西都モノクローム

西都大好きな男が、徒然なるままに街のこと、写真のこと、空手のこと語ります。

空手の話し⑦とお酒の話し

2010-06-30 22:49:17 | 日記
最初のお酒の記憶はなんだったろう。
母が飲んでた養命酒(お酒の範疇にはいればですが)、居間にあった父が大切にしていた洋酒、父の目を盗んですすったビール・・どれにしても、まずかった。
大人はなんでこんな不味いもの、おいしそうに飲むんだろうと不思議でした。

さて大学です、空手の練習が厳しいのはうすうす気付いていましたが、お酒の場が心配でした、今でもよく事件になる、お酒の強要による急性アルコール中毒で体の弱い私は死んでしまうのじゃないかと不安だったのです。
所属しているのは体育会です、それも空手道部です、初めてのコンパ(飲み方のことです、当然ながら今はやりの合コンみたいな女の子のいっぱいいる華やかさ(今でもこんなの参加したことがない、畜生!)はまったく無い、男ばっかりの超むさ苦しい飲み方です)の前、どんな飲まされかたをするのか心配になった私は、防御策をとりました。(空手部のコンパはでっかいお皿になみなみと酒をつがれ、飲み干すまで許されないイメージがありました)。
胃壁にアルコールの吸収を防ぐ膜を張ればいいと聞いた私は、牛乳を1Lのみ、チーズを買って食べました。
食べ慣れないものを急に食べるたので、お腹の調子が悪くなりました。
下〇ピーになりました。
そんな最悪の状況で迎えたコンパでしたが、よく考えたら大先輩達(もう十分大人です)、教授たちがそろう会で、そんなむちゃくちゃな飲ませ方が起こるはずもなく、普通(?)の飲み会でした。
ただ最初に幹部から「今日は無礼講だ、楽しく飲め」とは、言われますが下級生に無礼講を破る勇気のあるヤツなどいなかったけれど。

空手部らしいコンパの風景と言えば1.2年生は始まる30分ほど前から、お店の前に整列します。
服装は勿論学ランです(ちなみに、大学内でも空手部は学ランです、服に回せるお金のない私にとっては幸せでした。
学ランは最初は高校の制服、半年後に4年生の角岡主将の裏地に龍がある学ランをもらい受け、着ていました)立ちながら必死でまわりを見張ります、先輩やOBを見つけたら、でっかい声で「押忍!!〇〇先輩」と声を掛けなければいけないのです。
今考えれば(今考えなくても、あのころも周りのサラリーマンやOLなど気味悪がっていました)異様な風景です、まれに声を掛けそびれると露骨に機嫌の悪くなる先輩方がいて、必死でした。
無茶な飲ませ方はされなかったけど、肝心な下級生は飲み方を知らないものだから、とんでもない酔い方をしていました。
吐くのは当たり前、のどが胃液で破れ血を吐いたり、酔って先輩の部屋の便所と押し入れを間違えて布団にお〇っ〇したり、2階から飛び降りたり・・ぞっとしますね。

男ばっかりだから盛り上げ方に一工夫があります、それは春歌を歌うことです、この日のために平安の型(松濤館の基本型)と同じくらい春歌の稽古をしました。
いやー歌いましたね、青い山脈・数え歌3-4種類・近くの女子大の替え歌etc・・。
うーーむバカです、男だらけという極限の状況のなせる技でしょう。
今つくづく思います、男子中学校、男子高校、男だらけの大学空手部・・このブログの題と同じ、哀しいモノクロームな青春時代でした。(青春を返せ、バカ野郎)
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復興イベントの実行委員会

2010-06-29 21:38:46 | 日記
東九州自動車道が無料になりました、昨日の報道では通行量は5割り増しとの事です。
一時期青年会議所に在籍したとき、この道路実現のため、いろいろと行動(九州は一つ・・・、早くつきたいあなたの・・、シンポジュウム・・など)しました。
それで、私は宮崎空港より南に行く時はほとんど利用しています、時間の誤差が無くまた40分ほどで着くからです。
ただ道路が整備されたおかげで、宮崎市の北側は一般道路でも30分ほどでつきます。
それでは南宮崎方面へはと思って、さっそく走ってみました。
早いですね30分で着いちゃいました。
これで宮崎市内どこでも30-40分でいけちゃうことになります。
西都は宮崎のベッドタウンとして有力な候補となりました。
今日通行して思ったこと、通行量はやはり増えている、高速通行慣れていない方が多い、ETCカードを持っていない方が多かった(改札で列をなしていました)。
もしずーっと無料なら、宮崎へは佐土原、清武、などの周辺ベッドタウンより、西都は車交通環境では良いと言えます。

