奄美海風荘ブログ

カメラを持って奄美大島のあちらこちらに行きます。植物や本など。
04年4月11日~14年11月04日までブログ人

12月30日

2004年12月30日 | お知らせ
041230-anime

謹賀新年製作中

今年も素材は、「けんぞうファクトリー」さんからいただきます。
できれば「みんなにないしょ」にしたいサイトです。
奄美沖縄関連のアニメのフリー素材集もあります。


唄遊びができないので、アニメ唄あしびを見る。


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林道を行く。 「節子のトミ」

2004年12月29日 | 山歩き
041229-rindo

奄美大島を縦貫する国道58号線は、海沿いを避けるようにして走る。
中、南部の太平洋沿岸の絶景を楽しむには、詳しい地図が便利だが、首っ引きのドライブは苦手、大まかな地図と案内板に頼る。それには勘と時間の余裕も必要。

嘉徳(かとく)からの引き返しの帰りは、国道から降りてきた道を通らず、その手前の林道を通って帰る。少しばかりの冒険心も必要だった。
写真左の節子(せっこ)へ出て、網野子(あみのこ)から国道へと戻る、一時間少しの遠回りドライブ。

途中、土砂崩れの跡、一部未舗装。観光用の道路ではない。霧の日注意。

削り取られた法面は鮮やかなオレンジ色、かと思うと黒い岩盤がむき出したカーブもある。山の尾根を見下ろし、急坂を下る。しばらく行くと、いきなり大きな山、たぶん人跡未踏、深緑色は傷一つない。海の上にも山、黒緑色、連なる山々だんだんに薄い。ここは亜熱帯。車のウィンドゥーズはハイビジョンTVもかなわない、ということで写真は省略しました。

節子と網野子の集落はきれいに清掃され、林道と国道の道端の草も刈り取られ、すがすがしかった。
網野子も意味のありそうな地名だ。橋の名前思い出せない。

伊須湾沿いの隣の勝浦には唄にもうたわれた「節子のトミ」の墓。この人も美人。自由奔放で恋多き女傑。鍋加那と違うところも、他の伝説の美人と共通しているところもあって面白い。
詳しくは検索してください。
昭和8年没、69歳から計算すると1864年生まれか。時代も面白い。
27日

今日は風強く寒い。
12 15.4 無し 北 8 63 無し 1019.5
22 13.0 無し 南西 1 63 無し 1022.7



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嘉徳鍋加那節

2004年12月28日 | 歴史 民俗
041228-nabekana
都会の街のきれいなお嬢さんが♪都会のかほり振りまいて、海風荘にもやって来ます   が、
島唄でも有名な嘉徳鍋加那節(かとくなべかなぶし)の鍋加那さんは、とびきりの美人であったらしい。
名前からは想像しにくいのですが、こういう例は奄美の他の民謡や言い伝えなどにも多い気がします。

嘉徳なべ加那や如何しゃる生まれしちが、
親に水汲まち、い(座)ちゅて浴めろ。

嘉徳なべ加那が、死じゃる声聞けば、
三日や白酒造て七日遊ぼ。


鍋加那は美しい天女のように気高く、両親も神に仕えるように、水を汲み、娘を水浴びさせるほど、どうしてあのように神高く生まれたのだろうかという意味だそうだ。

二番の歌詞には奄美の古い民俗もうかがえる。それを知らずに現代の価値観や道徳思想を持ち込んでこの歌詞を解釈すると、鍋加那は驕慢で親不孝者だから、厄払いをしよう、というふうにも解釈できてしまいます。

