キャパの「崩れ落ちる兵士」 NHKの明らかな思考操作
洗濯機と並ぶ怠惰な国民の必需品は“洗脳機”、つまりテレビであるとわたしは思っている。先日家内が見ていたNHKドキュメンタリー「沢木耕太郎 推理ドキュメント 運命の一枚 ~"戦場"写真 最大の謎に挑む~」をパソコンの仕事をしながら、ちらちらとつい最後まで観てしまった。
話は、キャパのあまりにも有名なあのスペイン内戦で撮ったという「崩れ落ちる兵士」の真実を求めて沢木耕太郎という作家がスペインの現地に足を運び、ついにその真実をつかむという内容である。NHKの解説によると、「ネガは勿論、オリジナルプリントもキャプションも失われており、キャパ自身も詳細について確かなことは何も語らず、いったい誰が、いつ、どこで撃たれたのか全く不明なのだ。キャパに魅せられた沢木耕太郎氏は、20年近くこの謎を追い続け、今意外な「真実」にたどり着こうとしている。」
結論は、この兵士は撃たれても、死んでもおらず、兵士が足を滑らせたところをたまたま撮っただけであるというものだ。これをこの写真と同日に撮られた何十枚かの写真と現地の地形との比較検証などによって明らかにしていくのだ。1936年当時のこの日にはその場所では記録上戦闘はなく、他の写真もこれが実戦ではなく、のどかな演習風景の一部であることを裏付けている。なんだか、これだけですでに”やらせ”である疑いは十分ではないだろうか。
NHKのテレビカメラは沢木耕太郎が現地住民やスペインの軍関係者に通訳を使ってインタビューをしている様子を映す。彼は現地の地形写真や当日の他の写真を使って日本の専門家にカメラと人物との位置関係をCGで再現させる。そして、やはりあの伝説の写真に写っている兵士が実際は撃たれても死んでもいないことを”実証”していくのである。
見終わって、なるほど、また現代史の神話の一つが暴かれたのかと思った。しかし、どうも引っかかるものがあって、"Capa, falling soldier, fake" のキーワードでグーグル検索してみると、出てくる、出てくる。何のことはない、40年ほど前から欧米の写真家のあいだではキャパの "The Falling Soldier" は fake(やらせ) であることが常識になっているではないか。そして単なる言いがかりではなく、証拠も山ほど積まれているのである(そのほとんどは英語であるが)。最近新しく同日に撮られた写真がまた出てきたということだが、そんなものが無くてもすでに十分に”クロ”だったのである。要するに、お恥ずかしいことだが、わたしが無知だっただけである。
問題は、このNHKドキュメンタリーでは沢木耕太郎がまるで世界で初めてキャパの「崩れ落ちる兵士」が“やらせ”であることを突き止めたかのような構成になっている点である。まるで沢木耕太郎の手柄であるようなドキュメンタリーである。この番組を観たわたしのような無知な日本人がそう思い込むように作られている。わたしはこの沢木耕太郎という作家のものは今まで何一つ読んだことはないし、この作家に対して何一つ先入観は持っていないつもりだ。この人物は調べてみると作家であり写真家でもある。そしてキャパについて書かれた英語の本の翻訳も何冊かしている。つまり、彼は“やらせ”説が昔からすでにあって十分な証拠があることも十分知っているのである。最近になってNHKと一緒になって真実を突き止めたというのではないのだ。しかし、日本の大衆にあまり知られていない”真実”を、あたかも一人の日本人が“現地調査”によって、ついに解き明かしたかのような、いかにも日本の視聴者が喜びそうなドキュメンタリーに仕立てている。しかし、その“真実”が海外の数多くの人々によってすでにほとんど明らかにされているという事実を伏せているのは恩知らずで不誠実ではないだろうか。恥ずかしくないのだろうか。それらをさんざん利用していながら、日本の一般の視聴者の無知に付け込んで自分一人で解明した顔をしている。世間ではこれを“パクリ”と言う。
沢木耕太郎は、キャパが弱冠22歳のときに発表した“やらせ”の「崩れ落ちる兵士」によって時代の寵児になり、その後その「崩れ落ちる兵士」について語ろうとしなかったことについて番組の中で非常に同情的に語る。何のことはない、沢木耕太郎自身、海外の“やらせ”説のパクリをしていながら、番組ではそのことには一言も触れないのである。たしかに、同情的にに語るはずだ。NHKの解説はこう語る。「番組は、沢木さんの新事実発掘と思索の旅に同行、さらに最先端のCG技術を駆使し、「崩れ落ちる兵士」がどのような状況で、そして誰の手によってカメラに収められたのか、世紀の謎に迫っていく。」“世紀の謎”が彼によって解き明かされたわけである。“やらせ”というウソを、海外の諸説の“パクリ”というウソによって、自分が独力で実証したフリをしているのである。なるほど、キャパに共感したくなる気持ちもよく理解できる。同類ではあるが、キャパは22歳の若造だったが、沢木耕太郎は、調べたら何と66歳ではないか。しかし、どうして”写真家”という人種はこうも”ウソ”について無感覚なのであろうか。おそらく写真でいくらでもひとを騙せることに味をしめてしまうと感覚がマヒしてくるのだろう。これはテレビという映像でも同じだ。
“パクリ”の話は以上にして、今度は沢木耕太郎の名誉のためにも、沢木耕太郎のオリジナルの説にも目を向けるべきだろう。それが公平な評価というものだ。彼は、「崩れ落ちる兵士」は撃たれたのではなく、兵士がたまたま足を滑らせたところをたまたま撮影したと番組の中で結論している。つまり、“ヤラセ否定説”ということになる。実にオリジナルである。しかし、わたしがネット上で見つけた以下の写真を見ていただきたい。これはフランスの雑誌に1936年9月に掲載されたものだ(上の二枚)。ほとんど同じ場所で別の兵士にも撃たれたところを演出して撮影しているのである。2つの写真のうち左のほうが“出来”がよかったので、こちらが有名になっただけである。そもそも兵士が撃たれた瞬間をカメラに収めるというのはそれだけで奇跡に近い神業である。ところがこの2枚の写真は2人の兵士がほとんど同じ場所で別々に撃たれたのをそれぞれ撮影したかのようである。“ヤラセ無し”だとしたら、もはや奇跡を超えていると言えよう。