さて夕方口蹄疫で疲弊した西都市を元気づけようと企画している、復興イベントの第二回実行委員会がありました。
発起人の高瀬さん、市原君、志田君を中心に商工会議所村上副会頭、市役所、JA青年部、市議会、青年会議所、商工会議所、同青年部、商店街代表など、で熱のこもった会議がなされました。
期日は予定として(口蹄疫の状況次第ですが、7/16にもし安全宣言が出たなら)即7/17に行おうと決めました、企画は今から練っていきます、とにかく口蹄疫で疲弊しきった町を、復興するんだと言う熱い気持ちが感じられました。
私たち市議会も黒木吉彦委員長を中心に精一杯お手伝いします。頑張ります。
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考えていこう

2010-06-28 21:56:32 | 日記
「口蹄疫に対する迅速な支援対策の実施を求める意見書」を作成する為に、私は商工部(2次3次被害を受けている)の現状を知ろうと、何人かの店主の方々に話を伺いました。
やはり影響はとんでもなくありました、特にひどかったのが、会合等多人数を扱うところ、観光客(西都市外のお客さんを含む)をターゲットにしているところです、キャンセル、キャンセルの連続だそうです。
早く安心して、また堂々と外出が出来るようにならないと、直しようのない傷を負ってしまうのではと心配しています。
そうならないために、私たち議員も意見書を送付し、また多くの人の要望を聞き、直接国に伝えていこうと考えています。                                                             
その中で心にしみたことがあります。
商店街の店主は大打撃を受けています。
恨み言の一つも言いたいのではと思いました。
マスコミには直接被害を受けた畜産業者の補償のことが主に報道されるからです。
ある店主と話していたとき「そりゃ、私たちは大変だよ。でも畜産業者はお金だけでなく精神の部分も痛手を負ったんだ、早くその人達を助けて欲しい。私たちは補償(勿論のどから手が出るほど欲しいと思いますが、畜産業者のような補償は無理でしょう)よりも、早く以前の状態に戻って欲しいと思う」といいました。

自分たちが苦しんでいても、より苦しんでいる人たちに心が寄せられる。
また進んで募金やボランティアに参加する、聞きながらジーンとしてしまいました。
こういった災害が終息に向かい始めると、いろいろと不協和音が出てきます。
こちらの方言で「しょにむ」というそうです。
人と比べて、文句を言い出すと、小さな市がバラバラになります。
それこそが本当の災害です。
私は思います、早く終息して(協力が必要です、ある方々には忍耐を強いることになるかもしれません。それでも尚・・)直接被害を受けた方々の補償をきっちりとして、補償を受けた人たちは、2次3次被害を受けた方々の痛みにより沿い、そこにお金を落とす経済活動を起こす。市内、市民が一丸となって復興に向かう、それが出来れば、素晴らしい未来があるような気がします。
私たちも微力ながら、復興の起爆剤となる方法を探り、実行していきます。

あと少しです、力を合わせて頑張っていきましょう。
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お酒の話しの続き

2010-06-27 21:51:27 | 日記
「アブサン」の香りでいろんな事思い出しました。
私の通った大学は留学生が多いところでした。
東洋の神秘である「KARATE」に興味のある学生も多く、いろんな留学生が短期的に部員になりました。
アメリカ人・オーストラリア人・韓国人・メキシコ人などなど一緒に空手の稽古をしました。
仲良くなった留学生もいます(ここでも、空手を稽古する留学生は男ばっかりでした)メキシコ人の留学生が下宿に遊びに来ました、背は私と変わらないけど、胸板がめちゃくちゃ分厚い男でした。

