とりとも雑楽帳

狭山丘陵の里山歩きとクラッシク音楽の鑑賞日記です。

お葬式 備忘録(8)

2008年05月05日 | Weblog
5月3日:さすがに疲れが出た。今日は10時まで寝ていた。久しぶりに音楽を聴いていた。最近疲れたな~と思うときにはドボルザークの室内楽が癒される。1日中、バックミュージック的にピアノ三重奏、弦楽四重奏、ピアノ五重奏、弦楽六重奏のCDを聴いていた。ピアノ三重奏の「ニューシネマパラダイス」のテーマやピアノ五重奏の「こんにちわ赤ちゃん」のテーマが心和む。

5月4日:四十九日法要のために霊園にお墓の名義変更の手続き、、埋葬、墓碑銘の申請手続き等と法要後の会食の予約に行った。藤の花が満開で、霊園の駐車場が満杯だった。ここの藤は祖父が氷川神社にあった藤を分けてもらい移植したのだと
母から初めて聞かされた。実家に戻ると、母が四十九日法要までに仏壇を買い替えたいと言い出した。告別式の翌日には、墓石、墓地、仏壇とセールスの電話がかかり続け、ダイレクトメールのカタログがどんどん舞い込み玄関に積まれていた。少なくとも位牌は作らなければならないので、とりあえず葬儀を頼んだところに電話した。明日に送迎にいくので、ショールームに来てくれとのことで、母に伝え帰宅した。

5月5日:天気予報では今年のゴールデンウィークは行楽日和だと言ったが雲行きは怪しい。出勤時間並みに起床し武蔵野線埼京線を乗継大宮にいった。久しぶりの利用だが接続がスムーズで予定よりだいぶ早く実家に着き葬儀社の来るのを待った。
大宮から坂戸まで連れて行かれた。往復2時間は老齢の母には答えたようだ。宗派によって仏具が違うことを知った。位牌の戒名の付け方も宗派により形式が異なることを知った。また位牌は入れる本尊像の大きさにより決まることも知り、もとになる本尊こそが宗派の象徴であることを知った。ただこれら仏具、仏像の製造は中国であろう。宗教を否定してできた国の人によって作られた仏壇・仏具が仏の御心を宿す場所となるのであろうか甚だ疑問だが、今の世の中「見てくれ」が政治から芸術まで価値判断となるようになってしまった。ここは父が残したお金で母が父のためにしたいと思う気持ちを尊重し母の気の済むようにさせた。
しかし、思い出せば私の記憶では父は安保60年のデモにも参加し、政治信条は生涯左翼であった。むしろ宗教は否定していた。
これまでの流れが父のために良いことだったのかは疑問だが、母が父のためにしたいとの気持ちも事実なのでここにきて複雑な気持ちになった。その場で決済して実家に戻った。
実家には、2日に父の預金が凍結されるたので、父の預金口座で引き落とされる公共料金を母の口座に変更を連絡したため、早速その変更申請書が届いていた。
今日も事務的な処理で1日過ぎてしまった。



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