二人ともなかなかの名演技である
しかし、沢木耕太郎の説のように「崩れ落ちる兵士」が“偶然”足を滑らせたのを撮影したものだとしても、右の写真のように別の兵士がもう一回足を滑らせた瞬間を“ヤラセ無し”でカメラに収めているのだとしたら、これはこれで大変な“偶然”であって、これも十分奇跡を超えているのではなかろうか。撃たれるのも転ぶのも予期しない一瞬の出来事である点では被写体としては変わらない。それでも沢木耕太郎は言い張るのであろうか、「兵士がたまたま足を滑らせたところをたまたま撮影したのだ」と、「そしてそれが2回起きたのだ」と。一般論として、同じ日の写真についてこう言えないであろうか。「ありそうにない写真が似た設定で別の被写体で2枚 眼の前にあったら、それらはヤラセである」と。「たまたま」ではないと、偶然ではないと。
1936年8月のある日、スペインのエスペホの丘にキャパは人民戦線の兵士たちといた。「それじゃ、今度はあなたにお願いします。さっきの方と同じように、撃たれたようにして倒れてください。あ、そうそう、今度は撃たれて苦痛な表情をしてもらえませんか?」キャパはおそらくこんなふうに言って頼んだのであろう。そして2人の義勇兵は人民戦線のためにはるばるパリからやってきた若いカメラマンの求めに応じたのであろう。自分たちを応援しにきてくれた”同志”の求めを拒否する理由がどこにあろう。
わたしがネットでいとも簡単に見つけてきたこのセット写真の重要性はわたしが言うまでもなく明らかであると思う。いかがであろうか。しかし、NHKの沢木耕太郎の番組ではこの写真は一切出てこない。なぜだとあなたは思うか。はっきり言おう!これを出してしまったら、全然 “推理”ドキュメント にならないからだ。推理の余地がなくなってしまうからだ。すでにそこに“答え”が存在していることが誰の目にも明らかだからだ。
さらに言えば、沢木耕太郎が主張する、この写真の撮影者が恋人のゲルダ・タローだという“新説”も吹っ飛ぶだろう。なぜなら、彼の説では恋人がたまたま義勇兵が足を滑らせたところ撮ったという前提だが、このセット写真はその前提が馬鹿げていることを示している。なぜそんな無理な前提を立てるのか?お教えしよう。女性をからめたほうが話としては“俗受け”して売れるからである。そして、彼の本が売れるからである。事実をねじ曲げてでも“売れる話”を作るのである。それをさも“最先端のCG技術”で解明された“事実”であるかのようにして“技術信仰”の日本人が飛びつきそうな触れ込みで、おそらく何十万人もの大衆を騙しているのである。(追記:こんなわたしの記事へのアクセスだけでも2万5千は超えているのだから、NHKのあの番組をみたひとが100万人いてもおかしくない)
もう1つ言っておこう。沢木耕太郎は、キャパの恋人、ゲルダ・タローのカメラのフレームは正方形に近かったと言っているが、それは研究者の間でも通説である。しかし、彼はこの「崩れ落ちる兵士」は実は恋人が撮ったのだが、キャパはそれを自分の作品ということにするためにプリントの上下を切って自分のカメラのフレームと同じ横長にしたかのような珍妙な説を展開している。あらためて以下の2枚の写真を見ていただきたい。彼の説通りで元の写真が正方形であったらどんな構図になっていたかを冷静に推定してもらいたい。ほとんど空と草地を撮ったような写真だったことになるだろう。それも2枚である。しかも左は足を滑らせた瞬間というかなり苦しい前提である。左はまあいいことにしよう、それでは、右の写真は何なんだ!?わたしは写真やカメラはまったくの素人だが、以上の推論はふつうの常識で十分である。
百歩譲って、ゲルダ・タローが撮ったとしてもいい。そうした場合、ゲルダ・タローがヤラセ写真を2枚撮ったということだろう。それだけのことではないか。“キャパ”という写真家はキャパ本人とゲルダ・タローの二人の合作の虚構の存在なのだそうだ。つまり、二人で一緒にヤラセを演出したということにすぎない。それをタローの作品をキャパが横取りしたような話はドラマ的な面白さをねらっているのである。
しかし待てよ、“横取り”ってことは“パクリ”ってことじゃないか!それじゃ、“パクリ”に始まり、“パクリ”に・・・? テレビは視聴者にじっくり考えるヒマを与えないので、ふつうのひとは引きずりまわされたまま騙されている。
自分たちの手柄であるように見せることによって、沢木耕太郎もNHKもこの番組で自分たちに大きな利益を誘導することができる。好評価を得て名前を売り、視聴率や本の売り上げのUPにつなげることができるというわけだ。先人たちの地道な調査や研究の表面に自分たちの“メッキ仕事”で見栄えを良くしながら地金を隠す。そしてそれを自分たちのオリジナルであるかのようにして“売っている”。
わたしの以上の“辛口”の批評を快く思わないひともいることだろう。真実は、常に一部の人々には不快である。なんでそんなにほじくり返すんだと思うひともいる。自分が騙されていたことを知っても自分の自尊心を守るために「別に問題ない」と言うひともいる。この作家のファンであれば、この作家についてのわたしの無知をいくらでもあげつらうことができるだろう。しかし、わたしはあくまでも一つの番組を論じているのである。
冒頭にも書いたが、これは“洗脳機”としてのテレビの宿命というか本質でもある。テレビ番組はすべて編集されている。編集とは操作であり、受け手である視聴者の無知に乗じた思考誘導であり、送り手にとっての利益誘導である。“真実”をエサにして自分たちのトロール網にイワシの群れを誘導しているのである。網に飛び込むイワシもいれば、飛びこまないイワシもいるというだけである。
<追記> このキャパの写真展が横浜美術館で開催中だそうである。NHKのこのドキュメンタリーとまったく無関係ということはないだろう。すると、相当数の関係者が潜在的にいるはずである。そうした“インサイダー達”がこの記事を読んで“不快”に思うことは優に考えられる。そして「わたしは全然そういった関係者ではないが・・・」と言いながら、イチャモンをつけてくるかもしれない。大歓迎である。
