。
詠った時はそういうつもりはなく猫を揶揄したつもりだった。
念のため!
私は太っていない、痩せている、
でも・・・昔ほど政治に関心を持っていないかもしれない。。
そう私も自分の趣味(短歌)に関心が片寄っている<家猫>かもしれない。
あ、わたしも太ってはいません。痩せてますけどね。
経済は仕事をしている以上、直接関係しているわけですが、政治には無関心というより諦念に近いものがあり、決して積極的ではありませんねぇ。
こんなことで国が良くなるわけはありませんね。
反省です。
私も同じような感じです。
なんか若い頃の挫折感のようなものが尾を引いているのですが・・それでも40代までは
行動はあまりしないものの、もっと関心は持っていました。
50代になってからがいけません。
しかし部分的な事で考えることはありますので、何とかせめて関心を失わないように努力します。