このような解釈は他の事例でも、そして奄美の内でも起こりうるのです。自分のことですが。

つまみ食い参照 
金久 正著 『奄美に生きる日本古代文化』 至言社
他 

写真の鍋加那のお墓にはきれいな花が供えられてありました。

ということで、次回は林道を通って帰ります。



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ふるさとの山河。『タイトルの魔力』

2004年12月26日 | 本と雑誌
041226-sangaこのブログを始めた頃だろうか、『タイトルの魔力』というタイトルの本を読んだ。
面白いブログのタイトルの付け方とかいう類の本かなと思って買ったのだと思うのだが、そうではなかった。
人名や絵画、写真、音楽、文学作品、などのタイトルについての、とてもアカデミックな本だったのです(タイトルに反して)。
読むのにとても時間のかかるお買い得の本だった。
よ、要するにタイトルの魔力についての本だったと思うのだが、なにせ魔力ですから・・・、どんな力でしょうか。
掲示板」、電子メール、ブログのタイトルも大事です。この世はタイトルにあふれている?。

晴れた日に、蒼い海、きれいな色に写るカメラで撮ったら苦労はないのですが・・・、加工しました。

子供の頃に慣れ親しんだふるさとの山の形、川、海の風景は、遠く故郷を離れて暮らす人たちにとって、きっと懐かしいものだろうと、帰省のシーズンを向かえて思いました。
その際、きれいな色にはあまりこだわらなくても、という言い訳ができるのもタイトルの魔力です。

(これは、河ではなく内海です。)


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港へ荷物取り

2004年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム
041225-kontena鹿児島からの定期船フェリーは、毎朝6時ごろ名瀬新港に着きます。8時過ぎ、昨日鹿児島の業者に注文した「荷物が着いています、引き取りお願いします。」と港の海運会社から電話があります。
荷物はヤキトリ用の串小肉35グラム180本入り×10ケース計1800本。
倉出指図書と請求書(領収証)を受け取りに海運会社事務所へ。着払いの運賃2594円。
たくさんのコンテナの中から、小口なので「冷混載」と書かれたコンテナを探します。
立会いのおじさん、自転車でやって来てニコニコ。荷物を指差し、「これ、これ」。顔パスです。
伝票をみる。
入港日、船名、次航第66往航、積港名鹿児島新港、取り扱い店名、荷送人、荷受人、請求先名、品名冷凍食品、個数3、屯数0.150、受領者。
受取金 明細 運賃1280 集荷料0、積込料660、水揚料530、立替料0、配達料0、掃除料0、保険料0、通過料0、消費税124計2549
スタート→すべてのプログラム→アクセサリ→電卓
2594/1800=1.44111111
35米1800=63000?などと、たまにはやってみる(初めてですが)、忙しい時に。

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雨の日は植物の写真がきれい。

2004年12月24日 | 植物
041224-toge道路のすぐ脇。
花も実も葉っぱで隠し、茎にはトゲ。
わけありそう。実は1.5センチ。
撮ってから図鑑で探す、載ってないと空しい。
図鑑にあるのを山でさがして撮る。
そうしたら、名前を覚える草花が増えるだろう。
しかし撮らないと覚えないし、
覚えた草花はあまり撮る気がしないものだ。
はたしてどうなのだろう。
結論、他人のグログで覚える。
味見忘れる。
12 16.4 0.5 北北西 2 76 無し 1021.1
昨日写真集(奄美の百年) 届く。