<追記2> わたしがNHKを目の敵にしていると思ったら大間違いである。NHKにはときどき本当にすばらしい人が驚くような番組を作る。わたしはその一人を讃え、歌まで作ってYouTubeで歌っている。英語版も作ってある。こんな歌は世界に一つではなかろうか。ぜひ聴いていただきたい。あなたの知らないすごいNHKがある。何だかんだ言いながらも、わたしがNHKを見限ることができない理由がここにある。
日本語版: http://youtu.be/VRmc9vKk6No
英語版: http://youtu.be/UJ70N8xLqV8
最初と最後にNHKに関する部分があるので、必ず最後までお聴きいただきたい。
<追記2013.8.12>キャパの「崩れ落ちる兵士」に関するYouTubeをアップロードした。(英語版のみ)
2015.12.14. 追記: 日本における ”キャパ神話” は沢木耕太郎が長年にわたって丹念に築き上げたもので、しょせん彼のメシのタネにすぎないでっちあげである。日本人の“夭折好き” に付け込んで “キャパ神話” を作り上げたのである。このことを知らない一部の一般大衆が真に受けて、沢木耕太郎の本を買って有り難がっているだけの話である。一般大衆の無知につけこんで史実をゆがめた詐欺まがいのビジネスである。
それこそザウルスさんの「推理スペシャル」という感じです。最近ではこの手のスペシャルものが増えましたね。
記憶に新しいのは「アイルワース版モナリザ」、わざわざ北野武までMCに連れてきて二枚のモナリザと銘打って3時間引っ張って引っ張ったものはすでに発表されて久しいモナリザでした。
しかも今回のキャパスペシャルは横浜美術館の展覧会のステマです。
関連イベントにちゃっかり沢木氏の名前も掲載されております。日本人はおとなしいので(というかバカなので)、講演会は厳かに静粛のまま幕を閉じたのでしょうが、外国なら非難囂囂講演どころではありませんよ。
ますます受信契約結ぶ気がしなくなりました。
ザウルスさんの記事を通して、数多くの方がマスゴミの嘘というものに気づいてくれることを祈るのみです。
今回のNHKスペシャルの意義はあの写真がヤラセであるにせよ、ゲルダ・タローの作品である可能性を示したこと、そしてDデイの写真を始め、キャパの第二次大戦中の「無鉄砲振り」の理由を示してくれたことだと思います。
ただのヤラセではなく、夭逝した恋人の写真だったとすれば、なるほどその後の展開はドラマチックになるなーと感じました。
もちろん、違和感は感じましたよ。今さらヤラセなんて・・・。
また、「横浜美術館のステマ」というコメントには関心しました。
あの番組の後で横浜美術館の「二人の写真家」展の宣伝をすれば色々な意味で正しいテレビのあり方なのかも知れないですね。
ちなみに私は今回のNHKスペシャルに関係なく、「二人の写真家」展を見に行く予定です。
横浜美術館の展覧会の話も聞いていたので、連動した企画なのかと思ってました。
たしかに、仰る通りと思いますが、所詮この程度でずっとやってきてるんだろうなという気もして、うんざりしますね。
私どもは、『ガジェット通信』(http://getnews.jp/)
というウェブ媒体を運営しております。
ブログ記事『キャパの「崩れ落ちる兵士」 "NHK"のヤラセ』を、
たいへん興味深く読ませていただきました。
こちらの記事を、『ガジェット通信』に寄稿という形で掲載させて
いただきたいのですがいかがでしょうか。
尚、掲載の際には、元記事へのリンクも貼らせていただきます。
ご検討いただき、下記アドレスへお返事をいただけるとありがたく存じます。
post2012@razil.jp
以上、コメント欄より失礼いたしました。
ご検討のほど、よろしくお願いいたします。
-----------
ガジェット通信編集部
http://getnews.jp/
若干、攻撃的過ぎるかなぁという印象も無くは無いが、やはり相手がNHKという大きな相手ならこれくらいの気構えで書いてくださったほうが気持ちが良いです。
ステマではなく、タイアップという言葉があります。コンテンツを連動させて集客を図るやり方ですね。
さらに以前からの言葉で、協賛、後援といった言葉があります。美術館が潤沢な資金を持っているわけではないので、メセナに関心のある企業が出資をしたり、新聞社などメディアが協賛をして広告を載せたりして企画を実現・成功させます。
その目的は文化への貢献だったり、その企画についての記事や番組を連動して制作することに価値を見出したゆえの共働だったりします。それにより企画展示そのものと周辺のコンテンツが立体的に厚みを増したりします。
たしかにNHKのシナリオは陳腐だったり民放のタイアップは下劣で節操がなく、ヤダヤダとなるお気持ちもわからなくはありません。一方、企画展や映画にメディアが絡むこと自体はなんら汚いことではなく、通常のカネの流れです。隠されてもいません。
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2012/capataro/info.html 展覧会というビジネスの成功のために、賛同する人が資金を出す。紹介する。それにより何らかの権利を得たりする関係。株主と優待制度とおなじですね。
高尚・低俗かかわらずコンテンツ制作にビジネスが絡まないと思っているのならおめでたい。単によく知りもせずステマだのインサイダーだのとわめいているのなら、民放のタイアップとおなじくらい品のないことと思います。
ハメられたと感じてよほど悔しかったのでしょうが、「不勉強なりに調べてみたらあの説はとうの昔に語られていた。あたかも沢木氏が発見したかのような番組構成はミスリードすぎると感じ不快だった」で済む話です。
よく知らないならば、わざわざ書き直さず冷静に出典元を貼り付けて展開した方が、パクリとまで言うなら日時のわかる権威あるもの一本出してくれば、まだ説得力あるのに。イマイチ。番組そのものに絞った方がよかったと思います。わざわざメディアや写真についての無知をさらさなくていいのに。
というわけで私個人としては、お言葉をお借りするのであれば”(地金すらない)メッキだけ”、あるいはよくわからないものを集めてきた”合金”。もっと面白みを追求するならば、俄か知識とプライドという<エビ>に大きすぎるほどの<コロモ>を着せ、自家熟成の甘ったるい<タレ>に浸かって飯の上でドヤ顔してる”天丼のエビ”なんていかがでしょう!
