奄美 海風blog

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動画 ペリカン目 アマサギ亜科アマサギ ジャンボタニシの卵

2019年04月28日 | 生き物観察

190428 ペリカン目 アマサギ亜科アマサギ ジャンボタニシの卵

撮影 2019年4月下旬 奄美大島 龍郷町秋名 田袋

ジャンボタニシの卵 ”イネ 根本 赤いぶつぶつ” で検索して判明

これはたぶんふつうの稲ではない。


クッキーのようなせんべいがおいしかった。

2019年04月27日 | 食・レシピ

大判焼き(今川焼、回転焼き 太鼓饅頭 、全国各地そのほか呼び方はいろいろ。鹿児島で蜂楽饅頭、福岡では豊楽饅頭か、昔、名瀬では義士焼きともいっていた。

 

↓ 二枚一組が一つにラッピングされ、これが6個計12枚で、名瀬のスーパーにあった。

二重焼き 合わせ焼き、夫婦焼きといった大判焼きの呼び方に通じるが、商品名には太鼓がついている。

二枚一組の表と裏。

年寄りには堅いのではないか、と敬遠していたが、さにあらず。

クッキーよりはすこし堅めだが、ピーナッツほどの堅さ。手でわりと簡単に割れる。この堅さ自体も味に深くかかわっていそうだ。

 

割った生地の中。できた空洞が、適度な噛みやすさにつながり、脳天をここちよく刺激する賑やかな食感をもたらす。

水を含まず卵だけで溶いた生地は、ほんのり甘く、豆を口のなかで噛み砕くときの絶妙な焙煎の香りをやさしく包んでくれる。

だから、豆の薄皮(しぶかわ)は、嫌ってはいけない。

薄皮は、検索すると健康にもひじょうに、よさそうだが、それだけではない。

ふつうの?せんべいの食感より重厚な味わいの、もぐもぐ、を終え、いよいよ最後の喉越しで、ふたたびの醍醐味がゃってくる。その時、ピーナツ好きは、薄皮のワケを実感、納得するだろう。

食べてみないとわからないものだ。


Movie モウセンゴケ(毛氈苔 Drosera rotundifolia )花 白

2019年04月26日 | 植物

190426 モウセンゴケ(毛氈苔 Drosera rotundifolia )

2年前はたしか赤色の花だった。コケとあるが種子植物である。

wikipedia モウセンゴケ(毛氈苔、学名 Drosera rotundifolia L.)は、モウセンゴケ科モウセンゴケ属に分類される多年草の1種。種小名rotundifoliaに由来するマルバモウセンゴケという別名もある。食虫植物の一種で、葉にある粘毛から粘液を分泌して虫を捕獲する。


関連このブログ コモウセンゴケ?の花
2017年03月30日 | 植物

撮影地付近の赤土

切りとおしや盛り土などで出来た斜面、土手、道路の法面など水はけ日当たりのよさそうでコゲ以外は他の植物があまり生えないような場所にある。

 

 

 


島の夏の思い出 グラジオラス(アヤメ科グラジオラス属)

2019年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

★新学期と田植えがおわり、★田の草取りの手伝い。教会では★復活祭があったか。学期と夏休みの間の★家庭訪問が近づくと
★テッポウユリの香り、★アマリリス。
それにつづいて★グラジオラスがあちこちに目立つころ
★大型連休がはじまり、★梅雨(平 年5月11日ごろ~6月29日ごろ)がきて、★島の空と海は夏色。★山の樹々も大小のおびただしい数の花を林道に落とし、★原っぱの春夏の雑草も出そろったか。

 

 

wikipedia グラジオラス (Gladiolus) は、アヤメ科グラジオラス属の植物の総称。日本には自生種はなく、園芸植物として植えられている。別名、トウショウブ(唐菖蒲)、オランダショウブ(阿蘭陀菖蒲)
名前は古代ローマの剣であるグラディウスに由来し、葉が剣に類似していることが根拠といわれる[3]。日本では明治時代に輸入され、栽培が開始された。根は湿布薬の材料に使われる。


月岡芳年(つきおか・よしとし) -『 隆盛龍城攻之図 』

2019年04月23日 | うんちく・小ネタ

写真と記事は直接関係はありません。このブログ 奄美龍宮伝説 夢をかなえる「カメ」さん

西郷隆盛生存説としては、西郷星(桐野星)や、
影武者が数人いて、実の西郷は、中国大陸、朝鮮半島、東南アジア、インドなどに渡ったとされ、
 なかでも、大津事件(巡査によるロシア皇太子ニコライ殺人未遂事件)でも有名な、
皇太子ニコライの来日に際し、西郷がニコライを護衛して戻ってくるなど、
西郷が再び理想の日本をつくるため、生還してくるというもの。
これらは、絵にも描かれ、判官びいきの庶民の願望を具現化し人気を博した。
あまりよく知られていはいない(私も知らなかった)が。(以下メモします)
 
