細田暁の日々の思い

土木工学の研究者・大学教員のブログです。

国家

2016-08-15 08:35:46 | 人生論

「国家とはスキン(皮膚)である」とは、スペインの哲学者オルテガの言葉だそうです。

兆を超える数えきれない細胞からなる有機体を表現する絶妙な表現で、さすが哲学者だとうならされます。

皮膚で覆われた、または守られた人間は、その中で有機的な活動をすることができるし、外界と接することもできる。口でも呼吸するけれど、皮膚からも外界とのやり取りをしている。ガチガチに鎧で固められた統治ではなく、非常に柔軟な統治システムと言えます。

東日本大震災のとき、当時の東北地方整備局長であった徳山日出男さんは、私が土木学会の特別調査団の団員として整備局を訪れた際、次のようにおっしゃいました。

「今回の大震災で、国は左手の火傷のようなもの。県は半身火傷。市町村になると全身火傷を負っているところも多い。自治体に復旧作業はできない。国がやらないといけない」

オルテガの比喩と合わせて考えると、大変に納得が行きます。

自然災害も外敵の脅威もほとんど無い国であれば、腰みの一丁でも生きていけるのかもしれない。ですが、日本のような国土であれば、防寒着も必要だろうし、大地震や大津波で大火傷を負わないように適切な防護も必要です。

また、皮膚で守られた内部にも、全身に張りめぐらせる血管、神経系等のネットワークは極めて重要に決まっているし、メインテナンスも必要です。国家で言うところの、高速道路、新幹線、郵便、等々のネットワークに当たります。

我が国の国土の置かれた状況を直視し、ハードインフラ、ソフトインフラへの投資をしっかりしていく(公共投資として)ことを今こそしないといけないのですが、当たり前のことが当たり前に論じられない、異様な状況がいまだに続いており、 歯がゆくなります。

我が家は昨日、次女と一緒に買出しに出かけ、非常時のための食糧や日用品を補充し、以前のストックを用いて昼食にしました。長女にはカセットコンロでご飯を炊かせました。 もちろん飲料水のストックもしてありますが、空のペットボトルに空気がほとんど残らないように水を充満させたものをベランダにストックすることも始めました。強靱な国家、国土は、国民一人一人が強靱な精神を持つことからしか始まりません。できることを一歩ずつ。


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