そうですね、怒りの勢いは感じましたがユーモアも入れていただけるとさらに読みごたえがありそうです。陰謀説を謀るにも、論や芸があってのことですね。
とはいえ、おつかれさまでした。一般知識と論説そのものについてだけにしたのに、こんなに書いてしまうほど取り込まれてしまいました。
利益を増やそうとしたことが問題なんじゃなく、他人の手柄を横取りして金儲けしてるのを批判されてるだけで。
1を10にするのと0を1にするのとでは全然話が違いますよ。
確かにNHKを初めとする各メディアの''でっち上げ''や、''やらせ''は酷いものがあるし、それを批判したくなる気持ちは分からなくもないが、もう少し批判する対象についての情報を得てからの方が良いと思うよ。その程度のことも出来ないなら、「反論されるとファビョるだけのバカなネトウヨ」と同レベルということじゃないのかな?
「ビジネス、タイアップはあたりまえであるし今回のものはおそらくそうであるのに、ステマ扱いしてわめき散らすのはいかがなものか」
「手柄を横取りしたと言いたいのならもっとスマートで的確な指摘をした方が効果的なのに、パクリとわめき散らすことに一所懸命になって却って無知をさらしている」
ということではないのですか。パクリ(と捉えるかどうかはさておき)そのものの是否の話はしてないかと。
そもそもNHKを非難したいがために元の文がパクリとステマの話をごっちゃにしています。こんなに見てきたかのように滔々と語り断言している方がよほど悪性のステマではないでしょうか。批評だの真実だのと言うのであれば、客観性と責任を持っていただきたいのですが、上記の分はすべて「嘘偽りのない現実」として発信されてらっしゃるのですか?
視聴者の多くは分かって見ているのですよ。
日曜日の就寝前の刹那、酔って気持ちよく画面を眺めているだけなのです。
そんなに反論したり何かを暴いた気になって氏は何を語りたいのでしょうか?
仕事の合間にチラチラ気になってとか、前置き多過ぎです。
当然、こういう姿勢はこれだけではないです。
私は2011年に見た、「ギリシャで見つかった写楽の肉筆扇面画」のNHKの番組の内容がおかしいと思い、特集ページを作りました。要するに「明らかに贋作の作品を、真作として番組で宣伝した」というのは、タイアップの域を越えていると思います。
25,000人以上が見ていて1つもまともな反論がないかんじですね。インサイダーっぽいのもそうとう混濁してるし・・・
きちんとした反論がみたいっす!またきます。
ただ一点違っている点は、『やらせ』と『パクり』は、全く違うという点です。
『やらせ』とは、真実ではない事を、あたかも真実の様に、虚偽の表現をして放送する事。
『パクり』とは、誰かが他で発表したものを、あたかも自分のものの様に、表現して放送する事。
まあ…だいたい、こんな違いがあると思います。
それからすると、貴方が言いたい事は、『あの作品は、パクりである。』と言いたいのでしょうね。
しかし、『あの作品は、やらせである。』は…いささか、当てはまらないのでは?
だって、あの作品は、『やらせ』では、ないでしょう?
更に言うならば、『パクり』という事に関しても、いささか、疑問があります。
何故ならば、作品の中で、『キャバの、あの写真に関しては、真偽に関して、諸説ある。』と、ナレーションで言っていましたよ。
つまり、貴方が語る…『以前から嘘の写真という説があったという点に番組中には触れていない…』的な、事実とは、異なります。
私は、ある一人の、テレビディレクターです。
ただし、あのNHKスペシャルとは、全く関係はありません。
ただ、一人の、とあるディレクターとして、一人の表現者として、
貴方の書かれた論評が、余りにも、素晴らしいのにも関わらず、非常に悲しかったし、残念だったので、
コメントを書かせて貰いました。
どうか、
昨今の安易な批判的な風情の如く、
簡単に『やらせ!やらせ!』と、発しないで下さい。
(勿論!本当に『やらせ』があった場合は!
その『やらせ』に対して!大きく糾弾して下さい!)
悲しい事に、昨今…
テレビのレベル低下が囁かれています。
そんな状況下、貴方の様な見識者まで、
『やらせだ!やらせだ!』と、根拠の無い状況においても発すと…、
今以上に…
若手の表現者たちが、萎縮してしまい、
良い表現者が、そして上質な作品が、
更に、作りづらい状況に邁進していきます。
つまり、更にテレビ業界の衰退に拍車がかかります。
それは、私にとって、悲しい事ですし、
テレビを、まだ求めてくれている少数かもしれない方々や、年配者や、過疎地の方々には、やはり、悲しい事だと思います。
どうか、『テレビは反対!』的な、立場ではない、
正しい立ち位置での、叱咤激励的な、大いなる批判を、お願い致します。
すれば、テレビの表現者たちも、今以上に頑張れます。
何卒、宜しくお願い致します。
因みに、私は、あの作品を、やはり同じく、たまたま観て、
実は、とても感動しました。
確かに、キャバの嘘写真の諸説は、知っていました。
きっと、いや!絶対に!
