おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

台ケ原宿~教来石宿~蔦木宿~とちの木。その3。(「甲州街道」をゆく。第12日目)

2017-11-17 22:30:40 | 甲州街道
                          眼下に田園風景が広がります。
              
(11:26)明治天皇が通ったとき、田植えが行われていて、それをご覧になったという記念碑があります。大きな台座に大きな記念碑。
「明治天皇御田植御通覧之趾」。明治13年6月23日のことです。

「上教来石」。

晩秋の趣。

 (11:35)左手には立派な碑。「御膳水跡」碑。
 明治13年、明治天皇がご巡幸の際にこの細入沢の湧き水をお飲みになり、お誉めに与かりました。

 現在は、涸れ沢になっているようです。
 紅葉の盛り、静かな道筋。

(11:38)国道に合流します。

すぐに右手の道を進むようになります。

「白州町観光名所マップ」。

豪壮な造り。

(11:51)しばらく進んだ右手に「山口関所跡」。
  
町指定文化財(史跡)  山口関所跡
 甲州二十四ヶ所の口留番所の一つで、信州口を見張った国境の口留番所である。
 ここがいつ頃から使用されたかは不明であるが、天文十年(1546)の武田信玄の伊那進攻の際設けられたという伝承がある。「甲斐国志(1814)」によれば、番士は二名で近隣の下番の者二名程を使っていた。当時の番士は二宮勘右衛門・名取久吉で名取氏は土着の番士であったが、二宮氏は宝永2年(1705)に本栖の口留番所から移ってきた。
 この番所の記録に残る大きな出来事に、天保7年(1836)郡内に端を発した甲州騒動の暴徒がこの地に押し寄せた折、防がずして門扉を開いた判断をとがめられ、番士が「扶持召し上げられ」の処分を受けたことである。番士のうち二宮氏は再び職に戻り、明治2年番所が廃せられるまで勤め、明治6年に設けられた台ヶ原屯所の初代屯所長に起用されている。
 今は蔵一つを残し地割にわずかなおもかげを留めるのみであるが、番所で使用した袖がらみ、刺股、六尺棒などの道具が荒田の伏見宅に残り、門扉一枚が山口の名取宅に保存されている。

「西番所跡」碑。
天保7年8月百姓一揆時に開門、その責任をとり名取慶助は若尾に改姓、明治4年廃藩により廃止 1992年 若尾法昭

来た道をふりかえって望む。

その先、直線道路が続きます。 

次第に「国道20号線」に近づいていきます。

 ふりかえって望む。

 「新国界橋」の手前で合流。旧道は国道を突っ切ってそのまままっすぐ進んで、「旧国界橋」を越えていたようですが、その道を行くと再び国道と合流する手前、動物除けの高圧電圧が流れる「感電ゲート」が設置され、そこをくぐり抜けるのは大変危険なため、不可能なようです。したがって、そのまま、「新国界橋」を渡って長野県入りとなります。
 国道の向こう側にかつてはコンビニがあって(現在、立入り禁止)、その駐車場の脇に、教来石出身の山口素堂の大きな句碑があって、有名な「目には青葉 山ほととぎす 初かつお」の句が刻まれていましたが、撤去されたのか目に入りませんでした。



左手奥の方に見るのが、旧「国界橋」。

(12:06)いよいよ長野県・富士見町へ。

旧道に架かる「旧国界橋」。

旧道。ダンプカーの先に「感電ゲート」があります。

(12:13)「下蔦木」交差点を過ぎ、しばらく進んで右手の急な上り坂に入ります。

すぐ右手に「日蓮聖人高座石」解説板。
 富士見町指定史跡
日蓮上人の高座石
 文永11年(1274)三月、流罪を赦された日蓮上人は佐渡から鎌倉へ帰ったが、その後、甲斐国河内の豪族波木井氏の庇護を受けて身延に草庵をつくることになった。その合間に、上人は甲斐の逸見筋から武川筋の村々を巡錫した。下蔦木(当時は甲斐領・蘿木郷)に立ち寄ったのはこの時である。
 伝承によると、当時、村には悪疫が流行し村人が難渋していたので、上人は三日三晩この岩上に立って説法とともに加持祈祷を行い、霊験をあらわしたという。その高徳に村人はことごとく帰依し、真言宗の寺であった真福寺の住職も感応して名を日誘と改め、日蓮宗に改宗したといわれる。また、このとき上人が地に挿して置いた杖から蔦の芽が生えて岩を覆うようになったとも伝えられる。その後、日誘はこの高座石の傍らにお堂(後に敬冠院と呼ばれた)を建てて上人をまつり、近郷への布教につとめたという。

 富士見町指定天然記念物
敬冠院境内付近の樹木
 敬冠院境内と付近に現存するサルスベリ、ヤブツバキ、シュロ、ビワなどの樹木は、冬もあたたかな暖帯に生育する植物で、当地方のような高冷地で数種がこれほど大木に生長していることはきわめて稀である。
 とくにサルスベリは推定樹齢200年と目され、これほどの大木は近隣に類例がない。

                              平成11年3月        富士見町教育委員会

 
                          (12:30)モミジが敷き詰められた境内で小休止。
            

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする