5月に原稿を送っていた、整体の会報の記事が今月号に掲載された。
この青二才が43人目の整体師として、我が県からの初掲載。これで県内の同志から何かしらの反響があれば喜んで勉強に行きたいのだが、さてどうなることやら。
この会報が届いた日のお客さまは、昨夜一緒に夜勤をした同級生のY子。
同じ時代を生きてきたY子の空気感は僕はとても安らぐ。
僕はこの夜勤の中でひとつ、これまでの自分の型を破ってみた。
Y子は新興宗教を真面目に実践している看護師で、そのことは皆知っている。
彼女には僕の心の奥まで見せていたのだが、その夜は僕のことを思ってあるカードを差し出した。
その団体の御守りである。
50円で売っているらしいのだが、わりとお洒落なデザインのカードだった。無理に受け取らなくてもいいけど、僕の仕事や家庭環境に少しでも役立てばとの思いからだった。
ちょっと勇気を出したに違いない。
今までの僕だったら気持ちだけ頂いてお礼を述べるまでだった。なんか、気持ち悪いからだ。
小学校の時も同級生の男の子からそれ系のキーホルダーを貰ったことがある。嬉しくて親に見せてら、これはダメなやつだから捨ててこいと言う。うちには宗教があるのだから必要ないと。
僕は涙ながらにそれを近所の草むらに捨てた。
あの当時はお祭りに参加することもダメ。神社に行ったり鳥居を潜ることもダメ。罰が当たる、害毒がある、みたいな教えで他の宗教と交わることは許されなかった。
修学旅行で京都に行くのは仕方ないけど手を合わせたりお布施はしてくるなと。
小学生の時、とても興味があって神社でおみくじを買ったことがある。そして木の枝にそれを結んできた。もしかしたら僕は死ぬのかな、それともなんか悪いことでも起こるのかな?
そんなことを考えて不安な日々を過ごしたが、結局は何も起こらないというか、いつも通りの日常が続いた。
大人になってよくよく考えると、僕らの日常は様々な宗教を信じる人々が皆で力をあわせて日々暮らしている。思いのこもった物をやり取りしたり、時には命を預けて他宗教のドクターに手術をお願いしたりするではないか。
何なんだろう…
やはり心の問題だな。
まあ今回はY子の勇気と真心に応えて貰ってみた。さて、罰は当たるかな?(笑)
五十肩を患い始めたY子の肩は術後は普通に上がるようになった。継続してもっと楽にしてあげたい。
もっともっとオープンに自分を開いてみよう✨