海に吹く風

海の大好きな私
ここで皆さんとお話しましょう

日々思うこと、短歌についても書いていきます

五葉館写真追加

2009-10-31 06:07:08 | 日記

建物のくぼみの軒先に大きなスズメバチの巣が2つもあり、一つには蜂が動いていた。
そのことでも建物は随分長く手入れされていないのがわかる。
怖いので写真を撮ったら余り長くいず退散した。
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ヴォーリズの建物たち

2009-10-30 20:25:15 | 日記
ヴォーリズ記念病院から近江兄弟社学園までは早足の私が歩いて20分だった。
学園中のハイド記念館を皮切りに全部で18あるヴォーリズゆかりの建物を見て歩いた。
帰りの時間もあるので必死で歩く。
昼ごはんを食べる時間も惜しい!
いつもなら公開していない建物の内部に入ることができ、展示も充実していた。
どこでもボランティアの方が詳しく説明してくださる。

ヴォーリズの自宅であったヴォーリズ記念館は大きな洋室のリビングがあり、その奥は二間続きの小さい和室で、炉が切ってあった。
和洋折衷の間取りである。
ヴォーリズ夫妻は生涯奉仕活動と教育活動・事業活動に身を捧げ、生活は質素だった。
そんな生活がしのばれる暖かくて簡素な住宅。

どの建物を見ても感じる暖かさ・・・それはキリスト教の教えの隣人愛。
今回近江八幡の町をヴォーリズの建物を巡って感じた。
ヴォーリズの魂はまだこの町に生きている!
光となってヴォーリズの設計した建物の上に降り注ぐ。
風となって近江八幡の路地を吹き抜けている。
ヴォーリズがよく描いた「○書いてチョン」・・丸を書いてその中心に一つ点を打つ記号。
伝道の地として指令された地に降り立ち、ヴォーリズは近江八幡は地球の中心と考えた。
ここにキリスト教の愛の種を蒔き、世界へ広げてゆく。
近江をそこに住む民を愛し、民のために住みよい住宅・建物を作ったヴォーリズは心から民に愛されていた。
だからこそ多くの建物が今でも残った。
豊郷小学校が利権がらみで解体されようとしたとき住民の反対運動・訴訟で保存を勝ち取ったことはまだ記憶に新しい。

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ヴォーリズ記念病院の礼拝堂

2009-10-30 20:24:43 | 日記
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五葉館

2009-10-30 20:20:23 | 日記
やっと今日近江八幡までヴォーリズ展を見に行くことが出来た。
ヴォーリズは近江地方を中心として活躍した建築家にして近江兄弟社という会社の事業家・教育者。
その本質はキリスト教の伝道者であり、彼の建築作品は人間愛に満ちていて、優しく暖かい。
ずっと前から彼の作品は好きだったが今回特別公開の建物が多く、どうしても行きたかった。

しかし私が一番見たかったのは見学コースに入っている建物ではなく、ヴォーリズ記念病院の五葉館という建物である。
元々サナトリウムといて建てられた病院の中には礼拝堂があり、患者と医師が一緒に礼拝をする、それは今でも。
それから星型で五つの飛び出した病室を持つ五葉館はサナトリウムの建物である。
星型なので病室のそれぞれは三方に窓があり光が入り風が通る。
不治の病を言われた結核の患者が心穏やかに快適な療養生活が送れるように細やかな配慮がされている。

その事をNHkのヴォーリズ特集で見て一番感激した。
どうしてもこの建物を見たいと思っていた。
近江八幡から病院の送迎バスに乗り、まず五葉館を見に行った。
本館の後ろに礼拝堂がありその左にひっそりと五葉館はあった。
手入れはされていないので老朽化は激しい。
全体にスケールの小さな可愛らしい建物である。
病院というよりは住宅あるいは山荘のよう。
家庭にいるような雰囲気で患者は過ごせたことだろう。
ここだけは時間が止まっているような静寂の世界だった。
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彼岸花 連作

2009-10-29 09:02:54 | 短歌

曼殊紗華はらふ剣をくれなゐに染めて落ちゆく山の夕陽よ

叫びつつ野を行く人に曼殊紗華道程のごと立ち並びたり

遠き日の恋語り出す人ありき曼殊紗華咲く無縁墓の前

毒ありと言はれ続けて村はずれ曼殊紗華咲く去年も今年も

死者たちの家へと帰る道しるべ曼殊紗華咲く村のはずれに

峠へと続く道にも曼殊紗華こちらこちらと手招きをする

曼殊紗華は花散りしのち地の中でアルカロイドを抱き眠れり

遊び女の額に揺るる簪の真赤き花の光る顔見世

遊女らはひとつの墓に埋められてこの世の名前知るすべもなし
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須磨離宮公園スケッチ2

2009-10-28 09:46:39 | 日記
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須磨離宮公園スケッチ

2009-10-28 09:39:41 | 日記

先週の21日のことである。
須磨離宮公園までスケッチに行ってきた。
須磨離宮公園は戦前は皇室の離宮だったところ。
空襲で建物は焼け落ち、戦後は米軍の射撃場になってうたそうだ。
返還されてからそのまま放置されていたのを今上陛下ご成婚の記念に整備されたそうだ。

噴水と西洋風の庭園、階段を登るとレストハウスがある。
秋薔薇が盛りだった♪
西洋の神殿風のデザインのレストハウスまで登ると海が見える!
左に大阪湾の山並み、右に淡路島の山並みがうっすらと見え、船が進んでいくのが見える。
本当に素晴らしい景色だった。
皇室の方々はこうやって海を見て静養されていただろう。

私が階段の一番上に座って絵を描いていると写生に来ている中学生が二人すわり、それに集まって6人ほど座るので絵を描くのにはうるさくなってきたけれど、その時には絵はほぼ完成してまた集中力が高まっていたのでそれほど気にならなかった。
聞いてみと3時までであと40分しかないのにそれまでは遊んでいて、慌てて何か描こうとしているらしい。

引率の先生がやってきて、私の横にびっしり生徒が座っているのを見て
「お邪魔じゃありませんか?」と気遣ってくれた。
「はい、邪魔です」と本音は言えず(
「大丈夫です、ほとんど終わりですから」と答えた。
これが絵を描き始めの頃だったら切れていた
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嫉妬

2009-10-26 16:39:43 | 短歌

男偏つけたき嫉妬くろぐろと会社の奥に息を潜める

私は会社というものにそれほど長く勤めなかったので、 会社の中の競争・勢力争い・嫉妬・陰謀など経験したり見聞きすることはなかった。
しかし多くの人から「女の嫉妬の行動より、組織の中の男の嫉妬の方が深くて陰険すざまじい」と聞かされた。
ただし具体例としては聞いていない。

そうなら嫉妬という文字は女偏でなく男偏を付けるべきだと思ったことから生まれた歌。
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イムジン河再び

2009-10-26 09:20:15 | 日記
昨日の深夜加藤和彦追悼番組があり、録画していたのを今見終わった。
2002年にフォークルが期間限定で再結成され、そのときの『イムジン河』の映像は涙なくして見れない。
いったん立ち直った悲しみがまたこみ上げてくる、それでも見たい。

BS211月1日午後1時で、このコンサートの様子の完全版が放送される。これも当然録画で保存版である。
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葡萄

2009-10-25 12:40:39 | 短歌


この世へと生まるる前の卵のごと葡萄は枝にひしめきて垂る
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