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笠利町津代の戦跡へ

2004年12月23日 | 歴史 民俗
041223-tusiroここはマングローブパークではありません。笠利町手花部(てけぶ)の津代(つしろ)への入り口付近です。地図
津代は、1609年(慶長14年)に薩摩の琉球「征伐軍」が、最初に侵攻したという湊があるところです。奄美の史跡めぐりには欠かせないところなのですが、あまり知られているところではありません。旧暦3月4日山川港出港。総勢三千余、兵船百余艘(異説あり)。六日悪天候、隊伍乱れる。「七日之甲之刻程ニ」津代着、「次日八日打廻シ(戦闘)」。その後、3月15日焼内湾(宇検村)薩船三十五艘、そして徳之島、沖永良部、と向かう。3月25日薩軍主力部隊、沖縄北部の運天港着。
藩は奄美の、サトウキビ(黒糖)に後で大いに助けてもらったはずなのですが、わが愛すべき鹿児島県は、いまだにわが国でも指折りの・・・(う、またSyunnさんにオコラレマイかも)。
その後260年あまり続いた薩摩藩の統治は、期間を通じて一様だったわけではなく、島々によっても違いました。奄美が一様ではないことは、島伝い観光のお客さんからも教えてもらいます。奄美の魅力のひとつです。
砂糖の甘い汁は、「以後藩はない」と覚えた、あの廃藩置県(1871年明治4年)後も吸われ続け、黒糖悲歌はやみませんでした。その前後の顛末は、現在の奄美を考える際にもオモシロイところなのだ、そうです。キビの刈り取りは一部で始まっているところもあり、出荷作業は年が明けには本格化します。

笠利町 津代 で検索してみる。キャッシュをクリックすると検索した文字がハイライト表示されます。

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笠利町 アマンデー(奄美嶽)

2004年12月21日 | 歴史 民俗

041221-amamidake

ネタ本は、籾(もみ)芳晴著 『碑のある風景』~足でまとめた奄美大島史~ 南海日々新聞。

まずは、笠利町「アマンデー」(奄美嶽)に行きました。
これは、観光案内看板や、名瀬市・奄美大島観光物産協会発行の『風は南から』というパンフの地図にも載っています。

名瀬から、奄美パーク少し手前、節田(せった)で県道を左折。すこし行くと、阿麻弥姑(あまみこ)神社。

そこから、少し行った、平(たいら)という集落の入り口付近の案内標識を右折。
防衛庁専用道路を登る。昔懐かしい「警笛鳴らせ」の道路標識がいくつもある、くねくね坂道は、しかし、とても手入れが行届いている。
「なんか、いままでと雰囲気違いますね。」なのは、登り切った、行き止まりに「航空自衛隊 奄美大島分屯基地」があるからだろうか。大刈山です。

その少し手前の「アマンデー入り口」の矢印看板を右折します。駐車場で車を降り、歩きます。
「さっき、インターネットで見たんですけど、ここは”神高い”山なんですね。そういわれてみると、ワー・・・。」とか言っているうちに、ここが「奄美嶽」。あたりをみわたせる高台です。

石碑には「阿摩美姑最初天降地」とあります。(写真向こう側)
碑は明治34年、町内の有志が建立。町の文化財指定は昭和40年9月。

阿摩弥古(あまみこ 女神)と志仁礼久(しにれく 男神)の二神が奄美の島々を造ったという開闢神話は宇検村の「湯湾岳」にもあります。

神話時代から、やがて輝く奄美の時代、黒潮の海の時代へと続く。

余談
女神男神の順は、奄美島唄「行きゅんな加那節」の「あんま」=母さんと「じゅう」=父さんの順と同じ。

ここからは、平、節田、和野のサトウキビ畑が見渡せ、奄美パーク、奄美空港滑走路、蒼い海、さんご礁に砕ける白い波、その沖には喜界島も見えます。さらに、奄美大島太平洋側の、住用村、瀬戸内町の岬も見えるという「お得な」ビューポイント。
見て帰ったら奄美通になった気分。昨日は曇り時々雨でした。
自分の乗る飛行機の着陸の様子を見る→山をおりる→空港でレンタカーを返す→搭乗手続き も可。空港まで10分くらい。

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名瀬港、名瀬新港、文化センター、振興会館、  ホール、博物館

2004年12月19日 | 海の風景
041219-nazekoデザインテンプレートを変えてみました。選ぶだけです。

写真上の説明。

名瀬港を出るフェリー。古仁屋(こにや)行きでしょうか。長浜と山羊島から出た防波堤の間を通ります。手前は長浜町の街並みです。

ふつう、「名瀬港」と「名瀬新港」は同じです。定期船フェリーの船着場の旅客待合所のビルには「名瀬新港」と書かれた看板があるので、
車で行くと数分ほどの所にある貨物船用の「旧港」と区別して「新港」と呼ばれています。

