チケットは昨年の12月に購入した。Googleカレンダーに登録しておいたので忘れずにいたが、老人ボケのしてきたこの頃では、私のメモリー容量は1年前の記憶は保存できない。しかしブラームス大好き人間だけに、チラシのブラームスが、メモリーの片隅にこびりついていた。これまでの2006年以降今回で7度目となる(私は2013年の公演だけは聴いていない=確かプログラムにブラームスはなかったはずだ。)ミューズでのリサイタルで、ブラームスは聞きたかったが、1週間前にNetで今日の公演プログラムを知った時はショックだった。あまり好きではないシューベルトの、はっきり言って嫌いな後期3大ソナタのNo20&21だったからだ。20も21番も、シューベルトの歌曲の伴奏を寄せ集めた曲に過ぎない。1曲の歌曲には起承転結のドラマがあるが、寄せ集めてしまうと、「お前は何が言いたいのだ」となってしまう。私が若かったならば、ブルックナーの時のように、結果は嫌いでも、どこかに良さがあるのではといった探求心が起こるのだが、(私の結論はブルックナーは同じ曲を9回作った。ビバルディーは同じ曲を400回作った)年を取ると「嫌いなものは嫌い」と割り切れるのだ。それでも会場に足を運んだのは、貧乏人根性のなせる業だった。
聞いた結果は、まず会場の雰囲気に驚いた。楽章の終了とともに一斉に上がる」咳払いの多さ、大きさ。そして途中観客に事故があったのか、演奏途中に走り回る係員、そして演奏終了に湧き上がる歓声。こんなにもシューベルト愛好者がいるのだとは思わなかった。演奏曲目は嫌いだがツィメルマンのピアノは好きだしすごいと思う。ある意味カラヤンの演奏したブルックナーのようだ。ありとあらゆるピアノの音色が駆使されうみだされ、どれもが美しく会場に響いた。この変幻自在な多彩な音色は、ドビッシーを聴いたときには心に響くが、シューベルトでは反復的に響き疲れが増した。次回はむしろ、この音色をもってアルバン・ベルクを聴いてみたいと思った。それこそツィメルマンの感性がより強くひびくのではないだろか。
(私の手持ち音源)
CD クララ・はスキルの1957年ザルツブルグ音楽祭Live MozartのK.330が聴きたくて購入、シューベルトは購入時以降ほとんど聞いていない。
DVDゾルタン・コチュシュのスイスイタイリア語圏放送局のLiveDVDの10枚組の中の1枚、聴き物はMozartのK.475の幻想曲、またこのセットではマリア・ティーポのピアノでペーターマークの指揮するMozart
のK.466の協奏曲が見られてこれこそ正真正銘の絶品、しかしシューベルトはこれこそ購入時以降は見ていない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます