18歳で初めて就職した東京のU食品。
あの頃は関東の横綱なんて言われていたが、今はもう存在しない。
同じ寮生だったFさんは、岩手県は宮古市出身の先輩だった。真面目で優しく、性格も大人しい人で、僕より早く帰郷していた。
もう20年も前になるだろうか…
僕も田舎に帰って再出発を始めた頃、朝早くF先輩から電話が数度あった。先輩は悩んでいた。あの時僕は、どれだけ力になれただろうか。
それからあの大震災があった。
宮古市は津波の被害が甚大だった。
僕は新聞の記事で先輩の安否確認をしていたが、実際に電話することはできなかった。
怖かったのだ。
もしも津波に飲み込まれていたらどうしよう…
震災から10年が経った。
先日のニュースでは、青森と岩手を繋ぐ素晴らしい道路も完成したとのこと。
僕は先輩の家を訪れる決心をした。
まずは家の固定電話にかけてみたが、どうやら違う家にかかったようだ。
東京で共に働いていた別の先輩に連絡してみるも、そちらへも繋がらず。
これはもう、直で行くしかない。
幸い今月は土曜日に時間がつくれる。
9月10日、決行。晴天に恵まれた☀️
古いナビのデータで行くも、途中から新しい「三陸道」に乗れた。ノンストップでぐんぐん走れる。
宮古北で下りると、先輩の家は近かった。確かに海はすぐそこだ。
Googleアースとは便利なもので、3ヶ月前のデータである家の写真は築うん10年の佇まいで津波の心配は感じられなかったし、実際にも同じアングルで見つけやすかった。
玄関を開けると男性の老人がいらした。
先輩のお父さんだろう。かなり認知も入っているようだ。なかなか噛み合わない。
でも、先輩は仕事に行っているとのこと!
運良くパトロールだろうか、警察官も来訪。事情を説明すると、個人情報だから教えられないとは言うものの、その言葉の裏には先輩が住んでいることは判った。
良かった❗先輩は生きていた✨
これが確認できれば大収穫だ。
泊まっていけというお父さんだったが、僕はお父さんを警察官に任せて、その家を後にした。
いつかまた来よう。
お父さんに渡した名刺は、先輩に無事渡るだろうか?
帰りの三陸道も快適だった。
海の幸も食べずに僕は走っていた。