↑ これらとは少し趣を異にするところがありますが、
 
月岡芳年(つきおか・よしとし) -『 隆盛龍城攻之図 』というのある。
これは、西南戦争のあったその年明治10年(1877)の作。
龍城は籠城(ろうじょう)ではない。
西郷はかつて、清水寺の勤王の僧・月照と合い抱いて鹿児島の錦江湾に身を投じ、意に反し
一人蘇生して、藩命で奄美大島の龍郷に身を潜めることとなった。
芳年『 隆盛龍城攻之図 』では、その月照が、海底で待っていて、西南戦争で新政府軍にやぶれた西郷とともに魚たちを味方につけ、龍宮城に攻め入り、西郷を龍王にしようという様子が描かれているという。
大波に押されるように、槍や刀をもった大勢の人たちにまざり、巨大な魚が2つ描かれている。
そのうちの一つは赤みをおび、やや複雑な模様のうろこのシマシマが特徴で、龍郷湾にもいそうな熱帯魚風に見えなくもない。
(絵は画像検索で見ることができます)
芳年の絵は「無惨絵」「陰惨絵」「血みどろ絵」などで知られるが、画業は幅ひろく、この絵は迫真的で庶民の願望が勢いよく、劇画的に描かれている。
満月の明かりが照り映える錦江湾に沈んだ月照が、島から戻った西郷を海底で待っているとは・・・。

ツイートまとめ 名瀬港の虹 ソメイヨシノの観察 ナンゴクネジバナ きのう

2019年04月23日 | 桜の観察

今年は鹿児島市暖冬で、ソメイヨシノに限らず緋寒桜も、開花状況が不順、不調です。

植物はさまざまな生存戦略をみせますが、ソメイヨシノは、クローンなので実がならず?接ぎ木で増やすしかないので、人に愛でられ大切にされることが最も効果的な戦略とこころえているのかもしれません。しかし台風常襲地帯の島の高い山の中にある、最南端のソメイヨシノの生存環境は過酷で、街の近くの桜と比べると訪れる人も少なく、その分人の関心を引くこともあまりなく、ひっそりと耐える覚悟ができているのかも知れません。

 

 


イタチハギ マメ科

2019年04月21日 | 植物

花期は4-7月で、長さ6-20cmの黒紫色をした穂状花序をつける。北アメリカ原産 日本の侵略的外来種ワースト100に選定

いつも通る林道なのに、花は、はじめて気がついた。

葉は互生で、★奇数羽状複葉(葉軸の左右に鳥の羽(魚の骨)のように小葉が並ぶ羽状複葉の内、葉軸の先端にも一つの小葉がつくもの)。

花期は4-7月

高さは1-5mほど

道端、河川敷、荒地、海岸など幅広い環境に生育する

根の土壌固定力が強く、マメ科特有の窒素固定による肥料木としても有用であるため、法面緑化に利用されている

日本には韓国から1912年に初めて導入され、1940年代以降、緑化や観賞用として本格的に輸入された



根心屋音楽祭(ねっこやおんがくさい) のポスター 貼らせていただきました

2019年04月20日 | 紹介、お店など


海風荘一階のお店へポスター貼付のご依頼があり、
たまたま昨夜、TVの島唄番組を録画視聴したところ
だったので、番組とは直接関係はないのですが、
twitter 掲載の許可をいただきアップすることになりました。
詳しくは検索してみてください。↓
根心屋音楽祭(ねっこやおんがくさい) -Nekko record presents- 根の国元年 4/30(火 国民休日) 開場 18:00 開演
========
昨夜録画視聴したTV番組
MBCテレビ 懐かしい未来へ~奄美・唄島プロジェクト~
ポスターと直接関係はありません(と思います)。
島の音楽の世界もすごいひろがりを見せているみたいだな。

(ナンゴク?)ネジバナ

2019年04月19日 | 植物

花序に微毛が有る無しで、ネジバナとナンゴクネジバナを区別できるそうですが、カメラの設定をあやまりピンとが・・・。

検索していたら自分の記事にたどり着いた。↓ ↑ これは花の色が派手なのでナンゴクネジバナかも知れない。奄美大島には★ネジバナと☆ナンゴクネジバナ両方が分布する

ネジバナが二つ並んで咲いていた
2015年06月19日 | 植物

★ネジバナは日本全土に分布
☆ナンゴクネジバナは奄美諸島から沖縄にかけて分布
☆ナンゴクネジバナの特徴は、★ネジバナより大形で色彩も派手であり、花穂や子房に毛が生えていないこと
と多くのサイトで検索できるが、花穂(かすい)の軸の細毛の拡大写真はなんとか見つかるが子房の毛はなかなか見つからない。
写真は奄美市名瀬での撮影。花穂の軸らしい部分にやわらかそうな毛が写っているので、これは★ネジバナだろうか。
奄美大島には★ネジバナと☆ナンゴクネジバナ両方が分布するのだろうか。
この花は小さいが写真を楽しむには、おもしろい形をしている(雄蕊と雌蕊と花弁の形)。もう一度意識しながら撮影してみよう。