空手部名物寒中稽古が有りました、真冬のプール(ある年は薄く氷が張っていました)に浸かり、基本稽古を繰り返すものです。
いったいそれがなになると思われる方がいると思います、私も言います「いったいそれが何になったんだ」分かりません、空手の技はその稽古によって鋭くなったとは思えないし・・。
でも、記憶にはくっきり刻まれています、生きるという事は、如何に記憶を積み重ねるかと言う事になれば、それは素晴らしい経験でした。
とにかく寒さを感じないようにするには、バカみたいに必死の力を入れなくては暖かくなりません。
そうすると、冷たさを感じなくなります。
でも上がって暫くすると歯の根が合わないくらい体が震え出します。
で、隣のメキシコ人を見ていると平気な様子です。
それも鼻歌を歌ってる見たいに平気です、外人は体が日本人とそもそも違うんだと思いました。
で、その後(多分この後だったと思います)下宿に来たわけです、彼はおいてあるアブサンを見つけ、飲ませろと言いました。
私の心は「こいつ、これがどんなに強い酒か知らない・・ぐふふ(笑)」で飲ませました、アブサンはリクキュールですから飲み出しは甘く感じます、でもその後がーんと効いてくるわけです。
彼は平気で飲みました、全く平気です。飲みほしてしまいました。別の酒を(角瓶だったかな)のみ、帰って行きました。
私の教訓「メキシコ人の前でお酒が強いなどと言わないようにしよう」を書き留めました。                                                                           
お酒の思い出②「太郎物語」高校時代NHKでTVがありました、三浦朱門、曾野綾子ご夫妻の息子さんを題材にしたTVドラマです。
そのなかでお母さん(曾野綾子さん)が(もしかすると父だったかもしれないけど)太郎に進学のことで言います、それはこういう内容でした、東京にもいっぱい良い大学があるのに、なんで地方都市の名前も知らない大学にあなたは行きたいのと聞き、太郎は学びたい学科がここにあるんだと切り返しました。
ドラマの中で、その大学名は「北川大学」でした。
結構面白いドラマだった記憶があります、さて名古屋の南山大学という大学に進学した私は、高校の先輩(優秀な先輩で松下電器に入社しました)が卒業した後の下宿を借りることにしました。
隣の部屋は同じ大学のサイクリング部の2年先輩で、可愛がってもらいました。
彼と仲の良い同級生が良く下宿に遊びにきていました。
私も仲良くなり、ある時、彼の住んでいるところに遊びに行きました。
なんと彼の部屋は2DKー3DK(多分?)で分譲マンションに住んでいました。
場所は住宅地として名古屋で高級とされる(大学のあるところもそういえば高級住宅地でした)千種か名東区です。
彼の名前は太郎さんと言いい、ドラマのモデルになった方でした。
(そういえば北川をひっくり返すと南山になります)太郎さんは私に、ワイン飲むと言いました。
私は「はい、ワイン大好きです」といいました。
太郎さんがコップについでくれたワインは「赤」でした。
私は一口飲みました、それは渋く甘くもなく思わず「太郎さん、これ腐っていますよ」いいました。
私が今まで飲んでいたのは〇玉〇ー〇ワイン(それが、ワインだと固く信じていました・・田舎者です)だったのです。
太郎さんはバカな後輩を優しい目で見ていました。
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お酒の話し

2010-06-26 23:42:05 | 日記
夢たまごに行きました、今度行う予定の口蹄疫チャリチィーバザーの打ち合わせを清野憲一さんとする為です。
西都市美術協会が(以前ブログで話ししました)行います。
会員が小品(サイズの小さい、お求めやすいという事)の作品を持ち寄り、それを即売し、その売り上げ全てを義援金にするものです。
皆さん弥勒先生や清野さんや私の(誰か買って)珠玉の作品がお求めやすい金額で販売されます。
スゴイチャンスです、こうご期待。

またパオの高瀬さんと会い、今度の復興イベントの話しをしました。
いつやれるか(と言うか、出来るかですね)を計るため、県では押川県議、市では橋田市長と話しをしました。大体の日程(勿論感染の状況によっては変動あり)を掴みました。
実行委員会(6/29)で決がとれたらお話しさせて頂きます。
さて清野さんと話しをしていたら、お酒を振る舞う、面白い企画があり、その実験を夕方やるけど来ないと誘われました。
1も2もなく賛成です。夕方6時からの妻高サッカー部の総会に出てから参加しました。パオの斜め前のスタジオagataでやりました、ちょっとしたおつまみで、話しを楽しみながら飲むことが出来ました。
(こんなお店が出来ると良いな)清野さんに「凄く、おいしいスコッチが有るけど・・」清野さんの家に行きました、ブシュミルズ10年です、(前回ブログで書いたものです)その後アブサンが出ました。

私は早熟なくせに実行が伴っていない傾向があります。
高校時代水島慎二の「あぶさん」というまんがを見て、「アブサン」というお酒にあこがれを持ちました(飲んだら大人だという浅はかな考え)多分大学3年の時、栄町(名古屋の繁華街)で買い求めました。
わくわくして一口飲むと、丁字の香りの強い変なたとえですが養命酒のような香りと味でした。
その上、むちゃくちゃ度数が高くフラフラになりました。
でこれはまだ僕にはまだ早いと飲まずに(ちょびちょびとは、飲みましたけど)飾っておきました。でもあの強烈な香りと味は凄く印象に残っていたらしく、今日清野さんのところで飲んだら(美味いと感じましたよ)、その香り味で学生時代の事を思い出しました。で・・明日に続く
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