19日、四十九日法要の打ち合わせにお寺に行った。お寺の事務所は混んでいた。時節柄ややはり冬場は葬儀が多いのだろうか。
遺骨を四十九日法要までお寺にあずけていたこともあり、線香を上げに行くと我が家だけでなく多くの遺骨があずかられていた。
実家が無人になってしまったことから、実家の仏壇を我が家に移動するまで(四十九日法要まで)お寺に預かって頂いたのだが、
お墓がまだ決まっていない人等、聞けば事情は様々だが、お寺はそれに対応した場所を用意していた。
四十九日法要は、お寺のデータに親父のデータが残っており、オフクロも親父と同様の法要をお願いした。予め親父の位牌の写真
とサイズを持参したことから、オフクロの位牌も親父より小ぶりにしてデザイン、材質を同じにした。
お寺さんのアドバイスを受け、四十九日法要の日取りと法要の時間取りを決め、お寺から墓地までの移動のマイクロバスの手配を
頼んだ。
葬儀の時のお布施を渡すと、すぐに機械にかけると3回して1回エラーが出たとのことで私たちの前でお札を数えた。1枚多いと
のことで返された。昨夜カミサンと私で数えたのだが、機械が正しかった。新札、旧札がまじると多々あることとお坊さんは話され
たが、パソコンでのデータ管理と言い、札計数機の導入と言い、地下の納骨堂の管理といいお寺も進歩しているのだと思った。
オフクロの戒名も、親父の戒名のデータと相関性を保たしていることなどもデータベースの賜物だろう。
最後の納骨時に必要な書類にお墓の権利証を持参スルことを言われ、一瞬「何処にあるのだ」と不安がよぎった。
お寺を後にし、実家の町内会に、挨拶にまわりをした後、実家での家探しにかかった。
まずはオフクロの年金証書、そして墓地の権利書。年金証書は出てきたが、権利書はなかった。
帰りの電車の中で、親父の葬式後のことを思い出しながら権利書の行方を追った。
実家の所有権移転登記にぶつかり、その時の権利書を何処にしまったかを考え家路に着いた。
やはり実家の権利書と同じ所に墓の権利書はあった。
遺骨を四十九日法要までお寺にあずけていたこともあり、線香を上げに行くと我が家だけでなく多くの遺骨があずかられていた。
実家が無人になってしまったことから、実家の仏壇を我が家に移動するまで(四十九日法要まで)お寺に預かって頂いたのだが、
お墓がまだ決まっていない人等、聞けば事情は様々だが、お寺はそれに対応した場所を用意していた。
四十九日法要は、お寺のデータに親父のデータが残っており、オフクロも親父と同様の法要をお願いした。予め親父の位牌の写真
とサイズを持参したことから、オフクロの位牌も親父より小ぶりにしてデザイン、材質を同じにした。
お寺さんのアドバイスを受け、四十九日法要の日取りと法要の時間取りを決め、お寺から墓地までの移動のマイクロバスの手配を
頼んだ。
葬儀の時のお布施を渡すと、すぐに機械にかけると3回して1回エラーが出たとのことで私たちの前でお札を数えた。1枚多いと
のことで返された。昨夜カミサンと私で数えたのだが、機械が正しかった。新札、旧札がまじると多々あることとお坊さんは話され
たが、パソコンでのデータ管理と言い、札計数機の導入と言い、地下の納骨堂の管理といいお寺も進歩しているのだと思った。
オフクロの戒名も、親父の戒名のデータと相関性を保たしていることなどもデータベースの賜物だろう。
最後の納骨時に必要な書類にお墓の権利証を持参スルことを言われ、一瞬「何処にあるのだ」と不安がよぎった。
お寺を後にし、実家の町内会に、挨拶にまわりをした後、実家での家探しにかかった。
まずはオフクロの年金証書、そして墓地の権利書。年金証書は出てきたが、権利書はなかった。
帰りの電車の中で、親父の葬式後のことを思い出しながら権利書の行方を追った。
実家の所有権移転登記にぶつかり、その時の権利書を何処にしまったかを考え家路に着いた。
やはり実家の権利書と同じ所に墓の権利書はあった。
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