西都モノクローム

西都大好きな市議会議員が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

The news paper

2011-04-14 23:09:56 | 日記
毎朝の私の仕事は郵便受けじゃなく、私の愛車(実用自転車)のフロント籠に入っている新聞を取ることから始まります。
何故か我が家に新聞を届けてくれる方々は、籠に入れてくれるんです。

それらの新聞(我が家は宮日と毎日をとってます)を見ながら、朝食です。
これがないと、朝を迎えた気がしません。

気になった記事は万年筆で囲みを入れて、2.3日後に切り抜きスクラップです。
そうやって集まったスクラップは知の宝庫ですね。

インターネットもよく見ますが、情報で大切なのはどれだけのフィルターをくぐってきたものかだと思っています。
少なくとも新聞は色々なフィルターをくぐり抜けた情報だと判断して読んでいます。
(勿論、片方の情報だけに依存し、対するもう一方の情報を得ることなしに記事になった事があるのも経験しています)

それでも、一日の始まりに朝刊を読むことは快感に感じている私です。

話は変わって、地球環境に良い(主にCo2の面で)と喧伝されていた原子力は、今回の人災で転換期を迎えようとしています。
私はエコは大切な事だと信じているし、それをなるたけ実行しようと思っているのですが、近年エコはオール電化という風潮にどうも納得できませんでした。

建築を生業にするものとして、理想の家の姿ってなんだろうと考えることがあります。
その私の理想に、完全断熱=強制換気=オール電化はちょっと違うんでないかいと思っていました。
昔から、「家は夏を考えて造るべし」と言われていました。
それは高温多湿の時期に通風を考えた家の姿が真の形につながると言うことだと思っていました。
そして、家こそ地産地消じゃないけど、マスプロじゃないその地の材をつかい、そこに住んでいる大工に作ってもらい、そこの風土にあった家を志向するのじゃないかの思っています。

全国を旅行して、車窓から見える家並みに変化がない事は、ある種グロバール化のもたらした悲劇です。

またまた話が飛んじゃいましたが、今日の教訓を導き出す状況は、福島原発に端を発した人が住む上で理想の姿形はなんだろうかと、国民が考える起点になったことを認識する事じゃないかということです。

「幸せってなんだろう」と自ら問い直すことが出来る、また「幸せの形を押しつけられない」機会が得られたと考えたいです。

で、今日の宮日にこんな文が載っていました
「この世でもっとも幸福な人は、零細な富を持って足れりとする人である」
ラ・ロシュフーコー(言葉巡礼より)

私は言いたい、帳簿を見てため息をつく妻よ!、帳簿を見て恨めしそうに僕を見る妻よ!
The news paper 宮崎日日新聞にはこんないいことが書いてあったよ。
コメント
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