おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

沼津藩領境傍示杭。松長一里塚。・・・(三島から片浜へ。その5。)

2014-12-17 23:02:13 | 旧東海道

 再び、旧道に戻って西に向かう。まだ2時過ぎ。それでも、9時過ぎから、途中、コンビニのおにぎりを食べただけで、ほとんど休まずにここまで。そろそろくたびれてきた。

 「六代松」の碑は道の反対側にあった(あるはずな)ので、見逃してしまう。
 県道を横断。この辺りの地名は「間門(まかど)」。

 昔、この地南の浜で閻魔大王像の首が網に掛かり、首の後ろに「天竺摩伽陀(てんじくまかだ)国」と彫られていた。村人は、堂を建て、胴体手足を造り像にして安置し、お祀りしたとの言い伝えから地名が付けられたといわれる。また、アイヌ語では「マカ」とは開く、「ト」とは湖水を意味するが、間門の地名は、往古の地形なり、土地の役割に由来しているのではないかという説もある。  沼津市

 東間門の交差点を直進する。

右奥の道。

  
 「従是東・・・」。

 しばらく進むと、右手に「沼津藩領境傍示」の石碑。下石田には、「従是西沼津領」と刻まれた高さ2,12㍍の傍示杭が完全な形で現存しているので、「従是東沼津領」と判断できる。石質、字体、寸法等すべて同一で、同時に立てられたものであると考えられている。

  

 ここからしばらくは、まっすぐな道を西へ向かう。周囲は住宅街。けっこう歩いて行くと、右手のブロック塀の一角に、「松長一里塚跡」碑。日本橋から31番目の一里塚。

  
                        最近建てられたものらしいが。

来た道を振り返って望む。

 この付近になると、行き交う車も人もほとんどいない。商店などもなく歩くのみ。時折り、

しゃれたログハウス。

「旧東海道」の表示が唯一の実感。

 まもなく右手奥にJR「片浜」駅。道はまっすぐに西に向かっていく。今回は、ここまでしよう!
 あてにしていた「富士山」がほとんど雲の向こうに隠れていたのは、誤算でした。

 たくさんの先達の方々の記録を参考にしながらの旅。どれも参考になります。特に、次の二つ。



「http://www41.tok2.com/home/malts/tokaidoichiriall.htm」。

 2005~2006年の記録で、現在とはかなり実際の様子は異なっていますが、コース・タイムなど細かく記録されていて(若い方のようで小生のような年寄りとはいくぶん早いペースのような気がしますが)、行程を立てる上での参考になります。


「平成の旧東海道(日本橋~京)を歩く 平成19年4月~平成21年4月の旧東海道を記録する」
「http://www5c.biglobe.ne.jp/~naka-boo/Toukaidou/toukaidoutop.htm」。

 旧道の道筋、分岐点などが丁寧な図で明確になっていて、道に迷うことがなくてすみます。

 他にも「ご夫婦での旅」、「同好の士との旅」の記録など、たくさん参考にさせていただいております。

 道中に関係する県、市、町、観光協会の公式HPなどは、計画段階や旅行後の記録確認に役立っています。今後とも参考にさせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする