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手前の明かりは福島原発の作業灯
(最終面)
朝起きてTVのチャンネルをNHKにいれる。民放が日曜日の特番で起用したコメンテーターが同じことを言わされていた。そしてありきたりの報道だ。こんな報道されても3.11の本質は出てこない。新聞を取りに行った。東京新聞の一面に衝撃を受けた。この写真こそが3.11の本質であろう。資本の論理が、市民の生命・財産を奪い、その負債を次世代に追わせ、自らの生命財産は政府を動かし守り、なおかつ「経済効率」の名のもとに、資本の論理を貫こうとしている様が、この写真の遠方に光光と輝く東京の明かりが象徴している。しかし残念ながら「幼児性突発性癇癪病」を有するシンゾウ君にはドクター・メルケルの話された「歴史認識」も「反原発も」あまりにも知能指数の差がありすぎ、シンスケ爺さんの戦争手柄話やエイサク爺さんの秘密の核兵器の話は理解できても難しすぎたお話だったのだろう。ただ不思議なのは東京オリンピック誘致で「汚染水はアンダーコントロール」と大見え切ったシンゾウ君は「汚染雨水700t漏水」の記事をどう説明するのだろうか。そして天下の「読売」と「NHK」はどのようにこのシンゾウ君の嘘を追及するのかが見ものでもあります。
新聞を読み終わり、改めて身内の関与した3.11の記録を読みなおした。
どうしても、記事は釜石と石巻の小学校の比較を注視してしまう。結果論は何とでも言えるが、おそらく、誰もの想像を超えた大災害に最初の揺れでこの大惨事がイメージ出来た親がどれだけいたのだろうか。日常の中での家庭教育にリアリティーがどれほどあったのだろうか。むしろリーダーシップが取れる人材が身近にどれだけいるかが、地域の安全確保の鍵になるのではと思ったりもし、最近の復興状況を見ても、地域間格差は、リーダーの存在格差のようにも思えるのだが。
何か何もできない自分の弱さだけ認識した4年間が過ぎてしまった。
今年は自然保護で始めた田んぼも、今までは放射能汚染問題で止められた、落ち葉での堆肥作りを復活させました。その意味からも「反原発」を改めて考えていきたいものだと思った、3.11からの4年目でした。
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