沢木耕太郎氏も、知っていた筈です。
だから、その諸説を、現代の最先端科学に基づいて、検証しようという試みは、新たなアプローチだと思いました。
つまり、私的には、『パクり』でも、ましては『やらせ』とは、現在も(貴方の文章を拝読後も…)考えては、おりません。
諸説があっても、その諸説を、新たなアプローチで検証する事は、新たな発見になると、私は、考えます。
私の父は科学者なのですが、父曰く、この様な、新たなアプローチを新諸説とする事は、科学の世界でも、多くある事例だそうです。
さて、長いコメントの締めくくりとしては…
私が観た後、一番に感じた作品の感想は…
この作品で、沢木氏や、ディレクター(制作者)が、一番伝えたかったのは…
『あの有名な写真は、キャバの彼女が撮影したものであった!という真実を、
キャバは、どう捕らえ、感じ、その後の人生を、どうおくったのか?』
この事だと思います。
だから、それを考えさせられた、この作品に対して、
私は、このNHKスペシャルの作品に対して、
感慨深く、大いに!感動しました。
これが私の感想です。
勿論、同意見への共有を求めてなんかしていませんよ!
ただ、私的には、この作品は、『やらせ』でも『パクり』でもない!と、考えていますし、素晴らしい作品だと思っている事は、お伝えしておきます。
拙いコメントで、失礼致しました。
ともかく貴方様は少なくとも御自分の洗濯物は自分自身が洗濯機を使わずに洗ってらっしゃるでしょうね?と訊きたいですね。
まさか、奥様に洗濯機で洗わせている、自分で洗濯機を廻している…なんてことはないのでしょうね?
もしそうであったなら、普通最初の一文は思っていたとしても恥ずかしくて書けたものではないですものね。
チラチラ見ていた割にはガッツリ番組内容を把握してらっしゃいますが、真剣に観たことを隠すための余計な枕(言い訳)が非常にダサいですね。
御自分が洗濯機を使わない生活をし、それほど忌み嫌うテレビなるものを一切観ない生活をしている人が書く文章だと思いますが。
自分の好きな人物をけなされたと感じて怒っている人。
自分の仕事(または関連する業界)についてけなされたと感じて怒っている人。
AKBファンがけなされてヘイトスピーチを撒き散らすのと大差ないコメントであると、私には感じられました。
パクリ、やらせと分かっていても面白い番組はあります。
また、いくら頑張っても、つまらないものはつまらないのですよ。
教科書に載っていようが、知らない人は知らないのです。
あなたの価値観と他人の価値観は違うのです。
いやはや、2度美味しい記事でした。
確か番組の最初に「昔からニセモノ写真であるという説が有力だ」とナレーションで語ってましたよ。
確かに「今回初めて分かった!」みたいに見える構成かもしれないけど、別にヤラセやパクリでは無いのでは?
言うなれば今回の番組は、専門家を呼んで忠臣蔵は史実とは別物である事を検証してるようなモノだと思います。
何だか言い掛かりを付けてるようにしか見えないんですが…
揚げ足取りにもなっていないことに気づかず、鬼の首でも取ったように得意になっていますが、このブログ主は自分は洗濯機も洗脳機も使っていないとはどこにも言っていませんし、そうも読めませんよ。
「怠惰な国民の必需品は“洗脳機”」と言って、自嘲のヒネリを入れて自分も含めているに決まっているじゃないですか。これだけの論を展開するひとですよ。
そこがこの前フリの面白いところだとわたしは読みましたね。実際、少なくともテレビを見ていることはこの記事で十分明らかでしょう。そもそも「自分は怠惰ではない」とはどこにも言っていませんしね。
でも、“洗脳機” っていいですね。実感です。
1.まず、「問題は、このNHKドキュメンタリーでは沢木耕太郎がまるで世界で初めてキャパの「崩れ落ちる兵士」が“やらせ”であることを突き止めたかのような構成になっている点である。・・・まるで沢木耕太郎の手柄であるようなドキュメンタリーである。沢木耕太郎自身、海外の“やらせ”説のパクリをしていながら、番組ではそのことには一言も触れないのである。」と言う点について。
ナレーションで、「この写真は様々な憶測を呼んだ・・・」と言っているし、スペインの酒場らしいところで、ある男が「この写真はキャパが有名になるためにでっちあげた」と発言しているシーンも映している。確かに他の「やらせ説」を詳細に紹介しているわけではないが、普通に番組を観ていれば、誰も「世界で初めてキャパの「崩れ落ちる兵士」が”やらせ”であることを突き止めた」番組とは思わないはず。
2.「彼は、「崩れ落ちる兵士」は撃たれたのではなく、兵士がたまたま足を滑らせたところをたまたま撮影したと番組の中で結論している。つまり、“ヤラセ否定説”ということになる。」と言う点について。
なぜかこの点に強くこだわっていますね。自分でネット上で見つけた写真を貼って、これは沢木氏の言うような「偶然」ではなく「やらせ」であると。さらに次の記事の「・・・NHKのおごり」では、この「やらせ否定説」が番組の主張の2本の柱の一つで、信憑性の検証しないものを放送していいのかと、真っ赤になって怒っていますが・・・。
この点も、番組を普通に観た人ならすぐに理解できるはずですが、兵士が崩れ落ちた原因が「偶然」なのか「やらせ」なのかは、重要な点ではないのです。問題は、この写真が、「キャパ」が「戦場」で「撃たれて死ぬ瞬間の兵士」を撮った写真ということで広く知られてしまい、キャパが戦場カメラマンとしての名声を得てしまったということにあるのだから。実際には、「撃たれて死ぬ瞬間」の兵士でもなく、「キャパ」が撮ったものでもなかったので、キャパは、それ以上の戦場写真を自分で撮らなければならないという「十字架」を負わされたというのが、沢木氏の訴えたかったことなのですよ。
ちなみに、沢木耕太郎氏は、この番組の元となった「キャパの十字架」(文藝春秋2013年1月号掲載)において、あなたが「隠しておいたものを見つけてやった」と得意になって掲載ししている2枚の写真を両方とも掲載していますよ。ただ、話の流れからして、それほど重要でもないので、NHKの番組には出てきていませんが、沢木氏の主張は十分説明されています。
ということで、あなたは、1.「番組では一言も触れない」と、明確な嘘を書き、2.話の本質に関係のない部分がおかしいから、これは問題だと騒ぎ立て、まるで、あなたが日頃批判しているマスコミみたいなことを書いているのですよ。大丈夫ですか?
