hiro’s

僕は何のために生まれてきたの?
誰かのために力になれてるかな?
思うことを言葉にしてみよう

愛娘 大学卒業

2024-03-24 19:44:38 | 日記
3月20日、春分の日。
僕は早朝、札幌に着いた。
娘の大学生活のスタートには、入学式が無かった。ちょうどコロナ禍の始まりの頃だった。

あれから4年、娘はよく頑張った。
せめて卒業式には出席したい。
僕の切なる願いだった。
職場にはコロナ患者が続々と入院してくるし、スタッフにも罹患者が増えてきた頃だった。

ホテルにチェックインする前に式典が始まる。僕は会場に荷物を持ち込み、トイレでスーツに着替え、ロッカーに荷物を放り込んだ。

羽織袴の女子がとても綺麗。
娘も去年の夏のうちに予約していたのだった。
会場に入ると、大学のブラスバンドが演奏していた。学生達の姿は保護者の2階席からは見えない。各学部の代表者に学位記が授与されていく。

今回、何が嬉しかったって、、、
僕の左隣の空いている席に、間違いなく、妻がいた。

一緒に並んで座っているこの感覚はとても自然で落ち着いたものだった。
本当に妻が来てくれたのか、僕が思い出した感覚なのか分からないけど、嬉しかった。妻とこのように子供たちの式典に出たのは、長男の小学校の入学式が最後だったから。

ブラスバンドの演奏のバックに流れる写真での思い出。見つめていると、涙が溢れた。

おめでとう!よく頑張った✨

式典が終わり、娘と再会。
ゼミの友達に囲まれている。
僕は記念写真を撮ってあげた。
そして、
娘の彼氏と一緒に写真を撮った。
娘との写真を撮る前に、彼と2ショット。

次に札幌に来るのは、いつになることだろう。

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54

2024-03-17 10:58:30 | 日記
昨日、54歳になった。
おっさんだよなぁ。
誕生日になる0時、僕は病院の職場に入った。この夜も忙しく、僕は患者のウンチと吐瀉物、コロナ患者と熱発患者に囲まれて54歳となった。
娘の卒業式には出席したいので、コロナに感染しないか心配しているのだが、今のところ大丈夫なようだ。

誕生日に観たテレビの報道番組。
そのテーマは「安楽死」。
日本では認められていない安楽死だが、それを認める国も世界にはある。多くの日本人も登録している団体がスイスにあり、番組はその団体を取材していた。

難病に苦しむ人がいる。
絶えない痛みに為す術が無い医療。
安楽死を望むフランス人男性は40代。彼に寄り添う妹。その二人を支える女性医師。望んだ死を目前に、荘厳な時間を過ごし、自ら薬の入った点滴のコックを開く。眠りと共に逝ってしまった。

パーキンソン病に苦しむ60代の日本人女性もまた、自らの強い意思に従って、その生涯を閉じた。あまりにもしっかりしているので、死を望むほど苦しいのか考えてしまうのだが、彼女は淡々と医師と対話し、自ら書いた脚本通りにそなのストーリーを全うしたというのが適当なのか。

命の尊厳。
安楽死とはこのような実状なのか。
深く考えさせられた。
おそらく僕は、反対はしないだろう。
今のところは…

54になった僕は元気だ。
だからこの1年もTOUGH & WILDで、
自分らしく生きていく。

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次男坊親子

2024-03-17 09:52:12 | 日記
3月12日、例年通り元妻に誕生日のお祝いメールを送る。
返信された元妻からのメールには、今日次男坊も無事に卒業したと記されていた。

中学校の卒業式は14日、高校受験の合格発表は15日というのが通常だったが、今年は12日だったのだ。

さて15日となり、僕は娘の卒業式に備えて散髪をしていると、メールが入っていた。次男坊、地元の公立高校に無事合格❗

よかったね。なかなか意思決定できずにギリギリまで悩んだことだろう。元妻と次男坊は、僕の知らない母子の時間をここまで一緒に歩んできたんだ。喜びもひとしおだろう。

入学式までの準備が大変だろうけど、折をみてお祝いを持っていこう。
この母子の世界に、僕の存在はほとんど無いのだが、元気でいてくれたらそれでけで嬉しい。

さあ頑張れ、次男坊!
よくここまで生きてくれたね。
ありがとう。
おめでとう✨



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お袋オペ終了

2024-03-06 17:44:48 | 日記
うちのお袋、右の変形成膝関節症でけっこうなO脚になっていた。
10年も前か、親父の介護で無理をした時に痛めたのが原因で、徐々に悪化していった。椅子に座りながらうたた寝するので胸椎の側彎症もある。

先月、整形外科で院長にオペを勧められ、その気になった。それは知り合いにオペをしたら見違えるようになったという事例が大きく影響している。

良くも悪くも人に大きく影響されるのがうちのお袋だ。何ならその知り合いと同じ病院でオペしたいと思って揺らぐ。こんなに親切丁寧に説明してくれるドクターを目の前にして。
ある日は痛みが全く感じられなく、階段の昇降もできたので、果たしてオペが必要なのかと病院に電話する。そういうのは2~3日様子をみてから考えるものだと助言し、感情で向こうを振り回すなと言うと、そう言われたと電話すると言う。

年をとると、考える力が弱くなる。
あまり構いすぎてもいけない。
できることをやってもらう。

家で「痛い、痛い」と言われるのがストレス極まりなかった。元来虚弱体質なので、「痛い」とか「疲れた」は口癖みたいに言うのだが、正直ストレスなのだ。加えてプシコの妹も同じように言うのである。

今日の8:30から始まったオペは11:40には終わった。予定通りである。特に問題も無かった。O脚は真っ直ぐになるだろう。これまでの痛みが軽減して楽になってくれたらいい。

明後日からリハビリが始まる。
頑張ってほしい。


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次男坊 高校受験

2024-03-05 20:36:58 | 日記
もうここまできたか。
養育費を毎月振り込んでいるのと、誕生日の夜だけは15分ぐらい会える次男坊。

昨年10月の誕生日では志望校が決まっていなかった。決まったら教えてくれと頼んでも教えてはくれなかった。受験の直前に僕からのメールでやっと分かった。そんなやりとりで今日を迎えた。

長男の時も娘の時も、力を出しきれるように祈ったものだ。次男坊もそれは同じ。

朝一にも応援のメールを送った。
なんだろうね、
無事に終わったよ~とか、そんなお知らせは無い。元妻から積極的にメールなり電話なり、連絡が来ることはない。

それでも、
次男坊が成長し、高校生になろうとしている。それは彼女が育ててくれたから。
次男坊が生まれてくれて、僕も鎖から解き放たれたのだ。また生きる意味を与えられた。
感謝している。

相手に期待してはいけない。
決めた道を淡々と進めばいい。
そういう自分を誇れればそれでいい。

次男坊よ、お疲れさま!

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