                  

きのうの記事のシマアザミの隣に咲いていました。奄美市名瀬です。


シマアザミ(島薊)キク科アザミ属  /少年時代「風あざみ」は造語だった。

2019年04月18日 | 植物
 
 
 
 
 
 
 
 
 頭状花序は管状花(筒状花)のみで作られていて、多くのキク科の花のように周囲に花びら状の舌状花がならばない。
 
 
 
和名 シマアザミ
別名 リュウキュウシロバナアザミ

奄美大島~沖縄島の海岸に
大型の白い頭花が直立するアザミ
沿海地の草原や砂浜,岩礫地に生える.
花は常に少し黄色を帯びた白色
 
 
奄美地方では、茎を正月の豚骨料理の野菜として用いる。つわぶきの茎同様、八百屋さんの店頭に並ぶこともある。
 
近年、さらなる薬効があるという研究があるとの話も聞いた。

 

余談ですが、

6日放送の『SONGS』(NHK総合)を録画で見ていたら、
井上陽水が
自身が作詞作曲し、1990年にリリースされた『少年時代』にある歌詞について語り、
「風あざみ」について「鬼あざみという言葉は知ってましたから、風あざみもあるでしょう、みたいな感じで録音した」と回顧していた。
 
陽水「一瞬、頭の片隅に、辞書でちゃんとそういう言葉があるかどうかチェックしたほうがいいのかなと、チラッとはかすめました」としながら、一方で「そんなことチェックしてどうすんのという気持ちがあった」
 
 
 
wikipedia 「少年時代」抜粋
曲中に「風あざみ」という言葉が出てくるが、これは陽水による造語で、植物のアザミが直接関係がある訳でもない。風あざみという品種は存在せず、「アザミ」は元々春の季語でもある(2番の歌詞で同じ箇所に出てくる「宵かがり」も同様に陽水による造語である)。陽水の作品にはそのような「造語」が散見されており、教育学者の斎藤孝も陽水の歌詞について、「高い音で伸ばすときは、多少詞が変になっても、ウよりもイで終わる言葉の方が、聴いている方は気持ち良い」と指摘している。
ピアノは、陽水とは旧知の仲でもある来生たかおが演奏している。wikipedia
アザミ(薊)は、キク科アザミ属 及びそれに類する植物の総称。標準和名を単にアザミとする種はない。スコットランドの国花。
世界に250種以上があるそうだが、確かに鬼アザミや島アザミは、少年時代には似つかわしくなく、風あざみでなくてはならないような気になってしまうw。
「軽いが深い」。重いのはきらい。話の最後は必ず軽いジョークでしめる。陽水は陽気な天才だ。「だれのあこがれにさまようう」ってなんだろうw。 

動画 イソヒヨドリ Blue rock thrush 龍郷町戸口漁港

2019年04月17日 | 生き物観察

 

190417 イソヒヨドリ Blue rock thrush 龍郷町戸口漁港

↑ 去年の先週も同所で同じような光景を見ました。

wikipedia 抜粋
★ヒヨドリに似ていることからこの和名がついているが、分類上はヒヨドリ科ではなくツグミ科でまったく別の鳥である。
 
雌雄の区別は容易であるが、若鳥のオスは、メスの個体と近似の羽色をしており雌雄の区別がしづらい。
 
★イソヒヨドリは世界的には標高2,000-4,000mの高山の岩石地帯に生息する鳥である。
しかし、日本では磯や港など海岸周辺が主要な生息地域であり、内陸部でも見かけることがある。近年では都市部にも生息するようになり、電線や看板に留まっていたり、住宅地やビルの間を飛び回る姿を見かけたり、鳴き声を聞くことができる。
★単独行動で、群れは作らない。 春にはツグミ科特有の声量のある美声でさえずる。その声音と節回しは複雑である。 また、イソヒヨドリは繁殖期以外でも天気の良い日はさえずることが知られている。
★産卵は地域により差があるが本州では5月初旬ごろ行われる。
★南西諸島などに稀に渡来する亜種アオハライソヒヨドリ のオスは全身青色である。