あなたの表現を借りるなら、「しかし、その“真実”が、「普通に番組を観ている」数多くの人々によってすでにほとんど明らかにされているという事実を伏せているのは恩知らずで不誠実ではないだろうか。恥ずかしくないのだろうか。それらをさんざん利用していながら、「番組を観ていないブログ読者の無知」に付け込んで自分一人で解明した顔をしている。」というところでしょうか?
と書かれた方へ
主の方が洗濯機もテレビも使ってないとは思っておりません。始めから。
ただ、普段下らないと思われているテレビを観たことへの言い訳は格好悪いです。
しかもテレビと違って家事の必需品である洗濯機も堕落したものであると書かれていますね。
主さんが、どんなお考えか知りませんが、洗濯機を使用しての洗濯だって大変ですよ。
御自分で手で全て洗濯されてないのならば、怠惰なんて言葉は簡単に使用していただきたくはないですね。
私もテレビはキライですし、極力観ないようにしています。が、自分がテレビ番組について何か書く場合、家族が観ていたのでとか、怠惰な必需品だのなんだのというみっともない枕はつけませんけれども
別に鬼の首を取った積りも御座いません。
貴方はこういう言い訳がましい導入がお好きなら良いではありませんか。
わたしのような写真史にも無知でテレビ制作の内情にもうといふつうの人間には、いくら「パクリに入らない」とかまくしたてられても、 ”騙された”感が残ります。
不勉強だからだよ、と言われれば、それまでですけれど・・・
明らかに悪意があっての放送でしょう?
それなのに擁護。気持ち悪いですね。
3.11以降日本人は少しはスピンドクターに懲りたのかと思っていましたが、まるで懲りていませんね。だめだこりゃ。
NHKの職員?とかまで思ってしまいましたけどね。
テレビ業界の方々の書き込みは番組作りの現場の人たちの考え方がよく出ていて、とても参考になりました。
どれもだらだら・ねちねちの切れの悪い強引な論理であの番組の必死の擁護と正当化ですね。つまり、自分たちもふだんあのような番組作りをしていますよ、っていうことなんでしょうね。あれを否定されたら、みなさん仕事ができなくなってしまうんじゃないでしょうか。
一つとして謙虚な反省がないですね。
わたしとしてはブログ主の、
「先人たちの地道な調査や研究の表面に自分たちの“メッキ仕事”で見栄えを良くしながら地金を隠す。そしてそれを自分たちのオリジナルであるかのようにして“売っている”。」
という指摘に我が意を得たり、でしたね。
誰1人として、名前を明記して、コメントしてないねえ。
責任を持たない安全地帯からの批評。
きっと、対面したら、何も言えないんだろうねえ。
無責任。無責任。無責任。
沢木さんとNHK取材班が見出したすごい発見だな、と思った人は多かったようですね。(私もそうでしたが)
そのように「勘違い」させる時点で、あの番組の健全性(?)が疑われると言えなくも無いでしょうね。
【NHKスペシャル】沢木耕太郎、ロバート・キャパの写真の謎にせまる。感想まとめる
http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/23068919.html
まあ、あの番組で、少なくとも9割以上のひとは騙されたと言えるんじゃないかな、この自分もふくめて。
ネットでこんなふうに発言しないような高齢者なんかは99%はだまされたままあの世に行くね。
その意味では“よく出来た”番組なんだろうね、あれは。このコメント欄に来た小松テレビディレクターが褒めていたのはそういうことなんだ。
兵士が実際は撃たれていなかったことをNHKと沢木さんが世界で初めて科学的に証明したなんて、そんなことどこにも言っていませんよ。冷静にあの番組を見れば、わかるはずです。
自分で勝手に勘違いしていて番組に文句をつけるのは筋違いでしょう?
もうちょっとましな批判かと思って見に来ましたけれど、ドキュメンタリーのドの字もわかっていないひとですね。もうちょっと勉強してほしいですね。
そのとおりと思います。
ですが、
ぼーっとあの番組を見ていれば、たぶんわからない
ということは先に私が引例したサイトからも明らかです。
そして視聴者の大部分はぼーっと見ている人たちでしょうね。
この記事を読んでいる人たちとは情報の受け止め方が異なる人たちです。
(つまりNHKからの情報は全てにおいて常に正しいと信じている人たち)
NHKは「公共放送」であり、中立性や客観性が民放局よりも厳しく求められています。
視聴者に誤解を生じさせる危険性が高い番組を流すことは止めてもらいたいですね。
今回のドキュメンタリーにしても、編集の仕方を少し工夫すれば済んだ話です。
ところで次の日曜日のNHK美術番組「日曜美術館」でも
この写真に関連した話題が取り上げられるようです。
ぜひ「冷静に」見てみましょう!
2013年3月3日(日) 9時00分~9時45分 NHKEテレ
日曜美術館 「二人の“キャパ”」
20世紀、最も偉大な戦場カメラマン「ロバート・キャパ」。
実はその名は、二人の人物が成功を夢見て作り上げたものだった。
名声の陰に隠れた一人の女性の存在に迫る。
この時代のカメラマンは、報道とつながっています。正方形のまま使われず誰かによってトリミングされてたとえば新聞に載ることは当たり前のことで、撮影者もそれを念頭にフレーミングしているはず。キャパの悪意によると断言するのは行きすぎだと思います。
専門的なことについては、トラックバックされてた方の記事がものすごく見識に富んでお見事でした。
この記事がバズってからご自分の写真も外されたようですし
内容に責任が持てないということなのでしょうか
言いっぱなしで検証・反証しないのはつまんないですね
なんか、強引な正当化ばっかしだったよ。沢木のグルーピーみたいだね。
同じ場所のあの2人の兵士の別々の写真があって、偶然足を滑らせたのを撮ったはないでしょ。いくら沢木耕太郎が自分の本では触れているって言ったって、あんな重要なのをどうしてあんな長い番組で出さないの?