写真下。

名瀬新港の待合所(二階)の階段を降りたところの前の道路を右に向いたところです。写真の左側には、船にあわせてタクシーが待っています。
奄美海風荘は、ここから歩いて3分程で行けます。写真の道路を真っ直ぐお進み下さい。道路沿い左手に看板があります。

この道路の突き当たりに、奄美文化センターと奄美博物館はあります。海風荘からは歩いて10分くらいです。

「文化センター」とも「振興会館」とも呼ばれているのは、どちらも同じです。

奄美博物館は、コンサートなどの行なわれる「ホール」などとともに奄美文化センターの施設の一つ、ということです。同じ敷地内にあります。
博物館はどこですか?と訪ねても「えっ?」という場合があるのはそのためだと思われます。

奄美文化センター
名瀬市立 奄美博物館

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届け物3つ、 黒潮の文化誌 レンタカー、宅急便

2004年12月18日 | 本と雑誌
041218-wako下↓のルリカケスの写真を撮る前に撮っていたのはこの写真です。
「倭寇」、歴史教科書の検定などの話題で議論になります。時代も長いです。いつ頃でしょうか。勉強します。
奄美の歴史、黒糖地獄は暗すぎます。「ウギ(キビ)ばかり作っていたわけではないだろうに」という話をしていたら、名瀬市の「南端(なんたん)書房」さんが『黒潮の文化誌』という本を届けてくれました。これは海の話のようだ。帯書きには「目がうるみ、なぐさめられ、笑みがこぼれ、幸せになる」とあった。おもしろそう。著者の日高 旺氏には以前、ヤポネシア論の島尾敏雄氏も注目した『黒潮のフォークロア』未来社 という本もあり
ます。

奄美関連本の出版が続いています。25日ごろには、大型写真集『目で見る 奄美の100年』も店頭に並ぶそうだ。
2004.10.06
奄美の古い写真。今日の名瀬古見本通り(国道58号)。


最近奄美では遺跡の発掘も相次ぎ、土の中からも昔を知ることが多くなった。浜や海底にもあるのかも知れない。

「南端書房」さんは市内に定期刊行誌などの配達もしているので、書店では目に付きにくい、自費出版本や、話題の本、興味のありそうな本など、見繕って届けてくれます。

夕方は、港の近くにも営業所がある西郷レンタカーさんが、お客さんのレンタカーを届けてくれました。お客さんより先に届きました。

午前中、別のお客さんの宅急便。今日の届け物合計3。


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ルリカケス

2004年12月16日 | 自然観察
041216-rurikakesuルリカケス。国の天然記念物(1921年)、絶滅の恐れ「危急種」のわりには、人家近くで営巣したり、車の前をバタバタと横切ったり、あまり神経質では、なさそう。泣き声はたくましい。先日、集団で畑を荒らす様子が報道された。

このブログを始めて最初の写真 2004.04.11赤崎(あかざき)公園 の犯人?は、証拠写真はないが、イノシシと判明。

奄美自然観察の森。午前中。今日は、ルリカケスが自らカメラの3メートルほどの所までに飛んできた。しかも、二度もだ。

一回目、見上げる樹上で落ち着いている。
木漏れ日が逆光。どうせ撮っても・・・、いつもカラスにしか見えない。この鳥は瑠璃色が美しいルリカケス。

羽づくろいなど始めた。こんなに近くにきて逃げないのは始めて。大きい。
このところの陽気のせいか、それとも、この鳥は、自分が天然記念物であることを、ガクシュウしてしまったのか。
こちらを覗き込むようにして、逃げない。「撮ってくれ」と言っているかのようだった。
森は他の鳥の鳴き声もなく、静まりかえっていた。小石と落ち葉を踏む足音、ひびく。この時期の快晴、森も海もすがすがしい。

