わたしがブログを書くようになったのは、
1回めの阿蘇カルデラスーパーマラソンの完走の2004年あたりでした。
それまでは、Yahooの掲示板に完走記も書いていました。
そのころブログというものがぼちぼち出てきていて、
長い完走記を掲示板に書くのに気が引けていたので
ブログを書くようになりました。
多くのラン仲間もブログを書いていて、
見て回るのはたいへんでした。
でも、ブログは言わば自分の家みたいなもので、
思いの丈を書きたいだけ書けるので、
じっくり走友の思いを知るのによかったし、
ブログ内でコメントを書きあって意見の交換も
腰を据えてできたので、
それはそれでよかったです。
ブログはブログでブログ仲間というものができ、
侍さん(U木さん)もその一人で、
それ以来十数年のおつきあいになります。
だから、わたしにとってブログは、
ランニングのありとあらゆることを書くことができて、
且つ、ラン仲間と心いくまで意見交換ができる
コミュニケーションツールでした。
加えて、近年はSNSが広がってきて、
気軽な情報発信として、わたしも活用しているんですが、
所詮、SNS繋がりというのは浅い縁なので、
そういう人たちにいまのこの深刻な状況を言うのははばかられ、
Facebookなどでは書いていません。
その点、ブログは自分の家という意識があります。
Facebookはコミュニティホールみたいなものだと思っています。
公民館なんかで自分の私的な事情なんか言わないですよね。
でも、我が家ではなにを言おうとかまわないと思うので
この故障のことも書いてきました。
でも、
さらにここ最近は、とても悲惨な状態になってしまい、
まともに自分の思いをここにさらけ出してしまったら、
そーとー悲壮なブログになってしまうので、
できるだけ軽い感じになるように気をつけて記事を書くようにしていました。
さらに、練習記録をずっと書いてきたJogNoteが
3月でなくなるということで、
きのうも書きましたが、ここに忘備録として
練習記録や故障の状態を書いてきたいと思っていました。
でも、
いつもコメントをくださるとしさんが、
ここ最近、ご自身の手術やお身内の不幸が重なってたいへんなときに
コメントをくださるのを見て、
とても申し訳なく思いました。
それと、先にも書きましたが、
わたしにとってブログは、ここに来てくれる人との
コミュニケーションの場だと思ってきました。
でも、としさん以外にコメントがいただけなくて、
それって、まるで家の外にだれか来て中を覗いているのは
アクセス数でわかるのだけど、
ただ無表情になにも言わずにだまって覗かれている状態であって、
たとえば、なにも応援もせず、旗も振らずに、
無表情でただ沿道に人が立っているだけのマラソンを走っているのと同じ感じです。
それは、あとで「ブログ見てるよ」と言われれば嬉しいけど、
いま、この苦しいときになんの応援も貰えずにあえいでいる状況とかわらないわけで、
そんな状況に身を置く意味があるのかな?
と思うようになりました。
忘備録としてブログを書こうと思っていましたが、
ブログを書くのってかなり負担がある作業です。
わたしががんばっているのを見て
元気をもらってると言われるのはありがたいことなんだけど、
わたしは、ほんとうに苦しい状況にいます。
辛くて辛くて辛くて、じつはしょっちゅう泣いています。
あんたよりもたいへんな人がいるんだとか、
もっと不幸な人はいるとか思われるでしょうが、
そんなの関係なく、わたしは苦しいんです。
まともに歩けないのがどんなに辛いかわかりますか!
足を前に出そうとしたら硬直して
へんなかっこうで立ち止まっているときの
わたしの気持ちがわかりますか!
12年以上、まともに走れない人間の気持ちが
どんなものなのかわかりますか!
どんなに不幸な人がほかにいようと、
他人から見てどんなに小さな悩みだろうと
わたしは苦しいんです。
わたしはなんのためにこのブログを書いているんだろう。
もう、人のためにブログを書けるほど
気持ちに余裕はありません。
また走れるようになるまで
ブログはお休みします。
みなさん、がんばってください。
わたしもずっとがんばり続けます。
あした、ひょっこり「走れるようになりました」
なんて言ってブログを再開できることを
心の片隅で願いながら、
その日が来るまでさようなら。