上の業界サンっぽいのは「・・・話の流れからして、それほど重要でもないので、NHKの番組には出てきていませんが・・・」なんて言っているのには笑ったね。
どうしてこう往生際が悪いんだろうねえ。こういうのが日本のメディアの質を落としてるんだろうな。
歌のタイトルに「・・・NHK長谷川浩に捧ぐ」って書いてあるけど、このニュースキャスター、たしかトイレで自殺したんですよ。警察発表でも自殺だったと思う。やっぱ陰謀論のひとって執念深くて強引なこと言うから何でもそのぶん割り引いて聞かないとね。だいたい真実がどうのこうのっていうのは陰謀論者に多いんだよ。
次にディベートでは自分の主張を防御するために陽動(diversion)を行うことがあります。簡単に言うと、関係ない話をして論点を逸らすことです。これはあまりフェアな手とは言えませんが、反論者には非常にこれが多いですね。たとえば、テレビ番組が論点なのに「沢木さんは本ではちゃんと言っている」などです。ザウルスさんの場合、これはほとんどないです。
最後に個人攻撃(personal attack)について:これは陽動の一種ですが、非常にアンフェアで攻撃的な主張の典型です。議論の内容ではなく発言者のものとされる属性を不必要に焦点化して発言者のイメージダウンを図る意図があります。例としてこのコメント欄では「陰謀論者だ」というレッテル貼りがありますね。ザウルスさんも実は個人攻撃をしています。「・・・キャパは22歳の若造だったが、沢木耕太郎は、調べたら何と66歳ではないか」 これは年齢差別的な指摘です。これも個人攻撃の一種とみなされます。
「崩れ落ちる兵士」にはほんの申し訳程度に触れただけでした。「うるさいのがいるから深入りは避けよう」っていう感じでしたね。
沢木耕太郎の名前は一切ありませんでしたし、彼以外のひとへのインタビューで作った番組でした。
ここでの論議が多少影響したように思います。NHKもバカではないと思います。
以上、報告まで
まずこちらを見てください。NHKのHPにあるこの番組の紹介です。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/0203/
ここにはっきりと、「真贋論争の耐えない『謎の一枚』でもあった」と書いてあります。このことは番組内でも言及されています。つまり、この写真に疑義が持たれているのはいわば「常識」であり、沢木氏が新たに発見したというアプローチの番組ではないのです。この番組の目的は、この「真贋論争」に対し沢木氏が新説を持って一石を投じた、ということです。
その新説とは何かというと、①写真の兵士は撃たれたのでも撃たれたふりをしているのでもない。足を滑らせて転んだ。
②写真を取ったのはキャパではなく一緒にいたゲルダ・タローである。
この二点です。
49分という短い放送時間の中では全てを伝えきれなかったためにこういった誤解を生んだのだと思いますが、再放送の際にもう一度注意深く見る、または沢木氏の著書「キャパの十字架」を一読されることをおすすめします。
まず、沢木氏の説について色々と異論があるようですが、あなたが指摘している問題については沢木氏の「キャパの十字架」の中で全て解説されています。
確かにあのドキュメンタリーを観ただけでは、放送時間の都合上、全ては語りきれない為、そのような疑問が起きてしまうのも仕方のない事かと思います。そのように受け取られてしまうような作りになっている点については作り手側にも責任があるかもしれません。
ただ、これだけ批判をするのならばチラチラと見る程度ではなく、きちんと番組を見て、その上で事実を調べて反論していただきたい。ドキュメンタリーを見ていない人やキャパの事について何も知らない人があなたの記事を読んであなたの説を信じたとしたら、それがその人にとっての真実になってしまいます。
公の場で発言するという事はそれだけの責任が伴うものだと思います。
自分は沢木氏の説について、ドキュメンタリーと本を読み、100%の物証等はないものの信憑性が高いものだと思いました。20年以上も調べ続けた結果です。それをあなたのようにそれほど調べてもいない人間の発言で無になってしまうと思うと非常に憤りを感じます。
こういった記事を書くのであれば、そういった責任があるという事を考えた上で書いて下さい。
あなたの無知によって多くの人の誤解を生みます。
テレビのディレクターをやっているそうですが(正直信じられないですが)あなたのように適当な仕事をしているようでは、世の中に発信する仕事をする人間として失格だと思います。
反論があるようであれば、どんどんして下さい。
大歓迎です。
そして、もちろんあの番組も見ています。
はっきり言って、沢木さんは本だけにしておいたほうがよかった。
あの番組はたしかにちょっと気負いすぎかもしれない。おそらくNHKがイニシアチブを取って沢木さんを巻きこんだんだと思う。
このザウルスさんの突っ込みはかなりいい加減だが、たしかに一部当たっているところはある。それは認めるが、だからと言って沢木さんの今までの功績を否定することはできないと思いますよ。
元々の論がしっかりしていれば建設的な議論にもなろうが、陰謀説・擁護説と、殆どは氏の論評と姿勢の拙さをあげつらうものである。批判コメントを”関係者”と断定して嘲笑するのも浅はかすぎることだ。
テレビの話をしているのだから本まで網羅する必要はないとの声もあったが、ならばカメラにも報道にも詳しくない人間、”ちらちらとしか視聴していなかった”人間、など立ち位置に相応しい話に留めるべきである。
批評には責任が伴う。裏付けを取り、反証し、関係資料に当たり、自らの批評に妥当性があるかそのものを疑いながら組み立てる。それなくしてケチをつけるのはただの言い掛かりである。氏にそこまでする気がなかったのであれば、せめて番組の構成そのもののみへの批判に留めるべきであった。
都合のよいもの話だけを借りてきて、出来る限り貶めることがしたかっただけのように読めるのは私だけではないようだ。芸としては、使えそうな他人の話を引っ張ってきたところまで。その使い方、展開の仕方、文章は素人としてもうまいとは言えない。「批評」としては、そう名乗るべきではないくらいにはクソだ。
もっとも、個人で細々と運営するブログが偶々注目を浴びたということなら多少同情もする。しかしコメントはチェックしてからでないと上がらない形式の割に、本人からの反証も弁解も補足さえないのはいかがなものか。話題になることだけを目的にしているのだろうか?もしそうならば、最初から文責を引き受ける気などないのだろう。
いっそのこと「世の中の陰謀を見つけてきて暴くブログ」とでも冠してはいかがであろうか(ご本人にすれば陰謀なのか偽悪なのかわからないが)。その方が、それを求める人間が見に来、それに沿ったコメントのみが集まってきて、よりタイトに活性化されてゆくことと思う。
私が思ったのは、キャパは報道という魔物に乗ってしまったがゆえに、名声という果実と引き替えに十字架を背負った。
沢木氏も、キャパへの想いからテレビの誘いに乗って、望まぬ番組に仕立てられた、ということではないでしょうか。
真実は一面からではなく、側面から見れば、いろいろ隠れた真実があるんでしょうね。
ボストンの方は震撼しましたが、こちらに関しては
「別にいいんじゃない?」
というのが正直な感想です。
私もたまたま番組を見ましたが、別段、沢木耕太郎
がこの事実を新発見した!なんて思いませんよ(笑)
昔から散発的にある、「キャパのヤラセ写真」ネタを
集めて、1つのパッケージとして料理して面白く見せて
くれる・・・ことは別に糾弾しなくていいのでは?