逆光補正のボタンどこにあるのか、中々覚えない。探しているうちに逃げられてしまう恐れ。
メモリーカードは入っているか。バッテリーはあるか、テープは巻き戻してある、キチョウな画像に上書きしてしまわないか。
とりあえずシャtッター押した。五枚。期待はしない。(写真上)

二回目。入り口を出て、車に乗り込んだ時、運転席の横の桜の木にまた飛んできた。
今度は順光。握手など求め始めた?。(写真下)どうしたことか。
ルリカケスは世界中で奄美大島とその周辺の一部の島にしか生息しない、学術的にも貴重な鳥だ。

やはり撮ることにした。
今度は、高画質のボタンを回す余裕もあった。ビデオもまわした。羽を広げたところを撮りたかった。逃げるまでさらに近づいたら、おじぎをして飛び立った。(写真右)。ビデオテープにいい写真撮れたかも。

ところが、帰ってPCで見てみると、ピントはほとんど桜の木の幹に合っていた。画像も暗い。

写真は、「無効なファイル」の数々、となった。
小さく並べてなんとか有効に使う。

seno さんの真似をして、トホホと言うの他はない。
人のことは言えません。

12 22.7 無し 北 2 52 1.0 1021.0
今日の名瀬最高気温23.7度
台風28号フィリピン東 996hPa
たいしたことない。
明日熱帯低気圧の予想。



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名瀬トン普通語 星降る夜の旅人は 気張いやんせ 

2004年12月15日 | お客さん
041215-nagahamaYさんは鹿児島の営業マンです。今月の奄美出張では、図らずも、「星降る夜の旅人」(注1)ということになりました。Yさんの名瀬での定宿にはPCがないので、昨夜、いつものようにここで船の待ち時間にインターネットを利用して帰りました。

Yさんは大の長渕剛ファンです。

名瀬トン普通語(注2)で、「Yさんは鹿児島で「普通に”気張いやんせ”(注3)ち、使うワケ?」という意味の質問を、Yさんの鹿児島弁を真似て、「・・・ち使うんケ?」と尋ねました。
(文字で書くと、ワとンの違いですが、イントネーションが大きく違います。でも、それも何回も繰り返し練習していると不思議なことに、段々似ているような気になってきます。)

Yさんはどちらかと言うと体育系風(笑)なので、「気張いナー」とか「気張いやっせナー」とか言うのだそうです。
結論は、品の良いおばあちゃんなんかに言われると「身が引き締まりそう」ということでした。

最後にYさんは「じゃ、ひとつ、良いお年を・・・気張いやんせ、ワッハッハ。」と訛らずに言って、笑顔で八時半すぎ(注4)、名瀬港に向かいました。

実直でほがらかなYさん、意外にもビールも焼酎も飲まないという。
たいやきを買っていったYさんが船の上から見ている月はどんな月、もしもデジカメ持っていたなら撮れたのに。
♪誰(だい)が悪いち言うもんか♪

(注2)名瀬トン普通語=奄美の方言と共通語の中間の言葉。トンは奄美方言でサツマイモのこと。鹿児島には「カライモ普通語」、沖縄には「ウチナーヤマトグチ」。トンにもイモにも、あまり洗練されていない、というニュアンスがあります。だれが言い始めたのかは分かっていないそうです。奄美の島々や各集落で、それぞれすこしづつ違っている方言を話している人たちが、進学や仕事などで中心地名瀬に集まって来るので、そこに共通の言語が出来た。戦前の女学生などの会話の中から生まれ、復帰後、一般にも広がった、といわれています。今では現代奄美共通語といわれるようになった、この言葉を話す人の年代層や地域もひろがっている。「あげ、あげげ、はげ」「わけ」「ワジワジ」「ボットボット」「怒られまい」などはこのブログでも時々使われる。「あんたなんか」「ちば」「ちよ」「ちょっ」「むる」「さばくる」「せんばいくね」など。
参考 倉井則雄『トン普通語処方箋』 
    島尾敏雄『名瀬だより』