益満 休之助27年の人生はドーダったのだろう

2019年04月16日 | 本と雑誌
 
この記事は『ドーダの人、西郷隆盛』 のコメントです。
 
益満 休之助27年の人生は、どんなだったのだろう。
遠い昔の大河ドラマでもなんどか見た記憶があるものの
イメージとしては密偵 工作員といったものしか浮かばない。
益満 休之助の生地鹿児島の高麗町は、西郷や大久保の生まれた加治屋町とは
甲突川を隔てて隣町になる。甲突川にかかる高見橋や南州橋(人道)周辺は鹿児島中央駅から歩いても散策できる。
生年は
益満(1841年)
西郷(1828年)だから
西郷より13歳年下。
幼いころから知る西郷に対する益満の尊崇の念はいかばりであったろうか。
慶喜の大政奉還で、武力倒幕の大義名分を失った薩摩藩(西郷、大久保ら)。
密偵工作が得意の西郷は、益満と同郷の伊牟田尚平(1832年生 喜界島(奄美大島のとなり)遠島の経験がある)を江戸に派遣し、相楽総三(1839年生 江戸)が中心となって、薩摩藩邸を拠点とし、浪士たちを指揮して江戸の街に火つけ強盗などの撹乱工作にあたらせ旧幕府方を刺激する。
そして江戸城二の丸放火におよぶと、旧幕府方の怒りが爆発。庄内藩(のちの東北戦争の敗北で西郷の寛大な処置に感銘し『南洲翁遺訓』をまとめる)と旧幕府軍による江戸薩摩藩邸の焼討事件に発展し、これが鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争の引き金となり、ついには明治維新にいたった、などとよく説かれる。
益満は、薩摩藩邸焼き討ち事件で旧幕府方に捕らえられるが、あの勝海舟に助命され、勝家に保護される。そして江戸城開城と慶喜の助命嘆願の予備交渉にあたる山岡鉄太郎の護衛役として駿府に同行している。
益満の印象は、わき役のわき役といったところだが歴史上重大な場面で、その役目を果たしている。
しかし、益満も伊牟田も相楽総三(赤報隊 偽官軍 年貢半減などで検索してね)3名とも不審な死を遂げる。
益満は上野戦争(旧幕府軍彰義隊なと薩摩藩、長州藩を中心とする新政府軍の戦い)で流れ弾にあたって死んだ、といわれるが、後ろから撃たれともいわれる(典拠不明)。
しかし、最近の研究では西郷が益満らを江戸に派遣したのは、
討幕の密勅(慶応3年10月14日
大政奉還(慶応3年10月14日、翌15日に朝廷が受理)
という流れの中で、西郷の益満らに対する指示は9月の段階のことで、
大政奉還後は、「撹乱工作見合わせ」を益満と伊牟田に指示していたともいわれる。(吉井幸輔書簡 蓑田傳兵衛宛の西郷書簡などで検索)
つまり現場の暴発ということだろう。歴史上よくあることだ(満州事変 関東軍の暴発)。
ネットなどない時代、この指示はどのように伝わったのだろうか。
秘密工作なので、記録に残ることもないだろう。このあたりは歴史家よりも作家の登場が望まれる。
想像力の働かせどころだ。
益満が西郷の意の奥の奥を忖度したのかもしれない。あるいは勝は、なぜ益満を助命、保護し、山岡につけたのだろうか。
(山岡鉄舟も西郷とよく似たタイプだ)
まだ読んでいないが『西郷を破滅させた男 益満休之助 』河出書房新社 (2018/10/20)
という本もある。
西郷の陽から陰への転換点(大河ドラマでは実弟で西郷従道の兄の吉次郎を戊辰戦争で失ったあたりだったように描かれていたと思う)
余談だが、吉次郎は江戸出府が多い兄隆盛に代わり西郷家の家政を取り仕切っていたという。
また沖永良部島流刑も大変な難儀をかけ、隆盛は常に「自分が国家のために、聊かご奉公ができたのは、吉二郎が自分に代わって兄たる責務を果たしてくれたからの事で、自分は年齢の上からの兄で、実際の兄は吉二郎だ」と述懐していたという。wikipedia
益満休之助の27歳の生涯。どんな人物だったのだろうか。短い生涯で謎も多い彼に対する評価によっては西郷隆盛のイメージにも少なからず影響を与えそうだ。
関東攪乱が、益満らの暴発だとする本は、まで読んではいない。

湯湾岳公園 ソメイヨシノの観察 まだ開花進まず

2019年04月16日 | 桜の観察

 

↑↓ 駐車場上のソメイヨシノ部分的に咲いた分は散り、葉が出てきた。

ことしは、暖冬で「休眠打破」がうまくいかないのだろう。

残りの尖ったツボミもいつか咲くのだろうか。かこに例があるが、最高峰694mの山の中は厳しい環境だ。

関連記事 さらに、一週間後の観察 奄美大島湯湾岳のソメイヨシノ 油井岳園地のソメイヨシノと八重の桜 2019年04月08日 | 桜の観察