少なくともこの番組のアプローチは見せ方(演出?)で
あってヤラセではないと思いました。多分、こちらの
ブログ主さんに糾弾されないつくり方をしてたら、番組
は相当つまんないことになるのではないでしょうか?
1、非常に大事な絶点が暴露されています。
「知らないやつは評論するな」とでも要約しときましょう。この命題、同じくこうなる。
「馬鹿と知らない奴は騙されてもしょうがない」→「当然」
ここがコンニチ世界のマスゴミが転落した腐敗の陥穽、御主人様に結び付られた金の縄の結節点。フランコに反対する為に細々やっている内はいいとしようか?その後誰かから「受賞」もする。
写真の誕生の瞬間からそうであったように、真実でない物を含まずに含み、それがさらに、転化し金肥で巨大化した。
2、「知らない奴ら」に対する目的意識的な「映像」投与!
ナチの映像操作は有名だ。他方
ナチ「擡頭」に抗すべきフランスで、スタヴィスキー「事件」が惹き起こされて大騒ぎ。さらに「プランス判事事件」もあえて。「事件」による政治家混乱は、統一戦線の出だし挫滅を齎す結果となった。プランス判事事件現場は、はるばる東洋まで運ばれ戦後の下山総裁現場へ直輸入されたかという事件現場酷似性指摘もある。( U+A0久生十蘭 - 十蘭錬金術 -所蔵「プランス事件」(昭和26年) )
大衆操作と、政府上層部圧力と。知らない連中と、知ってるやつらと、各々に射程する意味。
キャパの一枚が、浅ましくも哀しい近現代いや、今現在の、日本と世界の、ペテンを照射して余りある、そんなリキリキのブログ記事だと、あたしゃ思いましたよ。
私はキャパも崩れ落ちる兵士も知らない無知でしたが、観ながら
「ああ、ここまでは既知の事実を現地に赴いておさらいしてるんだな」
と思いながら観てましたけど。そういう構成でしたよ。
現地の詳しい方に話を聞いてただけでしたよね?
だからパクり云々は勘違いとしか。
後半のCGの検証は何だか無理があるような気がしたので、タローが撮った説も既知で、裏付けしただけか?と思い調べようとしたらここに来ましたが。
まあ番組観てない人はネットだけ観て「NHK洗脳機やな!」と思うのでしょうね。
TV批判はよく見ますが、TVを正確に批判するにはTVをがっつり観ないといけないという、なんとも皮肉ですね(笑)
それを言ったらTV番組もネットも、本も雑誌も新聞も、もっと酷いやらせだらけですよ。
いつも「これはやらせだな」って思いながら観てちょうどいいくらいです。
分かってて観るものですよ。
NHKはむしろ民放に比べたら真面目に番組作ってる方だと思いますけど。
でもこれもよくTV観て比べてないと分からないですね(笑)
チラチラTV観て、だらだらネットしてると洗脳される一方ですよ。
教育番組で「野生のウシにはこんな習性があるのです」と報道しようものなら
「NHKの発見だという事にしようとしている!ヤラセだ!」ってか。
凄いな。
「40年ほど前から欧米の写真家のあいだではキャパの "The Falling Soldier" は fake(やらせ) であることが常識になっているではないか。」
上の文を、私のような報道写真史に関して全く無知な者が見てもわかるように、大前提として番組を作ったのでなければ、いかなる言い訳をしてもヤラセの誹りは免れないとおもう。
有益な記事感謝。
あと、専門家のすることに素人が口をはさむな、という鼻もちならない権威主義が見て取れます。知識の少ない人間が知識の多い人間の作品を批判するのは間違っていると思っているのではないでしょうか。
どんなひとでもすべてのことにおいて専門家であることはできないと思いますし、その必要はないと思います。自分の専門外のことについて、素人ととして意見を述べることは間違っていないし、むしろ大いにしたほうがいいと思います。特に公共放送に関してはむしろ必要なことだと思います。
長くなってすみません。
尋常じゃない長さのコメ→NHKの回し者
コメント欄が面白かったのでひとこと。
作家さんのファンが妄信的。
1.この作家の「」を読め!読めば、彼がはじめてこれだけの証拠を集めたかが分かる!
→番組自体の話から逸れている。番組を見た人は著作なんて読んでませんよ。読まなくても誤解されないように制作するべきだったのでは?
2.知りもしないくせにコメントするな!
無知は黙ってろ!
→個人のブログにこの文句。的外れですな-。
NHKとは仕事をしたことがありますが、最低でした。
もう二度と関わり合いになりたくないです。
良い番組は常に興味ある人しか見ない深夜枠、もしくは海外ドキュメンタリーつまり他国制作・・・
わたしが本文中でこう言っているのが気に入らないようだが、わたしのような素人によって、いとも簡単にメッキが剥がされてしまう程度のお粗末な番組だったということである。
そもそも名無しさんは何が言いたいのであろうか?わたしの論を批判したいのか、それとも単に難くせ、イチャモンをつけたいだけなのか?