(注1)
「星降る夜の旅人は」
 (作詞:岡本おさみ/作曲・編曲:吉田拓郎)
歌詞を見る

(注3)「気張いやんせ」
 (作詞 作曲 / 長渕剛)
歌詞と曲を聴く・・・音量注意

(注4)名瀬鹿児島間の定期船の旅は、毎日上下便とも夜(船中一泊)になります。名瀬は毎日21:20出港、鹿児島は毎日夕方出港。時間は船によって若干違います。
2004.10.16
超要約 全国~名瀬海路&三角浜 再




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続、続 奄美大島西まわりドライブ。宇検村 焼内湾岸。

2004年12月14日 | ドライブ
041214-yakiuti2004.09.30
続 奄美大島西まわりドライブ。大和村今里。
の続き。
ここからは、海岸線をはなれ、山道になります。尾根道を進みます。途中、峠の分かれ道を林道に曲がらず、古仁屋へは遠回りするコースを選び真っ直ぐ進みます。

峠を下りきったところが、宇検集落。風景が一変します。すぐ近くの道路わきに奄美の新民謡「農村小唄」の碑がありました。
Google 検索 奄美 新民謡
奄美の島唄
少し走ったところに大きな案内板。

焼内湾をひとまわりすることにした。
カーブを曲がっても曲がっても、次々と現れる内海と山、古代の風景。奄美の歴史や、民俗、考古学などに興味のある人には、「刺激的」な風景なのだそうだ。北部の龍郷湾と似てなくもない。

宇検村指定文化財

写真は、芦検の共同墓地、佐念モーヤ、名瀬に帰る途中、摺勝のあたりで、古い墓が発見されたらしい跡を発見。
2004.12.05
赤尾木 風変わりな墓 &夏から冬へ

と比べる。

奄美北部とも似た地名がある。考えても分からない。
こんなサイトみつけた。

地名の意味を探り、
古代史を見直し、縄文語を発見するページ
ポリネシア語で解く日本の地名・
日本の古典・日本語の語源


奄美の各地の地名の意味

うーん。

奄美南部の道路改良工事が進んでいる。トンネルもいくつか開通していた。


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蒲生崎観光公園の展望台を見張る、瞠る、美晴、海晴。

2004年12月12日 | 観光ポイント
041212-gamouzaki切り取って貼り付けました。展望台に登らずして展望台をかたるためです。実際に登ると、いい所です。

蒲生崎(がもうざき)観光公園。展望台の形も、地名も少し変わっています。
そのわけは、たとえば、こちらのサイト

Travel@nifty蒲生崎観光公園

笠利町のホームページ

などを見るとわかります。

奄美大島 平家落人伝説

2004.07.10
龍郷町戸口(たつごうちょう とぐち)平行盛、画家保忠蔵


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Bob さんの CD

2004年12月10日 | お知らせ
今年3月、ジャズジャパン2004で名瀬でも演奏してくれたボブワード Bob Ward さんの News です。
ボブさんのホームページenglish 版から
News The Voodoo Dogs get a track in the new
Gwyneth Paltrow, Anthony Hopkins movie, 'PROOF'.
というところを Click すると Voodoo Dogs のUGADA という曲が聴こえます。
日本語版のページがまだなので、よく分かりませんが、これは、ブードードッグというCDのなかの曲が、映画で使われるということなのでしょうか。すごいですね。
英語版のページでは、一緒に名瀬に来てくれた、ケリーさんKelly Friesen とのDuo のページ Press Kits も追加されました。

ボブさんから預かったVooDoo Dogs は、あと一枚だけ販売中2,500Yen
今年3月のボブさんとケリーさん

世界中をヨットで航海しているボブさん、インド洋航海を終え、南アフリカから今は、ニューヨークへ戻ったのでしょうか。
続きが見たいです。



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